世の中というものは、不条理なものだ。彼女からの手紙を読んで、俺はそんな感想を抱いていた。
その手紙に記されていたことは、大きく分けると二つだ。
一つは、セリネアの命が、もう長くはないこと。彼女は、病に侵されているそうだ。
もう一つは、彼女の娘ルネリアのことである。彼女を守って欲しい。その旨が、手紙には記されている。
「ルネリアを公爵家に……か」
セリネアの望みは、ルネリアを公爵家に加えることだった。色々と考えた結果、それが一番いいと考えたようである。
本当にそれでいいのかどうか、俺は考えようとした。だが、その思考を俺は切り捨てる。
ルネリアの親であるセリネアがそう考えたのだ。それをこの俺風情が捻じ曲げる必要などないだろう。
故に、俺は手紙の指示通りにすると決めた。セリネアは、父上と話がしたいそうだ。まずは、その場を設けるとしよう。
「……結局、俺は何をしていたのだろうな」
彼女への返信を書きながら、俺はゆっくりとそう呟いていた。
俺のしてきたことは、無駄だったのだ。それを理解して、俺はなんともいえない気分になるのだった。
◇◇◇
しばらくして、俺の元にセリネアの訃報が届いてきた。
村で話してから、何度か手紙のやり取りは交わしたものの、彼女とはあれっきり会っていない。
彼女の望みは、娘と残された時間を過ごすことだった。そこに、俺が介入するべき時などなかったのである。
「アルーグ様」
「む? どうかしたのか?」
「いえ、先程からぼうっとされてしましたから」
「そうか……それは、すまなかったな」
訃報が届いてから間もなくして、俺はカーティアと会っていた。
それは、元々予定していた会合だ。これからのことを、少し話し合いたかったため、俺は彼女を呼んだのである。
それなのに、俺はぼうっとしていたようだ。それはなんとも、情けない話だ。
「……先程伝えた通り、このラーデイン公爵家は隠し子であるルネリアを迎えに行く。お前には、迷惑をかけてしまうな」
「いえ」
「婚約関係の見直しも、考えられるかもしれない案件だ。もしも、そうなったら……」
「アルーグ様、もういいです」
俺の言葉をカーティアは遮ってきた。
これ以上の説明は、どうやら不要らしい。どうなるかは、彼女もよくわかっているということだろうか。
そんなことを思いながら、俺はふと彼女の顔を見た。今までは色々と考えていて、その顔を直視できていなかったのだ。
「……何?」
そして、俺は気付いた。彼女の目から、涙が流れているということに。
「……どうして、泣くのだ?」
「泣く? そうですか……私は今、涙を流しているのですね」
「ああ……」
俺の質問に対して、カーティアは自らの目元に手を当てた。どうやら、自分が泣いていることを、彼女は理解していなかったようだ。
「気付きませんでした。自分が泣いていたなんて。でも、どうして、こんなにも涙が流れているのかは、わかります」
「その理由を聞かせてもらえるか?」
「アルーグ様が、泣かないからですよ」
「……何?」
カーティアの言葉に、俺は呆気に取られていた。
確かに、言われてみれば、俺は今回の出来事に心を痛めながらも涙一つ流していない。
どうして、彼女がそれを知っているのか。それは、どうでもいいことだ。問題は、彼女が俺に代わって泣いているというその事実の方である。
「アルーグ様は、今回の出来事で、いいえ、ここに至るまでの間、ずっと苦しんできました。それなのに、辛い顔一つせずに頑張って……それが、私には辛いのです」
「……」
「もっと自分の感情を素直に出してください。私が……私ならいつでもそれを受け止めますから。どうか、あなたのその仮面を外してください」
「俺は……」
俺は、今までのことを思い出していた。
これまでの人生の中で、俺は辛い思いをたくさんしてきた。その思いを誰にも打ち明けず、ずっと心に溜め込んでいたのである。
それが、少しずつ決壊していく。俺の目からは、自然と涙が流れ始めたのだ。
「やっと……」
カーティアはそっと立ち上がり、俺の傍まで来た。そして、そのまま俺を抱きしめてくる。
「アルーグ様、本当によく頑張りましたね。あなたのことは、私が全部知っています。たくさん傷ついて、それでも折れずに戦って……」
「……」
「今はただ、その身を私に預けてください。どうか、全部吐き出してください。私が全部受け止めますから」
