「仕方ないよ、吐月君。今はまだ分からないことがたくさんあり過ぎるから」
「でも…ベルフェゴールは、明らかに何か知っていました」
シルナが励ますも、吐月はそう言って食い下がった。
…そうだな。あの様子だと…。
恐らくこれまで、この場に立ち会った者の中で一番…。
シュニィを誘拐した犯人について、目星がついているように見えた。
出来れば、それが誰なのか教えて欲しかったのだが…。
とんだ「お預け」を食らってしまった。
「ベルフェゴールが話してくれたら…。シュニィ隊長の居場所が分かるかもしれない」
「でもあの様子じゃ、ベルフェゴールは喋る気はなさそうだぞ」
「そもそも…『人間が知ってはいけないこと』というのは何でしょう?」
…分からないな。
さっきまでも充分深かった謎が、更にその深度を増していく…。
「…」
またしても、無言に陥る一同。
…参ったな。本当に手詰まりだ。
「…俺、何とかベルフェゴールに聞いてみます。少しでも情報を集めないと…」
吐月が沈黙を破ってそう言った。
…話したくないって言ってる奴を、無理矢理問い詰めるのは気分が悪いが。
今は、ベルフェゴールの持っている情報に期待するしかないか。
「…悪いな、吐月」
「いえ…。シュニィ隊長の…ひいては、聖魔騎士団の為ですから」
吐月だけに任せてはいられないな。
俺達も、自分の出来ることをしなくては。
一刻も早く…シュニィを、生きて連れ戻す為に。
…何とも煮えきらない空気のまま、結局この日は、それ以上の情報は何も出てこず。
その場はお開きとなった。
聖魔騎士団魔導隊舎を出る頃には、既に日が落ちていた。
このままイーニシュフェルト魔導学院に帰ると思っていたのだが…。
「羽久、ナジュ君。ちょっと寄り道して帰っても良いかな?」
と、シルナが言い出した。
…寄り道…?
「何だよ。またおやつでも買って帰るのか?」
お前って奴は、こんなときに。
おやつ食ってる場合じゃないだろ。
しかし。
「違うよ。ちょっと…会いたい人がいて」
「誰だ?」
「シュニィちゃんの家に行こうと思って。アイナちゃんとレグルス君の様子…見ておきたいんだ」
…あぁ、成程。
それは…確かに重要だな。
「シュニィちゃんがいなくなって、もう一週間…。二人共、きっと寂しがってるだろうね」
「…そうだな…」
シュニィとアトラスの子供達、アイナとレグルス。
二人共まだ幼く、母親が必要な年齢である。
シュニィの不在を、子供達には「海外への出張任務だ」と説明しているらしいが…。
さすがに…そろそろ、騙すのは限界なんじゃないだろうか。
お姉ちゃんのアイナの方はまだしも、レグルスはまだ…母親の仕事なんて理解出来る歳じゃない。
寂しがってるに違いない。
「ケーキでも買っていこう。喜んでくれるも良いんだけど…」
「シルナにしては、珍しくまともな提案だ。分かった、行こうか」
「羽久がまた私に失礼なこと言ってるけど…。…その前に、羽久」
…何だよ?
「私の分も、ケーキ買ってって良いかな?」
「…好きにしろよ」
やっぱり自分の分も、おやつ買いに寄り道するんじゃないかよ。
ちょっと見直した俺が馬鹿だった。
ルシェリート宅に着くと、子供達の世話係兼家政婦の、エレンという女性が迎えてくれた。
シュニィとアトラスの同僚である旨を説明して、家に上げてもらった。
…すると。
人が訪ねてきた音を聞きつけたのだろう。
小さな足音が、廊下の向こうからパタパタと近づいてきた。
「お父様、お母様、お帰りなさ…」
