公爵家の隠し子だと判明した私は、いびられる所か溺愛されています。

 オルティナお姉様から元気をもらった私は、調査を再開することにした。
 暗い気持ちは吹き飛んだので、やる気が湧いてきた。真実を知るために、今日も私は行動するのだ。

「……よし」

 という訳で、私は今日もとある人の後をつけることにした。
 それは、アルーグお兄様である。私達兄弟の一番上のお兄様だ。

「……今日は、ばれないように」

 私は物陰にしっかりと身を隠している。今日こそは見つからないだろう。あちら側から私は、どうやっても見られないはずだ。

「……そこにいるのは、わかっている。出てきたら、どうだ?」
「え?」

 しかし、そんな私にお兄様はそう話しかけてきた。
 それに、私は驚いた。今日こそは完全に体を隠せている。それなのに、どうして見つかったのだろう。
 以前までと比べて、物陰から相手の様子を窺う回数も減らしていたのに、それでも駄目なのだろうか。なんというか、誰か尾行の方法を私に教えて欲しい。

「アルーグお兄様、どうしてわかったのですか?」
「……ほう。本当にいたのか。言ってみるものだな」
「え?」

 アルーグお兄様が何を言っているか、私には一瞬わからなかった。
 だが、すぐに理解する。もしかして、お兄様はかまをかけていたのだろうか。

「そんな顔をするな……簡単なことだ。お前が妹や弟をつけていたことは聞いていた。故に、俺にもついているのではないかと思ったのだ」
「そ、そんな……」

 私は、お兄様の策略にまんまと引っかかってしまったようだ。それは、なんとも情けない話である。
 でも、流石はアルーグお兄様だと思った。冷静でありながらも、大胆な面もある切れ者。それが、私が彼に抱いている印象だ。
 今回も、その印象通りの行動を彼はしていた。やはり、アルーグお兄様はすごい人なのだ。

「……ふん、それでお前はどうして兄弟をつけたりしているのだ?」
「え? いえ、それは……」
「イルフェアに言った言葉が嘘であることは、既にわかっている。それが本当なら、他の兄弟をつける理由がない」
「うっ……」

 アルーグお兄様は、冷静に私を詰めてきた。それは、とても優しい口調だが、少し怖い。

「お前が何を思っているかはわからない。だが、つけられるというのがあまりいい気持ではない。故に、お前がこれ以上それを続けるというなら、俺も少し強めに注意せざるを得ない」
「そ、それは……」
「……一つアドバイスをしておいてやろう。母上から話を聞け。それで、お前の憂いは晴れるはずだ」
「……え?」

 アルーグお兄様は、それだけ言って去って行った。
 残された私は、困惑していた。その話している内容が、色々と不可思議だったからだ。
 お兄様は、私のことをどこまで理解しているのだろうか。それがわからない。
 さらにわからないは、お母様から話を聞くということだ。一体、それで私の憂いの何が晴れるというのだろうか。
 私は、アルーグお兄様に言われた通り、お母様から話を聞くことにした。
 お母様とは、このラーデイン公爵家の現当主の妻にあたる人物だ。私にとっては、義母というか、継母というか、そういう存在である。

「ふう……」

 私は、お母様の部屋の前でゆっくりと深呼吸した。
 正直な話、彼女と話す時にはいつも緊張する。なぜなら、私という存在が、彼女にとってどういうものなのか、理解できているからだ。
 お母様にとって、私は浮気相手の子供である。そんな私に対して彼女は優しいが、本当の所はどう思っているかわからない。
 私は、それが怖いのだ。他の兄弟達もそうなのだが、お母様に関してはもっとそうなのである。

「……私の部屋の前で、何をしているのかしら?」
「え?」

 そんな私に後ろから話しかけてくる人がいた。
 後ろを向いてみると、とある人物がいた。それは、お母様である。

「え、えっと……実は、その、話したいことがありまして」
「私に? 珍しいわね……まあ、いいわ。中に入ってちょうだい」
「はい……」

 お母様は、少し不思議そうな顔をしていた。
 それは、そうだろう。私からお母様と話したいなんて、今までなかったことである。急にそんなことを言われたら、普通に驚くだろう。

