神殺しのクロノスタシスⅤ〜後編〜

幸い、ルシェリート宅に上げてはもらったけども。 

冷静に考えたら、アイナはともかく弟のレグルスの方は、まだケーキ食べられる年齢じゃないんだよな。

それなのに人数分ケーキ買ってきたシルナって、一体。

「ほらほらアイナちゃ~ん、ケーキあるよ。アイナちゃんはどのケーキが好き?チョコクリーム?ガトーショコラ?ザッハトルテ?」

全部チョコかよ。

「アイナ、イチゴが良い」

だってよ。残念だったなシルナ。

こんなこともあろうかと、イチゴのショートケーキも買ってきておいて正解だった。

寝る前にケーキを食べるなんて、よろしくないと分かってはいるのだが…。

今日くらいは特別に許して欲しい。ごめんなシュニィ。

しかし、アイナは俺達なんかより、遥かにきっちり躾けられていた。

「じゃあ、はいっアイナちゃん。ケーキどうぞ」

シルナが差し出したケーキの皿を前に、アイナはふるふると首を横に振った。

え?

「寝る前に甘い物食べちゃ駄目って、お母様が言ってた」

だってよ。

シルナ、お前に言ってんだぞ。聞いたか?

「だから、アイナ明日食べる」

「な…なんて良い子なんだ、アイナちゃんは…!?」

「シルナ…。お前より遥かに出来た子だよ」

寝る前だろうが朝イチだろうが、ケーキを前に我慢するということが出来ないシルナに、見習って欲しい。

幼児に理性で負けるシルナって、一体。

「で、でもほら。今日くらい良いんじゃないかな?たまにだから。ね?いつもじゃないんだから」

悪魔の囁きやめろ。

「一緒に食べようよ。大丈夫大丈夫、食べても怒らないでって、お父さんとお母さんに私から頼んでおくから」

シュニィはともかく、アトラスは頼まなくても許してくれそうだけどな。

「…本当?」

「うん、本当本当。良い子だねーアイナちゃんは。よしよし、じゃあ一緒にケーキを…」

「…やっぱり要らない」

決意の固い幼児である。

すげーよ…。シルナだったら、ケーキをチラつかせたらあっという間に理性を失ってるだろうに。

「ど、どうして?」

「…アイナね、ケーキより、お母様に早く帰ってきて欲しい」

「…!」

…これは痛いところ突かれたな。

そりゃそうだよな。

シュニィに比べたら、イチゴのショートケーキなんて全く無価値も同然だ。

シルナには悪いけど。

「…そうですね」

ナジュが、アイナの髪の毛を撫でながら頷いた。

「良い子にしてたら、お母さんが早く帰ってきてくれる…。…ですよね?」

「…うん」

…そうか。

…そうだったら良いよな、本当に。

「だから、アイナは良い子でいるの。寂しくても…泣かずに、待つの」

「…」

「そうしたら…お母様は帰ってきてくれる、よね…?」

…敵わないな、子供相手に。

アイナは分かってるのだ。シュニィの不在は、ただの出張任務じゃないんだって。

辛くて寂しくて堪らないだろうに、必死に我慢して…。

「…勿論だよ、アイナちゃん」

シルナは、優しくアイナに微笑みかけた。
他に何て言って慰めてあげられただろう。

こんないじらしい子供に。

「アイナちゃんは、とっても良い子だからね。きっともうすぐ、お母さんは帰ってきてくれるよ」

何の保証もない、ただの気休めだ。

だが、そう言って慰める以外、俺達に出来ることはない。

「もう少し…もう少しだけ我慢しようね。そうしたら、きっと帰ってきてくれるから。お母さんが帰ってきたら、アイナちゃんがどんなに良い子だったか、お母さんに話してあげるよ」