嬉しそうな笑顔を浮かべて、寝間着姿のアイナが姿を現した。
…の、だが。
「あっ…」
「…」
てっきり両親が帰ってきてくれた、と喜んで迎えに来たのに。
やって来たのは冴えないおっさんと、その付き添い二人。
アイナの笑顔が凍りつき、みるみるうちに失望と落胆に変わった。
…すげー罪悪感。めちゃくちゃ申し訳ない。
ごめんな、お父様とお母様じゃなくて。
「あ、アイナちゃん…」
「…」
しょんぼりと俯き、パジャマの裾を両手でぎゅっと握るアイナ。
俺達、悪いこと何もしてないはずなんだが。
物凄い大罪を犯した気分になってきた。
「あ、あのねアイナちゃん。ケーキ、ケーキあるんだよ。ほらっ」
シルナは何とかアイナの機嫌を取ろうと、白いケーキボックスを掲げて見せた。
しかし、世の中の誰もがお前のように、ケーキに釣られて機嫌を直すと思ったら大間違い。
「…うん…」
アイナはちらりとケーキボックスを見ただけで、この反応だった。
そりゃそうだよな。
おっさんとケーキなんかより、早くお父様とお母様に帰ってきて欲しいよな。
「あ、アイナちゃん、あのね。私、アトラス君…君のお父さんとお母さんの知り合いでね」
「…」
「アイナちゃんとレグルス君に会いに来たんだ。一緒にケーキ食べようよ、ねっ」
必死にご機嫌を取ろうと、優しい言葉をかけてるつもりなんだろうが。
…どう見ても、道端で小さい女の子に良からぬことを企んでいる犯罪者にしか見えない。
最低なおっさんだ。
「うわぁぁぁん、羽久が私に失礼なこと考えてる気がする〜っ!」
良いから、その犯罪臭漂う気持ち悪い笑顔をやめろって。
すると。
「大丈夫ですよ。ちょっと、お兄さん達とお喋りしましょうか」
スッと屈んで、アイナと視線を合わせ。
万人を騙す魔性の笑みを浮かべたナジュが、アイナに向かって声をかけた。
凄い。
シルナがやると犯罪以外の何者でもないのに、ナジュがやると優しいお兄さんに見える。
世の中って、不条理なんだな。
そして、案の定。
「…うん」
シルナに誘われても無言だったのに、ナジュに誘われると、アイナは素直にこくりと頷いた。
よし、お手柄だぞナジュ。
「やるじゃないか、見直したぞ」
「でしょう?こう見えて、イーニシュフェルト魔導学院のイケメンカリスマ教師ですから」
自称イケメンカリスマ教師は伊達じゃない、ってか?
「…負けた…。負けた気がする…」
と、シルナがぶつぶつ呟いていた。
気がするんじゃなくて、普通に惨敗だったよ、お前。
幸い、ルシェリート宅に上げてはもらったけども。
冷静に考えたら、アイナはともかく弟のレグルスの方は、まだケーキ食べられる年齢じゃないんだよな。
それなのに人数分ケーキ買ってきたシルナって、一体。
「ほらほらアイナちゃ~ん、ケーキあるよ。アイナちゃんはどのケーキが好き?チョコクリーム?ガトーショコラ?ザッハトルテ?」
全部チョコかよ。
「アイナ、イチゴが良い」
だってよ。残念だったなシルナ。
こんなこともあろうかと、イチゴのショートケーキも買ってきておいて正解だった。
寝る前にケーキを食べるなんて、よろしくないと分かってはいるのだが…。
今日くらいは特別に許して欲しい。ごめんなシュニィ。
しかし、アイナは俺達なんかより、遥かにきっちり躾けられていた。
「じゃあ、はいっアイナちゃん。ケーキどうぞ」
シルナが差し出したケーキの皿を前に、アイナはふるふると首を横に振った。
え?
「寝る前に甘い物食べちゃ駄目って、お母様が言ってた」
だってよ。
シルナ、お前に言ってんだぞ。聞いたか?
