神殺しのクロノスタシスⅤ〜後編〜

果たして届くだろうか。シルナの言葉が。

「私も君と同じだよ。許されない罪を背負ってる。その辛さはよく分かる…」

…。

…同胞を裏切って、神に逆らった罪、か?

「私にとっては、マシュリ君のご先祖様が犯した罪…人間と魔物が結ばれて、子孫を作ること…が、罪だとは思わない。そんなに責められるほど悪いことはしてないと思う」

俺もそう思う。

人間と魔物が結ばれるのが悪いことだって、誰が決めた?

ナジュとリリスはどうなるんだよ。しょっちゅうイチャイチャしてんぞ、あいつら。

俺達が魔物と人間の愛を嫌悪しないのは、それが理由だろうな。

ナジュとリリスの大恋愛を見ているから。

人間だから、魔物だから…それがどうした?

二人が互いに深く愛し合っているなら、何でそれが罪になることがあろうか。

誰を好きになるかなんて、自分じゃ選べないだろ。

「でも、君達の…ケルベロスの種族の中では、きっと許されない悪なんだろうね」

「…そうだね」

頭の固い連中が揃ってるらしい。

多分、自分達は魔物としてのケルベロスであるという誇りが強いんだろう。

そのせいで、簡単に人間に絆された同種の存在が許せなかった。

だからこそ…子々孫々重い罪を背負わせることにしたんだろう。

ますます、マシュリが何をしたんだよ。

百歩譲って、悪いのはマシュリのご先祖様だけだろ。

マシュリ自身が悪い訳じゃない。

それなのに、何故マシュリまで呪う必要があるのだ。

「だからこそマシュリ君は、罪にまみれて生きている。自分という存在は、罪そのものなのだと思い込んで…」

「…思い込むも何も、僕の存在は罪だよ」

それを思い込みだって言うんだよ。

「確かにそうなのかもしれない。マシュリ君はそう思うのかも…。だけど、君は気づいてないみたいだけど、マシュリ君の存在は罪じゃない」

「何でそう言える?」

「分かるから。君は罪によってじゃなく、愛によって生まれた存在なんだよ」

「…」

…これには。

俺も、マシュリも…驚きのあまり、言葉が出なかった。

…愛…。

…愛、か。

「許されなかったとしても、誰も認めてくれなかったとしても…君はご先祖様の愛によって生まれたんだ。愛によって繋がれてきた命なんだ」

「…」

マシュリの罪は、愛によって起きた罪。

シルナと同じだ。

誰かへの深い愛の結果、罪を犯すことになってしまった。

でもその罪の根底にあるのは、憎しみや怒りではない。

愛だ。

ただその人を愛するが故に、生まれた罪。

マシュリの罪は消えないが、しかしその奥深くにある愛もまた、誰にも消すことは出来ない…。

「例え間違っていようとも、君は愛されて生まれてきたんだ。…それだけは、忘れないであげて」

シルナは、マシュリに訴えかけるようにしてそう言った。

シルナが言うと、言葉の重みが違うな。

同じく、愛によって大きな罪を犯したシルナが。

「そして、出来ることなら…許してあげて欲しい。君の種族は君のご先祖を許さないだろうけど、彼らの愛によって生まれた君だけは、ご先祖様達を許してあげて欲しい」

「…」

「…すぐには無理だと思うよ。でもいつか…いつかで良い。君がいつか、自分の存在を許すことが出来たら…」

自分のことも…自分のご先祖達のことも。

いつか、許せる日が来る。
 
そうであることを祈るよ、俺も…。
「…」

「…マシュリさん…」

マシュリは黙って、何も答えずに俯いていた。

…下手な慰めは逆効果…だろうな。

俺に言えることは、全部言ったよ。

出来れば、「そんなの気にしなくて良い。腹を決めてここにいろよ」と、多少強引でも説得したかった。

…だが、それはあまりにも利己的過ぎる。

結局は…マシュリ自身が決めるしかない訳で…。