俺は、ゆっくりとカーティアにその身を預けていく。彼女の温もりが、俺の冷めていた心を温めてくれる。抑えてきた感情が、一気に溢れ出ていく。
それから、俺は子供のように泣きじゃくっていた。思えば、あの日からずっと、俺はこうしたかったのかもしれない。
◇◇◇
一しきり泣いた後、俺はカーティアと隣り合って座っていた。
彼女は、俺の手に自らの手をそっと重ねている。それが、少し気恥ずかしい。だが、悪い気はしない。俺は、それを心地いいと思っているのだ。
「……世話をかけたな」
「いえ」
「お前に頼みがある」
「なんでしょうか?」
そんな俺は、カーティアに一つ頼み事をすることにした。
いや、それはそのように言うべきことではないだろう。だが、今はその言葉しか思いつかなかったのだ。
「俺の妻になってもらえるか?」
「え?」
俺の言葉に、カーティアは驚いているような気がする。なんというか、その仕草から何を言っているんだという感じが伝わってくる。
「……これから、俺とお前の婚約がどうなるかはわからない。だが、俺はお前を手放したくはない。故に、ここで一つ宣言をしておくと思ったのだが……」
「なんというか、今更感満載ですね?」
「何?」
「アルーグ様は、やはり鈍感なのですね」
「それは……」
カーティアは、俺に対して呆れているような気がした。どうやら、いつかと同じように、俺は言動を間違えたようだ。
しかし、彼女からは俺の提案を拒否するような素振りはない。ということは、受け入れてもらえたということなのだろうか。
「さて、ここまで鈍感なアルーグ様には、もう少し格好良く決めていただきたい所ですね?」
「……どういうことだ?」
「言葉だけではなく、行動でも示してください……ここまで、言ってもわからないなら、いよいよ本当に呆れ果ててしまいますけど」
「……いや」
流石の俺でも、カーティアが何を言っているのかは理解できた。
彼女は、俺の目の前で目を瞑って何かを待っている。それが何を待っているかなどということは、明白だ。
恐らく、そういうことなのだろう。つくづく実感する。俺は、鈍感だったということに。
それに少し笑みを浮かべながらも、俺は彼女と唇を重ねた。この時も思ったのだ。俺はきっと、彼女には一生敵わないだろうと。
現当主である父をこの公爵家から排除するということは、この俺がその地位を受け継ぐということである。
それは、随分と早い継承だ。だが、それは仕方がない。そうしなければならないだけの理由があるからだ。
そんな俺には、この機会にもう一つ区切りをつけなければならないことがあった。という訳で、そのことを目の前の婚約者に伝えたのである。
「いえい」
その結果返ってきたのは、珍妙な掛け声と珍妙なポーズだった。
俺の支えとなり、心の穴を埋めてくれた彼女は、少し照れながらそんなことをしてきたのである。
長い付き合いのため、それが照れ隠しであるということはすぐにわかった。だが、照れ隠しであっても、それは確か喜んでいる時の仕草だったはずだ。
「お前の両親にも、改めてこのことは伝えるつもりだ……しかし、本当に大丈夫なのか? 度々心配になるのだが、ラーデイン公爵家には大きな問題がある」
「そのことでしたら、本当に何も心配いりません。両親は、アルーグ様のことを大そう気に入っていますから」
「……そうなのか?」
「ええ、その……無表情の娘が、それでも楽しそうだとわかる程に、嬉々として語る人だからと」
「む……」
カーティアの言葉に、俺はなんともいえない気持ちになった。
詰まる所、彼女は俺を両親にそんな風に語っていたという訳か。
「というか、それを言うなら、そちらも大丈夫なのですか?」
「……それは、どういうことだ?」
「だって、こんな無表情な女が公爵夫人になるんですよ? 色々と問題があったりしないのでしょうか?」
「そういうことか……」
そんなことに問題がないことなど明白である。そう思って口に出そうとしたが、いつかに彼女と交わしたやり取りを思い出す。
こういう時には、言葉ではなく行動で示すべきだったはずだ。そう思い、俺はゆっくりと立ち上がる。
「何を……んっ」
「……理解できたか?」
「なっ……!」
彼女と唇を重ねてみたが、それが正解だったかどうか、俺はすぐに不安になっていた。
なぜなら、彼女が少し怒っているような気がしたからだ。もしかすると、ここは行動で示す場面ではなかったのだろうか。
「……なんでしょうか。なんだか、無性に腹が立ちます」
