車を発進させたお兄ちゃんは、笑うだけで何も言わなかった。
家でゆっくり説明してくれるみたいだけど、家に着くまでの間緊張して仕方なかった。だからか、


「ごめん」


到着してからも、また謝ってくれる。


「お兄ちゃんが謝ることなんて、何も……」


いくら年の差があるからって、迷惑を掛けすぎた。
しかも、許婚なんて勝手に任命されて。


「俺は……まゆりに嫌われたんだって思ってた。だから、家を出たんだろうって」

「……え!? なんで、そんな……」


あんなにお世話になっておいて、嫌いになるわけない。
というか、嫌いならしつこく付き纏ったりするはずないのに。


「まゆりが、中高校生くらいの頃かな。そのくらいから、よそよそしくなったっていうか……。俺、昔は全然優しくなかっただろ。怖かったと思うし。なんで懐いてくれてたのか謎だけど、大人になってそういうのが分かるようになって……あ、嫌われちゃったんだって」

「そ、そんなこと……! 寧ろ、逆です。大人になって、お兄ちゃんの事情とかも少しは察せるようになって。幼馴染みとも呼べない子どもの世話なんて、迷惑だって。それに……」


――お兄ちゃんは雲よりもずっと、遥か上の人で。とても、側にいる勇気がなかった。


「普通に、成長してお兄ちゃん代わりなんて必要なくなったんだとも思ったけど……急に出てっちゃったからさ。だから、悩んだよ。今回のこと」


続きを言えない私にふわっと笑って、そういえば立ちっぱなしだったとソファを誘導してくれた。


「で、何度かうろうろして。偶然、大家さんに遭遇したと。まさか、受けてくれるとは思わなかったけどな」

「……切羽詰まってたことは否めませんが。でも、それだけじゃないと思います」


あんなに自信満々に丸め込んだくせに。
でも、私だってさすがに他人には騙されないし、本当にお兄ちゃんが怖かったり嫌いだったりしたら受けるわけないのに。


「……お兄ちゃんだったからですよ。そりゃ、再会した直後は、すぐに分からなかったけど。ちゃんと、お兄ちゃんだったからです」

「……ちゃんと? 」


『お顔……?? 』


お兄ちゃんは、確かに昔から格好よかった。
でも、あれはきっとそれだけじゃない。


「困った顔も、笑い方も。記憶にあるお兄ちゃんだった。……ずっと、好きな人だったからです」

「今となっては、な感じが強いけど。……そっか。嫌いじゃなかったんだ」


嫌いな相手に、キスも求婚もしないだろうに。
でもまあ、それは言わないでおく。


「……好きでしたよ。あの、どうしたらいいのか分からないって顔。優しくて、大好きで……申し訳なかったんです」

「俺が不器用なだけだよ。あの頃の俺は、今のまゆりと似たようなことに悩んでたのかもな。だから、無邪気にくっついてくるまゆりに救われてた。なのに、優しくあやしてあげられないのが悪くて。……だから、今度会えたらって思ってたのに」


――優しくなりたいと思ったら、「お兄ちゃん」でいられなくなってた。