神殺しのクロノスタシスⅤ〜後編〜

「…何言ってんの?お前…」

「魔物が犯人だ」

「…いや…」

そりゃ…実行犯は魔物なんだろうけどさ。

でも、その魔物に指示を出した召喚魔導師がいるはずで…。

「魔物を捕まえよう、ジュリス。三つ首のわんこだよね?」

「いや、それは『カタストロフィ』のときに戦った相手であって、今回もそうとは限らないだろ」

しかも、わんこじゃねーから。

そんな可愛らしい生き物ではなかったよ。断じて。

お前、自分が食べられそうになったのに覚えてないのか。

覚えてないんだったな。ごめん。

「わんこ、わんこ…。どうやったら見つかるかな?」

「だから、わんこじゃないって…」

「うーん。多分そんなに遠くにはいないと思うよ。よし、探そう」

「ちょ、おま。待てって」

ベリクリーデは、探険隊感覚で歩き出してしまった。

エリュティアが探しても見つからないのに、そんな探し方で見つかると思ってるのか?

「まずは、この魔導隊舎を隅々まで探そう。砲台もと暗し、って言うもんね」

「灯台な、灯台」

これまで2週間近く、ずっとシュニィの行方を探し続けて。

今更、そんな雑な探し方で見つかるとは思えないが。

ベリクリーデを一人にもしておけないので、俺は仕方なくベリクリーデの後をついていった。










…まさか。

そんな会話をした翌日に、シュニィが見つかるとは思ってもみなかった。







――――――…一方、その晩。





「こんばんは、リリス」

「…」

いつも通り僕は、精神世界のリリスに会いに行った。

いつもは笑顔で迎えてくれるリリスだが、今晩は浮かない顔である。

僕はリリスのどんな顔も好きだけれど、リリスに不安な顔をさせるのは本意ではない。

やっぱり、好きな女の子にはずっと笑ってて欲しい。

と、思うのが男の性である。

でも、リリスにこんな顔させてるのも、僕が原因なんですよね。

いやぁ誠に不甲斐ない。

他に方法があるのならそうするんですが、生憎今はこれしかないので。

「僕が何を言いたいのか…分かりますよね?」

「…分かってるよ」

リリスは僕と同じものを見て、同じものを聞いている。

それなら分かるはずだ。

僕が今から、リリスに何を聞こうとしているのか。

じゃ、遠慮なく。

「教えて下さい。シュニィさんを拉致した魔物の正体を」

「…」

リリスはしばし無言で、僕をじっと見つめ。

…それから。

「…はぁ~…」

という、深~い溜め息をついた。

ありがとうございます。
「聞かない方が良いって言ってるのに…」

「えぇ、知ってます」

「私はね、何も意地悪のつもりで黙ってるんじゃないんだよ。ナジュ君の為を思って言ってるの」

「えぇ。それも知ってます」

相思相愛ですからね、僕達。

リリスが僕の為を思って、敢えて忠告してくれてるんだってことは、よーく分かってる。

でも、それはそれ、これはこれって奴でして。

「大体ナジュ君、そのシュニィちゃんって子と仲良かったっけ?」

お?そういうこと聞きます?

嫉妬?嫉妬ですか?

