神殺しのクロノスタシスⅤ〜後編〜

「…最後通牒…ですか」

「内容はまず、ルーデュニア聖王国に囚われている二人の外交大使の即時返還…」

うるせぇ。それは建前だろ。

ルディシアもマシュリも、外交大使なんかじゃない。

ナツキ様は、本気で二人に帰ってきて欲しい訳じゃない。

ただ建前として、二人がルーデュニア聖王国に囚われていることになっているから、二人の身柄を返せと言ってるだけ。

返せ返せと言いながら、本当に帰ってきたら、理由をつけて闇に葬るつもりでいるんだろう。

そうはさせるものか。

「そして、ナツキ皇王陛下がサミットで草案を提出した、世界魔導師保護条約の批准を求めます」

…こっちが本命だな。

ルーデュニア聖王国に、あのくそったれ条約の批准を求める。

そうすることによって、ルーデュニア聖王国の魔導師を条約に縛り付けようとしているのだ。

…勿論、その魔導師の中には、俺とシルナも含まれる。

「その他には、この度の騒動でアーリヤット皇国が被った損害の賠償を求めます」

つまり、金を寄越せと?

アーリヤット皇国が被った損害?何の冗談だ?

損害を被ったのはこっちだよ。

どうやら、ルーデュニア聖王国からありとあらゆるものを搾り取るつもりらしいな。

がめついにも程がある。

「それ以外の詳細な項目に向いては、そちらの封書に記してあります。ご自分の目で確認してくだい」

「…」

フユリ様は、相変わらず険しい顔で白い封筒を睨み付け。

そして。

彼女は無言で、その封筒を真っ二つに破り捨てた。
…フユリ様。

これには、俺は思わず目を見開いた。

しかし、シルナと…ハクロもまた、平然としていた。

こうなることを予想していたと言わんばかりに。

「…いかなる理由があろうとも、私は自国の民を売るような真似はしません。自国の民が苦しむと分かっていて、非人道的な条約を結ぶつもりもありません」

「…」

「このような無礼な要求を、一つたりとも受け入れることは出来ません」

毅然として、真っ直ぐハクロの目を見て。

フユリ様は、きっぱりとナツキ様からの最後通牒を破り捨てた。

…これが、ルーデュニア聖王国の女王の威厳、って奴か。

…シルナより、十倍は格好良いな。

その威厳、大さじ一杯くらいで良いから、シルナに分けてやってくれまいか。

「…」

シルナは、じっと俺を見つめて、何か言いたそうな顔をしていた。

多分いつものあれだろう。「羽久が私に失礼なことを…」っていうあれ。

うるせぇ。今それどころじゃないんだよ。

「…そうですか。ルーデュニア聖王国の民を、戦火に巻き込むことを望まれますか」

ハクロは軽蔑したようにそう言った。

どの面下げて言ってんだ?

こうなったのは誰のせいだと思ってるんだよ。

お前達が余計な手出しをしてこなければ、ルーデュニア聖王国の民も巻き込まれずに済んだんだよ。

自分の投げたブーメランで、身体真っ二つにされてしまえ。

「いいえ、私は戦は望みません。今一度、アーリヤット皇王との交渉を望みます」

ナツキ様の不躾な要求を呑むつもりはない。

しかし、戦争をすることも望んでいない。

あくまで、話し合いによる解決を望む。

フユリ様は、そのスタンスを崩さなかった。

だけど…いくらフユリ様が平和的解決を望んだとしても…。

ナツキ様にそのつもりがないんじゃ、交渉なんて出来ない。

「どうか、軍を引いてください。そしてナツキ皇王陛下に直接会って話したいと…」

「その要求を聞き入れる訳にはいきません」

ハクロは、きっぱりとそう言った。

平和的解決を望むフユリ様の提案を切り捨てた。

…もう駄目か。さすがに無理か。

頭から血の気が引く思いだった。
組織と組織との戦いなら、これまでにも何度も経験したことがある。

だけど…国同士の戦争なんて、これが初めてだ。

俺にとって初めてというだけじゃない。

ルーデュニア聖王国にとって、初めての事態だ。

…本気でやるつもりなのか?

脅しじゃなくて?本当に?