全くだ。

シルナなんかより遥かに良い子だったって、胸を張ってシュニィに報告出来るぞ。

だからそのときは、たくさん褒めてもらえるだろう。

「出来る?我慢出来る?」

「…うん!」

アイナは力強く、こくりと頷いた。

よし、良い子だ。

「うん。頑張ろうね、アイナちゃん。あと少しだから」

シュニィがいつ戻ってくる…どころか。

本当は、シュニィの居場所について、全く目処もついていないのに。

それでもアイナに対して、このように無責任な約束をした。

こんなことをしたら、結果的に余計アイナを深く傷つけてしまう事態になりかねない。

それは俺にも、シルナにも分かっている。

…しかし、同時に俺は確信していのだ。

きっとシルナもそうだろう。

こんな聞き分けの良い、立派な娘がいるのに。

あのシュニィが、娘達を置き去りにして消えるはずがない。

必ず戻ってくるはずだ。

いや…戻ってこさせる。

そして戻ってきたシュニィに、アイナの頭を撫でて褒めてあげるよう頼むのだ。

そのときまで、俺達は決して諦めるつもりはない。
――――――…ルシェリート家の屋敷を後にし。






その日の夜、僕は遅くに床についた。

ベッドに横になって、寝室の天井をボーッと見上げながら。

僕が考えていたのは、先程のいじらしい幼女のことではなく。

夕方、聖魔騎士団魔導部隊隊舎にある、シュニィ・ルシェリートの執務室に行ったとき。

あのとき感じた、不思議な違和感のこと。

「獣臭い」って言っただろう?僕。

あれ、一体何だったんだろう。

シュニィさんの部屋に入った途端、僕は強烈な獣臭さを感じた。

分かるだろうか。何て言うか…動物園の猛獣エリアに入ったみたいな。

動物特有の、鼻につく匂いだった。

犬か猫でも飼ってるのか、って咄嗟に聞いてしまったけど。

犬や猫みたいな、小さな動物の匂いじゃなかったな。ライオンとかヒョウみたいな、大きな猛獣を思わせる強烈な匂いだった。

しかし、あの場にいた僕以外の誰一人、そんな匂いは感じないと言った。

あの場で僕だけが、謎の獣臭い匂いを感じ取ったのだ。

不思議なことがあるものだ。

あの場の全員の心を覗いてみたけど、どうやら嘘をついている訳ではなく。

本当に、僕以外の誰も、そんな匂いを感じてはいなかったのだ。

むしろ、僕が嘘をついているんじゃないか?みたいな空気だった。

まぁ、僕一人だけが「獣臭い」と言ったって、周りの全員は何も感じていないのだから。

そりゃ僕の方がおかしいんじゃないか、と思われても無理もないんですが。

でも、嘘ではないんですよ。

本当に僕は…獣臭い匂いを感じたんです。

あれは何だったんだろう。

僕だけが感じて、他には誰も感じなかった…。これって結構妙ですよね?

ジュリスさん曰く、ベリクリーデさんがあの部屋に入ったときも、気になる証言をしていたらしい。

あの人は神の器という特別な存在だから、常人では感じられない「何か」を感じ取っていてもおかしくない。

同じ理屈で、羽久さんも「何か」を感じるのではないか…と思われたが、そんなことはなく。

代わりに、何故か僕が妙な「何か」を感じ取った。

しかもその「何か」は、全く根拠のない獣臭い匂いだけ。

…意味不明ですよ。

確かに僕はあのとき、おかしな匂いを感じた…と断言出来る。

が、こうして一人になって冷静に考えてみると…。

あまりに意味不明で、荒唐無稽で、根拠薄弱で。

やっぱり、僕の気の所為だったんじゃないかと思ってしまう。

気の所為…じゃないはずなんですけど…。

…。

…そういえば。

僕は微睡みながら、ふと思い出した。

僕だけじゃなくて…吐月さんって言う召喚魔導師と契約している魔物…。

ベルフェゴールさんだっけ?

あの魔物も、急に出てきたと思ったら、気になる発言をしていたな…。

いくつか証言は集まっているのに、どれも整合性が取れなくて、意味が分からない。

ますます分からなくなるばかりだ。

…そこまで考えて、僕は思考するのをやめ。

睡魔に従って、夢の中に入っていった。
「…あれ」

気がついたら、僕は自分の精神世界にやって来ていた。

どうやら、現実の僕はお休み中のようですね。

精神世界にやって来たということは、僕はこれからフィーバータイムなのでは?