「な、何故だ?」
「すかしやがって……」
「いや、それは……」
どうやら、俺の今回の行動は裏目に出てしまったようだ。困ったことに、また正解を引くことはできなかったという訳か。
ならば、また次の機会にこの経験を活かすとしよう。これから俺は、彼女と長い時間を過ごすのだ。きっといつかは、その正解に辿り着けるだろう。
私は、息子であるアルーグの元に来ていた。彼から、色々と聞きたいことがあったからである。
「母上、どうかされましたか?」
「アルーグ……実は、あなたに聞きたいことがあるの」
「……なんでしょうか?」
私の雰囲気で察したのか、アルーグは少し佇まいを整えた。
相変わらず、彼は優秀である。母親としての贔屓目もあるのかもしれないが、つくづくそう思ってしまう。
「……セリネアから、私に宛てた手紙が出てきたの」
「……そうでしたか」
「あなたは……彼女のことを知っていたみたいね?」
「……ええ」
私の問いかけに、彼はゆっくりと頷いた。
その顔は、少し悲しそうである。色々な思いが、彼にそんな表情をさせたのだろう。
「私は、父上の浮気を知りながら隠していました。そのことについて、母上には謝罪しなければなりませんね」
「いいえ、あなたが何を思っていたかはわかっているつもりよ。あの時、こんな話を聞かされていたら、私はどうなっていたことか……」
アルーグがどうして秘密にしたのかは、なんとなくわかっている。彼はきっと、二つの家族の生活を守ろうとしたのだろう。
その判断が間違っているとは、私も思わない。むしろ、賢明な判断だったとさえ思える。
「あの子は……酔ったあの人に無理やり関係を持たされたみたいなの」
「ええ、そのようですね」
「……そのことは知っていたの?」
「……私は、彼女のことをよく知っています」
「……そうだったわね」
私が気になっていたのは、アルーグの思いのことだった。
彼は、彼女に対して好意を持っていた。それは、子供の憧れのようなものだっただろう。だが、それでもそれは紛れもない好意だ。
そんな彼女が父親と関係を持った。それを彼がどう思っているかが、私は気になっていたのだ。
遅いかもしれないが、もしそれで傷ついているなら母親としてフォローしなければならい。そう思ったのだが、今の彼の様子から考えると、そのことに対する踏ん切りはついているようだ。
「母上……私は、あなた程偉大な人を他に知りません」
「あら? 藪から棒に何かしら?」
「今回の出来事で、私はそれを痛感しました。あなたの子として生まれて、本当によかったと私は改めて思いました」
「アルーグ……ありがとう」
アルーグは真剣な顔で、嬉しいことを言ってくれた。
彼も、随分と大きくなったものだ。私は、改めてそのことを実感していた。
近い内に、彼はこのラーデイン公爵家を継ぎ、結婚する。そんな彼の作る家庭は、何の不自由もなく幸せになって欲しいものだ。
私は、日の光にゆっくりと目を覚ました。どうやら、もう朝が来たようだ。
公爵家に来てからもう随分と経つが、未だにこの広いベッドにはなれていない。なんでこんなに広いのだろうか。その意味が、まったくわからない。
そういえば、エルーズお兄様の部屋のベッドは普通の大きさだった。私も、あれくらいの大きさでいいのに。
そう思いながら、私は横を向いた。すると、そこには見知った顔がある。
「オルティナお姉様、朝ですよ」
「すー」
「オルティナお姉様? 聞こえていますか? 朝ですよ」
私の隣で寝ているのは、オルティナお姉様だ。昨日、一緒に寝ようと私の部屋に押しかけて来たのだ。
別に断る理由もなかったので、私はそれを受け入れた。そうして、二人でこうやって朝を迎えた訳なのだが、ここで問題が発生したのである。
オルティナお姉様は、私の手をしっかりと握っていたのだ。眠る前にそんなことはしていなかったはずなので、夜中に何かの拍子でそうなったのだろう。
そのため、私は動けないのだ。それでは困るので、オルティナお姉様を起こすことにしたのである。
「起きない……」
しかし、オルティナお姉様は中々起きてくれなかった。私が何度も呼びかけても、気持ち良さそうに寝息を立てるだけである。
仕方ないので、このまま二度寝でもしようか。そう思って私は、ベッドに寝転がろうとした。
だが、そこで私は思い出す。今まで、朝中々起きてこなかったラーデイン公爵家の人々がどうなったのかを。