何それ。めちゃくちゃ可愛いんですけど。

「特に仲良しという訳ではありませんね」

「だったら、別に知らなくても良いじゃない」

「そうは行かないんですよ」

えぇ。確かに僕は、それほどシュニィさんと仲が良い訳じゃありませんし。

僕は厳密には聖魔騎士団の人間ではないので、彼女が戻ってこようとこまいと関係ない…。

…なんて、言うほど僕は薄情な人間ではないつもりなので。

これでも一応、何度も聖魔騎士団の皆様には助けてもらってますしね。

「ほら、僕男の子なんで。格好良いところ見せたいって言うか…」

「…それが動機なの?」

「そうですね」

「…」

「…」

無言でお見合い。

これでも真面目なんですよ、僕。

傍から見ると馬鹿馬鹿しいかもしれませんけど。

…すると。

「…もー、ナジュ君には敵わないなぁ」

呆れたような笑顔を浮かべて、リリスが折れてくれた。

「やっぱり笑顔が素敵ですね、リリスは」

「え?どうしたのいきなり」

「いえ、こちらの話です」

どうぞ、気にせず続けてください。

「分かったよ…。そこまで言うなら、私も覚悟を決める」

「ありがとうございます」

「…でも、一つだけ条件がある」

笑顔から一転、リリスは真剣な顔つきで僕を見つめた。

おっと。これは穏やかではありませんね。

条件…って何なんでしょうね。

僕に出来ることなら良いんだが…。

「聞きましょう」

「これから話す人物…。シュニィちゃんを誘拐した犯人と、絶対戦わないで」

…ほう。

それはまた…予想外の条件ですね。

「…はいと言う前に、理由を聞いても良いですか?」

「先に、はいと言ってから理由を聞いてよ」

それはちょっと、済みませんけど。

「僕は不死身なんですよ?煮ても焼かれても死にません。それでも戦っちゃ駄目なんですか?」

「駄目に決まってるでしょ。この際だから言わせてもらうけど、ナジュ君は不死身なのを良いことに、危険に飛び込み過ぎだよ」

説教が始まってしまった。

積もりに積もったリリスのお小言が。

「死ななくても、痛みは普通の人と変わらないんだから。もっと自分を大切にして。…って、いつも言ってるでしょ?」

「はい。それはもう…仰る通りでございます」

平身低頭、ここは素直に頷いて、謝っておこう。

しかし。

「そうやって素直な振りして、早く説教終わらせようとしてるでしょ」

リリスの方が、一枚上手だった。

さすがリリス。僕のことをよく分かっていらっしゃる。

嬉しくなってきますね。
「いや、悪かったと思ってますよ。本当に…」

「…全くナジュ君はこれだから…」

ぶつぶつ。

「…嫌いになりました?」

うん嫌い、って言われたら僕は泣きますけど。

しかし、僕とリリスの絆は固い。

「なる訳ないでしょ。そのくらいで」

良かった。

「僕もリリスが何をしても、いつまでもずっと大好きですよ」

「あぁもう、そういうことを平気で言うから、君って人は…」

「戦わないでと仰るってことは、そんなにヤバい相手なんですか?」

その、シュニィさんを拉致した犯人って言うのは。

魔物が実行犯ってことは、裏で手を引いてるのはその契約者である召喚魔導師。

更に、その召喚魔導師に指示を出したのは、ルディシアさんをこの国に派遣した、例のアーリヤット皇王だと推測している。

果たして、事はそんなに単純なのだろうか?

「ヤバい相手…。…うん、ヤバい相手だよ」

へぇ。それは面白そう。

「どんな相手なんですか?ツノでも生えてるんですか」

「ツノ…生えてる」

生えてるんですか。

適当に言ったつもりだったのに。

「良い?ナジュ君、よく聞いて」

「はい」

リリスの話ですからね。心して聞きますよ。

「私がナジュ君に『戦わないで』って言ってるのは、勿論ナジュ君を守る為でもあるけど、それだけじゃない。…君の仲間達を守る為でもあるんだよ」

…ほう。

それはつまり、シルナ学院長とか、羽久さんとか、天音さんとか…。

あと、聖魔騎士団の皆さんのことですかね。

僕の守るもの、随分増えましたね。

かつては、自分の生命を含め、失っても痛くも痒くもないものしか持っていなかったはずなんだが。

リリス以外は、ですけどね。

「『アレ』と下手に事を構えるくらいなら…シュニィちゃんのことは諦めた方が良い」

そこまで言いますか。

アトラスさんが聞いたら、大激怒不可避ですね。

あの人の辞書に、「諦める」という言葉は載ってなさそうですし。

「学院長や羽久さん達が、守ってもらわなきゃいけないほどひ弱じゃないってことは、リリスも知ってますよね」

イーニシュフェルト魔導学院の教師陣、元『終日組』暗殺者の二人。

それから、聖魔騎士団魔導部隊大隊長の皆さん。

いずれも、僕に守ってもらう必要などない。

むしろ僕が守って欲しいくらい、国内でも指折りの実力をお持ちである。

特に学院長。

あの人で勝てないなら、多分誰が相手でも無理ですよ。

しかし、リリスは。

「知ってる。でも彼らは人間だから」

「…」

「人間相手なら負けないと思う。でも、今回の相手は…人間じゃない。冥界の魔物なんだよ」

…やっぱり魔物なんですね。

「人間と魔物が戦ったら、明らかに人間の方が分が悪いよ」

「でも学院長達はこれまで、何人も召喚魔導師を相手にしてきた経験があるはずですよ」

聖魔騎士団魔導部隊の中にも、召喚魔導師の人がいたじゃないですか。

吐月さんって人。あの人も、学院長の教え子の一人でしょう?

