幸い、ルシェリート宅に上げてはもらったけども。
冷静に考えたら、アイナはともかく弟のレグルスの方は、まだケーキ食べられる年齢じゃないんだよな。
それなのに人数分ケーキ買ってきたシルナって、一体。
「ほらほらアイナちゃ~ん、ケーキあるよ。アイナちゃんはどのケーキが好き?チョコクリーム?ガトーショコラ?ザッハトルテ?」
全部チョコかよ。
「アイナ、イチゴが良い」
だってよ。残念だったなシルナ。
こんなこともあろうかと、イチゴのショートケーキも買ってきておいて正解だった。
寝る前にケーキを食べるなんて、よろしくないと分かってはいるのだが…。
今日くらいは特別に許して欲しい。ごめんなシュニィ。
しかし、アイナは俺達なんかより、遥かにきっちり躾けられていた。
「じゃあ、はいっアイナちゃん。ケーキどうぞ」
シルナが差し出したケーキの皿を前に、アイナはふるふると首を横に振った。
え?
「寝る前に甘い物食べちゃ駄目って、お母様が言ってた」
だってよ。
シルナ、お前に言ってんだぞ。聞いたか?
「だから、アイナ明日食べる」
「な…なんて良い子なんだ、アイナちゃんは…!?」
「シルナ…。お前より遥かに出来た子だよ」
寝る前だろうが朝イチだろうが、ケーキを前に我慢するということが出来ないシルナに、見習って欲しい。
幼児に理性で負けるシルナって、一体。
「で、でもほら。今日くらい良いんじゃないかな?たまにだから。ね?いつもじゃないんだから」
悪魔の囁きやめろ。
「一緒に食べようよ。大丈夫大丈夫、食べても怒らないでって、お父さんとお母さんに私から頼んでおくから」
シュニィはともかく、アトラスは頼まなくても許してくれそうだけどな。
「…本当?」
「うん、本当本当。良い子だねーアイナちゃんは。よしよし、じゃあ一緒にケーキを…」
「…やっぱり要らない」
決意の固い幼児である。
すげーよ…。シルナだったら、ケーキをチラつかせたらあっという間に理性を失ってるだろうに。
「ど、どうして?」
「…アイナね、ケーキより、お母様に早く帰ってきて欲しい」
「…!」
…これは痛いところ突かれたな。
そりゃそうだよな。
シュニィに比べたら、イチゴのショートケーキなんて全く無価値も同然だ。
シルナには悪いけど。
「…そうですね」
ナジュが、アイナの髪の毛を撫でながら頷いた。
「良い子にしてたら、お母さんが早く帰ってきてくれる…。…ですよね?」
「…うん」
…そうか。
…そうだったら良いよな、本当に。
「だから、アイナは良い子でいるの。寂しくても…泣かずに、待つの」
「…」
「そうしたら…お母様は帰ってきてくれる、よね…?」
…敵わないな、子供相手に。
アイナは分かってるのだ。シュニィの不在は、ただの出張任務じゃないんだって。
辛くて寂しくて堪らないだろうに、必死に我慢して…。
「…勿論だよ、アイナちゃん」
シルナは、優しくアイナに微笑みかけた。
他に何て言って慰めてあげられただろう。
こんないじらしい子供に。
「アイナちゃんは、とっても良い子だからね。きっともうすぐ、お母さんは帰ってきてくれるよ」
何の保証もない、ただの気休めだ。
だが、そう言って慰める以外、俺達に出来ることはない。
「もう少し…もう少しだけ我慢しようね。そうしたら、きっと帰ってきてくれるから。お母さんが帰ってきたら、アイナちゃんがどんなに良い子だったか、お母さんに話してあげるよ」
全くだ。
シルナなんかより遥かに良い子だったって、胸を張ってシュニィに報告出来るぞ。
だからそのときは、たくさん褒めてもらえるだろう。
「出来る?我慢出来る?」
「…うん!」
アイナは力強く、こくりと頷いた。
よし、良い子だ。
「うん。頑張ろうね、アイナちゃん。あと少しだから」
シュニィがいつ戻ってくる…どころか。
