ロビーから離れた渡り廊下を小走りするだけで肌を刺激する冷たい雨粒と風に、外の様子は行かなくとも伺える。


創業300年となる華月苑の支配人を務め、全員が揃って愛想を振りまく存在───工藤 音也(くどう おとや)は、私より一回りも年上の婚約者。

もちろんお互いに特別な気持ちはなく、単なる両家の利害の一致というもので決められたものだった。



『ああ、こんなことがあるなんて。奇跡みたいだよ!』



初めて顔を合わせたときの第一声を、私は忘れない。


かつてこの男には心から愛してやまなかった女がいたという。

小さな頃から将来を約束し、愛を誓った女が。

その女性こそ、この華月苑を経営する花江(はなえ)家の実娘。


しかし彼女が20歳のとき、不慮の事故でこの世を去った。


しばらくしてから施設育ちであり、身寄りのなかった私が、見ず知らずの名のある高級老舗旅館に引き取られたというだけの話。