「…返事は、今じゃなくても良いです」

シュニィは無理矢理に笑顔を作って、努めて明るい口調で言った。

「少しの間なら、私達の傍に居ても大丈夫でしょう?」

「…それは…少しの間なら、大丈夫だろうけど…」

とのこと。
 
なら、決まりだな。

「だったら、しばらくルーデュニア聖王国に滞在していってください。それからマシュリさんの気持ちが落ち着いたら、改めてあなたがどうしたいか教えて下さい」

「…」

「…駄目ですか?」

嫌です、やっぱり出ていく、と言われたら説得するのが大変だが。

「…分かった、そうするよ」

幸い、マシュリはこの条件を呑んでくれた。

良かった。これで、少し猶予が生まれたな。





…こうして。

ケルベロスと人間のキメラ、マシュリのルーデュニア聖王国滞在が決まった。



…さて。

マシュリの滞在が無事に決まり。

俺達は、ひとまずイーニシュフェルト魔導学院に帰還した。

そして早速、学院で待っていたイレースや天音、令月とすぐりに事情を説明した。

シュニィが無事に見つかったこと。そして、マシュリが説得を受け入れてくれたことも。

「…ふん。相変わらず甘い男です」

シルナがマシュリを説得したときのことを話すと、イレースはこの反応だった。

呆れ顔だったが、それ以上とやかくは言わなかった。

イレースも分かってるんだろう。シルナがこういう奴だって。

「誰も怪我がなくて良かった…」

天音は、安心したようにそう言った。

そういえば、そうだな。

シュニィが10日ばかりも行方が分からなくなって、皆気を揉んでいたけど。

最終的には一人の怪我人も出ず、全て丸く収まっている。
 
約一名、アトラスに吹っ飛ばされて鼻血を出した男がいるが。

あれはまぁ、ノーカンということで。

ここ最近暗い話題ばかりだったけど、それらを返して余りある収穫だな。

誰も傷つかず、元気で戻ってきたんだから。

今頃シュニィはアトラスと共に、久し振りに自分の家に帰っていることだろう。

そして、可愛い二人の子供達を抱き締めているんだろうな。

存分に甘やかしてやってくれ。二人共、凄く良い子だったから。

特にアイナの方。

今日ばかりは家族水入らずで、幸せに過ごして欲しいものだ。

全部丸く収まって、一件落着だな。

すると、そこに。

「…ねぇ、一つ聞きたいことがあるんだけど」

令月とすぐりが、俺の横をじっと見つめていた。

「どうした?」

「その人さー、何でここにいるの?」

と、すぐりが指差して尋ねた。

すぐりの指差す先にいたのは。

ちょこんと学院長室のソファに腰掛けて、まったり寛いでるマシュリの姿であった。

…うん。

見間違いかなーと思ったけど、やっぱり見間違いじゃなかったようだ。
実は俺も、令月やすぐりと全く同じ質問をしたいと思っていたところだ。

マシュリ、何でここにいんの?

いや、ルーデュニア聖王国に滞在するのは知ってるけど。

でも、当たり前のようにイーニシュフェルト魔導学院についてきたから、凄いびっくりした。

てっきり、聖魔騎士団の方で身柄を預かるのだとばかり…。

別に良いけどさ。学院に来てもらっても。

「でも、マシュリ…。お前は聖魔騎士団に居たがるんじゃないかと思ってたよ」

「?何で?」

「何でって…。シュニィのこと気に入ってるんだろ?」

だから、てっきりシュニィの近くにいるものだと思ってた。

多分シュニィの方も、そのつもりだったんじゃなかろうか。

…しかし。

ここで俺達は、衝撃の事実を知ることになる。

「うん、でも僕、ここも割と気に入ってるから」

…だって。

あ、そう…。まぁ良いけど。

「生徒に見られないに気をつけてくれよ。新しい先生が来た、とか言われたら困るし」

「そうだね。戻ってきたの久し振りだから」

…戻ってきた?