「それで、私に話というのは?」
「え、えっと……」

 お母様と対面して座って、私は少し言葉に詰まっていた。
 アルーグお兄様に言われた通り、お母様に色々と聞くべきなのだろう。一番私に複雑な思いを抱いているはずの彼女から話を聞けば、私の答えは得られるかもしれない。
 だが、それを言おうとすると言葉が出てこなかった。喉の奥で、何かが引っかかるのだ。

「……お母様に、聞きたいのです」
「……何かしら?」
「どうして……どうして、お母様は、それにお兄様やお姉様達は、私に……こんなにも優しくしてくださるのですか?」
「……」

 私は、なんとか言葉を絞り出していた。無理をしたからか、少し喉の辺りが熱い。
 そんな私の言葉を受けて、お母様は目を丸くしている。私の質問に、驚いているのだろう。
 その後、お母様は悲しそうな表情になる。それが、どういう意味を持つのか、私にはわからない。

「なるほど……最近、イルフェア達をつけていたというのは、そういうことだったのね?」
「え? えっと……」
「その理由が知りたくて、つけていたのでしょう?」
「……はい」

 私の言葉だけで、お母様は全てを理解していた。あれだけでここまでわかるなんて、驚きである。
 ただ、こちらとしては話が早くて助かった。色々と言うべきことが省けたのは、今の私にとっては幸いなことだ。

「そうね……その理由を話してもいいわ。あなただって、知りたいでしょうし……ただ、これは私の考えでしかないわ。あなたの兄弟が何を思っているかまでは、私にはわからないもの」
「……それでも、聞かせてください」
「わかったわ……少し、長くなるけど、いいかしら?」
「はい……」

 私は、お母様の言葉にゆっくりと頷いた。
 こうして、私はお母様から話を聞くことになったのである。
 私アフィーリアは、ラーデイン公爵夫人である。
 公爵夫人として、私は夫と公爵家に尽くしてきたつもりだ。良き妻といえたかどうかはわからないが、それなりに頑張ってきたと自負している。
 しかし、夫は私に対してそうは思っていなかったようだ。なぜなら、彼は浮気していたのだから。

「隠し子……?」
「ええ、そのようです」
「そんな馬鹿な……」

 結婚してから二十年以上経ってから、私は夫の浮気を知ることになった。
 彼は、平民の村娘と浮気して、その間に子供をもうけていたらしい。それは、もう十年以上も前の話であるそうだ。
 許せないという気持ちが、当然湧いて出てきた。夫も浮気相手もその子供も、全てに対して憎しみが生まれた。
 それを押さえつけながら、私は使用人から事の次第を聞くことにする。激情に任せて行動する程、私はもう未熟ではない。そう自分に言い聞かせながら。

「続きを」
「……旦那様の浮気相手ですが、既に亡くなっているようです」
「……亡くなっている?」
「ええ、心労で亡くなったようです」
「年は?」
「三十歳だったそうです」

 私は、自分の中でふつふつと湧き上がっていた怒りが、ほんの少しだけ鎮まるのを感じていた。
 いい気味だと思ったのか、それとも同情したのか、それは自分でもわからない。

「その一人娘であるルネリア様を、旦那様はこの公爵家に保護するつもりのようです」
「それは……」
「公爵家の血を引く者に、平民としての暮らしを送らせる訳にいかない。そう旦那様は考えているようです」

 使用人の説明に、私は納得していた。夫の言わんとしていることは、理解できない訳ではなかったからだ。
 だが、理解できていたとしても、怒りが湧いてくる。どうして、そんなことになるのか。頭ではわかっているのに、そう思ってしまうのだ。

「私のことは、煮るなり焼くなりしても構わない。だが、娘だけは救ってやって欲しい。それが、旦那様から伝えるように言われたことです」
「救う? 平凡な平民だった娘が、この公爵家に来ることを、救いだというの?」
「それは、私にはわかりません」
「……そうね、ごめんなさい」

 夫の言葉の全てに、腹が立った。どうして、こうも彼は勝手なのだろうか。今まで、私がこの公爵家のためにしてきたことはなんだったのか。
 頭の中が、ぐちゃぐちゃになっていくことを感じていた。自分がこれからどうするつもりなのか、それがまったくわからない。

