あなたは記憶喪失なんかじゃなく、ちがう世界を生きていた人間。
私が知らないことを知っていて、私が知っていることを知らないのは、別の時間軸に生きていたから。
そんな仮説を立ててしまえたのは、たまに彼が落とす聞き慣れない言葉を、私がしっかりと聞き取っていたから。
耳だけはいいんだと思う、昔から。
「あっ、そちらの蕾のほうにもお願いします」
唯一の休息を譲ったはずが、私ばかりが楽しくなっている。
昨日までは花に話しかけていた毎日が、今日は隣に誰よりも話したいひと。
「……つぼみ、」
「はいっ」
くるっと振り返って、自分のはしゃぎっぷりに恥ずかしくなった。
私が100%だとするならば、彼は40%。
じゃあ残りの60%は?と聞いたとしたなら、きっと言葉にならない想いを抱えているのだ。
「つぼみ」と、薄い唇はもう1度、その名前を消えそうな声で呼んだ。
彼はそう、名前を、呼んだ。