本当は、シュニィの居場所について、全く目処もついていないのに。
それでもアイナに対して、このように無責任な約束をした。
こんなことをしたら、結果的に余計アイナを深く傷つけてしまう事態になりかねない。
それは俺にも、シルナにも分かっている。
…しかし、同時に俺は確信していのだ。
きっとシルナもそうだろう。
こんな聞き分けの良い、立派な娘がいるのに。
あのシュニィが、娘達を置き去りにして消えるはずがない。
必ず戻ってくるはずだ。
いや…戻ってこさせる。
そして戻ってきたシュニィに、アイナの頭を撫でて褒めてあげるよう頼むのだ。
そのときまで、俺達は決して諦めるつもりはない。
――――――…ルシェリート家の屋敷を後にし。
その日の夜、僕は遅くに床についた。
ベッドに横になって、寝室の天井をボーッと見上げながら。
僕が考えていたのは、先程のいじらしい幼女のことではなく。
夕方、聖魔騎士団魔導部隊隊舎にある、シュニィ・ルシェリートの執務室に行ったとき。
あのとき感じた、不思議な違和感のこと。
「獣臭い」って言っただろう?僕。
あれ、一体何だったんだろう。
シュニィさんの部屋に入った途端、僕は強烈な獣臭さを感じた。
分かるだろうか。何て言うか…動物園の猛獣エリアに入ったみたいな。
動物特有の、鼻につく匂いだった。
犬か猫でも飼ってるのか、って咄嗟に聞いてしまったけど。
犬や猫みたいな、小さな動物の匂いじゃなかったな。ライオンとかヒョウみたいな、大きな猛獣を思わせる強烈な匂いだった。
しかし、あの場にいた僕以外の誰一人、そんな匂いは感じないと言った。
あの場で僕だけが、謎の獣臭い匂いを感じ取ったのだ。
不思議なことがあるものだ。
あの場の全員の心を覗いてみたけど、どうやら嘘をついている訳ではなく。
本当に、僕以外の誰も、そんな匂いを感じてはいなかったのだ。
むしろ、僕が嘘をついているんじゃないか?みたいな空気だった。
まぁ、僕一人だけが「獣臭い」と言ったって、周りの全員は何も感じていないのだから。
そりゃ僕の方がおかしいんじゃないか、と思われても無理もないんですが。
でも、嘘ではないんですよ。
本当に僕は…獣臭い匂いを感じたんです。
あれは何だったんだろう。
僕だけが感じて、他には誰も感じなかった…。これって結構妙ですよね?
ジュリスさん曰く、ベリクリーデさんがあの部屋に入ったときも、気になる証言をしていたらしい。
あの人は神の器という特別な存在だから、常人では感じられない「何か」を感じ取っていてもおかしくない。
同じ理屈で、羽久さんも「何か」を感じるのではないか…と思われたが、そんなことはなく。
代わりに、何故か僕が妙な「何か」を感じ取った。
しかもその「何か」は、全く根拠のない獣臭い匂いだけ。
…意味不明ですよ。
確かに僕はあのとき、おかしな匂いを感じた…と断言出来る。
が、こうして一人になって冷静に考えてみると…。
あまりに意味不明で、荒唐無稽で、根拠薄弱で。
やっぱり、僕の気の所為だったんじゃないかと思ってしまう。
気の所為…じゃないはずなんですけど…。
…。
…そういえば。
僕は微睡みながら、ふと思い出した。
僕だけじゃなくて…吐月さんって言う召喚魔導師と契約している魔物…。
ベルフェゴールさんだっけ?
あの魔物も、急に出てきたと思ったら、気になる発言をしていたな…。
いくつか証言は集まっているのに、どれも整合性が取れなくて、意味が分からない。
ますます分からなくなるばかりだ。
…そこまで考えて、僕は思考するのをやめ。
睡魔に従って、夢の中に入っていった。
「…あれ」
気がついたら、僕は自分の精神世界にやって来ていた。
どうやら、現実の僕はお休み中のようですね。
精神世界にやって来たということは、僕はこれからフィーバータイムなのでは?