「今更……ここから出て行くこともできないのよね」

 私は、ゆっくりとそう呟いていた。
 この公爵家を去りたい。そう思った直後に浮かんできたのは、子供達の顔だ。
 どれだけ自分が嫌な思いをしたとしても、あの子達の元から離れることに比べればどうということはない。
 そんな思いが、私をこの場所に踏み止まらせたのだ。
 結局、浮気相手の子供ルネリアは、ラーデイン公爵家にやって来た。
 最初に見た時、彼女は明らかに怯えていた。それは、そうだろう。ここは彼女にとって、未知の場所なのだから。
 それを、私はいい気味だと思っているのだろうか。自分でもそれがわからなくて、ただ自嘲的な笑みを浮かべることしか、私にはできなかった。

「さて……」

 私は、ルネリアの部屋を訪ねることにした。
 何れは、顔を合わせなければならないのだ。それならば、一度話し合っておいた方がいいだろう。
 そう思って自分の部屋を出てから、私は色々と考えていた。
 あの小さな子に対して、自分は何をするつもりなのだろうか。この胸にある激情をぶつけるつもりなのだろうかと。

「あら? 何をしているのかしら?」
「あ、奥様……」

 ルネリアの部屋の前まで辿り着くと、そこにはメイドが立っていた。
 彼女は、私の方から気まずそうに視線をそらす。私とこの部屋にいる彼女の関係性を考えて、そうしたのだろう。

「例の子は、ここにいるのかしら?」
「は、はい……ですが、今は入らない方がよろしいかと」
「……どういうこと?」
「それは……」

 私の視線に怯えたのか、メイドは少し怯んだ。
 それによって、私は今自分がどういう顔をしているか理解した。私は怒っているのだ。恐らく、ルネリアという子に向かって。
 しかし、それでもメイドの言っていることが気になったため、私はそっと戸を開けて中の様子を確認してみる。それは、私の中に残っていた理性が取らせた行動なのだろう。

「……お母さん」

 部屋の中を覗いてみて、目に入ってきたのはベッドの上で泣いている少女の姿だった。
 その女の子は、枕に顔を埋めながら、泣いている。苦しそうに、母を呼びながら。

「……」

 私は、そっと戸を閉めてメイドの方を見た。すると、彼女がなんともいえない表情をしている。
 私は、どうすればいいのだろうか。そう問いかけたかったが、そんなことを言われても困るだけなので、それは言わないことにする。

「困ったものね……」

 代わりに口から出てきたのは、そんなか細い感想だった。その感想に対して、メイドはゆっくりと笑みを浮かべる。

「奥様は、お優しい方ですね……」
「そうかしら?」
「はい……奥様程、お優しい方を私は他に知りません」

 メイドから返ってきたのは、そんな言葉だった。ここで部屋に入らなかった私に対して、彼女はそういう感想を抱いたようだ。
 それに、私はどういう表情をすればいいのかわからなかった。お礼を言うこともできず、ただ押し黙ることしかできない私は、もう一度だけ部屋の中の様子を窺う。

「お母さん、お母さん……」

 ルネリアという少女は、今どのような気持ちなのだろうか。
 母を失い、見知らぬ場所に連れて来られて、それで彼女はどんなことを思うというのだろうか。
 それに対して、私はどうするべきなのだろうか。それが私には、未だにわからないのだった。
 結局、私はルネリアと話すことができなかった。
 泣いている彼女に、どんな言葉がかけられただろうか。それが、私にはわからなかったのだ。

「わからないことだらけね……」

 私は、自分がわからなくなっていた。
 ルネリアに、私は憎しみを覚えていたはずだ。だが、それなのに今、私は彼女に少し同情している。
 母を失い、見知らぬ者達に囲まれた所に連れて来られた彼女に、私は哀れみを覚えているのだ。