俺は、情けないほどに動揺していた。

情けないよな、マジで。

ナジュや令月なんか、物凄く冷静に受け止めていたのに。

いざとなったとき、これほど腰の引けている自分が、本当に情けない。

受けて立ってやる、と言えない自分が。

だって…これまでの、組織同士の小競り合いとは訳が違う。

これまでは、万が一負けても傷ついても、被害を被るのは自分と仲間達だけだった。

でも、今回は違う。

国同士の争いになると、巻き込まれるのは俺達だけじゃない。

ルーデュニア聖王国にいる、全ての国民が巻き込まれるのだ。

大人も子供も、男も女も。

元気な人も病人も、軍人でも非戦闘員でも。

いつ戦火に巻き込まれ、いつ命を落とすか分からない。

国同士の諍いなんて全く預かり知らない、無辜の民が犠牲になるのだ。

彼らはただ、偶然この国に生まれて、偶然この国で育って、偶然この国に暮らしているに過ぎないのに。

国と国との勝手な意地の張り合いのせいで、何の罪もない人々が苦しむのだ。

それって、あまりにも勝手なんじゃないか?

国の中に国民がいるんじゃない。国民がいるから国なのだ。

それなのに、国にとって一番大切な、国民という財産を…国の事情で、勝手に危険に晒して良いのだろうか?

例え受け入れ難くても、ナツキ様の最後通牒を呑むべきなのではないか?

俺は、そんな弱気を起こしていた。

本当に腰抜けだよな。自分でもそう思う。

だけど俺は、この国の平和を守りました。

…いや、正しくは、この国の平和じゃないな。

もっと個人的で、利己的な理由だ。

自分と、自分の大切な人の命を守りたい。

彼らとの平和な毎日を守りたい。

俺が心から求めているのは、それだけだ。

しかしフユリ様は、既にナツキ様の封書を破り捨ててしまっていた。

もう、俺達に選択肢はない。

アーリヤット皇国と戦争をして、どちらかが勝つまで終わらない。

罪のない人の血が、この大地に流されて。

人々の命を生贄に捧げ、犠牲になって…。

そうすることでしか、平和を掴めないなんて。

血で血を洗う争いの果てに手に入れた平和とは、果たして本当の平和と言えるのだろうか…?

多分俺は、そんなことを考えながら、顔を真っ白にしていたのだろう。

「…羽久…」

シルナが俺の名前を呼んでも、すぐには気づけないほどに狼狽えていた。

情けなく怯えまくっている俺に対して、シルナはずっと冷静だった。
「…シルナ…」

そう呼び返す俺の声は、自分でも分かるほどに震えていた。

情けなくて本当。ごめん。

フユリ様の威厳を大さじ一杯もらうのは、シルナじゃなくて俺だな。

なんて冗談が、全く笑えなくて困る。

…しかし。

「…大丈夫だよ、羽久」

シルナは微笑みを浮かべて、俺にそう言った。

…え?

何で…こんなことになってるのに。

こんな絶望的な状況なのに、笑ってみせるんだ?

「君のことは、私が守ってあげるから。これまでも、これからも」

「…シルナ…でも…」

「だから大丈夫。何も心配しなくて良いんだからね」

そう言える根拠が何処にあるのか。

俺を宥める為に、虚勢を張っているだけなんじゃないかと思った。

しかし、シルナには俺と違って、ほんの少しも狼狽える様子はなくて。

むしろ、こうなることを予想していたみたいな顔で。

「横からごめんね、ハクロさん…だったよね」

フユリ様とハクロの間に、強引に割って入った。

お、おい。お前正気か?

国のトップと、正式な使者との謁見だぞ?

ごめんね感覚で、横から口を挟んで良い状況じゃないだろう。

しかし、シルナは涼しい顔だった。

「…何です」

ハクロは顔をしかめて、シルナを胡散臭そうに見つめた。

「さっきから聞いてたら、アーリヤット皇国の国王様は、本気でルーデュニア聖王国と戦争を起こすつもりなのかな?」

仮にも、アーリヤット皇国から正式に来ている使者に向かって。

何だ、その態度は。

お友達と喋ってるんじゃないんだぞ?

「全ては、皇王陛下の御心のままです」

「そう。やっぱり本気なんだ…。…ふふっ」

何で笑ってんの?