「だから、アイナ明日食べる」
「な…なんて良い子なんだ、アイナちゃんは…!?」
「シルナ…。お前より遥かに出来た子だよ」
寝る前だろうが朝イチだろうが、ケーキを前に我慢するということが出来ないシルナに、見習って欲しい。
幼児に理性で負けるシルナって、一体。
「で、でもほら。今日くらい良いんじゃないかな?たまにだから。ね?いつもじゃないんだから」
悪魔の囁きやめろ。
「一緒に食べようよ。大丈夫大丈夫、食べても怒らないでって、お父さんとお母さんに私から頼んでおくから」
シュニィはともかく、アトラスは頼まなくても許してくれそうだけどな。
「…本当?」
「うん、本当本当。良い子だねーアイナちゃんは。よしよし、じゃあ一緒にケーキを…」
「…やっぱり要らない」
決意の固い幼児である。
すげーよ…。シルナだったら、ケーキをチラつかせたらあっという間に理性を失ってるだろうに。
「ど、どうして?」
「…アイナね、ケーキより、お母様に早く帰ってきて欲しい」
「…!」
…これは痛いところ突かれたな。
そりゃそうだよな。
シュニィに比べたら、イチゴのショートケーキなんて全く無価値も同然だ。
シルナには悪いけど。
「…そうですね」
ナジュが、アイナの髪の毛を撫でながら頷いた。
「良い子にしてたら、お母さんが早く帰ってきてくれる…。…ですよね?」
「…うん」
…そうか。
…そうだったら良いよな、本当に。
「だから、アイナは良い子でいるの。寂しくても…泣かずに、待つの」
「…」
「そうしたら…お母様は帰ってきてくれる、よね…?」
…敵わないな、子供相手に。
アイナは分かってるのだ。シュニィの不在は、ただの出張任務じゃないんだって。
辛くて寂しくて堪らないだろうに、必死に我慢して…。
「…勿論だよ、アイナちゃん」
シルナは、優しくアイナに微笑みかけた。
他に何て言って慰めてあげられただろう。
こんないじらしい子供に。
「アイナちゃんは、とっても良い子だからね。きっともうすぐ、お母さんは帰ってきてくれるよ」
何の保証もない、ただの気休めだ。
だが、そう言って慰める以外、俺達に出来ることはない。
「もう少し…もう少しだけ我慢しようね。そうしたら、きっと帰ってきてくれるから。お母さんが帰ってきたら、アイナちゃんがどんなに良い子だったか、お母さんに話してあげるよ」
全くだ。
シルナなんかより遥かに良い子だったって、胸を張ってシュニィに報告出来るぞ。
だからそのときは、たくさん褒めてもらえるだろう。
「出来る?我慢出来る?」
「…うん!」
アイナは力強く、こくりと頷いた。
よし、良い子だ。
「うん。頑張ろうね、アイナちゃん。あと少しだから」
シュニィがいつ戻ってくる…どころか。
本当は、シュニィの居場所について、全く目処もついていないのに。
それでもアイナに対して、このように無責任な約束をした。
こんなことをしたら、結果的に余計アイナを深く傷つけてしまう事態になりかねない。
それは俺にも、シルナにも分かっている。
…しかし、同時に俺は確信していのだ。
きっとシルナもそうだろう。
こんな聞き分けの良い、立派な娘がいるのに。
あのシュニィが、娘達を置き去りにして消えるはずがない。
必ず戻ってくるはずだ。
いや…戻ってこさせる。
そして戻ってきたシュニィに、アイナの頭を撫でて褒めてあげるよう頼むのだ。
そのときまで、俺達は決して諦めるつもりはない。
――――――…ルシェリート家の屋敷を後にし。
その日の夜、僕は遅くに床についた。
ベッドに横になって、寝室の天井をボーッと見上げながら。
僕が考えていたのは、先程のいじらしい幼女のことではなく。
夕方、聖魔騎士団魔導部隊隊舎にある、シュニィ・ルシェリートの執務室に行ったとき。
あのとき感じた、不思議な違和感のこと。
「獣臭い」って言っただろう?僕。
あれ、一体何だったんだろう。
シュニィさんの部屋に入った途端、僕は強烈な獣臭さを感じた。
分かるだろうか。何て言うか…動物園の猛獣エリアに入ったみたいな。
動物特有の、鼻につく匂いだった。
犬か猫でも飼ってるのか、って咄嗟に聞いてしまったけど。
犬や猫みたいな、小さな動物の匂いじゃなかったな。ライオンとかヒョウみたいな、大きな猛獣を思わせる強烈な匂いだった。
しかし、あの場にいた僕以外の誰一人、そんな匂いは感じないと言った。
あの場で僕だけが、謎の獣臭い匂いを感じ取ったのだ。
不思議なことがあるものだ。
あの場の全員の心を覗いてみたけど、どうやら嘘をついている訳ではなく。
本当に、僕以外の誰も、そんな匂いを感じてはいなかったのだ。
むしろ、僕が嘘をついているんじゃないか?みたいな空気だった。
まぁ、僕一人だけが「獣臭い」と言ったって、周りの全員は何も感じていないのだから。
そりゃ僕の方がおかしいんじゃないか、と思われても無理もないんですが。
でも、嘘ではないんですよ。
本当に僕は…獣臭い匂いを感じたんです。
あれは何だったんだろう。
僕だけが感じて、他には誰も感じなかった…。これって結構妙ですよね?