…いや、残念ながら…今夜はそういう気分にはなれないのだが。

うーん、情けない。
 
でも、さすがに僕だって、今は呑気している余裕がないことくらい分かってますから。

それより、リリスにも意見を聞いて、シュニィさんの居場所を…、

「…え?」

「…ナジュ君…」

精神世界で僕を待っていた、僕の契約者にして恋人。

『冥界の女王』リリスは、不安そうな表情で僕を見つめていた。

…何事ですか。

あなたにそんな顔をさせる輩は、全員僕がぶっ飛ばしてあげますよ。

「どうしたんですか、リリス…」

残念ながら、僕のお得意の読心魔法は、リリス相手には通じないのである。

「ナジュ君…。君、一体何と戦おうとしてるの?」

「…はい?」

…。

…ちょっと、よく意味が分からないんですけど。

リリスが凄く不安そうな顔をしているから、良くないことなんだろうなというのは分かる。

何が良くないのかは分からないけど…。

「駄目だよ、ナジュ君。『アレ』に手を出したら駄目。無視するべきだよ」

大事な警告をしてくれてるんだろうとは思うんだが、何のことか分かりません。

ちょっと…順を追って説明して欲しいですね。

「何のことですか、リリス。『アレ』って何ですか?」

「…『アレ』は獣だよ。獣であって…。…罪人だ」

「…」

「この世に存在してはいけないモノなの。だから、近づいたら駄目。下手なことをしたら、ナジュ君や…他の皆まで命を脅かされるかもしれないんだよ」

…成程、分からん。

分からんけど、リリスがとても重要な情報を教えてくれてるんだってことは、よく分かりますよ。

そして、もう一つ分かったのは…。

夕方、僕がシュニィさんの部屋で感じた獣の匂い。

あれは気の所為なんかじゃなかった、ってことですね。

やっぱり本当だったんだ。

僕だけじゃなくて、リリスも感じていた。

…いや、むしろ逆か?

リリスが感じたからこそ、僕にも伝播して伝わっていたのかも。

もしそうなら、納得が出来る。

「…詳しく説明してもらえますか、リリス」

「…それは…」

と、言い淀むリリス。

成程、そういうことですか。

ベルフェゴールさんという魔物が、契約者である吐月さんにも事情を詳しく話そうとしなかった。

逃げるように姿を消して、説明を避けた。

そして今、僕がこうしてリリスに尋ねても。

リリスは答えに窮し、視線を逸らして説明を避けている。

あの部屋には、「魔物だけが感じ取れる何か」があるのだ。

これが分かっただけでも、かなりの収穫なのでは?
「リリス…。話してもらえませんか?」

答えたくないと思っている相手に、無理矢理聞くのはよろしくないかもしれないが。

でも、必ずシュニィさんを帰らせると、幼女と約束しちゃいましたからね。

イケメンカリスマ教師は、約束を守りますよ。

少なくとも、僕に出来る努力は何でもしましょう。 

「…それは…」

しかし、なおもリリスは言い淀んでいた。

僕に警告はしてくれるのに、何故警告するのかについては話せない、と?

「お願いです、リリス。人一人の命が懸かってるんです」

リリスは現実世界で、僕と同じものを見て、同じものを聞いている。

だから、僕達の置かれた今の状況については、リリスも承知しているはずだ。

誰もがシュニィさんを取り戻す為に、必死になっている。

この僕だってそうだ。

リリスが何か知っているなら、教えて欲しい。

「…分かってるよ。それは分かってる…」

「だったら…」

「でも…でも、駄目なんだよ。『アレ』は…人が話題にするようなことじゃないの」

「…」

「触れちゃいけないことなんだよ。関わったら、何が起きるか分からない…」

…成程。

それは確かに危険ですね。

「関わるも何も…。…既に関わってしまっているのでは?」

「それは…そうなんだけど。でも、蛇が出ると分かってる藪を、無理につつく必要はないと思うんだ」

リリスの言ってることはもっともですね。

でも僕は、蛇の出る藪を見つけたら、とりあえずつっつきたくなるタイプなんで。

「リリス、お忘れですか?僕は不死身ですよ。何が出てきたとしても、僕に恐れるものはありません」

どんな猛毒を持った大蛇が出てこようと、僕をどうにかすることは出来ない。

安心して、藪をつっつき回せば良い…と思うのだが?