今更あの学院長が、召喚魔導師くらい程度に恐れを為すとは思えませんが。

「違うの、ナジュ君。そういうことじゃないの」

リリスは首を振ってそう言った。

「じゃあどういうことですか?」

「あれは…あれは召喚魔導師と契約した魔物なんかじゃない。罪を犯して、道を外れて、群れを追い出された…」

「…リリス…?」

「…あれは罪の獣。しかも…あの子は私の…」

「…」

リリスはその夜、僕に全てを教えてくれた。

シュニィさんを誘拐した犯人の正体を。







罪を背負いし、獣の正体を。







――――――…スクルトが、僕に殺される未来を知っていた?

有り得る話ではある。

知っていたのに、スクルトは逃げなかった。

何故?

僕に打ち明けても、逃げ出しても変わらない、『赤』い未来だったから?

でも、本当に最期の瞬間に僕を憎んでいたのなら、その未来が見えた時点で、僕を問い詰めたはずだ。

「お前に殺される未来が見えたんだが、これはどういうことだ」って。

それなのにスクルトは、それをしなかった。

自分の人生の終わりが見えても、逃げることも隠れることも臆することもなく、ただその未来を受け入れた…。

僕に殺されるという未来を。

「思い出してください。あなたの愛した人の最期を。スクルトさんは本当に…あなたを憎んでいたんですか?」

「…それは…」 

僕は再度、記憶を手繰り寄せた。

思い出したら、胸が張り裂けそうになる記憶。

だから蓋をして、鍵をして、決して開けることなくしまい込んだ。

二度と思い出したくない記憶だった。

記憶の鍵を開けて、蓋を開けて中身を引っ張り出す。

それは僕にとって、酷く辛いことだった。

でも、もしシュニィ・ルシェリートの言っていることが正しいのだとしたら。

僕はこれまでずっと、自分の記憶を歪めて…。

あの日…あの日僕は、突然内なる衝動に駆られて、それから意識が遠くなって…。

自分の身体のはずなのに、まるで自分のものじゃないような感覚がして…。

気がついたら、この手でスクルトを…。

「…っ…!」
 
その瞬間を思い出して、僕の目の前に恐ろしい記憶がフラッシュバックした。

まるで今現実に起きていることのように、鮮明に情景が思い浮かぶ。

あのときスクルトは僕の前にいて。

豹変した僕を見ても、少しも驚いた様子はなくて…。

僕の爪がスクルトを引き裂くその瞬間。

スクルトの顔は、憎しみと怒りに歪んでいた…。

…。

…。

…本当に?

「思い出してください。本当は何があったのか、よく思い出すんです」

シュニィ・ルシェリートの声が、頭の中に響いた。

思い出したくない。

思い出したら辛くて堪らなくなるから、必死に記憶に蓋をし続けた…。

…でも。

「あなたの愛する人が、最期にあなたに何を伝えようとしたのか…。分かってあげてください」

と、シュニィ・ルシェリートは言った。

スクルトが…最期に、僕に何を言おうとしたのか。

僕に何を伝えようとしたのか。

…それは…。

「…!」

目の前に、スクルトの最期の瞬間が浮かび上がった。
スクルトには、目前に迫る死を恐れる様子は全くなかった。

憎しみと怒りに歪んだ顔…じゃなかった。

代わりにスクルトは、微笑みを浮かべて両腕を広げた。

まるで、バケモノの僕を受け入れるように。

その口元が何かを呟いた。

あのとき、スクルトは僕に何と言った?

思い出せ。僕は聞いたはずだ。

きっと恨み言だと思っていた。

僕に裏切られたことを恨んで、僕を罵る言葉を呟いたに決まっていると。

でも、スクルトは笑っていた。

僕の罪を、自分の運命を全て受け入れて。

人生の最後に、僕に伝えようとしたことは…。






『…大丈夫よ、マシュリ』

スクルトの、最期の言葉が。

幾星霜時を経て、今ようやく僕に届いた。

『あなたには…私達には、幸せな未来が待ってるわ』





そう言った瞬間、僕の視界はスクルトの血飛沫で真っ赤に染まった。

最後の最後まで、スクルトは笑っていた。

そう、笑っていたのだ。

何もかも受け入れて、それでも自分の人生は幸福だったと証明して見せた。

人生の最後に、あんな風に優しく微笑むことが出来るなんて。

スクルトは僕には不釣り合いなほど、素晴らしい人間だった。

そんな素晴らしい人間を、僕がこの手で殺してしまったのだ。
 
その罪を、過ちを、僕は受け入れられなかった。

だからこそ僕は、己の記憶を歪めた。
 
スクルトが最後に僕に伝えようとしたメッセージさえ、聞かなかったことにして蓋をして。

スクルトは自分を恨んでいると思い込み、罪悪感に溺れた振りをして、悲劇のヒロインを気取って。

結果、僕はあれほど尊敬していた、スクルトの高潔な魂を穢していた。

それこそ、スクルトに対する冒涜行為以外の何物でもない。

スクルトは僕を…許してくれていた。

その事実に気づき、僕はがくんとその場に膝をついた。

…こんなことって、あるか?