…って、何処に?

…マシュリが何言ってるのか、よく分からんが…。

「まぁまぁ、折角来てくれたんだから。歓迎するよマシュリ君。ウェルカムフード…ならぬ、ウェルカムガトーショコラは如何?」

誰が相手でも、とりあえず学院に来てくれた者にチョコ菓子を振る舞うのは、シルナの癖みたいなものだ。

「結構です」

断られてるけど。

あのなシルナ。何度も言ってるけど。

世の中の全ての人がお前のようにチョコが好きだと思ったら、それは大きな間違いだからな。

…さて、それはともかく。

こうしてシュニィが無事に戻ってきて、一件落着したからには。

これまで後回しにしていた問題を、いよいよ解決しないとな。

「シルナ、明日にでもまた聖魔騎士団に行って…エリュティアに頼もう」

「ほぇ?」

ほぇじゃねぇよ。

まさかこいつ、忘れたんじゃないだろうな?

我らがイーニシュフェルト魔導学院のマスコット、いろりと名付けられた銀色の毛並みの猫のことを。
シュニィの誘拐事件があって、それどころじゃなくなっていただけで。

学院の中では、行方不明になったいろりを探す声が高まっていた。

こちとら、探してやるから任せろ、と太鼓判押したにも関わらず。

それどころじゃない事件が起きたせいで、結局後回しになっていた。

今こそ、約束を果たすとき。

シュニィも見つかったんだし、きっといろりも無事に見つかる…と、信じたい。

「シルナお前、まさか忘れてないよな?」

「お…覚えてるよ!いろりちゃんでしょ?」

本当か?

俺に声をかけられるまで、完全に頭の中から消えてただろ。

「そうだ、いろりちゃん…!探さないと。大丈夫かな?お腹空かせてないかな…?」

「分からん。何だかんだ、いなくなって一週間以上経ってしまったからな…」

無事でいてくれると良いのだが。

魔物に連れ去られた訳でもなし、いろりの猫じゃらしと餌入れを持って、エリュティアの探索魔法で探してもらおう。

猫じゃらしや餌入れに残ったいろりの「痕跡」を辿って、いろりの居場所を探してくれるはずだ。

魔物は無理でも、猫なら大丈夫だろう。

…と、思ったのだが。

「その必要はないと思いますよ」

ナジュが、ぽつりとそう言った。

…は?

「必要ないって…何が?」

「いろりさんを探す必要。ないと思いますよ」

「…え…?」

何でそうなるんだ?

お前まさか、いろりを諦めたんじゃないよな?

生徒達が、あんなに必死になっていろりを心配していたのに…。

…更に。

「本当だ。探す必要なかったね」

「俺達、毎晩頑張って探してたのになー。無駄だったかー…」

令月とすぐりまでもが、いろりを諦めたような発言。

…どういうことだ?

令月もすぐりも、ナジュ以上にいろりを可愛がってたよな?

それなのに、この気のない返事…。

「どうしたんだよ、お前ら?何でいろりを…」

「だって、そこにいるよ」

令月は、学院長室のソファを指差した。

そこには、さっきマシュリが座ってたはず…。

…だったのに。

銀色の毛並みをした猫が、ちょこんと座っていた。

…は?

これには、俺もシルナも目が点になった。

ついでに天音もぽかんとしていた。

平然としていたのは、イレースとナジュ、それから元暗殺者組である。

「い…いろり…!?」

10日前にいなくなったはずの、イーニシュフェルト魔導学院のマスコット猫が。

いつの間にか、音も立てずに学院に帰ってきていた。

ど…どうなってるんだ?一体…。
「えっ…。えっ…。…え?」

言葉を失うシルナである。

その気持ちはよく分かる。

「い、いろり…!帰ってきてたのか…!?」

こいつ、今まで何処にいたんだ?