ジュリスさん曰く、ベリクリーデさんがあの部屋に入ったときも、気になる証言をしていたらしい。
あの人は神の器という特別な存在だから、常人では感じられない「何か」を感じ取っていてもおかしくない。
同じ理屈で、羽久さんも「何か」を感じるのではないか…と思われたが、そんなことはなく。
代わりに、何故か僕が妙な「何か」を感じ取った。
しかもその「何か」は、全く根拠のない獣臭い匂いだけ。
…意味不明ですよ。
確かに僕はあのとき、おかしな匂いを感じた…と断言出来る。
が、こうして一人になって冷静に考えてみると…。
あまりに意味不明で、荒唐無稽で、根拠薄弱で。
やっぱり、僕の気の所為だったんじゃないかと思ってしまう。
気の所為…じゃないはずなんですけど…。
…。
…そういえば。
僕は微睡みながら、ふと思い出した。
僕だけじゃなくて…吐月さんって言う召喚魔導師と契約している魔物…。
ベルフェゴールさんだっけ?
あの魔物も、急に出てきたと思ったら、気になる発言をしていたな…。
いくつか証言は集まっているのに、どれも整合性が取れなくて、意味が分からない。
ますます分からなくなるばかりだ。
…そこまで考えて、僕は思考するのをやめ。
睡魔に従って、夢の中に入っていった。
「…あれ」
気がついたら、僕は自分の精神世界にやって来ていた。
どうやら、現実の僕はお休み中のようですね。
精神世界にやって来たということは、僕はこれからフィーバータイムなのでは?
…いや、残念ながら…今夜はそういう気分にはなれないのだが。
うーん、情けない。
でも、さすがに僕だって、今は呑気している余裕がないことくらい分かってますから。
それより、リリスにも意見を聞いて、シュニィさんの居場所を…、
「…え?」
「…ナジュ君…」
精神世界で僕を待っていた、僕の契約者にして恋人。
『冥界の女王』リリスは、不安そうな表情で僕を見つめていた。
…何事ですか。
あなたにそんな顔をさせる輩は、全員僕がぶっ飛ばしてあげますよ。
「どうしたんですか、リリス…」
残念ながら、僕のお得意の読心魔法は、リリス相手には通じないのである。
「ナジュ君…。君、一体何と戦おうとしてるの?」
「…はい?」
…。
…ちょっと、よく意味が分からないんですけど。
リリスが凄く不安そうな顔をしているから、良くないことなんだろうなというのは分かる。
何が良くないのかは分からないけど…。
「駄目だよ、ナジュ君。『アレ』に手を出したら駄目。無視するべきだよ」
大事な警告をしてくれてるんだろうとは思うんだが、何のことか分かりません。
ちょっと…順を追って説明して欲しいですね。
「何のことですか、リリス。『アレ』って何ですか?」
「…『アレ』は獣だよ。獣であって…。…罪人だ」
「…」
「この世に存在してはいけないモノなの。だから、近づいたら駄目。下手なことをしたら、ナジュ君や…他の皆まで命を脅かされるかもしれないんだよ」
…成程、分からん。
分からんけど、リリスがとても重要な情報を教えてくれてるんだってことは、よく分かりますよ。
そして、もう一つ分かったのは…。
夕方、僕がシュニィさんの部屋で感じた獣の匂い。
あれは気の所為なんかじゃなかった、ってことですね。
やっぱり本当だったんだ。
僕だけじゃなくて、リリスも感じていた。
…いや、むしろ逆か?
リリスが感じたからこそ、僕にも伝播して伝わっていたのかも。
もしそうなら、納得が出来る。
「…詳しく説明してもらえますか、リリス」
「…それは…」
と、言い淀むリリス。
成程、そういうことですか。
ベルフェゴールさんという魔物が、契約者である吐月さんにも事情を詳しく話そうとしなかった。
逃げるように姿を消して、説明を避けた。
そして今、僕がこうしてリリスに尋ねても。
リリスは答えに窮し、視線を逸らして説明を避けている。
あの部屋には、「魔物だけが感じ取れる何か」があるのだ。
これが分かっただけでも、かなりの収穫なのでは?
「リリス…。話してもらえませんか?」
答えたくないと思っている相手に、無理矢理聞くのはよろしくないかもしれないが。
でも、必ずシュニィさんを帰らせると、幼女と約束しちゃいましたからね。
イケメンカリスマ教師は、約束を守りますよ。
少なくとも、僕に出来る努力は何でもしましょう。
「…それは…」
しかし、なおもリリスは言い淀んでいた。
僕に警告はしてくれるのに、何故警告するのかについては話せない、と?
