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 お屋敷でお茶をして少し休んだ後、薬師たちに会いに街に出た。

 街に向かう馬車はノエルとお兄様、そしてジスラン様と一緒に乗り合わせることになった。
 
「レティシアはいま、オリア魔法学園で働いているんだよね? グーディメル先生はまだいる?」

 ジスラン様が何気なく話を振ってくれると。

「ええ、いますよ。昔と変わらぬ眼光の鋭さで学園の風紀の番人を担ってくれています」

 すかさずノエルが答える。馬車に乗ってからというもの、ずっとこんな調子だ。
 しかもずっと手を握ってくるから、お兄様から「おやおや、見せつけてくれるねぇ」だなんてひやかされてしまう。
 
 ノエルは恋愛結婚をする婚約者の役を完璧に演じてくれているみたいだけど、あんまりにも自然に演じるから、気恥ずかしくなる。
 ことにノエルが話しながら視線を合わせてくれて、それがあんまりにも優しい眼差しで、本当に愛おしい恋人に向けるような顔だから、くらりと中てられそうになった。

   ◇

 街に着くと領地の薬師たちをまとめるギルドへと向かった。

 大通りに面した趣のある建物の中に入り、そこの一室でギルド長のマルティさんの講義を聞く。彼女はなんと、自ら生徒たちに薬師の仕事内容や歴史を教えてくれた。

 マルティさんの講義を聞いていると懐かしくなった。

 幼い頃、お父様に連れられて視察に来た時もマルティさんは薬師たちの仕事を丁寧に教えてくれて。
 彼女の話を聞いて薬草に興味を持ったから今日の私がいると言っても過言ではない。

 講義が終わった後、マルティさんにお礼を言いに行った。

「マルティさん、生徒たちに教えてくださってありがとうございました」
「いいえ、レティシアお嬢様のためならお安い御用ですよ」

 すると、マルティさんはちらと隣に居るノエルを見る。

「それに、回復薬を継続的に購入していただける大口顧客との取引を繋げてくださったファビウス卿へのお礼もしたかったのでね」
「……へ?」

 不意打ちで新事実を伝えられて、目が点になった。

 ノエルがうちの領地の薬を斡旋してくれていたの?
 ナニソレ初耳なんですけど?
 
 ノエルはというと、にっこりと微笑みを返している。
 いや、笑ってないで、なにがあったのか説明して欲しいんですけど。さっきお兄様が「手紙をくれてありがとう」って言っていたのもすごくすごく気になっているんですけど。

 私が知らないうちに領地の人たちと頻繁に交流しているわよね?

 問い詰めたい気持ちでいると、ノエルは肩に腕をまわして引き寄せてくる。完全に油断してしまっていたものだからよろけてしまって、ノエルの胸に頭を預けるような体勢になってしまった。

「レティシアを育ててくれたこの街のためにお役に立てたようで嬉しいです」
「ふふふ、いいわねぇ。愛の深さを感じられますわ」

 マルティさんはうっとりとした表情になる。
 あなたが想像しているような甘い間柄ではないんですけど、と言いたくなるのをグッとこらえた。

 どうやらノエルは、領地の人たちも順調に仲間に加えているらしい。
 知らないうちに周りを固められているようで、身震いしてしまった。

 そんな私の気も知らず、マルティさんは昔話を始める。

 初めて私がここを訪れた日のこと、お父様と一緒に来ては薬草について教えてもらっていた時のことをマルティさんは昨日のことのように覚えていて、話してくれた。

 ふと、彼女はなにかを思い出して小さく声を漏らした。

「実はね、レティシアお嬢様はジスラン様とご結婚されるのかもと思っていましたの。お二人とも幼馴染で、よくご一緒にお話を聞きに来てくださっていたものですから」

 まさかジスラン様の話題が出てくるとは想像もしていなかったから動揺してしまう。

 どぎまぎしていると、マルティさんは悪戯っぽく笑みを浮かべて、ノエルに向かって、「嫉妬しちゃうでしょう?」と問いかけた。

「ええ、妬いてしまいます。彼が僕より先にレティシアと会っていたのがとても悔しいです」

 そう答えるノエルは頭に顔を寄せてきて。
 あまりにも真に迫った演技に、思わず顔が赤くなってしまった。

 ◇

 今日の職業体験を終えてお屋敷に帰ると、すぐに夕食の時間になった。

 お父様とお母様、お兄様家族と、ジスラン様、そして私とノエルに、生徒たちが一堂に揃って夕食をとるものだから、とても賑やかになった。
 ディディエはジスラン様に騎士団での仕事について聞いており、どうやら治癒師の仕事も気になっているらしい。

 この体験学習で学んだ事が、ディディエが抱える不安を和らげてくれますように。
 ジスラン様と話すディディエを見ながら、そっと祈った。

 夕食が済むと、生徒たちを来客用の部屋まで送る。

 明日は薬草畑を見学した後に工房で薬を作ることになっているから、早く寝るように念を押した。そうして最後の一人、フレデリクを見送ってからノエルと一緒に廊下を歩いていると、ノエルが「庭園を見に行きたい」と言い出した。

 庭師たちが綺麗に手入れしてくれている庭園は夏の花が咲いていて、誘われてしまったようだ。

「いいわよ。ソフィーから灯りをもらいましょう」

 カンテラを受け取って外に出ると、涼しい夜風が頬を撫でてくれて気持ちがいい。

「いい庭師が手入れしてくれているんだね」
「ええ、どの植物もいきいきと育っているでしょう?」

 甘い香りがする花に顔を近づけて匂いを嗅いでいると、ノエルが上着をかけてくれた。少し冷えてしまった体に、ほんのりと彼の体温を感じる。

「ビゼー卿はよくここに来ていたのか?」
「ええ、幼い頃はよく、ビゼー伯爵について来た彼と遊んでいたのよ」

 ジスラン様とは昔から、家族ぐるみのつきあいだ。ビゼー伯爵も治癒師をしていて、薬や薬草について、お父様に聞きに来ていたから。
 そうして一緒に時間を過ごしていくうちに、私は彼に惹かれてしまっていたのよね。

 終わった恋を思い出して感傷に浸っていると、いきなりノエルの腕が背後から回ってきて、腰に巻きつく。それと同時に肩口にずしりと重みを感じて、首にはノエルの髪が当たっていてくすぐったい。

 彼の意図がわからなくて、抗議の意を込めて名前を呼んでも腕の力が強まるだけで。

「レティシアはビゼー卿のこと、いまはどう思っているんだ?」

 どうしてか、そう問いかけてくるノエルの声も怒っているように聞こえた。