神殺しのクロノスタシスⅤ〜後編〜

…しかし。

俺はそのとき、気づいていなかったが。

「…?…??」

目を覚ましたばかりのベリクリーデは、きょろきょろと周囲見渡していた。

…まるで、違和感の正体を確かめるように。

「おい、ベリクリーデ。どうした?早く帰るぞ」

そんなベリクリーデに、ジュリスが声をかけた。

「ジュリス…」

「ん?どうした?」

「…ジュリスって、ジュリスだよね?」

「…は…?」

突然の意味不明な質問に、ジュリスは眉をひそめた。

「言ってる意味が全く分からないんだが…」

「私もよく分かんない…」

「でも、俺は俺だぞ。いつも通り」

「…そっか…」

そう呟いたベリクリーデは、納得したような納得出来ないような、微妙な表情を浮かべていた。

それを見て、ジュリスも怪訝そうな顔をしていたが。

ひとまず、その違和感の正体を確かめるのは後回しだった。

まずは、ルーデュニア聖王国に帰らなくては。

「ほら、帰るぞベリクリーデ」

「うん」

ジュリスに促され、ベリクリーデは素直に頷いた。

思えば…思えば、このとき既に、種は蒔かれていた。

しかし、当然ながら…俺達は全く、そのことに気づいていなかった。
…帰りの道中、アーリヤット皇国側の代表団は。




「申し訳ありません、ナツキ皇王陛下…。我々が不甲斐ないばかりに」

「このような結果終わってしまいました」

ハクロとコクロが、不機嫌そうな皇王に謝罪した。

が、ナツキ様はそんなことは聞きたくなかったらしい。

うるさそうに、部下達を手で払った。

「全くだ。…この役立たず共め」

このときのナツキ様の…負け犬の顔を見られたら。

俺はさぞや、溜飲を下げたことだろう。

「だが…まぁ良い。最低限の目的は果たした」

ナツキ様が、やけに素直に引き下がった理由。

三回戦に、ハクロとコクロの二人を選んだ理由。
 
その裏にあるものを、俺達は知らなかった。

知る由もなかった。

「俺をコケにしてくれたこと、必ず後悔させてやる」

その言葉が、単なる負け惜しみではないことを。

ナツキ様は勿論、ハクロとコクロも承知の上だった。

俺達がこの言葉を意味を知るのは、もう少し先のことだった。
…ナツキ様の企みなど、知る由もない俺達ルーデュニア聖王国代表団一行は。





決闘から、三日が経過したその日。

「よし、それじゃあ…決闘お疲れ様会を始めまーす!」

満面の笑みで音頭を取るシルナに。

俺達は、それぞれマグカップに入ったホットチョコレートを掲げて、乾杯した。

…素朴な疑問なんだけど、何でホットチョコで乾杯?

なんか間違ってるような気がするが、まぁ平和な日常が帰ってきて良かったねってことで。




「さぁさぁ皆、たくさん用意したから、好きなだけ食べてね〜」

この決闘お疲れ様会、とやらを企画したのは、勿論シルナである。

そして、シルナが用意した祝いの席と言えば、当然ながら。

「凄いね、これ全部チョコなの?」

「チョコ菓子って、こんなに種類あるんだ…。ケーキとマフィンとクッキーくらいしか知らなかったよ…」

「世界は広いんだなって思うよね」

お疲れ様会に招待された吐月達が、テーブルの上に整然と並べられた皿の数々を見て、思わず舌を巻いていた。

そう思うのも無理はない。

テーブルの上には、これでもかと言うほど食べ物が並んでいた。

一体どんなご馳走が…と思ったら。

全部、チョコ菓子。

ザッハトルテ、ガトーショコラ、フォンダンショコラ、チョコクッキーにチョコサブレ。

チョコサラミにチョコアイス、チョコパウンドケーキ等々。

極めつけは、とくとくと熱いチョコレートを噴き出す、巨大なチョコフォンデュ。

用意したのは、勿論シルナである。

ルーデュニア聖王国に帰ってきてすぐ、馴染みのお菓子屋さんに頼んで、用意してもらった。

それもこれも、この日のお疲れ様会の為である。

「あ〜美味しっ。こっちも美味しい!このチョコアイスなんて最高!」

シルナは招待客そっちのけで、テーブルいっぱいのチョコスイーツを貪っていた。

すげー勢いで食ってる。掃除機か? 

「…」

これには、招待客であるルーデュニア聖王国代表団も無言。

ただ、ベリクリーデだけが。

「もぐもぐ。これ美味しいね、ジュリス」

「あ、うん…」

チョコドーナツを口いっぱいに頬張って、もぐもぐ食べていた。

ベリクリーデは大物だよ。

腕、もう治ったのかな?

