……いや、いやいやいや、まて。俺。落ち着け。

”練習”という口実を手に入れて、せっかく柏木さんに近づけるのに。


柏木さんに気づかれないように、そっと邪念をため息に混ぜて振り払った。



「ん、ここ。どーぞ」


俺のとなりをぽんぽんとして促せば、柏木さんの凛とした目元がほんのり赤く染まる。

そうして、こくんっと小さく頷くと「お邪魔します……」とおずおずと俺のとなりに腰を下ろした。

肩をきゅっとすぼめ身体を縮こまらせながら、膝の上に置いたランチバックを頼りなげに握りしめる様子は、国を挙げて守らなければいけない絶滅危惧種の小動物のような可憐さだ。


思わず、見惚れそうになって、再びはっと意識を引き戻す。



「寒くない?ここで大丈夫?」

「はい。」

「お昼、お弁当?」

「はい。」

「時間なくなっちゃうし、食べるかー」

「はい。」

「うわ、今日もめっちゃおいしそう」

「いいえ。」

「毎日自分で作ってるんでしょ、マジですごいわー」

「いいえ。」



えっと……、この”いいえ”たちは、きっと謙遜とちょっと照れの混じった”いいえ”だな。


何度か柏木さんと話すうちに、わかってきた。


”はい。”

”いいえ。”

すぱっとした短い言い方。いつもどおりの崩れない表情。


でも。

はい、と言った瞬間に、微かに息を飲んだり。

いいえ、と言った後に、悔いるように少しだけ視線が揺らいだり。


きっと、柏木さんの頭の中には、言葉にできなかった会話がたくさんあって。

その形を成さなかった言葉の数だけ、柏木さんを覆う氷の殻はどんどん固くなって……。


「(そいうの、俺が溶かせたらいいのにな……)」