「オルティナお姉様、起きないとアルーグお兄様にまた叱られますよ」
「むにゃ……」
「いや、むにゃじゃなくて、ですね……」
以前、オルティナお姉様は昼前くらいまで眠っていたことがある。なんでも、前の晩に遅くまで起きて遊んでいたそうなのだ。
その話を聞いたアルーグ様は、大そう怒っていた。規則正しい生活を心がけるように、念入りに言っていたのである。
そのことを思い出したため、私は二度寝するのをやめた。それは、明らかに規則正しくないからだ。
「オルティナお姉様、起きてください!」
「うん……あ、ルネリア、おはよう」
「おはようございます。やっと起きてくれましたね……」
そんなことを考えながら呼びかけている内に、オルティナお姉様は目を覚ましてくれた。
彼女は、まだ眠そうな目をこすりながら、ゆっくりとその体を起こした。そして、そのままこちらに飛び込んでくる。
「オ、オルティナお姉様? どうされたのですか?」
「うーん……朝一番からルネリアの顔が見られるのって、なんかいいね」
「そ、そうですか……?」
オルティナお姉様は、私の体をしっかりと抱きしめてきた。
どうやら、もう眠気は吹き飛んだようだ。その声色が、いつもの元気な声に変わったので、私はやっと安心することができるのだった。
「へえ、それじゃあ、二人は昨日一緒の部屋で寝ていたのか」
「はい、そうなんです」
朝の支度を終えて部屋から出た私達は、ウルスドお兄様と会っていた。
朝食を取るために食堂に向かいながら、昨日の事情を話すと、彼は優しい笑顔を浮かべてくれる。
「楽しかったよ。ウルスドお兄様も、今度は一緒にどう?」
「いや、それは流石に色々と問題があるんじゃないか?」
「問題? 何かあるの?」
「俺は、お前と違って男兄弟だからな。なんというか、変だろう?」
オルティナお姉様の言葉に、ウルスドお兄様はそう答えた。しかし、お姉様の方はその答えにあまり納得していないらしく、その首を傾げている。
彼が何を言いたいかは、なんとなくわからない訳ではない。同性と異性の兄弟では勝手が違う。恐らく、そう言いたいのだろう。
「ルネリアは、どう? ウルスドお兄様と一緒に寝たくない?」
「別に、私は構いませんよ」
「私も構わないから、何も問題ないんじゃないの?」
「いや、そういう訳にはいかないだろう。第一、三人で寝ると狭いんじゃないか?」
「大丈夫、ルネリアの部屋のベッド大きいもん」
「……確かに、なんかやけに大きかった気がするな」
ウルスドお兄様は、そこで少し考えるような仕草をした。それは、私達と一緒に寝るということに対してではなく、私の部屋のベッドに対するものだろう。
ウルスドお兄様も、オルティナお姉様も大きいというくらいなのだから、私の部屋のベッドは貴族にとっても大きいものということだ。
私一人寝るだけなら、あんなに広い必要はない。なんというか、無駄に広いのだ。
ただ、それが今回は役に立ったといえるだろう。二人や三人で眠っても、まったく問題ないというのは、利点かもしれない。
「確か、ルネリアの部屋はアルーグお兄様が手配したはずよ」
「え? 姉上?」
「あ、おはようございます」
「おはよう、お姉様」
「ええ、おはよう」
私達の会話に、突如イルフェアお姉様が入ってきた。
どうやら、三人で歩いているのを見つけて、追いついてきたようだ。
「おはよう……えっと、つまり、なんでベッドが大きいかは兄上に聞かないとわからないということか?」
「ええ、そういうことになるわね。まあ、お兄様のことだから、何か理由はあるのだと思うのだけれど……」
「ベッドが大きい理由ね……あんまり想像できないな」
イルフェアお姉様の言葉に、ウルスドお兄様はまたも考えるような仕草をする。確かに、ベッドが大きい理由はあまり思いつかない。一体、アルーグお兄様は何を思っていたのだろうか。
そんな風に和気あいあいと話し合いながら、私達は食堂に向かうのだった。
「ルネリアの部屋のベッドが大きい理由か……」
朝食の際、私達はアルーグお兄様に例の件を聞いてみることにした。
その質問に対して、彼は頭を抱えて少し苦い顔をしている。
恐らく、それを決めた時のことを思い出しているのだろう。どうやらそれは、あまりいい決まり方ではなかったようだ。
「実の所……あれは、婚約者に押し切られたんだ」
「婚約者……カーティア様ですか?」