「…このパンダ学院長…。白と黒じゃなくて、茶色一色になるんじゃないですか?」

イレースの嫌味も、シルナの耳には届いていないようで。

ただひたすら、変わらない吸引力でチョコスイーツを貪っていた。

しばらく放っておこうぜ。あれは止めても止まらんだろ。

まぁ、でも…気持ちは分かる。

多分シルナも幻の世界で、一週間の間針のむしろ状態で過ごしたんだろう。

俺と同じように。

当然その間、こうやって大好きなお菓子を口にすることもなかったはずだ。

それに、決闘のことやらアーリヤット皇国との揉め事やらで、しばらく落ち着かない日々が続いていたし…。

その反動なんだと思うよ。

ようやく平和が戻ってきたのだから、今日くらいは羽目を外しても良いだろう。

しかし。

「言うまでもないことですけど、この山のようなチョコ菓子の代金は、全部学院長の懐から出してもらいますからね」

イレースは、こんなときでも容赦なかった。

財布の紐が緩むってことがないもんな、イレースって。偉いよ。
…そう、平和。

こうして俺達が今日、呑気にお疲れ様会…ならぬ。

シルナ主催のチョコパーティーを開くことが出来ているのは。

無事に決闘に勝利し、ルーデュニア聖王国に平和を取り戻したからである。

大変だったんだぞ、帰ってからの三日間も。

決闘に負けてヤケを起こしたナツキ様が、港に待機しているアーリヤット国軍を動かし。
 
ただちにルーデュニア聖王国を攻撃して、戦争が始まるんじゃないか。

そう危惧していた俺達だったが。

意外なことに、ナツキ様は聞き分けが良かった。

俺達がルーデュニア聖王国に戻ってきたときには、我が物顔で港を囲んでいたアーリヤット国軍は、自分の国に撤退した後だった。

これには拍子抜けだった。

更に、その後のアーリヤット皇国の動きも。

約束通り、フユリ様に会いに来るよう要請したところ、ナツキ様は今のところ、素直に応じているそうだ。

この調子なら、近いうちにようやく。

フユリ様とナツキ様の対面が、現実のものになりそうだった。

文句なしの大勝利である。

ようやくホッと一息ついた俺達は、今日、こうして。 

遅れ馳せながら、決闘お疲れ様会を…。

シルナの念願のチョコパーティーを開催した次第である。

いやぁ、感慨もひとしおだな。

ついこの間まで、幻の世界で悶々と思い悩んでいた頃が思い起こされる。

シルナが目の前に、このイーニシュフェルト魔導学院の学院長室にいる。

掃除機並みにチョコ菓子を貪っているのは別として。

そこにシルナが居るというだけで、俺は自分が驚くほど安心しているのを実感した。

多分、シルナにとってもそうなんだろうと思う。

だからこそ、何も考えずにチョコ菓子貪っていられるんだろうし。

平和ってのは尊いもんだな。毎回思うけど。

と、俺が平和の有り難さを噛み締めているところに。

「このまま大人しくしてくれてたら良いね、アーリヤット皇国」

「そーだね。懲りてくれたらいーけど。そう簡単に懲りそーな顔してないもんね」

令月とすぐりが、容赦なく水を差してきた。

…言うなって、お前らは。そういうことを。

気分が台無しだよ。

そりゃまぁ…令月とすぐりの言うことも分かるよ。

「あの」ナツキ様だもんな。

そう簡単に引き下がるとは思えない。

また何か企んでる…という線も、考えられなくもない。

が、今日くらいは…全部忘れて、素直に喜んでも良いのでは?