…いや、残念ながら…今夜はそういう気分にはなれないのだが。
うーん、情けない。
でも、さすがに僕だって、今は呑気している余裕がないことくらい分かってますから。
それより、リリスにも意見を聞いて、シュニィさんの居場所を…、
「…え?」
「…ナジュ君…」
精神世界で僕を待っていた、僕の契約者にして恋人。
『冥界の女王』リリスは、不安そうな表情で僕を見つめていた。
…何事ですか。
あなたにそんな顔をさせる輩は、全員僕がぶっ飛ばしてあげますよ。
「どうしたんですか、リリス…」
残念ながら、僕のお得意の読心魔法は、リリス相手には通じないのである。
「ナジュ君…。君、一体何と戦おうとしてるの?」
「…はい?」
…。
…ちょっと、よく意味が分からないんですけど。
リリスが凄く不安そうな顔をしているから、良くないことなんだろうなというのは分かる。
何が良くないのかは分からないけど…。
「駄目だよ、ナジュ君。『アレ』に手を出したら駄目。無視するべきだよ」
大事な警告をしてくれてるんだろうとは思うんだが、何のことか分かりません。
ちょっと…順を追って説明して欲しいですね。
「何のことですか、リリス。『アレ』って何ですか?」
「…『アレ』は獣だよ。獣であって…。…罪人だ」
「…」
「この世に存在してはいけないモノなの。だから、近づいたら駄目。下手なことをしたら、ナジュ君や…他の皆まで命を脅かされるかもしれないんだよ」
…成程、分からん。
分からんけど、リリスがとても重要な情報を教えてくれてるんだってことは、よく分かりますよ。
そして、もう一つ分かったのは…。
夕方、僕がシュニィさんの部屋で感じた獣の匂い。
あれは気の所為なんかじゃなかった、ってことですね。
やっぱり本当だったんだ。
僕だけじゃなくて、リリスも感じていた。
…いや、むしろ逆か?
リリスが感じたからこそ、僕にも伝播して伝わっていたのかも。
もしそうなら、納得が出来る。
「…詳しく説明してもらえますか、リリス」
「…それは…」
と、言い淀むリリス。
成程、そういうことですか。
ベルフェゴールさんという魔物が、契約者である吐月さんにも事情を詳しく話そうとしなかった。
逃げるように姿を消して、説明を避けた。
そして今、僕がこうしてリリスに尋ねても。
リリスは答えに窮し、視線を逸らして説明を避けている。
あの部屋には、「魔物だけが感じ取れる何か」があるのだ。
これが分かっただけでも、かなりの収穫なのでは?
「リリス…。話してもらえませんか?」
答えたくないと思っている相手に、無理矢理聞くのはよろしくないかもしれないが。
でも、必ずシュニィさんを帰らせると、幼女と約束しちゃいましたからね。
イケメンカリスマ教師は、約束を守りますよ。
少なくとも、僕に出来る努力は何でもしましょう。
「…それは…」
しかし、なおもリリスは言い淀んでいた。
僕に警告はしてくれるのに、何故警告するのかについては話せない、と?
「お願いです、リリス。人一人の命が懸かってるんです」
リリスは現実世界で、僕と同じものを見て、同じものを聞いている。
だから、僕達の置かれた今の状況については、リリスも承知しているはずだ。
誰もがシュニィさんを取り戻す為に、必死になっている。
この僕だってそうだ。
リリスが何か知っているなら、教えて欲しい。
「…分かってるよ。それは分かってる…」
「だったら…」
「でも…でも、駄目なんだよ。『アレ』は…人が話題にするようなことじゃないの」
「…」
「触れちゃいけないことなんだよ。関わったら、何が起きるか分からない…」
…成程。
それは確かに危険ですね。
「関わるも何も…。…既に関わってしまっているのでは?」
「それは…そうなんだけど。でも、蛇が出ると分かってる藪を、無理につつく必要はないと思うんだ」
リリスの言ってることはもっともですね。
でも僕は、蛇の出る藪を見つけたら、とりあえずつっつきたくなるタイプなんで。
「リリス、お忘れですか?僕は不死身ですよ。何が出てきたとしても、僕に恐れるものはありません」
どんな猛毒を持った大蛇が出てこようと、僕をどうにかすることは出来ない。
安心して、藪をつっつき回せば良い…と思うのだが?