しかし。

「ナジュ君は大丈夫でも…。他の皆はそうじゃないでしょ?」

…まぁ、そうですね。

「そんなに危険なんですか」

「危険だよ。人が触れちゃ駄目なの」

「学院長や羽久さん達は、そりゃ不死身ではありませんけど、僕より遥かに優秀な魔導師ですよ?それでも危険なんですか」

リリスは僕の質問に、こくりと頷いてみせた。

…成程、そうですか。

それでリリスは、頑なに詳細を説明してくれないんですね。

「…それは…冥界絡みの話ですか?獣とか罪人とか、僕にはさっぱりなんですが」

「…駄目だよ、ナジュ君。詮索しちゃいけない」

「虎穴に入らずんば虎子を得ず、なので」

それでシュニィさんが戻ってくるなら、皆さん喜んで虎穴にも飛び込むと思うんですがね。

あのアトラスさんって人は、特に。

…しかし。

「これ以上は駄目。話せないよ」

リリスは首を振ってそう言った。

…そうですか。

「関わっちゃ駄目なの。今すぐ手を引いて、お願い。私、ナジュ君を危険に晒したくないんだよ…」

「…」

「…このことは、もう忘れて。ね、お願いだから」

「…分かりました」

好きな女の子に「お願い」されて、断れるはずがありませんからね。

ここはリリスに従って、素直に引きますよ。





…今は、ね。
――――――…ルシェリート宅を訪ねた、その翌日。





「…シュニィちゃん、今頃どうしてるかな…」

皿の上のチョコケーキを、フォークの先でツンツンつっつきながら。

何とも行儀の悪いシルナは、机に突っ伏してそう呟いた。

昨日のアイナの方が、余程お行儀良かったぞ。

あの子本当良い子だよな。爪の垢を煎じて、シルナに飲ませてやりたい。

「…シュニィのことだ。今もきっと、何とか脱出する方法を探ってるはずだよ」

昨日アイナに会って、俺は確信したからな。

あんな良い子が待ってるのに、シュニィが諦めるはずがない。

シュニィもきっと今頃、諦めずに戻ってくる手段を探してるはずだ。

「そうだよね…!うん、そうに決まってる」

シルナはそう言って、ガバっと起き上がった。

ちょっと元気が出たらしいぞ。

「私達がくよくよしてたら駄目だよね!よし、景気づけにこのケーキを食べて、そして元気を出そう!」

「アイナはケーキを我慢出来るのにな。お前と来たら…」

「あー聞こえない聞こえなーい。私なーんにも聞こえなーい」

これが大人の態度か?とても信じられん。

アイナの方がよっぽど大人だ。

「のんびりしてる場合じゃないだろ。とにかく、少しでも手がかりを…」

と、俺が言いかけたそのとき。

「お邪魔しまーす」

「え?」

学院長室の扉が開いて、ナジュが入ってきた。

…。

…お前、何でここにいるんだ?

これには、シルナもびっくりして手が止まっていた。

「突然の英雄の凱旋に驚いているようですね」

誰が英雄だって?

「いや、お前…。…授業は?」

今、実技授業の時間じゃないの?

何でここにいるんだ。

「授業は…自習にしてきました」

何故?

「まともに授業やれよ。何で自習なんだ?」

授業サボってこんなところにいるって知られたら、イレースにぶっ飛ばされるぞ。

鬼教官が怖くないのか。

「鬼教官は怖いですけど。でも、鬼の居ぬ間に洗濯しようと思いまして」

「は…?」

「単刀直入に言いますね。…シュニィさんを誘拐した犯人の正体、分かったかもしれません」

「…!?」

俺もシルナも、互いに驚愕のあまり顔を見合わせた。
――――――…学院長先生達が、私を誘拐した犯人の正体に気づいた頃。

誘拐の実行犯であるマシュリさんが何者なのか、私もまた気づいていた。

…にわかには信じ難いことだけれど、実際マシュリさんを目の前にしたら、信じない訳にはいかなかった。

同時に、私は強い不安と焦燥に駆られた。

私の仲間達は、マシュリさんに辿り着くことが出来るだろうか?