「ああ、いつだったか話の流れで、そうなったんだ。ベッドは大きい方がいい。大は小を兼ねる。そんなことを言われて、血迷った俺は言われた通り発注したんだ……」
どうやら、あのベッドはお兄様の婚約者であるカーティアさんが発端のようである。
それは、なんとなく納得できる。彼女には以前あったことがあるが、結構活発な女性だった。そういうことをいいそうな人だったのだ。
「あら? お兄様も案外、尻に敷かれているのね」
「……そういうことになるのかもしれないな」
「……姉上、今お兄様も、といったか? まるで、他に尻に敷かれている奴がいるみたいな言い方だが……」
「え? だって、ウルスドはそうでしょう?」
「いや、そんなことはない。俺は別に……」
イルフェアお姉様の指摘が、何故かウルスドお兄様に飛び火していた。
だが、ウルスドお兄様がクレーナさんに頭が上がらないのは公爵家において、既に周知の事実である。そのため、彼の他にイルフェアお姉様の言葉に違和感を持った者は誰もいないだろう。
いや、ウルスドお兄様だって、心当たりがあるから突っ込んだはずだ。恐らく、自分でもそれはわかっていたのだろう。
「ベッドが大きすぎるというなら、新しいものを買っても構わないが……」
「いえ、そんな必要はありません。別に大きくて困ることはありませんから」
「そうか……」
アルーグお兄様の言葉に、私は首を振った。
ベッドを買い替えるなんて、とんでもないことだ。まだ全然使えるのに買い替えるなんて、それは間違っている。
もちろん、公爵家にはお金はたんまりあるのだろう。でも、無駄遣いするのはよくないはずである。
使えるものはとことん使う。私は、そんな平民としての考えを大切にしていきたいと思っている。よって、ベッドはあのままで構わないのだ。
「うんうん、ベッドはあのままでいいよ。だって、大きい方が一緒に寝られるし」
「一緒に寝られる? 何かあったの?」
「昨日、私はルネリアと一緒に寝たんだよ、エルーズお兄様」
「そうだったんだ。楽しそうだね」
「うん、エルーズお兄様も今度一緒に寝る?」
「……いや、僕は遠慮しておくよ。迷惑をかけそうだし」
そんな風に思っていると、エルーズお兄様とオルティナお姉様がそんな会話を交わしていた。
エルーズお兄様は、以前に比べると少し明るくなった気がする。最近はリハビリも頑張っているそうだし、その体質を改善するために頑張っているのだ。
でも、今のエルーズお兄様の言葉は少し胸にちくりとした。なんというか、私はお兄様にそんなことを言って欲しくないのだ。
そんな風な気持ちで、私は朝食を食べていた。美味しかったが、なんだかずっともやもやとした気持ちは消えなかった。
「という訳で、私は少しもやっとしたんです」
「確かに!」
私は、エルーズお兄様の言葉に関して思ったことを、オルティナお姉様に打ち明けることにした。
既に、時刻は夜である。オルティナお姉様は、今日も私の部屋にやって来たのだ。
私が今日一日感じていたことを話すと、彼女は大きく頷いてくれた。どうやら、気持ちは同じだったようである。
「迷惑とか、そういうのは嫌だよね。そりゃあ、エルーズお兄様は病気がちだけど、そんなの関係ないってというか……」
「そうですよね」
「うん、これはなんとかしないといけないよね」
「行きますか?」
「うん、行こう!」
私の言葉に、オルティナお姉様は大きく手を上げてくれた。
という訳で、私達は早速行動を開始する。私の部屋から出て、とある人物の部屋に向かうのだ。
オルティナお姉様の理解が早くて、本当に助かった。これで、私は今日感じていたもやもやをやっと晴らすことができそうである。
「エルーズお兄様、入るからね」
「え?」
しばらく歩いて、私達はエルーズお兄様の部屋までやって来ていた。
彼の返答も聞かず、オルティナお姉様は部屋の戸を開ける。こういう時の大胆さは流石だ。
「エルーズお兄様、元気?」
「え、えっと……まあ、今日は体調もいい方だよ?」
「それなら歩ける?」
「歩けるけど……」
「それじゃあ、行こう!」
「行くって、どこに?」
困惑するエルーズお兄様の手を、オルティナお姉様は握って引っ張っていた。
訳がわからないというような顔をするエルーズお兄様の空いている方の手を私は握る。
「ルネリア? あの、事情を説明して……」
「いいから、来てください」
「ええ……」
私達は、二人でエルーズお兄様を引っ張っていった。多少混乱しながらも、彼は私達について来てくれる。