しかし。
「ナジュ君は大丈夫でも…。他の皆はそうじゃないでしょ?」
…まぁ、そうですね。
「そんなに危険なんですか」
「危険だよ。人が触れちゃ駄目なの」
「学院長や羽久さん達は、そりゃ不死身ではありませんけど、僕より遥かに優秀な魔導師ですよ?それでも危険なんですか」
リリスは僕の質問に、こくりと頷いてみせた。
…成程、そうですか。
それでリリスは、頑なに詳細を説明してくれないんですね。
「…それは…冥界絡みの話ですか?獣とか罪人とか、僕にはさっぱりなんですが」
「…駄目だよ、ナジュ君。詮索しちゃいけない」
「虎穴に入らずんば虎子を得ず、なので」
それでシュニィさんが戻ってくるなら、皆さん喜んで虎穴にも飛び込むと思うんですがね。
あのアトラスさんって人は、特に。
…しかし。
「これ以上は駄目。話せないよ」
リリスは首を振ってそう言った。
…そうですか。
「関わっちゃ駄目なの。今すぐ手を引いて、お願い。私、ナジュ君を危険に晒したくないんだよ…」
「…」
「…このことは、もう忘れて。ね、お願いだから」
「…分かりました」
好きな女の子に「お願い」されて、断れるはずがありませんからね。
ここはリリスに従って、素直に引きますよ。
…今は、ね。
――――――…ルシェリート宅を訪ねた、その翌日。
「…シュニィちゃん、今頃どうしてるかな…」
皿の上のチョコケーキを、フォークの先でツンツンつっつきながら。
何とも行儀の悪いシルナは、机に突っ伏してそう呟いた。
昨日のアイナの方が、余程お行儀良かったぞ。
あの子本当良い子だよな。爪の垢を煎じて、シルナに飲ませてやりたい。
「…シュニィのことだ。今もきっと、何とか脱出する方法を探ってるはずだよ」
昨日アイナに会って、俺は確信したからな。
あんな良い子が待ってるのに、シュニィが諦めるはずがない。
シュニィもきっと今頃、諦めずに戻ってくる手段を探してるはずだ。
「そうだよね…!うん、そうに決まってる」
シルナはそう言って、ガバっと起き上がった。
ちょっと元気が出たらしいぞ。
「私達がくよくよしてたら駄目だよね!よし、景気づけにこのケーキを食べて、そして元気を出そう!」
「アイナはケーキを我慢出来るのにな。お前と来たら…」
「あー聞こえない聞こえなーい。私なーんにも聞こえなーい」
これが大人の態度か?とても信じられん。
アイナの方がよっぽど大人だ。
「のんびりしてる場合じゃないだろ。とにかく、少しでも手がかりを…」
と、俺が言いかけたそのとき。
「お邪魔しまーす」
「え?」
学院長室の扉が開いて、ナジュが入ってきた。
…。
…お前、何でここにいるんだ?
これには、シルナもびっくりして手が止まっていた。
「突然の英雄の凱旋に驚いているようですね」
誰が英雄だって?
「いや、お前…。…授業は?」
今、実技授業の時間じゃないの?
何でここにいるんだ。
「授業は…自習にしてきました」
何故?
「まともに授業やれよ。何で自習なんだ?」
授業サボってこんなところにいるって知られたら、イレースにぶっ飛ばされるぞ。
鬼教官が怖くないのか。
「鬼教官は怖いですけど。でも、鬼の居ぬ間に洗濯しようと思いまして」
「は…?」
「単刀直入に言いますね。…シュニィさんを誘拐した犯人の正体、分かったかもしれません」
「…!?」
俺もシルナも、互いに驚愕のあまり顔を見合わせた。
――――――…学院長先生達が、私を誘拐した犯人の正体に気づいた頃。
誘拐の実行犯であるマシュリさんが何者なのか、私もまた気づいていた。
…にわかには信じ難いことだけれど、実際マシュリさんを目の前にしたら、信じない訳にはいかなかった。
同時に、私は強い不安と焦燥に駆られた。
私の仲間達は、マシュリさんに辿り着くことが出来るだろうか?