まさか…このような人が犯人だと思いつくだろうが。

相手がマシュリさんでは、エリュティアさん得意の探索魔法でも、手がかりの一つも見つけられないだろう。

果たして私は、マシュリさんのもとから逃げ、もといた場所に帰れるのだろうか。

…いや、帰るのだ。

エリュティアさん達で見つけられないのなら、私が自ら逃げ出すしかなかった。

そしてその為には、何としてもマシュリさんを説得しなければならなかった。

でも…それは簡単ではなかった。

だって、マシュリさんは私が推し量ることの出来ない次元にいる。

彼の正体は…冥界の魔物。

もっと正しく言えば…魔物と人間のキメラ、なのだ。

「あなたは、ずっと…一人ぼっちで生きてきた、そうですよね?」

「…そうだよ」

と、マシュリさんは頷いた。

そうだろうと思う。

誰が理解出来るだろう。マシュリさんのことを。

「君はもう、僕が何者なのか分かってるんだね」

「…えぇ。確信は持てませんでしたが…」

私が誘拐されたときに見た、異形のバケモノ。

あれが、マシュリさんの正体。

…今でも、禍々しく思い出すことが出来る。

分厚く鋭い爪。ギョロギョロとした目。

くすんだ色をした、全身を覆う獣毛。

剥き出しの鋭い牙。

鋭利な鉤爪のような尻尾。

そして何より恐ろしいのが、左半身に生えた阿修羅のような三本の腕。

左右非対称な歪な姿が、脳裏に焼き付いて離れない。

あれが、マシュリさんの本当の姿。

「僕は…冥界の女王リリスに仕えし、ケルベロスの血を継ぐ魔物。そのケルベロスと人間のキメラ」

マシュリさんは、自分のことをそう説明した。

「半分は魔物で、半分は人間。どっちつかずで中途半端で、魔物でも人間でもない異形のバケモノ」

「…」

「冥界にいれば、『お前は魔物じゃない』と誹られて追い出され、かと言って現世にいても…『お前は人間じゃない』と迫害される。僕の正体を知った者は、皆そう言ったよ」

…そうですか。

そう…なのかもしれませんね。

人間は、自分と違う者を傷つけてしまう生き物だから。

人間とケルベロスのキメラ…。マシュリさんがこれまで、どれほど辛く苦しい思いをして生きてきたか。

考えるだけで、私まで胸を締め付けられる思いになる。

その労苦はきっと、私がアルデン人として生まれたせいで受けた苦しみより、遥かに辛いものだったに違いない。
マシュリさんは、「自分には何処にも居場所がない」と言った。

冥界にいても、現世にいても。

マシュリさんはどっちつかずで、魔物でも人間でもなくて。

そのせいで、どちらにいても余所者扱いされる。

この世界の何処にも、マシュリさんを受け入れてくれる場所はなかった。

「それどころか僕は…『罪人』のレッテルを貼られて、誰からも罵られ、蔑まれた」

「…『罪人』?」

それは、一体どういう意味で…。

「何故、人間とケルベロスのキメラなんて存在がこの世に生まれたと思う?」

と、マシュリさんは私に問いかけた。

…それは…。

マシュリさんが人間とケルベロスのキメラなのは分かった。

でも、何故そのような異形の存在が、この世に生まれたのか?

そのきっかけとなった出来事を、私は知らなかった。

「罪を犯したからだよ。…僕の先祖が」

「あなたの…先祖?」

「そう。僕も昔話として聞いたことがあるだけ…。でも、僕の先祖だったケルベロスが、現世にいたとある召喚魔導師と契約して…」

「…」

「その関係はいつの間にか、召喚魔導師と契約召喚魔ではなく、愛を交わす二人の男女になっていた」

…魔物と契約者である人間が、互いに愛し合う関係になったと?

ナジュさんとリリスさんのように?