そうやって少し歩いて、私の部屋の前まで来ると、エルーズお兄様はようやく事態を少し飲み込めたのか、納得したような表情になる。
「……もしかして、二人とも朝のことを気にしていたのかな?」
「あ、そこまでわかったんですね?」
「うん……その、あれを言ってから、なんとなくちょっと空気が変わったような気がしたから」
エルーズお兄様は、自分が失言していたことを理解していたようだ。
その言葉からして、あの言葉に嫌な思いをしたの私達だけではなかったと私は初めてわかった。どうやら、あの場にいた皆、気持ちは同じだったようである。
「エルーズお兄様、迷惑とかそういうことは言わないでください」
「そうだよ。他に理由があるならともかく、そういうことで私達の誘いを断るのは、駄目なんだからね」
「……ごめん、二人とも。ありがとう」
私達に対して、エルーズお兄様はゆっくりと頭を下げてきた。わかってもらえたなら、本当によかった。これでもう、エルーズお兄様はあんなことは言わないだろう。
「……本当はね、オルティナの誘いに乗ってみたかったんだ。普通の人みたいに、二人と遊べたらいいなって」
「それなら、そうしましょうよ」
「うん、そうだね」
私とオルティナお姉様に引っ張られて、エルーズお兄様は私の部屋に入っていく。
その表情は笑顔だった。それが私達は、ただただ嬉しかった。
「ふぅ……」
オルティナとルネリアに引っ張られて部屋に入っていくエルーズを見ながら、私はゆっくりとため息をついた。
どうやら、今回の事件は二人が解決してくれたようだ。とりあえず、これで一安心である。
「……まあ、丸く収まって良かったと思う反面、本当に大丈夫なのかと思わなくもないな」
「あら? そう?」
「いや、エルーズは兄貴とはいえ、男な訳だし、妹と一緒に寝るというのは、なんというか変じゃないか?」
「まあ、エルーズの年を考えると普通ではないかもしれないわね。でも、あの子は今までそんな普通を体験してこなかった訳だし……」
「まあ、そうかもしれないが……」
隣のウルスド的には、兄が妹と一緒に寝るのは微妙なことらしい。
別に、そう思うのもそれ程おかしいことではないだろう。実際問題、この話を他の貴族なんかに話していいかといわれると、微妙な所だ。
兄と妹の仲が良いなんて、思ってくれる方が少ないだろう。あることないこと言われるのは、容易に想像できる。
「そう思うなら、ウルスドがエルーズを誘っても良かったんじゃない?」
「いや、男同士で一緒に寝るというのも、なんだか変な話だろう?」
「そうかしら? お兄様はどう思う?」
「俺に話を振るな」
男同士の同衾というのは、どうなのだろうか。そう思った私に対して、ウルスドもアルーグお兄様もあまりいい反応はしなかった。
別に、私はオルティナやルネリアと一緒に寝るのに抵抗はない。むしろ、朝のことがなければ、ルネリアの部屋を訪ねてみようかと思っていたくらいだ。
だが、男兄弟では、そういう訳にはいかないようである。微笑ましくて、いいと思うのだが。
「……でも、ウルスドなんかは、昔お兄様にべったりだったわよね?」
「え?」
「お兄様は覚えているでしょう? ウルスドがいつも後ろを追いかけていて、私は少し嫉妬していたことをよく覚えているわよ」
「ふん……」
私の思い出話に、お兄様はため息をついた。それは、多分覚えているからこそ出たため息だろう。
ウルスドは、アルーグお兄様に良く懐いていた。お兄様を取られて寂しい、弟が懐いてくれなくて寂しい。二つの意味で、私もよく嫉妬していたものである。
「その代わり、お前はオルティナに懐かれていただろう?」
「それは、そうだけど……でも、そういう問題ではないでしょう?」
ウルスド以外の下の子達は、彼とは少し違っていた。
エルーズはどちらにも平等な感じで、オルティナは私の方によく懐いていたのである。
でも、私としてはウルスドにだってそんな風に接してもらいたかった。他の子に慕われていたとしても、それは変わらないのだ。
「欲張りな奴だ」
「でも、お兄様もそうだったんじゃないの?」
「それは、どうだかな……」
「やっぱり、お兄様は素直じゃないのね?」
基本的に、アルーグお兄様はあまり素直ではない。本当は、皆のことが大好きなのに、それを表に出そうとしないのだ。
そんな風な会話をしながら、私達は笑い合うのだった。