いや待て、その前にもう一つ。

「マシュリは?マシュリは何処に行った?」

さっきまで、マシュリもそこにいたよな?

まるでマシュリといろりが入れ替わるように、ソファに座ってんだが。

マシュリは何処だよ?

「え、何?僕がどうかした?」

マシュリの声がした。

あ、いたんだ…。え?でも何処に…。

姿が見えないんだが…?

「ここだよ、羽久・グラスフィア」
 
「え、ここ…ここって…」

声がした方に視線を下げると。

ソファに座ったいろりが、こちらをじっと見上げていた。

…。

…なぁ。

…今、この猫…喋らなかった?

俺疲れてるんだろうか。猫が喋るなんて。

ましてや、その猫がマシュリだったなんて。

多分疲れて、頭が幻覚を見せているんだろう。働き過ぎだな。

…しかし。

「い、いろりちゃんが…喋った!?」

シルナもびっくりしてるから、どうやらこれは俺だけが見ている幻覚ではないようだ。

「ま、まさか…いろりちゃんって…マシュリさんだったの?」

「化け猫ですね」

天音とイレースが、続けてそう言った。

…え、マジで?

イーニシュフェルト魔導学院のマスコットキャラ、いろりが…マシュリ?

それってどういうこと?

「…お前…いろり?いろりだよな?」

「うん」

やっぱり喋ってるぞ、この猫。

イレースじゃないけど、化け猫だ。

「…マシュリは?マシュリは何処に行った?」

「ここにいるよ」

何処だよ。

「…いろり、お前は…マシュリなのか?」

「逆だよ。マシュリがいろりなんだよ」

「…」

「…よっ、と」

いろりはひょいっ、とベッドから飛び降り、器用にくるりと一回転。

ぽふん、と音がして。

メタモルフォーゼとばかりに、いろりはマシュリに姿を変えた。

「これで分かった?」

「…」

…何だろう。

人間、あまりにびっくりすると…逆に冷静になるって言うか。

思ってるほど狼狽えないもんだな。

俺だけかもしれないが。

これでも、頭の中はパニックになってるんだぞ。

いろりがマシュリで、マシュリがいろりで…それで何だっけ?

うん。よく分からなくなってきたから、もう考えるのやめるか。

「羽久さん、それを思考停止って言うんですよ」

ナジュが俺の心を読んで、そう言った。

うるせぇ。

俺はお前みたいにな、心を読んで事情を把握するなんて芸当は出来ないんだよ。

むしろお前、知ってるなら、俺の代わりにこれはどういうことなのか説明してくれ。

本当。訳分かんないから。俺。
訳が分からなくなっているのは、俺だけではない。

「え、いろりちゃ…マシュリ君…。…えぇ…!?」

俺以上に脳年齢が老人なシルナも、状況を把握しきれていない様子。

良かった、俺だけじゃなくて。

シルナは俺以上にアホだった。

「どういうことなのかさっぱり分からないけど、羽久が私に失礼なこと考えてるのは分かる…!」

むしろ、何でそっちは分かるんだ?

「君、猫に姿を変えられるの?」

狼狽しまくる大人を尻目に。

令月は非常に冷静な様子で、マシュリに尋ねた。

令月お前、人生何回目だ?

この状況で、的確にそんな質問が出てくるなんて。

すると、マシュリの答えは。

「そうだよ。…気づいてなかったの?」

あっけらかんとして、あっさり肯定。

…気づくかよ。

「最初は、聖魔騎士団じゃなくて、イーニシュフェルト魔導学院に目をつけて来てたんだけど…」

と、マシュリはようやく事情を説明してくれた。

ルディシア同様、マシュリもまた、ルーデュニア聖王国に入国するなり。

聖魔騎士団ではなく、ここイーニシュフェルト魔導学院に目をつけていた。

俺達、全然気づいてなかったんだか?