まさか…このような人が犯人だと思いつくだろうが。
相手がマシュリさんでは、エリュティアさん得意の探索魔法でも、手がかりの一つも見つけられないだろう。
果たして私は、マシュリさんのもとから逃げ、もといた場所に帰れるのだろうか。
…いや、帰るのだ。
エリュティアさん達で見つけられないのなら、私が自ら逃げ出すしかなかった。
そしてその為には、何としてもマシュリさんを説得しなければならなかった。
でも…それは簡単ではなかった。
だって、マシュリさんは私が推し量ることの出来ない次元にいる。
彼の正体は…冥界の魔物。
もっと正しく言えば…魔物と人間のキメラ、なのだ。
「あなたは、ずっと…一人ぼっちで生きてきた、そうですよね?」
「…そうだよ」
と、マシュリさんは頷いた。
そうだろうと思う。
誰が理解出来るだろう。マシュリさんのことを。
「君はもう、僕が何者なのか分かってるんだね」
「…えぇ。確信は持てませんでしたが…」
私が誘拐されたときに見た、異形のバケモノ。
あれが、マシュリさんの正体。
…今でも、禍々しく思い出すことが出来る。
分厚く鋭い爪。ギョロギョロとした目。
くすんだ色をした、全身を覆う獣毛。
剥き出しの鋭い牙。
鋭利な鉤爪のような尻尾。
そして何より恐ろしいのが、左半身に生えた阿修羅のような三本の腕。
左右非対称な歪な姿が、脳裏に焼き付いて離れない。
あれが、マシュリさんの本当の姿。
「僕は…冥界の女王リリスに仕えし、ケルベロスの血を継ぐ魔物。そのケルベロスと人間のキメラ」
マシュリさんは、自分のことをそう説明した。
「半分は魔物で、半分は人間。どっちつかずで中途半端で、魔物でも人間でもない異形のバケモノ」
「…」
「冥界にいれば、『お前は魔物じゃない』と誹られて追い出され、かと言って現世にいても…『お前は人間じゃない』と迫害される。僕の正体を知った者は、皆そう言ったよ」
…そうですか。
そう…なのかもしれませんね。
人間は、自分と違う者を傷つけてしまう生き物だから。
人間とケルベロスのキメラ…。マシュリさんがこれまで、どれほど辛く苦しい思いをして生きてきたか。
考えるだけで、私まで胸を締め付けられる思いになる。
その労苦はきっと、私がアルデン人として生まれたせいで受けた苦しみより、遥かに辛いものだったに違いない。
マシュリさんは、「自分には何処にも居場所がない」と言った。
冥界にいても、現世にいても。
マシュリさんはどっちつかずで、魔物でも人間でもなくて。
そのせいで、どちらにいても余所者扱いされる。
この世界の何処にも、マシュリさんを受け入れてくれる場所はなかった。
「それどころか僕は…『罪人』のレッテルを貼られて、誰からも罵られ、蔑まれた」
「…『罪人』?」
それは、一体どういう意味で…。
「何故、人間とケルベロスのキメラなんて存在がこの世に生まれたと思う?」
と、マシュリさんは私に問いかけた。
…それは…。
マシュリさんが人間とケルベロスのキメラなのは分かった。
でも、何故そのような異形の存在が、この世に生まれたのか?
そのきっかけとなった出来事を、私は知らなかった。
「罪を犯したからだよ。…僕の先祖が」
「あなたの…先祖?」
「そう。僕も昔話として聞いたことがあるだけ…。でも、僕の先祖だったケルベロスが、現世にいたとある召喚魔導師と契約して…」
「…」
「その関係はいつの間にか、召喚魔導師と契約召喚魔ではなく、愛を交わす二人の男女になっていた」
…魔物と契約者である人間が、互いに愛し合う関係になったと?
ナジュさんとリリスさんのように?