シルナのあまりの無礼な態度に、俺はさっきとは違う意味で、背筋が凍ってるんだけど。

「…何がおかしいのですか?」

ハクロの声が、更に低くなった。

これまでも充分低かったのに、これ以上低くなったら、そろそろ空気が凍るぞ。

でも、そうなるのも無理はない。

当たり前だ。自分の仕える国王を小馬鹿にされたのだから。

「おかしいよ。だってナツキ様は、ルーデュニア聖王国と戦争を起こして、本気で勝てるつもりでいるんだもん。笑わずにはられないね」

そう言って、にっこりと微笑むシルナに。

俺も、フユリ様も唖然としていた。

…こいつ、頭大丈夫か?
いよいよもってさすがにヤバいから。

これ以上、アーリヤット皇国の使者を怒らせない為に、シルナの口を塞いだ方が良い。

あ、いや。

でも、シルナが黙ったとしても、開戦は避けられないんだっけ?

ハクロを激怒させようが、下手に出ようが、戦争の運命を変えられないのなら。

ここはいっそ、シルナに任せて、言いたいことを全部言わせるべきなのでは…?

…。

…って、そんな訳ないだろ。

開戦の運命が避けられないとしても、まだ一発の弾丸も放たれていない。

まだ引き返せるかもしれない。交渉の余地が僅かでも残っているかもしれない。

なら、その希望に賭けるべきなのだ。

断じて、決して、アーリヤット皇国の使者に喧嘩を売っている場合じゃない。

しかし、シルナの舌鋒は止まらない。

「私にとっては、小さな子供が背伸びして、世界の全てを知った気になってるみたいで可愛らしいね」

挙句の果てに、ナツキ様を小さな子供呼ばわり。

大丈夫かシルナ。本当にどうしたんだ?いきなり。

まさか、戦争が避けられないと分かって、自棄っぱちになったのか…?

「だけど、身の程知らずもいい加減にするべきだよ。痛い目を見てからじゃ遅いんだから」

「…何が言いたいのです?」

「これ以上、ルーデュニア聖王国と戦争するなんて馬鹿なこと言ってないで、自分の国で大人しくしてなさいって言ってるんだよ」

…。

なんかもう、今更シルナの口を塞いでも、手遅れのような気がしてきた。

「し…シルナ学院長!何を…」

ようやく我に返ったフユリ様が、慌ててシルナを止めようとした。

が。

「今ならまだ、全部悪ふざけだったことにして見逃してあげるから。冗談はいい加減やめて、早く帰りなさい」

フユリ様さえ無視して、ハクロのことを駄々っ子扱い。

これには、ハクロも冷静さを失い、殺意さえこもった目でシルナを睨んでいた。

そりゃ当然だ。

しかしシルナの方は、殺気を向けられてもなお、素知らぬ顔。

小さい子供が駄々をこねている、みたいな扱いだった。

…シルナの意図が全然読めないんだけど。

これって、シルナの単なる負け惜しみとかじゃないよな?

大丈夫だよな?

…うん。大丈夫だと信じて、シルナに託そう。

どうせ戦争の運命が変えられないなら、それで少しでも状況が改善するなら、シルナに任せるよ。
「ルーデュニア聖王国と戦争して、本気で勝てるつもりなの?無謀な真似はやめなさい。無駄な血が流れるだけだよ」

まるで、こちらが勝つのは決定事項みたいな言い方。

その自信は何処から?

むしろ俺は、危ういのはルーデュニア聖王国の方だと思うのだが。

だって、この国は俺と同じく、全く「戦争慣れ」していない。

良くも悪くも、皆平和ボケなのだ。俺も含めてな。

歴史を紐解いても、ルーデュニア聖王国が大国との戦乱に巻き込まれた経歴は、一度としてない。

しかしそれは決して、ルーデュニア聖王国が一度も、このような国同士の危機に巻き込まれたことがないからではない。

あわや開戦という危ない状況に陥ったことなら、何度もある。

それでも、ルーデュニア聖王国がこれまで、すんでのところで戦争を避けることが出来たのは。

…全ては、今俺の目の前にいる、この男のお陰なのだ。

「何だか君達、戦えば勝てると思ってるみたいだけど。万が一負けたらどうなるのか、ちゃんと分かってる?」

…煽りまくっていく。

シルナにはシルナの考えがあって、さっきからこうして挑発しまくってるんだろうとは思うが。

俺は、これほど煽りまくって更にハクロや…ナツキ様の機嫌を損ねるんじゃないかと心配だよ。

港にアーリヤット国軍が包囲してる状況なの、シルナの奴、ちゃんと覚えてるよな?

シルナの方こそ、下手な挑発は身を滅ぼすってこと、ちゃんと分かってるか?

