「私を恨まないの…?」
恨む?まさか。
「あなたには感謝こそすれ、恨みなど全くありません」
リリス様は冥界にいた頃からずっと、僕に優しかった。
同種からも他種族からも疎まれ、迫害されていた僕を、彼女だけは差別しなかった。
あの頃僕は、リリス様が慈悲の気持ちで、僕に情けをかけてくれているのだろうと思っていた。
でも、そうじゃなかったんだな。
自身もまた、人間の契約者と結ばれて、その身を捧げてまで共にあろうとした。
リリス様は慈悲ではなく、真心から僕を庇ってくれていたのだ。
今になってようやく、それが分かった。
その上で、どうして僕がリリス様に恨み言をぶつけるなどということが出来ようか。
リリス様は、僕の理解者だった。
ならば僕もまた、リリス様の理解者となろう。
「…あなたに、またお会い出来て良かった。僕は臣下として、リリス様の幸福を願っています」
「…マシュリ君…。…ありがとう」
リリス様が長い旅路の果てに、自分の居場所を見つけられて良かった。
羨ましい。
僕も、そうだったら良かったのに。
「マシュリ君、私がこんなこと言えた義理じゃないかもしれないけど…。君さえ良ければ、君もずっとここに…」
リリス様は、僕を心配しているような口調でそう言った。
お世辞じゃなくて、本心からそう言ってくれているのだと分かる。
…相変わらず、お優しい方だ。
ナジュという男は幸せ者だな。リリス様に愛されて。
「…ありがとうございます」
その気持ちは、有り難く受け取っておく。
…でも…そういう訳にはいかない。
どれほど寂しくて、辛くて…自分の居場所に恋い焦がれても。
決してその場所に、僕の手が届くことはないのだ。
「ですが…僕には無理です。あなたもお分かりでしょう…?」
「…」
リリス様は答えず、黙り込んでしまった。
そう、駄目なんですよ。あなたも分かっていると思うけど。
あなたの手は届いた。
でも、僕の手は届かない。
だからってリリス様を妬む気持ちはない。
リリス様が手に入れられたものを、僕はどうやっても手に入れることは出来ない。
どうしようもない、これが僕の定めなのだ。
…せめてリリス様だけでも、僕達が恋い焦がれていたものを手に入れられて良かった。
そう思うしかない。
「お話出来て光栄でした、リリス様…」
「マシュリ君…」
「お姿が変わっても、変わらず僕はあなたの臣下です。必要があれば、何でもお申し付けください」
多くの同胞がそうしたように、僕はリリス様を見限るような真似はしなかった。
…せめて僕だけは、リリス様のお役に立とう。
どうせ僕は…ここには長く居られないのだから。
だからせめて、そのときまでは…。
――――――…マシュリとナジュが、深夜に密会した翌日。
生徒達もいろりが戻ってきて安心して、俺達もシュニィが戻ってきて安心して。
一件落着、ホッと一息ついていたその頃。
イーニシュフェルト魔導学院に、とある人物が訪ねてきた。
…誰かと思えば。
「…うわっ、ルディシア…」
「…人の顔を見て『うわっ』とは…。ちょっと失礼なんじゃないの?」
ごめん、お前の顔を見るとつい、ゾンビ軍団を思い出してしまって。
学院を訪ねてきたのは、かつて俺達と敵対していた、ネクロマンサーのルディシア・ウルリーケであった。
しばらく見ないと思ったが、ちゃんと国内に…帝都にいたんだな。
ルディシアは、マシュリと違って学院ではなく、聖魔騎士団の方に世話になっているそうなので。
マシュリみたいに、毎日俺達と顔を合わせることはない。
「悪かったよ…。別に他意はないから安心してくれ」
「…ふーん…」
と、どうでも良さそうなルディシアである。
こいつも大概図太いよな。
それに対してマシュリがあまりにも繊細だから、この二人はお互いの性格を足して二で割るべきだな。
「どうだ、ルディシア…。聖魔騎士団…いや、ルーデュニア聖王国の居心地は?」
この際だから、改めて感想を聞いておこう。
特に、アーリヤット皇国と比べてどう思う?