危なっ…。

マシュリが説得に応じて、味方になってくれてなかったら、今頃どうなっていたか。

「でも、そのままの姿じゃ怪しまれるから…猫に姿を変えたんだ。…こんな風に」

マシュリはパンと手を打って、それから空中で一回転。

現れたのは、いろりの姿だった。

…マジかよ。

にわかには信じ難いが、実際に目の前でメタモルフォーゼする瞬間を見てしまったら。

信じざるを得ないじゃないか。…マシュリといろりが、同一人物であることを。

「お前、それ…シルナの分身魔法みたいなものか…?」

シルナも、得意の分身魔法で色々な姿を作ることが出来るもんな。

その応用みたいなものだと思えば、マシュリが姿を変えられるのも不思議ではない…、

…いや、やっぱり不思議だよ。

充分怪しい能力だよ。

どうやってるんだ?それ…。

「分身…ではないよ。姿が変わってるだけで、ちゃんと本体だから」

いろりの姿のまま、マシュリが答えた。

その学校でも、喋ろうと思ったら普通に喋れるんだな。

「猫のフリして学院に忍び込んだのは、我々の目を誤魔化す為ですか」

「そうだね、元々はそうだった。…思った以上に歓迎されて驚いたよ」

イレースの問いに、マシュリは素直に答えた。

めちゃくちゃ可愛がられてたもんな、生徒に。

しかしあれも、いろりの…いや。

マシュリの演技だった訳か。

可愛い迷い猫を演じて、イーニシュフェルト魔導学院に合法的に潜り込む…。

大胆な変装だと思えば、納得出来なくもない…か。

まんまと騙された俺達って、一体。

いや、そんなの普通気づかないだろ。

だってこの姿…何処からどう見ても、普通の猫だ。

これがまさか、ルーデュニア聖王国に潜り込んだ『HOME』のスパイだなんて、どうやって気づくことが出来る?
「凄い魔法だね…。これって何て言うんだろう?変身魔法…?」

と、首を傾げる天音。

分身じゃないって言ってたし…。

変身魔法…か、確かにそうなるな。

しかし、マシュリ、いや…いろりは…。

あぁ、もう。ややこしいから、マシュリで統一しよう。

名前と姿が違うってだけで、マシュリはマシュリだ。

くるりと一回転して、再びマシュリの姿に戻った。

その一回転するのって、メタモルフォーゼするのに必要な動作なんだろうか。

「僕はこの能力を、『変化(へんげ)』って呼んでる」

…とのこと。

変化…そのまんまだな。

「器用なことが出来るんだな…」

「別に、そうでもないよ。そもそも僕の今のこの姿だって、『変化』した姿だから」

え?

「それがデフォルトなんじゃないのか」

「忘れた?僕の元の姿は、ケルベロスと人間のキメラ…四足のバケモノだよ」

あ、えぇと…。

…そうなんだっけ。

「あの姿じゃ、ろくに表を歩くことも出来ないから…。怪しまれないように、現世にいるときは人の姿を保てるように、時間をかけて練習した」

「…成程…」

マシュリの今の姿、人間の姿は、『変化』の能力を使ったもの。

そして、人間に『変化』するのと同じ要領で、猫に姿を変えることも出来る…と。

これほど丁寧に種明かしをされると、結構冷静に受け止められるもんだな。

難しいことは何もない。これはただの、マシュリ特有の能力だ。

ナジュの読心魔法みたいなもんだな。

「…しかし、そこまでして学院に潜り込んだのに、何故私達や生徒には何の手出しもしなかったんです?」

と、イレースが尋ねた。

…確かに。

お得意の『変化』を巧みに使って、誰にもバレずに学院に潜り込むことに成功した。

そのまま上手くやれば、俺やシルナを不意打ちで奇襲…なんて作戦も立てられたはず。

何故それをせず、敢えてターゲットをシュニィ…聖魔騎士団に移した?

最初にイーニシュフェルト魔導学院を目指してきたってことは、当初のターゲットは俺達だったんだろう?

