私の一番古い記憶はニ歳の時です。  

当時小学一年生の兄が交通事故に遭い、救急車で運ばれて入院していた時の記憶です。
 
もちろんまだニ歳の私は病院には連れて行ってもらえず、お母さんは兄のお見舞いに行くために私を保育所に預けました。
 
“私を預けないで”

“いい子にするから”  

保育所に預けられるのだと分かった私は車の中で大声を出して泣きました。

まるで見捨てられた気分でした。

まだニ歳だった私は兄が交通事故に遭い、死線を彷徨(さまよ)っていることも、私を病院に連れて行けない事情も理解することが出来ませんでした。

ただそのときに、  

“お母さんは私よりお兄ちゃんの方が大事なんだ”

そんな考え方が根を張りました。

今でも心の奥でそう思っているのです。 

貴女が私に辛く当たる度に、普段は土の中にあるその思いが頭をもたげ、私を悲しみでいっぱいにするのです。

この思い込みはいつか消えるのでしょうか。

貴女は私を大事にしてくれています。

頭ではそう分かっているのに。

私がこころの病気になり精神科のある病院に一年間入院したとき、貴女は毎日欠かさずに面会に来てくれました。

それも面会開始時間から終了時間までずっと。

私が薬の副作用で脚が怠(だる)いと言えばバラの香りのアロマオイルを使ってマッサージをしてくれて、

点滴で何度も刺された注射でかぶれた傷跡が痒(かゆ)いと言えば、氷をハンカチで包み、当ててくれました。

それだけではありません。

退院した後も、高校に復学した私の送り迎えを車で毎日してくれました。

卒業するまでずっと。

私が学校を終えると、いつも保健室で待っていてくれました。

卒業式の日、貴女が保健室で涙をこぼした姿を、四年経った今でも忘れることはありません。

もし貴女が支えてくれなかったら、私はきっと途中で学校に行けなくなってしまっていたでしょう。

そしてそれは卒業した後も同じでした。