「その結果生まれたのが、人間とケルベロスのキメラだった」

それが、マシュリさんが生まれた経緯だと言うのですか。

「でも…ケルベロスの種族達は、その禁忌を許さなかった」

「いけないのですか。人間と魔物が愛を交わしては」

「駄目に決まってる。恋愛ごっこだけならともかく、勝手に魔物の血を継いだ子供まで作るなんて」

「…」

私にも…覚えがない訳ではない。

アイナやレグルスが生まれたとき、アルデン人である私と、生粋のルーデュニア人であるアトラスさんの子を生むなんて、と。

私の聞こえないところで、そんな風に罵る人がいたことを知っている。

でも…マシュリさんは、それ以上だ。

だってマシュリさんのご先祖は、互いに種族の違う者同士が結ばれた。

魔物と人間、両方の血を継いでいるなんて…。

前代未聞と言っても良い。

これまでに聞いたこともない。マシュリさんが初めてだ。

そんな生き物が…存在していたなんて。

「それ以降、僕の先祖はケルベロスの種族の群れから追い出された。そして、人間と結ばれた『罪』を背負う運命を課せられたんだ」

「何なのですか、『罪』とは…」

「…それが、あの異形の姿をだよ。彼らの子孫は全員、あの姿で生まれる業を背負うことになったんだ」

…あぁ、そういうこと。

当事者である二人が亡くなった後も、その子孫達は未来永劫、永遠に「罪」を背負った姿で生まれる。

だから、マシュリさんも…。

「僕の親も、その親もその親も…。もし、僕に子孫が生まれたとしたら、その人達も皆、皆…罪を背負ったこの姿で生まれるんだ」

「…」

「…分かっただろう?僕がいかに…この世に存在してはいけないバケモノであるか」

先祖が犯した罪、人間との間に子供を為した罪を。

その遠い子孫であるマシュリさんが、未だに償い続けていると?

何という…悲しい話だろう。

マシュリさんには、何の罪もないというのに…。
冥界にいれば、魔物でも人間でもないバケモノだと迫害され。

かと言って現世にいても、今度はまた、異形のバケモノだと迫害される。

マシュリさんの居場所は、何処にもない。

だからこそ、アーリヤット皇国皇王直属軍に…『HOME』に招き入れられ。

例え不本意な命令でも、黙って従っている。

…それ以外に、マシュリさんが「居ても良い」場所がないから。

なんて悲しい話なんでしょう。

「アーリヤット皇王は、『HOME』に居ても良いと言った」

マシュリさんは、ポツリとそう溢した。

「天下の何処にも僕の居場所はないけど、命令に従って役に立つなら、『HOME』に居ても良いと」

「…それは…」

「役目を果たせず、『HOME』からも追い出されたら、僕にはもう…本当に、何処にも居場所がない」

そう呟くマシュリさんの顔は、今にも泣き出しそうで。

それはまるで、小さい子供が親を求めて泣きべそをかいているかのようで。

私は、堪らない気持ちになった。

…どうしてなんですか。

どうして、何の罪もないマシュリさんが「罪人」の汚名を着せられ。

異形の姿を背負わされ、誰からも石を投げられ、唾を吐きかけられて。

居場所を求めて、一人ぼっちで彷徨わなければならないのか。

マシュリさんが何をしたと言うんですか?

彼は何も…何も悪いことなんてしてないのに。

「お願いだよ、シュニィ・ルシェリート。君はここにいてくれ。…君を傷つけたりはしないから」

マシュリさんは、私にそう懇願した。

「皇王は君を捕らえることで、聖魔騎士団を弱体化させるのが目的なんだ。その目的さえ果たせれば、君を殺す必要はない」

「…」

「僕も、自分の使命を果たせる。居場所を失わずに済むんだ。…だから、君はここにいて欲しい。悪いようにはしないと約束するから」

…そんな顔で、そんな泣きそうな顔で頼まれたら。

私とて、「嫌です」とは言えなかった。

だって私が逃げたら、マシュリさんはナツキ様に「役立たず」の烙印を押されてしまう。

結果、マシュリさんは『HOME』から追い出され、また居場所をなくしてしまう…。

…行く宛もなく、一人で彷徨う辛さと苦しさを、私はよく知っている。

知っているからこそ、マシュリさんにその重荷を背負わせたくはなかった。

…けれど。

そういう訳にはいかなかった。

だって、私はもう…一人だけの命ではない。

こんな私を、今も愛してくれる人がいるのだから。

「…それは出来ません、マシュリさん」

故に、私はきっぱりとそう答えた。

ごめんなさい、マシュリさん。

私は、あなたの言うことに従う訳にはいかないのです。