うん、そうだ。そういうことにしよう。
「…チョコの匂いがキツくて、鼻がおかしくなりそうだよ…」

むせ返るようなチョコの匂いに、鼻を摘んで顔をしかめているのは。

イーニシュフェルト魔導学院のマスコット猫、ならぬマシュリであった。

決闘で二回戦を戦ってくれたマシュリは、ベリクリーデと並んで、謂わば今回の功労者である。

結果的には、ミナミノ共和国の審判に難癖をつけられて、敗北扱いになったが。

俺は今でも、あれはマシュリの勝利だと思ってるから。

よって、そんなマシュリの為に、俺は自腹を切って良いものを用意した。
 
どうせマシュリには、シルナの好きなチョコ菓子はあまり喉を通らないだろうし。

猫にチョコレートは食べさせたら駄目だからな。

その代わりに。

「マシュリ。おい、マシュリ」

「何…?」

「ほら、こっち来い。良いもの用意してあるから」

そんなマシュリの為に、ペットショップをいくつも回って探してきた。

「…!この匂いは…!」

鼻の良いマシュリは、いち早く俺の懐にあるものに気づいたようだ。

部屋の中、こんなにチョコの匂いが充満しているのに、よく気づいたな。
 
やはり、好物の匂いは格別であるようだ。

「ほら。ビッグサイズのちゅちゅ〜る豪華六本セットだ」

「…!!」

それを見るなり、マシュリは目を輝かせて飛びついてきた。

探すの苦労したんだぞ、これ。

通常サイズのちゅちゅ〜るなら、近所のドラッグストアにも売ってるんだけど。

このお得用ビッグサイズのちゅちゅ〜るは、取り扱ってる店が少なくて。

王都のペットショップを梯子して、ようやく見つけてきた。

マグロ味、カツオ味、ささみ味、サーモン味、チーズ味、禁断のマタタビ味の六種類が揃った、豪華版だぞ。

さぁ、心ゆくまで堪能してくれ。

「ついでに、プラチナ猫缶もいくつか買ってきてやったからな。しばらくは豪華に…」

「にゃー」

「…聞いてないな…」

ちゅちゅ〜るには、猫を狂わせる魔力がある。

猫っつーか…ケルベロスなんだけど…。

あと…神竜、バハムートの血も引いてるんだっけ?

本人が何も言わないから、俺も何も聞かない。

どんな姿だろうと、マシュリはマシュリだからな。

そう思っていたから俺は、そのときのマシュリが心の中で、密かに覚悟を決めていたなんて。

知る由もなかったのである。
…チョコパーティーはそのまま、三時間くらい続いて。
 
招待客がそれぞれ帰宅して、イレースや天音達も自分の部屋に帰った後。

「はー。食べた食べた…。幸せだったー」

「…」

シルナはようやく、飽きるほどチョコスイーツを食べて満足していた。

今日くらいは、羽目を外しても良いって言ったけどさ。
 
あれ、撤回するよ。

物事には限度ってものがある。限度ってものが。

その限度ってものを理解してない。この男。

今日、このお疲れ様会でシルナが一人で消費したチョコスイーツの量を知ったら、誰しも腰を抜かしてたまげると思う。

それくらい食ってた。マジで。

バケモンだぞ。

「羽久が私に失礼なこと考えてる気がするけど…お腹の中がチョコレートでいっぱいで幸せだから、今は気にならないや…」

「気にならないなら遠慮なく言わせてもらうけど、食べ過ぎだよお前。お腹の中どころか、頭の中までカカオ詰まってんじゃね?」

「羽久が私に失礼なこと言ってる!」

気にならないんじゃなかったのかよ。

ガッツリ気にしてんじゃん。

「でも、一週間我慢したんだよ?私が一週間に消費するお菓子を、一日で食べたと思ったら…意外と少ないような気がしない?」

成程、確かにそう考えると少ない…。

…って、そんな訳ないだろ。

多いわ。一般人の基準だったら、一ヶ月分でも多いくらいだよ。

やっぱり頭の中、カカオ詰まってんじゃね?