僕に命まで奪われたというのに…。何で…。

「…何で…。何でなんだ、スクルト…」

どうして僕を恨まなかった。怒っていたんじゃないのか?

僕達に幸福な未来が待ってる?

何故そんな気休めが言えるんだ。今にも僕に殺されようとしていたのに。

美しい未来なんて待ってない。スクルトは死に、僕は一人で居場所を求める苦しい旅に逆戻り。

それの何処が、幸福な未来だと言うんだ?

スクルトは一体、何を見てそんなことを…。

「…私にはスクルトさんのように未来は見えませんから、あくまでこれは憶測です」

シュニィ・ルシェリートはそう言って、膝をついて僕の前に座った。

そして、両腕を広げて僕を包み込んだ。

…最期の瞬間、スクルトが僕にそうしたように。 

「でもスクルトさんにとっては、それが『幸せな未来』だったんでしょう」

「…!」

幸せな未来。

僕に殺されることが、スクルトにとって幸せな…。

「例えあなたに殺されても…あなたの記憶の中で生き続けることが出来るのなら、それで良い。いつかあなたが自分の死を乗り越えて、帰る場所を見つけられるなら…」

「…」

「その為なら、自分の死など惜しくはない。…私だったら、きっとそう思うでしょうから」

…シュニィ・ルシェリートの声が、顔が。

一瞬、スクルトのそれとダブって見えた。

スクルトは笑っていた。

笑って、僕にそう言った。

「生きて欲しいんです。自分の死も、あなたの罪も受け入れて…ただ幸せに生きて欲しい。…あなたを愛しているから」




それが、スクルトが見た「幸福な未来」。

辛い辛い旅路の果てに、いつかきっと待っている未来。

その未来の為に、スクルトは自分が殺される運命を変えようとしなかった。

馬鹿みたいな話だ。

僕は己の罪悪感から逃れたいが為に、自分に都合の良いように考えているだけなのかもしれない。

スクルトが本当は何を考えていたのか、それは分からない。

分からないけど、分からないけど…。

…僕の記憶にあるスクルトは、そういうことを平気で言える人だった。

だから、きっと…そうなのだろう。
「…そう。…そうだったんだ」

…今、ようやく。

ようやく届いたよ。君の言葉が。

これまでずっと…聞こえなかった振りをして…ごめん。

必死に伝えようとしてくれていたのに…。

認めるのが、受け入れるのが怖くて…一生懸命、目を逸らしてしまっていた。

…なんて馬鹿だったんだろう。

君は…僕に、輝かしい未来を託してくれていたんだ…。

「マシュリさん…」

「…ありがとう、シュニィ・ルシェリート。君のお陰で思い出したよ」

僕の大切な過去のこと。

そして、大切な未来のことも。

…そうと分かれば、もう言いなりのままではいられないね。

少なくともシュニィ・ルシェリートは、僕の恩人になった訳だから。

許してもらえるとは思ってないけど…。

「…君を解放するよ、シュニィ」

「…え?」

え、って何だ。

「ここから出して欲しくて、必死に僕を説得してたんじゃないの?」

だとしたら、説得は大成功だよ。

君には人の心を絆す才能があるね。

「それは…そうですけど、でも私はまず何より…マシュリさんの心を救いたくて…」

…呆れた。

自分を攫った誘拐犯の心を救いたいなんて、どんなお人好しだ。

…そのお陰で、僕は救われたんだけどね。

「…これ以上、逆らうつもりはないから」

すっかり戦意が削がれてしまって、誰とも戦う気にはなれない。

この人をこれ以上、僕の都合で閉じ込めておくことも。

「投降するよ。あとは煮るなり焼くなり、好きにしてくれれば良い」

これは本心だった。

どのような処分が下されようとも、甘んじて受けるつもりだった。

良くて国外追放、悪くて極刑だろうか?

…それなら、それでも構わない。

これ以上罪を重ねずに済むなら、今ここで人生が終わってしまっても構わない。