それでも田中の包丁に逆らうことができず、千歳は真那の目の前まで来ていた。
「よし、キスしろ」
千歳は子供のように左右に首をふってイヤイヤする。

それを聞き入れてくれるような田中ではなかった。
後ろで椅子をけとばす音が聞こえてきて「やれ!」と、怒鳴られる。

恐怖が一気に掻き立てられて千歳は全身が震えた。
ゆるゆると腰を落としていき、座っている真那と同じ顔の位置になる。

真那の牙が見えた。
したたる唾液が見えた。

灰色の目が見えた。
こんなにも近くにいるゾンビに死を覚悟してしまう。

「千歳!」
呼んだのは村上だ。
突然下の名前で呼ばれたことに驚いたけれど、ほとんどそれが引き金になってしまった。

千歳はキツク目を閉じるとゾンビに顔を近づけたのだ。
カッと開かれた口の上唇に、自分の唇を押し当てる。