彼の国より、我が国の方が居心地が良いのではないか…という、ちょっとした対抗意識の現れである。
誰しも、自分の国が一番だと思いたいもんだ。
住めば都って言うしな。
「何?いきなり…」
「良いから、率直な意見を頼むよ」
「ふーん…?まぁ、悪くはないんじゃない?」
…だ、そうだ。
悪くないじゃなくて、良いって言って欲しかったな。
贅沢かもしれないが。
まぁルディシアは素直じゃないから、口では悪くないとか言いながら。
心の中では「居心地最高!」って思ってるかもしれない。
そういうことにしておこう。
…しかし。
「気持ち悪いくらい誰も彼も親切で、気持ち悪いね」
「…」
…本当素直じゃないよな。
それとも何だ。本気で気持ち悪がってるのか?
どうすれば良いんだよ。むしろ冷たくされた方が落ち着くタイプ?
ドMかよ。マシュリと一緒じゃん。
「あのな、ルディシア…」
「そんなことより、あいつは何処?」
そんなことって何だよ。大事なことだろ。
…あいつ?
「誰だ?あいつって…」
「この学院で、もう一人『HOME』の軍属魔導師を保護してるって聞いたけど?」
あぁ、成程。
ルディシアが誰のこと言ってるのか分かった。
「マシュリだな?」
「そんな名前なの?知らないけど」
おいおい。
同僚だったんじゃないのかよ。名前も知らないのか…?
いくら、ルディシアが他人に興味ない性格と言っても…。
「マシュリに会いに来たのか?あいつなら今…多分猫になってると思うけど」
昼間の間は、生徒達に見られても良いように、猫としていろりの姿で生活し。
生徒達が学生寮に帰る頃になったら、人間の…マシュリの姿に戻る。
今のところ、それで上手いこと折り合いをつけているようだ。
今は昼間だから、多分いろりの姿だな。
「猫?」
「『変化』の力だよ…。…本当に知らないのか?お前…」
「知ったことじゃないね。『HOME』には半端者…。リカント(獣人)が所属してる、とは聞いてたけど」
随分アバウトな情報だな。
その程度の認識しかなかったのか?同僚なのに…。
聖魔騎士団魔導部隊の大隊長達は、割と皆仲が良いから。
同僚なのに、お互いの能力どころか名前すら知らない、という遠い距離感を理解し難い。
「おぞましいリカントだけど、利用価値はある…って噂だったのに、あっさり裏切ったそうじゃん?」
ルディシアは、意地悪く笑いながらそう言った。
…お前…。
本当、マシュリに比べると性格悪い。
「おぞましいとか利用価値とか、本人に言うなよ。…あと、マシュリは何処もおぞましくなんかない」
何処からどう見ても、普通の猫であり…普通の人間だ。
強いて言うなら、あいつが他の人と違っているのは、『変化』の力が使えることと。
ちょっと…ちゅちゅ~るに目がないだけだ。
それ以外は、至って普通の人間にしか見えない。
何がおぞましいんだ?
シルナの分身、シルナトコジラミの方がよっぽどおぞましいだろ。
ついでに言うなら。
別におぞましくはないが、ルディシアの死体を操るネクロマンサーの能力…あれも相当、おどろおどろしいと思うぞ。
それと一緒だ。マシュリの『変化』能力だって…確かに初見は驚くけど。
種明かしをしてみれば、大して驚くに値しない。
何故あれでマシュリがバケモノ呼ばわりされるのか、俺にはさっぱり分からない。
皆、あまりにも心が狭過ぎるのでは?
人の多様性を認められない社会に、明るい未来はないぞ。
「あんたらはそう言うだろうけど、周囲の人間はそうは思わないってことだよ」
「…そりゃ、そいつらの心が狭いんだよ」
そんな心の狭い奴らの言うこと、いちいち真に受ける必要はないぞ。
「大体、マシュリは…」
と、俺が口を開いたそのとき。
開けっ放しにしていた窓から、ひゅんっ、と物陰が降り立った。
何かと思ったら。
銀色の毛並みをした猫…件のいろり、いや。
いろりの姿に『変化』した、マシュリであった。
噂をすれば。
空中でくるりと一回転したいろりは、マシュリの姿に戻った。
何度見ても…まさに魔法だな。
「マシュリ…お前、来たのか…」
昼間だから、いろりの姿で日向ぼっこでもしてるものだと。
すると。
「中庭にいたんだけど、どうも…死体臭い匂いがしたから」
…マジ?
「ネクロマンサーが来たんだろうと思って、戻ってきた」
「…そんな遠くまで、匂いで分かるものなのか…?」
学院長室と中庭。かなりの距離があるはずなのだが?
窓を開けっ放しだったとは言え…。壁を隔てているのに、そんなに匂いが届くものなのか。
猫以上、どころか犬以上では?