「その結果生まれたのが、人間とケルベロスのキメラだった」
それが、マシュリさんが生まれた経緯だと言うのですか。
「でも…ケルベロスの種族達は、その禁忌を許さなかった」
「いけないのですか。人間と魔物が愛を交わしては」
「駄目に決まってる。恋愛ごっこだけならともかく、勝手に魔物の血を継いだ子供まで作るなんて」
「…」
私にも…覚えがない訳ではない。
アイナやレグルスが生まれたとき、アルデン人である私と、生粋のルーデュニア人であるアトラスさんの子を生むなんて、と。
私の聞こえないところで、そんな風に罵る人がいたことを知っている。
でも…マシュリさんは、それ以上だ。
だってマシュリさんのご先祖は、互いに種族の違う者同士が結ばれた。
魔物と人間、両方の血を継いでいるなんて…。
前代未聞と言っても良い。
これまでに聞いたこともない。マシュリさんが初めてだ。
そんな生き物が…存在していたなんて。
「それ以降、僕の先祖はケルベロスの種族の群れから追い出された。そして、人間と結ばれた『罪』を背負う運命を課せられたんだ」
「何なのですか、『罪』とは…」
「…それが、あの異形の姿をだよ。彼らの子孫は全員、あの姿で生まれる業を背負うことになったんだ」
…あぁ、そういうこと。
当事者である二人が亡くなった後も、その子孫達は未来永劫、永遠に「罪」を背負った姿で生まれる。
だから、マシュリさんも…。
「僕の親も、その親もその親も…。もし、僕に子孫が生まれたとしたら、その人達も皆、皆…罪を背負ったこの姿で生まれるんだ」
「…」
「…分かっただろう?僕がいかに…この世に存在してはいけないバケモノであるか」
先祖が犯した罪、人間との間に子供を為した罪を。
その遠い子孫であるマシュリさんが、未だに償い続けていると?
何という…悲しい話だろう。
マシュリさんには、何の罪もないというのに…。
冥界にいれば、魔物でも人間でもないバケモノだと迫害され。
かと言って現世にいても、今度はまた、異形のバケモノだと迫害される。
マシュリさんの居場所は、何処にもない。
だからこそ、アーリヤット皇国皇王直属軍に…『HOME』に招き入れられ。
例え不本意な命令でも、黙って従っている。
…それ以外に、マシュリさんが「居ても良い」場所がないから。
なんて悲しい話なんでしょう。
「アーリヤット皇王は、『HOME』に居ても良いと言った」
マシュリさんは、ポツリとそう溢した。
「天下の何処にも僕の居場所はないけど、命令に従って役に立つなら、『HOME』に居ても良いと」
「…それは…」
「役目を果たせず、『HOME』からも追い出されたら、僕にはもう…本当に、何処にも居場所がない」
そう呟くマシュリさんの顔は、今にも泣き出しそうで。
それはまるで、小さい子供が親を求めて泣きべそをかいているかのようで。
私は、堪らない気持ちになった。
…どうしてなんですか。
どうして、何の罪もないマシュリさんが「罪人」の汚名を着せられ。
異形の姿を背負わされ、誰からも石を投げられ、唾を吐きかけられて。
居場所を求めて、一人ぼっちで彷徨わなければならないのか。
マシュリさんが何をしたと言うんですか?
彼は何も…何も悪いことなんてしてないのに。
「お願いだよ、シュニィ・ルシェリート。君はここにいてくれ。…君を傷つけたりはしないから」
マシュリさんは、私にそう懇願した。
「皇王は君を捕らえることで、聖魔騎士団を弱体化させるのが目的なんだ。その目的さえ果たせれば、君を殺す必要はない」
「…」
「僕も、自分の使命を果たせる。居場所を失わずに済むんだ。…だから、君はここにいて欲しい。悪いようにはしないと約束するから」
…そんな顔で、そんな泣きそうな顔で頼まれたら。
私とて、「嫌です」とは言えなかった。
だって私が逃げたら、マシュリさんはナツキ様に「役立たず」の烙印を押されてしまう。
結果、マシュリさんは『HOME』から追い出され、また居場所をなくしてしまう…。
…行く宛もなく、一人で彷徨う辛さと苦しさを、私はよく知っている。
知っているからこそ、マシュリさんにその重荷を背負わせたくはなかった。
…けれど。
そういう訳にはいかなかった。
だって、私はもう…一人だけの命ではない。
こんな私を、今も愛してくれる人がいるのだから。
「…それは出来ません、マシュリさん」
故に、私はきっぱりとそう答えた。
ごめんなさい、マシュリさん。
私は、あなたの言うことに従う訳にはいかないのです。