「……もう十分でしょ。会社まで来るなんて、やめてって言ったよね」

「だって、ブロックされてるから、連絡取りようないじゃん」


(連絡取りたくないから、ブロックしてるんだよ……!! )


という怒りも、もう湧いてこない。
恐怖と後悔と、情けなさで押し潰されそうなのは変わらないのに。


「彼女からいきなり連絡来なくなったら、心配するの当たり前でしょ」

「彼女じゃないし、何度も断ったし、いい加減にして」


寂しさと現実逃避の為に、マッチングアプリで出会ったのが彼。
もちろんいい出会いもあるんだろうけど、私の場合は最悪だった。
何かおかしいな、と思った時には既に遅く。
断っても断っても「なんで? 」のLINEが怒涛のように繰り広げられ。
終いには、なかったことにされて、毎日「おはよう」と「おやすみ」とデートの約束を勝手にされる。
無視すればこうして待ち伏せされて、ブロックしても同じだった。


「ね、お話ししよ? 俺たち、どこかですれ違ってて……」

「どこかも何も、ほぼ最初から交わってなかったの……!! 」


お兄ちゃんに連絡しなきゃ。
このまま車に乗ったら、巻き込んでしまう。
お兄ちゃんのマンションまで、尾行させるわけにはいかない。


「それより、昨日家にいた? 今朝、出てこなかった気が……」


朝まで見張ってたの。
ゾッとして足早にすり抜けたけど、どこへ向かっていいのか分からない。
駅に向かいたくはないけど、自宅は既に知られてる。
だとしても、一緒に帰る羽目になるなんて絶対嫌だ。
こうなったら、警察くらいしかないけど、まともに相手してもらるかな。
その前に、行き先が警察だとバレて、逆上されたら――……。


「まゆり」


車の方を通り過ぎる一歩手前で、運転席のドアが開いた。


「っ、あ……」


「お兄ちゃん」をどうにか我慢すると、「よくできました」というように頭を撫でられた。


「連絡してって言っただろ。……遅くなってごめん」

「そんな……今日、来れないって」


この人だって、昨日再会したばかりなのに。
いろいろ、怪しいとこ満載なのに。


(……どうして……)


こんなに、安心してるんだろう。
どうして、スーツの裾を掴んだりしてしまうんだろう。
都合のいい時だけ頼りにしてしまって失礼だし、こんな自分が嫌で仕方ないのに、どうしても手放すことができない。


「ほら、帰ろ」

「うん……」


その手を繋いでくれたのは、頭を撫でてくれたのよりも少し堅い。
もしかして、怒ってるのかな。
怒ってないにせよ、状況を察して呆れてるのかも。


「だ……誰だよ、お前」

「まゆりの婚約者ですけど」


「そう言うそちらは? 」を私にもこの男にも聞かないでくれた。
大体見て分かるんだろうけど、気を遣ってくれたんだ。


「な……そんなわけない。友達……兄貴とかじゃないの? そうだよ、俺と別れる為に頼んだんだろ」

「だから、付き合ってないって……」


あんたの登場までは、頼まれたのはこっちだったのに。
まさかとは思うけど、お互いさまってことで、報酬値引きされたらどうしよう。


「だったら、証明してみろよ。家族でも友達でも、他人でもないって」

「……証明って……」


そんなことできない。
本当のお兄ちゃんでも、友達でも、まったくの他人ってわけでもないけど。
だからって、いや、だからこそできることが何もない。


「キスでもしろってこと? 幼稚な提案だな」

「キ……っ」


溜息混じりに、でも、なんてないって感じでお兄ちゃんは言ったけど、さすがにそれは困る。


「なんだ、やっぱりできないんだ。まゆりちゃん、こいつ、どこから引っ張って来たの? 」

「そっちこそ。まゆりが照れ屋だってことも知らないで、どこの誰なんだか。俺はいいけど……恥ずかしいもんな。おいで。こんなのに付き合うことないから」


手を軽く引いて、車のドアを開けてくれた。


「婚約者で、キスもできないはずないもんな。誰だか知らないけど、変な邪魔すんな……」

「……哉人さん」


お兄ちゃんには悪いけど、終わらせるチャンスかもしれない。


「……ん? 」


この先、ずっとストーキングされるなんて絶対嫌だ。
あんなセキュリティ上穴だらけのアパートじゃ、何が起こるか分からない。
このままじゃ、会社でも噂になることは目に見えている。


「……っと、まゆり? 」


ドアを持っててくれたお兄ちゃんの胸を押すと、ふいを突かれたのか簡単に座席に尻もちをついてくれた。


(……ごめんなさい……!! 失礼します!! )


少なくとも今はお兄ちゃんに相手はいないし、もちろんファーストキスのはずもない。
だったらもう、諦めて犠牲になってもらおう。
覚悟を決めてお兄ちゃんの足の間に跪くと、勢いのままに唇を重ねた。