「ネクロマンサーは特に、死体の匂いが強いんだよ」
と、マシュリ。
そういや、ルディシアが死体を操っていたとき。
強い腐敗臭が、辺りに立ち込めていたっけ…。
今は死体を動かしていないから、俺には死体の匂いは感じられない。
しかし、ルディシアが常に纏っている…死の匂い、みたいなものを。
マシュリの敏感な嗅覚が、巧みに感じ取ったのだろう。
めちゃくちゃ鼻が良いんだな、マシュリって。
そんなマシュリにとって、死の匂いを纏わせるルディシアは、相当…『臭う』んだろうな。
気持ちは分かるよ。俺もシルナといるとき、おっさん特有のおっさん臭を感じることあるもん。
除菌スプレー吹きまくりたくなるよな。
「へぇ…。あんたがリカント…。アーリヤット皇王の犬か」
ルディシアは、「死体臭い」と言われたことで、気を悪くする様子もなく。
むしろ面白がったような、興味津々の目でマシュリを見ていた。
…犬、って…お前…。
…どっちかと言うと、マシュリは猫だろ。
「ルーデュニア聖王国に寝返ったっていうのは、本当だったんだね」
「…そっちこそ」
マシュリの方も、負けじとルディシアに言い返した。
「噂には聞いていたよ。皇王がネクロマンサー…死体を操る能力の持ち主を飼っているって」
「飼う…?冗談じゃないね。俺はあの人に飼われてた覚えはない」
「僕の方も、皇王の犬になった覚えはないよ」
…何だろう。
元同僚のはずなのに、凄くギスギスした雰囲気。
和気あいあいと昔話に花を咲かせてくれ…とは言わないが。
同じ組織に所属していた者同士、そして今は同じくルーデュニア聖王国に亡命した仲間同士。
もうちょっと…友好的に接してくれないものだろうか。
『アメノミコト』から寝返ったばかりの令月とすぐりを彷彿とさせる。
いや、あの二人は…もっと仲悪かったけど。
すぐりなんて、令月に向かって「死ね」とか普通に言ってたもんな。
あれに比べたら、ルディシアとマシュリは…まだ仲良しな方なのかも。
くそ、何でこんなときにシルナは不在なんだ。
シルナがいたら、今頃お茶菓子でも囲んで、落ち着いて挨拶くらいは出来ただろうに。
こんなときにあいつ、今学院を留守にしてるんだよ。
何処に行ったのかって?
帝都のケーキ屋に、チョコケーキ買いに行ってる。
アホだろ?
ちなみにあの後、結局チョコケーキが大量に余って。
本当に、翌日の朝食のデザートに、全校生徒にチョコケーキが一切れずつ配られた。
「朝からケーキ…」って、生徒達皆、呆然としてたぞ。
ごめんな、マジで。
それなのにシルナの奴、懲りずにまたケーキ買いに行きやがった。
「チョコクリームのケーキより、皆、シンプルなザッハトルテの方が好きなのかもしれない」って、真剣な顔で言って。
そういう問題じゃないだろ、と突っ込みたかったが。
それを突っ込む前に、シルナは意気揚々とケーキ屋に出掛けてしまった。
もう好きにしてくれ。
…ともかく。
シルナがいないなら仕方ない。俺が何とか…二人の間に入って、緩衝材の役割を果たすとしよう。
まさか、ここで喧嘩を始めるとは思えないが…。
「お前ら、喧嘩するなよ」
一応、そう言って釘を差しておくと。
「喧嘩?何で?」
「ネクロマンサーに喧嘩を売るほど、僕は考えなしじゃないよ」
ルディシアは首を傾げ、マシュリは真顔でそう答えた。
あ、そ、そう…。
なら、良いけど…。
冷静なんだか頭に血が上ってるのか、分かりづらい二人だ。
「それより俺が聞きたいのは、その皇王のことだよ」
と、ルディシアが話を戻した。
皇王…ナツキ様のことだな?
「あの人、俺が裏切ってからどうなってたの?何か聞いた?」
…それは俺も気になってる。
懐刀だったに違いないルディシアを、みすみす失う結果になって。
ナツキ様は、どういう反応をしたんだろう?