「…それは…」

これまでの質問には淀みなく答えていたのに、この質問にマシュリは口ごもっていた。

…聞かれて困ることがあったか?

「答えたくないなら、無理には…」

「…ううん。良いよ、話す。…最初僕は、学院長のシルナ・エインリーや、その右腕の羽久・グラスフィアを…暗殺するつもりで、イーニシュフェルト魔導学院に来た」

マシュリは正直に、はっきりと認めた。

…やっぱりそうだったのか。

まぁ、そうだよな。

そんなに念入りに「変装」して、学院に忍び込むくらいなんだから。

明確な目的があったのだろう。

…シルナや俺の暗殺という、明確な目的が。

今更だが、実行に移されなくて本当に良かった。

さすがの俺達も、まさか猫に命を狙われているとは思わなかったからな。
ルディシアのときも、まさか死体を操るネクロマンサーが刺客だとは思わなかったが。

今度は猫とはな。

例え命を狙われたとしても、絶対気づかなかっただろうな。

普通に愛猫として可愛がってたもん。俺ら。

皆で名前決めたり、猫じゃらし買ってきたりしてさ。

成程、いろりのこと、ずっと賢い猫だなと思ってたが。

それは中身がマシュリだったからなんだな。納得。

まさか、自分達の命を狙いに来た刺客を可愛がっていたとは…。

もしマシュリがその気になって、いろりの姿で俺達に奇襲を仕掛けたとしたら。

間違いなく、その作戦は成功していたことだろう。

しかし、その作戦が実行に移されることは、ついぞなかった。

それは何故なのか?

「…学院に潜り込めれば、それだけで良かったのに…」

と、マシュリは言った。

「皆して、無警戒に僕のこと構って…遊んで…可愛がって…」

「…まさか、それで情に絆されたのか?」

「…」

無言でこくり、と頷くマシュリ。

…結構素直な奴だよな、マシュリって。

ナジュとは大違いだぞ。

「…何で僕と比較するんですか?」

うるせぇ。

お前は少し、マシュリの爪の垢を煎じて飲ませてもらえ。

いろり…マシュリのこと、可愛がっといて良かった。

俺としては、学院の新しいマスコットを可愛がってただけなんだが。

まさか、そのお陰で命を救われる結果になるとは。

分からないもんだな、世の中。

とりあえず俺、今日から、野良猫見つけたら可愛がっておくことにするよ。

「イーニシュフェルト魔導学院は、シルナを始め、お人好しばっかだからな…」

でも、今回はそのお陰で救われたな。

改めて、マシュリが味方になってくれて良かった。

つくづくそう思う。

「しかし、いろりちゃんがマシュリさんだったとは…」

「生徒達、明日いろりちゃんの姿を見たら、皆喜ぶね」

天音とシルナがそう言うと、マシュリは。

「…え?」

と、首を傾げていた。

…何だよその、え?ってのは。

「何だ。何か不満なのか?」

「いや…不満って言うか…」

「それとも、正体がバレた今、猫に化けるのはやめるつもりか?」

いろりじゃなくて、マシュリとして生活したいのか?

それならそれでも良いけど。

「いろりの姿に…また戻って良いの?生徒達の前に…」

…あぁ、そう。

成程、そういう心配な。

お前の素直なところは、ナジュに爪の垢を煎じて飲ませたいが。

逆にお前には、ナジュの爪の垢を煎じて飲ませたいな。

マシュリも少しは、ナジュの図太さを見習うべきだな。

「だから、何でさっきから比較対象が僕なんですか?」

うるせぇ。

「生徒達皆、いろりが戻ってくるのを待ってるんだよ」 

あれだけ可愛がられてたんだから、お前だって分かるだろ。

自分が必要とされてることくらい。

「不在の理由は、上手く誤魔化してやるから…安心して戻ってこい。分かったか?」

「…分かった」

よし、それで良い。

生徒達の喜ぶ顔…目に浮かぶようだな。