「生まれてきた子供に罪はない……そう考えるべきなのかしらね」

 私は、ルネリアのことを恨むべき対象ではないと思うべきなのかもしれない。
 夫もその浮気相手も、私が許せないことをした。ただ、彼女はそうではない。そんな彼女に怒りをぶつけることは間違っているだろう。
 それは、わかっていたことだ。わかっていても完全にそうは思えなかったことだ。
 だが、今なら思える。彼女の生まれは、彼女に関係ないのだと。

「それで……いいのかしら?」

 しかし、そこまで考えても私は迷っていた。本当に、それでいいのかと。
 悩んでも悩んでも答えは出ない。自分の心も理論も混ざり合って、私はひどく混乱するのだった。

「……え?」

 そんな私は、気分を変えようと窓の外を見た。すると、そこには二人の少女がいる。
 それは、私の娘であるオルティナとルネリアだった。二人が、庭で遊んでいるのだ。

「オルティナ……」

 楽しそうに笑っているオルティナと比べて、ルネリアは少し困惑しているように見える。ただ、それでもオルティナについて行っているのは、それが楽しいと思っているからだろう。

「そうよね……あの子には、私達のことは関係ない」

 そこで、私は思い出した。オルティナは、何度か弟や妹が欲しいと言っていたことを。
 そんな彼女にとって、ルネリアの存在はとても嬉しいのだろう。妹ができて、彼女ははしゃいでいるのだ。
 そこには、私達大人の確執はない。彼女達二人にとって、それは重要なことではないのである。

「そうよね……大人のことは、大人で解決しなければならないのよね」

 楽しそうに二人を見て、私の中にあった迷いは一気に晴れていた。
 彼女達は、大人の問題とは関係がない場所にいる。そんな彼女達に健やかなる日常を送ってもらうためにも、大人の問題は大人で解決するべきなのだろう。

「どうしてかしらね……案外、晴れやかな気分なのは」

 結論を出して、私は何故かとても晴れやかな気分になっていた。
 こんな気分になるのだから、私が出した結論は間違っていないのだろう。そう思って、私は少しだけ笑うのだった。
 私は、お母様から話を聞いていた。
 彼女は、私がこのラーデイン公爵家の隠し子だと判明して、ここに私が来るまで何を思っていたかを話してくれた。
 恐らく、包み隠さず話してくれたのだろう。私が嫌だと思うようなことも、お母様ははっきりと口にしていたのだから。

「さて、どうかしら? これが私の素直な気持ちよ」
「……話してくれて、ありがとうございます。おかげで、なんとなくわかりました」

 お母様が話してくれた内容は、私に対する複雑な思いが溢れていた。
 でも、結局彼女は私に恨みを向けることをやめたのだ。私に罪はないとそう思ってくれたのだ。
 大人の過ちに、子供は関係ない。お母様だけでなく、このラーデイン公爵家の人々は皆そう思っているのかもしれない。
 それが、お母様の話を聞いて、私の出した結論だ。

「ねえ、ルネリア、こっちに来てくれない?」
「え? ええ、いいですけど」

 そこで、お母様は私に手招きをした。とりあえず、私はそれに従うことにする。

「……え?」
「ふふっ……」

 お母様に近づいた私は、ゆっくりと抱きしめられていた。
 突然のことに、私は驚く。驚きながらも、その温かさを感じ少し安心する。

「泣いているあなたを見て、どうすればいいのか、あの時私はわからなかった。でも、今ならわかるわ。こうすればよかったのだと……」
「……」
「辛かったのよね……ごめんなさい、もっと早くにこうしておけば、あなたをその苦しみからもっと早くに開放してあげられたかもしれないのに……」
「そんな……」

 お母様の言葉に、私はゆっくりと涙を流していた。
 どうして涙が出てくるのだろう。それが、私にはわからない。だって、あのことはもう気にしていなかったはずなのに。
 それからしばらく、私はお母様の胸の中で泣いていた。その間、彼女はずっと抱きしめてくれていた。
 お母様は、優しい人だ。このラーデイン公爵家の人達は、優しい人達だ。それしか言葉が見つからない。



◇◇◇



 私は、公爵家の人達の優しさに何か裏があるのではないかと思っていた。そして、調査を始めたのである。
 その結果わかったことは、公爵家の人達がただただ優しい人達だったということである。