…しかし、マシュリの返事は。
「さぁ、特には…。僕の知る限りでは、大して変わった様子はなかった」
…意外とあっさりしてるんだな、ナツキ様って。
令月達に裏切られて、怒髪天を衝いて刺客を大量に送り込んできた、『アメノミコト』頭領の鬼頭夜陰とは大違いだ。
まぁ、ルディシアはこの自由奔放な性格だからな。
ルディシアのことは、いつ裏切っても不思議はないものと割り切っていたのかもしれない。
役に立ってくれれば良し、そうでないならそれでも構わない…。
部下に執着しないタイプなのかも。
ルディシアを匿っている側の俺達にとっては、この場合有り難いが。
それだとナツキ様は、自分の部下を手駒の一つとしか捉えていない…ってことになるもんな。
下につく者としては、あまり愉快な気持ちではないだろうな。
「あっそ…。やっぱりあの人、さして俺に期待してた訳じゃないのか」
「ルディシア…。言っておくが、それは決してお前が役に立たないからとか、そういう意味じゃ…」
「俺が役に立たない?誰がそんなこと言った訳?」
…お前には、そういうフォローは必要ないらしい。
心配しなくても、ルディシアは俺より遥かに図太かった。
「まぁ、本気で俺がシルナ・エインリーをどうにか出来る…とは思ってなかったんだろ。上手く行けばめっけ物、くらいに考えてたんじゃないかな」
「…」
「大体、本気でシルナ・エインリーの首を獲るつもりなら、俺には頼らないだろうし」
…ナツキ様が本気なら、もっと信頼の置ける部下を寄越す…か。
そうだろうな。
暗殺者の役目を果たす者が、こんなに自由奔放な性格じゃな。
確かに、ネクロマンサーは珍しいし、初見殺しにはうってつけかもしれないが。
イレースの拳骨一発で寝返るような部下に、大切な任務は任せられまい。
「その点、君は…皇王にとっては、そこそこ本命の切り札だったんじゃないの?」
ルディシアは、マシュリを指差してそう言った。
マシュリが…ナツキ様の切り札?
マジで…?
「俺を陽動係にして、油断させたところに本命の君をぶつける…。いかにもあの王様が考えそうな、姑息な手だと思うけど」
元上司相手に、言いたい放題のルディシアである。
しかし…失礼を承知で言わせてもらうと、俺もその意見に賛同だ。
わざわざ二人の刺客を送ってきたということは、それなりの考えあってのはず。
ルディシアを陽動に、本命のマシュリ…そう考えるのが妥当だが。
結局、陽動も本命も失敗してるんだから世話ないよな。
このまま諦めてくれたら、もっと良いんだけど。
「それは分からない。僕はただ、前任者…ルディがしくじったから、お前が代わりに行ってこいって…そう言われただけで」
と、マシュリ。
ルディ…って、ルディシアのことだよな?
「出来ないなら、お前に価値はないって…。…そう言われたから…」
「…」
マシュリの価値が…何だって?
マシュリという人間の価値も分からないなんて、ナツキ様も案外、人を見る目がないようだ。
「悪いけど、アーリヤット皇王…ナツキ・スイレンの思惑は、僕には分からない」
と、マシュリは言った。
「ルディに続いて、僕もしくじったこと…そろそろ耳に届いてると思うけど…」
「だろうな…」
ルディシアに続いて、マシュリまで失敗して。
それどころか、憎きルーデュニア聖王国に寝返ったともなれば。
憤慨しているだろうか?
それとも、想定内だと強がっているのだろうか。
いずれにしても、愉快な気持ちではあるまいな。
「まだ他にも、刺客を送るつもりなのか…。それとも諦めるのか…」
俺達としては、永久に諦めて欲しいな。
何ならこれを機に心を入れ替えて、ルーデュニア聖王国と仲良くして欲しい。
…が。
「でも、あの人がそう簡単に引き下がるとは思えない」
「…俺もそう思う」
一度や二度失敗した程度で、あっさり諦めるくらいなら。
最初から、シルナの暗殺なんて考えないだろうよ。
実際にこうして、刺客を送りつけてきてるんだ。そう簡単には諦めないだろう。
「俺達の他にも、『HOME』には皇王の懐刀が何人もいる。今度はもっと、信頼の置ける忠実な部下を送るつもりなんじゃない?」
ルディシアは半笑いで、面白がるようにそう言った。
あのな。笑い事じゃないからな。言っとくけど。
「笑えねーよ」
ネクロマンサーとリカントだけで、俺達は既にお腹いっぱい状態なんだからな。
どうするんだよ。ルディシアやマシュリクラスの屈強な戦士が、この後何人も攻めてきたら。
さすがに逃げ切れる気がしねぇ。
「来るなら来れば良いよ。死者に勝てる生者なんていない。返り討ちにしてやるから」
ルディシアは、好戦的な笑みを浮かべていた。
敵にすると恐ろしいが、味方にするとこれほど心強いとは。
更に、マシュリも。
「皇王が何を考えているにせよ、この国に拾ってもらった恩は返すよ」
「…そりゃどうも」
心強いことこの上ない。
俄然、何とかなりそうな気がしてきたな。
…が、やはり理想としては、このままナツキ様が諦めて、引き下がってくれるのが一番。
ルディシアにしてもマシュリにしても、二人に頼らずに事を解決出来るなら、それに越したことはない。
「何考えてるんだろうな、ナツキ様…」
こればかりは、ナジュにでも見てもらわないと分からないな。
――――――…神聖アーリヤット皇国、王の間にて。
「…悪い知らせです、皇王陛下」
俺の近衛兵の一人、コクロが、硬い表情で俺の前に現れた。
その顔色を見れば、悪い知らせを持ってきたことは一目瞭然だ。
そして、このタイミングで悪い知らせと言えば、一つしかない。
「しくじったか、あの半端者が」
「…はい、そのようです」
やはりな。
…そんなことだろうと思った。
「どうやら奴は、聖魔騎士団の副団長を誘拐したようです」
コクロが、報告書を読みながら言った。
聖魔騎士団の副団長…。
確か、アルデン人の女じゃなかったか?
