「私の場合は…、家柄もありますので」
「工藤という男だろう、きみの婚約者は」
「………、」
表面上ではいい顔をする人だから、初対面の人間には必ず好かれる。
仕事もできるし、要領だっていい。
そんな男にとっての“愛美”として、私は一生、尽くして生きていく運命。
「俺はきみに笑顔があるなら、それでいいと思っていた。…でも、泣いてるんだよ今」
「…ちがいます。これは…濡れているからで、」
「帰りたくないと言っていたのは?」
「…それは…、外の風が、気持ちよかったから…です」
1度も目を合わせることができなかった。
胸の前で握った手さえ、震える。
嘘に騙されて欲しいのに、嘘を見破っても欲しい。
優しくしないで欲しいのに、誰よりも優しくして欲しい。
矛盾しているね、あれもこれも。
「なら……よかったのか。あのまま奪い去っても」
背中を向けて、華月苑へと怒られに向かった私へと。
彼は確かな後悔を、夜に溶かした。