内心ハラハラしながら、俺はシルナがハクロを挑発する様を眺めていた。

多分、フユリ様も俺と同じ気持ちだと思う。

「アーリヤット皇国のみならず、アーリヤット共栄圏全ての国が、ルーデュニア聖王国の属国になるんだよ。ルーデュニア聖王国が世界の覇権を握ることになる。…まぁ、そうなったらルーデュニア聖王国としては万々歳だけど」

…えぇと、俺は突っ込まない方が良いんだよな?

例え戦争をしてアーリヤット皇国に勝利したとしても、フユリ様には世界の支配者となる気は全く無い。

アーリヤット皇国以下、アーリヤット共栄圏の国を属国にするつもりなんて、欠片ほどもないはず。

万々歳なんて以ての外。

しかし、シルナは大袈裟に言い続けた。

「その覚悟が、本当にあるの?もう一度よく考えてみたら?負けてからじゃ遅いんだよ」

まるで、こちらが勝つと疑っていないかのような言い方。

そりゃ負けるつもりはないけど…。

でも、さっきから本当に…その自信は何処から来るんだ?

シルナの虚勢じゃないことを祈るよ。
で、散々煽りに煽って、ハクロの反応はと言うと。

「…よくも…。皇王陛下を侮辱しましたね」

案の定、ブチギレ状態。

当たり前だよ。

それなのに、シルナは涼しい顔。

「侮辱?私は事実を言っただけだよ」

「あなたに何の権限があって、そのようなことを…」

「やれやれ、困ったものだね。アーリヤット皇国も…。身の程を知らない連中の相手をするのは疲れるよ。チョコでも食べて、大人しく部屋の中に引きこもってれば良いのに」

それはお前だろ?

「…まぁ良いや。言って聞かせて分からないなら、その身に教えてあげるよ」

…その身に?って…どういう意味だ?

やっぱり、本気でアーリヤット皇国と開戦を、

「とはいえ、一方的に殴りかかって、罪のないアーリヤット皇国の国民を傷つけるのは忍びない。ここは紳士的な戦争をしようじゃないか」

と、シルナは提案した。

「…紳士的な戦争?」

ハクロは、ジロッとシルナを睨んだ。

俺も分かんない。何言ってんだ?シルナの奴。

「そして同時に、現状全く勝ち目のない君達に、僅かでも勝機を与えてあげるよ。どうかな?」

「分かるように説明してください」

俺も聞きたい。

「戦争じゃなくて、決闘を行うんだよ。正々堂々とね」

と、シルナは名案みたいな顔をして言った。

…決闘…。…って?

これには、俺もフユリ様も、ついでにハクロも首を傾げていた。

それが紳士的な戦争…?

「お互い代表者を数名決めて、その者同士で決闘を行う。決闘に勝った国が戦争に勝利したとみなし、負けた方はその時点で無条件降伏。どう?無駄な血が流れなくて良いでしょ?」

…成程、と思ってしまった。

戦争じゃなくて決闘…そういう意味だったのか。

確かにそれなら…無関係な国民を巻き込まずに済む。

無駄な血が流れずに済むのだ。

シルナが散々ハクロを煽りまくっていたのは、この提案を呑ませる為だったのか。

ようやく理解した。

「決闘の勝利条件は…そうだな、相手を『戦闘不能』にすること、かな」

戦闘不能…。

つまり、戦闘不能状態にさえすれば、相手の命を奪う必要はないということだ。

あくまでもシルナは、この戦争…もとい決闘で、誰の命も奪うつもりはない。

…まぁ、向こうにそんな紳士的な考えを期待するのは、さすがに望み過ぎだが。
「…」

ハクロは黙って、シルナをじっと見つめていた。

…果たして、ハクロはこの提案を呑むだろうか?