「ううん。そうじゃないよね……」

 私は、ゆっくりと首を振っていた。自分の間違いに気がついたからだ。

「お母さん、私の家族は皆優しい人だったよ」

 私は、天国のお母さんにそっとそう呟くのだった。
 あれは、良く晴れた日のことだった。遠くにある小さな村から、一人の少女が家にやって来たのだ。
 その少女の名前は、ルネリア。私の腹違いの妹である。

「……特別か」

 鏡の前で、私はゆっくりと呟いていた。
 先日、私はルネリアにつけられた。なんでも、貴族の立ち振る舞いを学びたかったらしい。
 後で兄弟達のこともつけていため、それが本当かどうかは怪しい所だ。
 ただ、その辺りのことはアルーグお兄様が大丈夫だと言っていた。ということは、特に問題はないだろう。

「そんなに特別なのかしらね……」

 問題は、私がルネリアに言われた言葉の方だった。
 特別、私は彼女からそう言われたのである。
 それは、普通に考えればいいことなのかもしれない。ただ、それは私にとって、呪いのようなものなのだ。

『イルフェア様は、本当にお綺麗ですね……所作の一つ一つが華やかで……』
『ええ、本当に……私、イルフェア様のようになりたいと思っていますわ』

 私は、子供の頃からそんなことを言われてきた。
 こういうことを自分で言いたくはないが、私は憧れの存在だったのだ。
 貴族の女の子達が、こうなりたいと思う規範。それが、私なのである。

「貴族らしいとか、よくわからないのだけれどね……」

 それは、恵まれていることなのかもしれない。でも、私はそういわれる度に思うのだ。なんというか、距離を感じると。
 私は、特別な存在であるようだ。そんな存在に、人は近寄りたいとは思わない。恐れ多いとか、そういう理由で。

「別に、そんなに怖くなんてないのに……」

 私には、人が近寄って来ない。近寄るべきではないと認識されているため、親しくしてくれる人はいないのだ。
 そんな私にとって、家族というものはとても大切なものである。なぜなら、皆は私のことを特別扱いしないからだ。

「でも……」

 ただ、最近できた新しい家族は、私のことをそういう存在だと認識しているのかもしれない。
 別に、今まではそんな兆候はなかった。でも、先日の会話で、もしかしたらそうなんじゃないかと思ってしまったのだ。

「はあ……」

 ルネリアは、私のことを特別な存在だと思っているのだろうか。そうだとしたら、結構辛い。
 最初からそれがわかっていたなら、こんなにも辛くはなかったのだろう。親しくできるとわかってから、それが判明するというのは、思っていた以上に辛いものであるらしい。

「特別か……あら?」

 そこで、私は窓の外を見てみた。すると、見知った顔がいる。
 妹のオルティナが、庭の木の上に登っていたのだ。
 ルネリアは、彼女にはよく懐いている気がする。私も、あんな風になれたら、特別だと思われなくなるのだろうか。

「……って、止めないとまずいじゃない」

 そこまで考えて、私はオルティナを止めることにした。よく考えてみると、とても危ないことをしていたからだ。
「王妃の座に興味はあるか?」

 初めて会った婚約者から、最初にそう言われたことは、今でもよく覚えている。
 私の婚約者は、この国の第二王子キルクス様だ。王位継承権を持つ彼から、そんなことを言われた際に、私はひどく困惑していた。
 正直言って、王妃の座なんてものには露ほどに興味がなかった。ただ、そう言っていいのかは少し考えるべきことだったのだ。
 こんなことを聞いてくるのだから、彼が求めているのは興味があるという答えだと思った。そのため、私は素直に答えるべきか少し躊躇ったのである。

「……いいえ、まったく興味がありません」

 悩んだ末、私は素直に言うことにした。本心を隠した所で、それは無駄なことだと思ったからである。
 もしそれで王子を怒らせて、その結果この婚約がなくなったとしても、それはそれでいいのではないかと思った。
 婚約破棄の一つでもされたら、私も特別ではなくなるだろう。そんな打算も、心の中にはあったのかもしれない。