まぁ、良いや。

「心ゆくまで食べたか?満足したか」

「うん、満足した。やっぱり砂糖は偉大だね」

この世のあらゆる問題、砂糖とチョコで解決したら簡単なんだけどな。

世界にシルナしかいなかったら、多分それで解決する。

「また羽久が、私に失礼なこと考えてる気がするよ…」

「気のせいだ」

「…でも、この世界に羽久がいるってだけで…そう思うだけで、何だか安心するよ」

「…」

…それは…俺も同感だな。

何も考えずに、ひたすらチョコばっか貪っていられるのも。

そんなシルナを見て、やれやれと呆れることが出来るのも。

お互いの、無事な姿を確認出来たから…なんだよな。

そうじゃなかったら、心配で何も手につかなかった。

つい数日前…幻覚の世界にいたときは、こんなありふれた、ささいな幸福が堪らなく恋しかった。

ルーデュニア聖王国に帰ってきてから三日間。

俺とシルナは、あの日の決闘で互いがどのような幻を見ていたのか、互いに話し合うようなことはしていない。

お互い、察してはいるけど…何となく口に出すのが憚られて。

俺が、シルナのいない世界に居たように。

シルナもまた、俺のいない世界に居たんだろうな。

でも、それが耐えられなかったから。俺と同じように、そんな世界に耐えられなかったら。

二人で戻ってきた。二人共…同じことを考えて、同じ望みを抱いて…帰ってきた。

だから俺達は今、ここに居るのだ。
絶対楽しい思い出じゃないに決まってるからな。
 
『不思議の国のアリス』のときも、なかなか酷い目に遭わされたもんだが。

罪悪感をめちゃくちゃ煽られる分、今回の方が精神的にキツかった気がする。
 
あれは幻覚、あれは本物じゃない…と何度も自分に言い聞かせて、ようやく正気を保っている。

多分、シルナにとってもそうだと思う。

「はー、美味しかった…」

「…なぁ、シルナ」

「んー?」 

「…その…決闘のときのことだけど」

「あぁ、うん…」

…一気に、何だか気まずい空気にしてしまって恐縮だが。

「多分、お前と俺と同じような世界に居て、同じようなものを見たんだろうから、詳しくは聞かないけど…」

「うん」

「…俺達、帰ってきて…良かったんだよな?」
 
選択のときは過ぎたのに、今更何言ってんだと思われるかもしれないけど。

でも、誰かに肯定して欲しかった。

せめて、同じ選択をして戻ってきたシルナにだけは。 

自分達の選択は間違っていなかったのだと、そう信じたかった。

「…そうだね。少なくとも私は…戻ってこられて良かったと思ってるよ」

「…あぁ」

「だって、また羽久に出会えたから。それ以上大切なことは、私にはない」

「そうか」

俺もだ。
 
俺も同じように思ってるよ。

「…だけどね、羽久。一つだけ聞いても良い?」

…ん?

「何だ?」

「羽久は…あの幻の世界にいたときの記憶、残ってる?」

記憶?

「…?覚えてるよ。夢見てた訳じゃないからな」
 
「そっか…。実は、私も覚えてるんだ。あの幻覚の世界のこと」 

…それが、どうかしたのか?

「いっそ忘れたかったんだけど…。今もまだ、鮮明に覚えてる。…死者蘇生の魔法。そのやり方についても」

「…!」

死者蘇生…だと?

何でそんな…禁忌の魔法の話が出てくる?

シルナは一体、どんな幻を見ていたんだ?

「どういうことだ…?」 

「…聞いてくれる?私の見ていた幻の世界のこと」

そう前置きして、シルナはシルナ自身が見ていた幻の世界について、簡単に説明してくれた。

聞かないつもりでいたのに、結局聞いてしまったよ。
 
そして俺は、その世界のことを聞いて仰天してしまった。
多分どんな世界だったんだろうって、想像はしていたけど…。

…予想以上だった。

まさか、俺の代わりにヴァルシーナがシルナの右腕を務めていたとは。

いや、それ以上に。

イーニシュフェルトの里の族長を…蘇らせていたなんて。

死者蘇生の魔法って…都市伝説の類だと思ってたんだが?
 
「…幻の世界で私は、死者蘇生の魔法に関する研究資料をまとめたファイルを見たんだ」

と、シルナは語った。

「そのファイルの内容…今も克明に覚えてる。忘れようと思っても忘れられない」

シルナの奴、普段はぽやーっとしてるし、チョコばっか食べるし、さっきまで使ってた鉛筆を何処に置いたか忘れた、って探し回ってる癖に。

そういう知識…特に魔導理論に関する知識は、決して忘れないからな。

一度読んだ魔導書の内容とか、隅から隅まで覚えてる。

その記憶力は、幻の世界でも健在だったという訳か。

末恐ろしいな。

もしかして、狂ったようにチョコ菓子食べてたのはそのせいか?

幻の世界で見た死者蘇生魔法のことを忘れたくて、自棄食いしてたとでも言うのか。

食べたくらいじゃ忘れられないよ、お前は。

「私は幻の世界で、死者蘇生の魔法をほぼ完成させていた。あのファイルに書かれていた方法を使えば、現実世界でも同じように…」

「死者蘇生が出来るって言うのか?そんな馬鹿な…。あれはあくまで幻だろう?」

現実じゃない。死者蘇生を完成させたって言っても…それはあくまで、幻の世界での話だ。

現実でも応用出来るとは限らないじゃないか。

…しかし。

「いや…出来ると思ったんだ。あの方法を使えば」

シルナは、珍しく難しい…神妙な顔をしてそう言った。

「死者蘇生の魔法については、元々やろうと思えば出来なくもないと思ってた」

「…それは…」

「ただ、必要がないからやらなかっただけだ。禁忌を犯してまで、蘇らせたい人なんていなかったから…。積極的に研究しなかっただけで」

もし…クュルナの親友のように、禁忌を犯してでも蘇らせたいと思う人物がいたら。

シルナはきっと、今も取り憑かれたように死者蘇生魔法の研究をしていただろう。

幻の世界のシルナが、そうだったように…。

「勿論、羽久の言う通り…ここは現実の世界であって、幻の世界のように、簡単には行かないかもしれないけど…。あのファイルにあった方法を使えば、恐らく成功する…そう思うんだ」

「…」

恐らくこの国で誰よりも、優れた魔導理論に関する知識を持っているシルナが、確信を持ってそう言えるのなら。
 
確かにそうなんだろう。本当に…死者蘇生が可能なんだろう。

とても信じられないが…シルナの言うことなら、俺は信じられる。