よくもまぁ、そのような薄汚い人間を重用したものだ。
「誘拐には成功したのか」
「はい、そのようです」
半端者…マシュリ・カティアは、聖魔騎士団の副団長を誘拐した。
そこまでは、まぁ悪くないアプローチだ。
しかし、今回のターゲットは聖魔騎士団ではなく、イーニシュフェルト魔導学院の学院長だと伝えたはずだが。
何故勝手に、ターゲットを替えたんだろうな?
勝手な判断で、指示されていないことをやった。
だから失敗するのだ。…あの役立たずめ。
「誘拐に成功したなら、何故しくじった?シルナ・エインリーをやり損なったのは口惜しいが、聖魔騎士団の副団長を殺せたなら、最低限の目的は…」
「それが…マシュリ・カティアはどうやら、聖魔騎士団の副団長を誘拐しただけで、殺害はしなかったようです」
…何?
「ただ閉じ込めていただけとか…。捜索に来た聖魔騎士団の連中に見つかって、副団長は保護され、マシュリ・カティアは捕まったのでしょう」
「…」
「それから…密偵によると、マシュリ・カティアは処刑されず、ルディシア・ウルリーケ同様、ルーデュニア聖王国で保護されているようです」
…へぇ。
あの半端者、罪の形をしたバケモノは。
恥知らずにも『HOME』を裏切って、敵国についたのか。
厚顔無恥も甚だしい。
それとも何だ。生きることに執着などない、みたいな顔をしておきながら。
いざ自分が殺されるかもしれない状況に陥ると、途端に死ぬのが怖くなったか?
臆病者め。
「それで、ルディシア・ウルリーケ同様、あの半端者も一緒に寝返ったと…」
「…そう考えるのが妥当かと」
…ふーん。
ネクロマンサー、ルディシア・ウルリーケには、最初からそれほど期待していなかった。
あの男の能力は稀有で、実力も確かだった。
しかしあの男は、人の命令を聞くタイプではない。
ただ面白い方に、面白い方に流されて、自分の興味関心の赴くままに行動する。
奴の関心を引くことが出来れば、頼もしい味方になり得るが。
そうでなければ、敵にも味方にもなる。非常に扱いにくい性格だ。
ルディシア・ウルリーケをルーデュニア聖王国に派遣したのは、シルナ・エインリーを暗殺する為でもあり。
同時に、扱いにくいあのネクロマンサーを、厄介払いする為でもあった。
だから、ルディシアが寝返ったことを聞かされても、大して驚きはしなかった。
さして痛手でもない。むしろ、このタイミングで厄介払い出来て良かった。
しかし、マシュリ・カティアまでしくじるとはな。
ルディシアの役割が陽動だとしたら、マシュリの方は本命だった。
実際、コクロの報告を聞く限り。
マシュリは初動に成功し、聖魔騎士団の副団長を誘拐することに成功した。
それなのに、あろうことか奴は、捕らえた人質を殺さなかった。
誘拐に成功した時点で、すぐに殺してしまうべきだったものを。
何故みすみす逃した?時間を与えれば与えるほど、人質を取り返されるリスクは上がっていく。
結局、人質を取り返され、マシュリ本人も捕まる羽目になってしまった。
…無血で目的を達成出来るとでも思ったのか、あのバケモノは?