「そうか。素晴らしい心掛けだ」
「え?」
「安心したぞ。そう答えることができる者が、俺の婚約者になってくれて」

 私の予想とは違い、王子は私の返答に喜んでいた。
 その反応が、正直よくわからなかった。あの質問をしておいて、こんな答えを求めていたなんてあるのだろうか。

「俺は、王の座に興味はない。あそこには、兄上……ガルディアスが座るべきだと思っているし、座らせようと思っているからだ」
「……お兄様に?」
「ああ、兄上は王の器を持っている。それは、政治の才能という訳ではない。人の上に立つ力……人を惹きつける力とでもいうべきか。それを持っているのだ」
「人を惹きつける力……」

 キルクス様は、お兄様のガルディアス様に対してそんな感想を抱いているらしい。
 人を惹きつける力。それには、とても興味があった。もしかしたら、私もそれを備えているかもしれないからだ。

「兄上が王になり、俺はそれを支える。それが一番いい形であると、俺は思っているのだ。故に、俺は王妃になりたいなどという余計な野心を持っている者を必要としていない。だから、お前の言葉に安心したのだ」
「……なるほど、そういうことだったのですね」

 キルクス様の考えは、少し不思議なものだった。
 自分ではなく、兄を王にしたい。そう考えるのは、それ程彼のお兄様に人を惹きつける力があるということだろうか。

「すごい人なのですね……ガルディアス様は」
「ああ、そうだな……確かに、兄上は素晴らしい人物だと思う」

 キルクス様のお兄様を語る際の目は、見たことがあった。私に憧れを抱く者達と同じような目をしているのだ。
 やはり、ガルディアス様は私と同じような人なのだろう。私は、そんな感想を抱くのだった。
 私は、婚約者のキルクス様と会っていた。
 彼と最初に出会ってから、しばらく経つ。関係的には、悪くないと思っている。仲が良いかはわからないが、悪くないことだけは確かだ。

「……浮かない顔をしているな。何かあったのか?」
「え?」

 そんなキルクス様から、私はそんな質問をされた。
 浮かない顔をしている。それが何故かは、すぐにわかった。思いつく悩みがあったからだ。

「実は、悩んでいることがあるんです」
「……俺で力になれるかはわからないが、良かったら話してくれ。人に話すだけでも、楽になるものだぞ?」
「……そうですね」

 キルクス様の言葉に、私は少し驚いていた。まさか、ここまで心配してくれるとは思っていなかったからである。
 そんな彼に、私は相談してもいいかと思った。他に相談できる人もいないし、彼なら丁度いいよう気がしたのだ。

「……実は、妹との関係性に悩んでいて」
「妹との関係性……ああ、確か、ラーデイン公爵家には隠し子が見つかったんだったな?」
「ええ、可愛い妹なんですけど……」
「……?」

 私の発言に、キルクス様は面食らった顔をした。どうしてそんな表情をするのだろうか。
 そう思ってすぐに気づいた。隠し子であるルネリアを可愛いというのは、他の人から見たらおかしいことなのかもしれないと。

「その……関係としては、良好なんです。あ、いえ、良好なのかどうかは、正直微妙かもしれません。ただ、こう……ドロドロとはしていないとか」
「……なるほど、大体はわかった。要するに、お前は隠し子に対して敵意などは持っていないということだな?」
「敵意なんて、そんなもの……」
「ふっ……そうか」

 私の様子に、キルクス様は笑っていた。なんだか、少し恥ずかしい。

「お前が、そんな風に動揺している所を見るのは初めてだ。そういう顔もするのだな?」
「え? それは……」

 キルクス様の言葉に、私は少し動揺した。なぜなら、それは私を特別な存在であると言っているように聞こえたからだ。
 だが、そんなことではいけない。私は今から、それについて相談するのだ。色々と悩むのは、それからでいいだろう。

「ええっと……キルクス様に、一つ質問してもよろしいでしょうか?」
「なんだ?」
「キルクス様は、お兄様のことを特別な存在だと思っているのですか?」
「特別な存在? ふむ……それは、どういうことだ?」

 私が質問をすると、キルクス様は真剣な表情になった。それは、私のことを理解しようとしてくれているように思える。
 そのことに、私は少しだけ安心する。ここでまったく意味がわからないと言われると、流石に辛かったからだ。