翌日、麻美に連絡をして先生が当直の金曜日に食事に行く約束をした。
 あの後彼女からは何通もメッセージが来ていたけれど...、文章で伝えられる範囲ではないので会った時に話すという事で納得してもらった。

 出勤すると、朝から看護師さんたちはいつも以上に忙しそうにしている。ここ最近、一年目の看護師相原さんが欠勤がちになっている為、ただでさえ忙しい中で人手不足となり、最近は私たちも出来ることを積極的にお手伝いしている状態。

 今日は事務作業がひと段落したところで、お昼ご飯の配膳のお手伝いをしていた。
 私が担当したエリアはほとんど配り終わり、あとは二日後に退院を控える安田さんというお婆さんだけ。お話が好きな方なので、少しでも長く居られるように最後にしている。

 「お待たせしました。お食事です」

 トレーをテーブルに置くと、優しい笑みを浮かべて「ありがとうね」と体を起こそうとする彼女だけど、その支えにした右手はガクンと肘から崩れてしまった。
 
 右側にまわり体を起こすのを手伝うと、先ほどとは違い弱々しい笑みを浮かべる。

 「ありがとう、ごめんね。ちょっと力が入らなくて」

 「いえ。力が入らない事はよくあるんですか?」

 「よくってわけじゃないんだけど、たまにね。もうすぐ退院だし、看護師さん達も忙しそうだから言えなかったんだけど、少し痛みがある時もあるのよ」

 「そうでしたか、お箸は持てそうですか?フォークやスプーンをお持ちしましょうか?」

 「ううん、悪いからいいわよ。箸でも食べられるから」

 そう言うけれど、確か最近私が何度か配膳のお手伝いをした時、いつも安田さんは少しご飯を残していた。もしかしたら、箸で食べるのが大変だったから...?

 すぐにフォークとスプーンを持って戻ると、「ごめんね」と言いながらも箸をおいてそちらで食べ始め、しばらくしてトレーを下げに行くと全て完食していた。

 二日後に退院と言っていたけれど、この状態で大丈夫なのだろうか...。私は専門的な知識もないし、口を出せる立場でもない事はわかっているけれど、このままでいいのかな...?
 どうしても気になり、ひとまず天宮さんに相談してみる事にした。

 「確かにそれは気になるわね...。でも、安田さんの担当の橘先生は当直でもう帰られてるし。とりあえず担当看護師に伝えてみた方がいいかもね」

 安田さんの担当は、坂口さんという風見さんの同期の看護師さん。あまりコミニュケーションを取ろうとされないタイプで、笑ったところも私は見た事がない。けれど、以前風見さんが...

 「坂口さんって俺や先生達にはすごい話しかけてくるんだよ。言葉を選ばずに言うと、男に媚びを売っている感じ?だから俺あの人苦手なんだよね...」

 そう言っていた。私も挨拶以外でお話した事はないので、先入観もあり少し躊躇ったけれど、このままにしてはいけない気がしたので、意を決して坂口さんに安田さんの事を話してみた。

 しかし...彼女が作業の手を止めることはなく聞いてくれているのかもわからない上に、こちらを少しも見てくれない...。
 それでも私が話し続けると、あからさまに嫌そうな顔をして「はぁー」とため息をつかれてしまった。

 「そんなこと言われても知らないわよ。私は見てないし、先生が退院していいって言ってるんだからそれでいいでしょ?
 そもそもあなたただの事務員じゃない。そんな事が言える立場なの?気まぐれな事を言って仕事増やさないでよ!」

 そこまで言われてしまうと、私も何も言えなくなり、どうしようかと俯いたその時。

 「看護師の発言とは到底思えないな。私は見ていないから関係ない?仕事を増やさないでくれ?...本気で言っているのか?」

 後ろから、地を這うような恐ろしいほど低い声が響いて来た。驚いて振り返ると、そこには背筋が凍りそうなほど冷たく鋭い目をした香月先生が立っている。

 「こ、香月先生...!」

 途端に慌てて言い訳を探している様子の坂口さんに、先生は容赦なく言い放つ。

 「本気で言っているのかと聞いているんだ。それに、立場がどうしたって?事務員だから看護師に意見してはいけないのか?そもそも俺たち医者も含め立場は全員対等だ。
 それに、安田さんの変化に気づけたのは、看護師の坂口さんよりも事務員の宮野さんの方がよく患者さんをみていたからだろう?」

 「そ、それは...」

 「俺たちはチームだ。ここで働くスタッフ全員で患者さんを診ている。
 それが分からないなら外れてくれ。気持ちを改められないやつはここにはいらない」

 先生の迫力に、坂口さんも何も言えなくなり俯いている。私もすっかり萎縮してしまい、身体が動かなかった。

 「宮野さん、あっちで安田さんの事詳しく教えて」

 先生にそう言われようやく我に返り、慌てて返事をして先生について行く。