「お願いです、リリス。人一人の命が懸かってるんです」
リリスは現実世界で、僕と同じものを見て、同じものを聞いている。
だから、僕達の置かれた今の状況については、リリスも承知しているはずだ。
誰もがシュニィさんを取り戻す為に、必死になっている。
この僕だってそうだ。
リリスが何か知っているなら、教えて欲しい。
「…分かってるよ。それは分かってる…」
「だったら…」
「でも…でも、駄目なんだよ。『アレ』は…人が話題にするようなことじゃないの」
「…」
「触れちゃいけないことなんだよ。関わったら、何が起きるか分からない…」
…成程。
それは確かに危険ですね。
「関わるも何も…。…既に関わってしまっているのでは?」
「それは…そうなんだけど。でも、蛇が出ると分かってる藪を、無理につつく必要はないと思うんだ」
リリスの言ってることはもっともですね。
でも僕は、蛇の出る藪を見つけたら、とりあえずつっつきたくなるタイプなんで。
「リリス、お忘れですか?僕は不死身ですよ。何が出てきたとしても、僕に恐れるものはありません」
どんな猛毒を持った大蛇が出てこようと、僕をどうにかすることは出来ない。
安心して、藪をつっつき回せば良い…と思うのだが?
しかし。
「ナジュ君は大丈夫でも…。他の皆はそうじゃないでしょ?」
…まぁ、そうですね。
「そんなに危険なんですか」
「危険だよ。人が触れちゃ駄目なの」
「学院長や羽久さん達は、そりゃ不死身ではありませんけど、僕より遥かに優秀な魔導師ですよ?それでも危険なんですか」
リリスは僕の質問に、こくりと頷いてみせた。
…成程、そうですか。
それでリリスは、頑なに詳細を説明してくれないんですね。
「…それは…冥界絡みの話ですか?獣とか罪人とか、僕にはさっぱりなんですが」
「…駄目だよ、ナジュ君。詮索しちゃいけない」
「虎穴に入らずんば虎子を得ず、なので」
それでシュニィさんが戻ってくるなら、皆さん喜んで虎穴にも飛び込むと思うんですがね。
あのアトラスさんって人は、特に。
…しかし。
「これ以上は駄目。話せないよ」
リリスは首を振ってそう言った。
…そうですか。
「関わっちゃ駄目なの。今すぐ手を引いて、お願い。私、ナジュ君を危険に晒したくないんだよ…」
「…」
「…このことは、もう忘れて。ね、お願いだから」
「…分かりました」
好きな女の子に「お願い」されて、断れるはずがありませんからね。
ここはリリスに従って、素直に引きますよ。
…今は、ね。
――――――…ルシェリート宅を訪ねた、その翌日。
「…シュニィちゃん、今頃どうしてるかな…」
皿の上のチョコケーキを、フォークの先でツンツンつっつきながら。
何とも行儀の悪いシルナは、机に突っ伏してそう呟いた。
昨日のアイナの方が、余程お行儀良かったぞ。
あの子本当良い子だよな。爪の垢を煎じて、シルナに飲ませてやりたい。
「…シュニィのことだ。今もきっと、何とか脱出する方法を探ってるはずだよ」
昨日アイナに会って、俺は確信したからな。
あんな良い子が待ってるのに、シュニィが諦めるはずがない。
シュニィもきっと今頃、諦めずに戻ってくる手段を探してるはずだ。
「そうだよね…!うん、そうに決まってる」
シルナはそう言って、ガバっと起き上がった。
ちょっと元気が出たらしいぞ。
「私達がくよくよしてたら駄目だよね!よし、景気づけにこのケーキを食べて、そして元気を出そう!」
「アイナはケーキを我慢出来るのにな。お前と来たら…」
「あー聞こえない聞こえなーい。私なーんにも聞こえなーい」
これが大人の態度か?とても信じられん。
アイナの方がよっぽど大人だ。
「のんびりしてる場合じゃないだろ。とにかく、少しでも手がかりを…」
と、俺が言いかけたそのとき。
「お邪魔しまーす」
「え?」
学院長室の扉が開いて、ナジュが入ってきた。
…。
…お前、何でここにいるんだ?
これには、シルナもびっくりして手が止まっていた。
「突然の英雄の凱旋に驚いているようですね」
誰が英雄だって?
「いや、お前…。…授業は?」
今、実技授業の時間じゃないの?
何でここにいるんだ。
「授業は…自習にしてきました」
何故?
「まともに授業やれよ。何で自習なんだ?」
授業サボってこんなところにいるって知られたら、イレースにぶっ飛ばされるぞ。
鬼教官が怖くないのか。
「鬼教官は怖いですけど。でも、鬼の居ぬ間に洗濯しようと思いまして」
「は…?」
「単刀直入に言いますね。…シュニィさんを誘拐した犯人の正体、分かったかもしれません」
「…!?」
俺もシルナも、互いに驚愕のあまり顔を見合わせた。