やがて、魂喰らいの魔術書の話は自然と耳に入ってくるようになった。

 教師陣が捜査を始めたから聞くようになったということもあるけど、被害者が増えたから嫌でも話題に上ってしまっているのが現状だ。
 危機感を募らせたノエルが宮廷魔術師団の師団長に相談してくれて、調査してもらうことになった。

 そんな中、ノエルがオリア魔法学園に滞在する日が遂に訪れた。

「結局、お休みじゃなくなったわね」

 ノエルは師団長と一緒に、朝一番に来てくれた。

 師団長はもう百年も生きているというのにまだまだ魔術師団を引っ張っている偉人で、国からは大賢者の称号を与えられているお方。背丈ほどある長い杖の先端には虹色に輝く魔法石がついていて、いかにも魔法使いといった出で立ちだ。

「休んでいられない状況だからしかたがないよ」
「そうじゃな。大切な婚約者の近くにシーアの魔術書があっては生きた心地がしないようじゃ。おかげで道中はずっとそなたの話を聞かされてしまったわい」
「っ師団長!」

 ノエルが咎めるように言うと、師団長は「ほっほっほっ」と絵に描いたように朗らかに笑う。ノエルのことなんか知らんぷりで、ばちこんとウインクをしてみせてくれた。茶目っ気があってかわいらしいおじいさんだ。

 ノエルよ、このキュートで偉い師団長に私のどんな話を聞かせたのか、後でゆっくりと教えてもらうからね。

「さて、ここにいては生徒たちが気になってしまうぞ。そうそうに移動した方がよいじゃろうな」

 師団長の言う通り、生徒たちが周りに集まり始めた。みんなドキドキした顔で私たちの会話に耳を傾けている。
 ただの怪談だった話が急に現実味を帯びてきてしまったから、気になってしかたがないようね。
 
 魂喰らいの魔術書を調べに宮廷魔術師団の師団長が来ているという知らせは数日前から生徒たちに伝えられていたから、師団長の到着を待ち構えていたようだ。
 この世界で魔術師は羨望を集める職業で、その人気は騎士に並ぶ。みんなまだまだ師団長を見ていたかったようだけど、グーディメル先生によって教室に追い返されてしまった。

「ノエル、危ないときは私たちを呼ぶのよ?」
「わかってるよ」
「本当にわかってる? 心配なのよ。ノエルが苦しんだり痛い思いをしているところ、見たくないんだから」

 だから無茶をしないで、と口から出かけた言葉は最後まで言えなかった。
 ノエルが急に抱きしめてくるものだから、驚くのと同時に喉の奥に引っ込んでしまって。

 耳には彼の鼓動の音が届いて、今までにないほど距離を近くに感じる。

「もっと心配して、僕のことだけ考えて」
「あのねぇ、思春期の生徒たちを受け持っているんだからこれ以上は無理よ」
「……そういうことじゃないんだけどな」
「じゃあ、どういうこと?」
「どういうことだと思う?」
「わからないから聞いているのよ!」

 ノエルは常套手段ではぐらかしたまま、師団長と一緒に図書館に行ってしまった。

   ◇

 ノエルたちと別れてから教室へ向かうと、生徒たちはみんな、師団長や魂喰らいの魔術書の話をしていた。生徒たちを見ていて、ふと、サラがいないのに気づいた。

「あら、リュフィエさんはお休みなの?」
「ええ、昨晩変なものを拾い食いしてしまったようで、寮で寝ています」

 フレデリクはそう言って肩を竦めた。

 確かにサラは奔放な性格の子だけど、そんな野生児みたいな設定はなかったはずだが。
 それでも誰も否定しないから、本当にお腹を壊して休んでいるようだ。後でお見舞いに行こう。

「今日は休んでいる人が多いわね」

 教室を見渡すと、ポツポツと席が空いている。

「あら、アロイス殿下は?」
「体調がすぐれないので寮で寝ています」
「心配ね。後で様子を見に行くわ」
「い、いえ。寝ていると思うのでそっとしていたほうがいいかと」

 いいえ、推しが弱っているのに放置なんてできないわ。
 後で寮に行って二人の様子を見に行こう、なんて考えながら顔を上げると、今度はセザールがいないのに気づく。

「あら、クララックさんは?」
「本を読み過ぎてしまったみたいで、頭痛がひどいから寮で寝ています」
「それなら後で頭痛薬を持っていくわ」
「い、いえ。寝ていたら治ると言っていたのでそっとしてあげてください」

 フレデリクはそう言うけれど、もしものことがあったらいけないし、放っておけない。

「そういうわけにもいかないわ。ちょっとした体調不良が重病の兆候かもしれないんですから」
「あああ、あの、本当に大丈夫なんで、先生は気にしないでください……!」

 教室を出ようとすると、ディディエも一緒になって止めてきた。他の生徒たちも続いて立ち上がって、ぐるりと私を取り囲む。

 どうしてそんなにも、必死になっているの?

「……」
「……」
「……」

 静まり返ってしまった教室は緊張感に満ちていて、生徒たちはみんな私の顔を穴が空くほど見つめている。みんな、いたずらがバレるのを恐れている子どもような顔をしているのよね。

 微かに抱いていた違和感は、どんどんと大きくなる。

 サラに、アロイスに、セザール。いきなり体調を崩して休んだ三人は、この世界のメインキャラクターという共通点がある。

 だからこの顔ぶれ、妙に引っかかるのよ。さっきから私の中にあるフラグ発信機が音を鳴らし始めているのよね。私の勘が正しければこの状況、学園ものお決まりの、”世界を救うためのサボタージュ”なのでは?

 あの三人はきっと、「世界の危機なのに授業なんて受けてられないぜ⭐︎」みたいなテンションで欠席してるんじゃないの?

「あなたたち、どうやら私には寮に行って欲しくないようね。見られてはいけないものが隠されているのか、それともそこにいるべき人たちがいないのか……」

 生徒たちがすっかりと黙り込んでしまった教室で、私の声だけがこだまする。
 話す気がないのなら、答えさせるまでだ。

「ジラルデさん、どちらかしら?」
「ひっ!」

 フレデリクに一歩近づくと、たじろぐジラルデが窓に背を貼りつけた。もう一歩近づこうとしたその時、ドナが声を張り上げる。

「おいメガネ! 図書館の方にヤバイもんが見えるぞ!」

 ドナは窓の外を指し示していて、見てみると、図書館が黒く大きな手に覆われていた。
 不気味に蠢く無数の手が、今にも図書館を潰してしまいそうなほど絡みついている。

「ベルクール先生、例の本が暴れ始めたんです! 防御魔法の応援に来てください!」

 慌てて教室に飛び込んできたブドゥー先生に引っ張られて、図書館に連れていかれた。