…呑んでもらわなきゃ困るんだが。

「さぁ、どうかな?ナツキ皇王陛下は『とっても賢い方』らしいから、どういう選択をするのが正しいか、分かってくれると思うけど」

嫌味を言うなって。

そんなこと言われたら、余計ハクロが苛立って、シルナの提案を断るかもしれない。

「それとも、何?自信がないの?決闘なんかしたら負けるって?」

煽り散らしていくスタイル。

もう良い。シルナに任せるよ。

「負けるのが怖い癖に、そんな相手と戦争しようなんてよく思えたね」

「…負けるのが怖いのは、あなたなんじゃないですか?そうやって、開戦を遅らせて時間稼ぎをしようとしてるだけでは?」

魂胆がバレ始めてるんだけど、本当に大丈夫だろうか。

そうだよな。ちょっと冷静になれば分かる。

決闘なんて、シルナが苦し紛れに出した提案だってことくらい。

俺でさえ分かるのに、いくら煽られて頭に血が上っていようとも、ハクロにだって分からないはずがない。

…しかし…。

「そう思うなら、今すぐ戦争する?宣戦布告もなしに他国の領海に入り込んで、不意打ちで奇襲攻撃…なんて、卑怯な手口を使わないと勝てないのは、そっちの方でしょう?」

涼しい顔をして、小馬鹿にしてみせた。

いつもは猫の額ほども度胸のないシルナが、今日はまるで別人だな。

人は見かけによらないって、あれはその通りなんだな。

まぁ、元々…やる時はやる奴だから、シルナって。

これまでもこれからも、こうやってルーデュニア聖王国の危機を救うんだろうな。

「何より、君は単なる一部隊の将に過ぎない。君に決定権はないはずだよ」

「…」

「アーリヤット皇国に帰って、ナツキ様に指示を仰がなきゃならないはずだ。聞いておいでよ、君のご主人様に。私の提案を受けるか断るか」

痛いところを突いてきたな。

「それでもし、ナツキ様が身の程知らずにも私の提案を断ったら、その時は好きにしたら良い。港を砲撃したいならどうぞ」

どうぞ、ではないだろ。

港に駐留している軍隊は帰ってもらえよ。

「賢い皇王様がどんな選択をするか…。期待してるよ」

シルナはそう言って、不敵に微笑んでみせた。

「…分かりました。皇王陛下にお伝えします」

逆ギレして、今すぐ総攻撃の命令を出したらどうしようと不安だったが。

幸い、ハクロは俺より余程冷静だった。

彼女はその場を辞し、ナツキ様にこの事を伝える為、一時的にアーリヤット皇国に帰っていったのだった。
…。

…ハクロが王宮を去り、退室していたナジュが謁見の間に戻ってきてから。

「…あの、シルナ学院長…」

「…」

おずおずといった風に、フユリ様が声をかけると。

シルナは無言で、ぷるぷると身体を震わせていた。

…えーっと…。

…大丈夫?

「…何だか、大変な大立ち回りをしたようですね。大胆なんだか、小心者なんだか…」

俺達の心を読んで、先程のハクロとのやり取りを理解したナジュが、そう呟いた。

全くだよ。

大変な大立ち回り…そして、危険な綱渡りだった。

ひとまず、最初の綱渡りには成功した…と言っても良いんじゃないか?

少なくとも、今日今すぐ開戦は避けられた。

ハクロがアーリヤット皇国に帰って、ナツキ様の判断を仰ぐまでの間は、僅かながら時間の猶予を得たと思って良いだろう。

今この状況において、一分一秒の価値は重い。

…で、そんな黄金より貴重な時間を稼いだ張本人は。

「…おいシルナ。大丈夫か?」

「…」

やっぱり、無言でぷるぷるしている。

…大丈夫ではなさそうだな。

どうする?このまま放置して、イーニシュフェルト魔導学院に帰ろうか。

時間が惜しいよ。

…すると。

「…ふ、フユリしゃま」

シルナは上ずったような声で、そして半泣きでフユリ様の方を向いた。

噛んでるぞ。

「か、かっ…勝手なこと、勝手に言って、ごめんなさい…」

「あっ…。いえ、その…」

謝るのかよ。

フユリ様、困ってるじゃないか。

「えぇと…。時間稼ぎ…していただいて、ありがとうございました…」

良いんだぞ、フユリ様。はっきり言ってやってくれ。

「私を差し置いて、何を勝手なことを!」って。

怒って当然なのに、フユリ様はむしろ…。

「それに…シルナ学院長にもお考えがあったんですよね?」

理解を示してくれてる。なんて広い心。

「しゅ、しゅみません…」

「いいえ。もう言ってしまったことですし…これからどうすれば良いのかを話し合いましょう。あなたの機転で、状況が少しでも好転したと信じています」

「…ふ、フユリ様…」

「それより、シルナ学院長のお考えを聞かせてくれませんか。決闘…というのは?」

…そうだな。もう言ってしまったものは引っ込みがつかない。

例え見切り発車なのだとしても、今この状況で、そのときに出来る最善を尽くすしかない。

切り替えて、これからどうするのかを話し合おう。