公爵家の隠し子だと判明した私は、いびられる所か溺愛されています。

 一日中ついていたが、イルフェアお姉様は特に何かを見せることはなかった。
 考えてみれば、それは当然のことだ。例え裏があったとしても、一緒にいてそれを見せる訳がない。
 ということは、やはり隠れて見守るべきだろう。ただ、イルフェアお姉様は妙に鋭いので、対象を変えるべきかもしれない。

「さて……」

 という訳で、私はウルスドお兄様のことを観察していた。
 彼は、三人いるお兄様の内の一人だ。真ん中の兄である。

「……ルネリア、もしかしてそれで隠れているつもりなのか?」
「え? あ、いや、その……」
「どうしたんだ? そんな風に隠れて……もしかして、何かやましいことでもしているのか?」
「そ、そんなことはありません」

 隠れていようと思っていた私は、何故か見つかってしまった。
 そんなにわかりやすかっただろうか。自分では、きちんと隠れているつもりだったのだが。

「うん? そういえば、姉上から聞いたな……なんか、姉上の立ち振る舞いを観察していたとか」
「え? あ、まあ、そうですね……」
「まさか、俺の立ち振る舞いも観察しているのか? 言っておくが、姉上と比べると俺から学べる部分は少ないと思うぞ?」

 ウルスドお兄様は、そう言って笑っていた。
 確かに、彼は貴族らしいという訳ではない。どちらかというと、オルティナお姉様に近いタイプだ。

「おい、今、心の中で納得していなかったか?」
「え? いえ、そんなことはありませんよ。ウルスドお兄様からも学ぶことは、たくさんあります」
「目が泳いでいるぞ?」
「気のせいじゃないですか?」

 私の心を、何故かウルスドお兄様は読んでいた。何故、こんなにも簡単にわかるのだろうか。

「まあ、貴族らしくない自覚はあるから、いいんだけどな。俺は、兄上や姉上のようにはなれそうにない」
「そ、そうなのですか?」
「ああ、俺はそういう堅苦しいのが、あんまり好きじゃないんだよ。もっと自由に生きたいというか……」

 ウルスドお兄様は、少し悲しそうな笑みを浮かべていた。
 もしかして、彼は貴族としての生活に不満を感じているのだろうか。もっとやりたいことがあるとか、そういうことなのかもしれない。

「おっと、悪かったな……あまり気にしないでくれ。自分でも、贅沢な悩みだと思っているんだ、これは……」
「え? えっと……わかりました」

 ウルスドお兄様は、私の頭をゆっくりと撫でてきた。
 よくわからないが、彼の中にも色々と悩みがあるようだ。それはきっと、私に相談しても解決することではないのだろう。
 それは少し悲しい気がした。お兄様の力になれたらいいのに。そんな感想を私は、抱くのだった。
 ウルスドお兄様と一日一緒にいたが、結局裏は見えなかった。
 もちろん、それはイルフェアお姉様の時と同じだ。一緒にいたのだから、裏なんて見えるはずはない。

「楽しかったなあ……」

 イルフェアお姉様やウルスドお兄様と過ごした時間は、とても楽しかった。
 しかし、だからといって油断することはできないだろう。隠し子の私が、こんな楽しい時間を過ごせるなんて、おかしいはずだ。
 でも、ラーデイン公爵家の人達が単純にいい人というだけなのではないだろうか。そんな考えが、私の中に浮かんできた。

「駄目駄目、そんな簡単に信用するべきではないよね……」

 だが、私はその考えを否定する。相手は、公爵家の人々なのだ。そんなに簡単に信じていい訳ではないだろう。
 色々と策略を張り巡らせるのが貴族だと、私は聞いている。だから、きっとここにも何かしらの策略があるはずなのだ。

「ルネリア、どうかしたのかい?」
「うぇ?」

 そんな私に、横から誰かが話しかけてきた。
 その方向を向くと、エルーズお兄様がいる。彼は、一番下の兄だ。
 実の所、私は今日彼を標的に決めていた。どうして、私はこうも見つかるのだろう。ちゃんと隠れているはずなのに。

「エルーズお兄様、えっと……なんでもありませんよ」
「そう? 少し顔色が悪いように思えるけど……」

 エルーズお兄様は、私のことを心配そうに見てきた。色々と考えていた私の様子を、具合が悪いと思ったようだ。
 いつも穏やかで優しいのが、エルーズお兄様である。その優しさに、私は何度も救われてきた。
 ただ、正直言って、その心配の言葉は彼にそのまま返したいと思うことがある。なぜなら、彼はいつも少し具合が悪そうに見えるからだ。

「うん? 僕の顔に何かついているのかい?」
「あ、いえ、そういう訳ではないんですけど……」

 エルーズお兄様は、綺麗な顔をしている。男の人ではあるが、彼を表現するならかっこいいよりも美しいというべきだろう。
 その綺麗さは、儚さとも言い換えられるかもしれない。なんというか、少し触れただけで壊れてしまいそうなそんな印象を受けるのだ。

「……何か悩みがあったら、打ち明けるんだよ。僕じゃなくてもいい。兄上達、姉上……オルティナでもいいから」
「は、はい。そうさせてもらいます」
「うん、それがいい」

 エルーズお兄様は、ゆっくりと笑った。その笑みは、思わず見惚れてしまう程に美しい。

「それじゃあ、僕はこれで行くね」
「え? あ、はい……」

 エルーズお兄様は、それだけ言って歩いて行った。
 その後ろをつけていくことはできたはずである。だが、私はそれを追いかけなかった。秘密を探りたい。そういう気持ちが、微塵も湧いてこなかったのである。
 私は、廊下を歩きながら少し考えていた。本当に、このままお兄様やお姉様のことを調べるのは正しいことなのだろうか。
 エルーズお兄様のことを、私は調べたいとまったく思わなかった。その気持ちが湧いてきて、これからの調査のやる気があまり出なくなったのだ。

「一応、あそこにオルティナお姉様はいるけど……」

 私の視線の先には、オルティナお姉様がいる。一応、彼女のことを調べようと思っていたからだ。
 彼女は、二人いる姉の一人である。彼女は、下のお姉様だ。
 ただ、あまり気は進まない。だんだんと、私は兄弟に疑念を抱けなくなってきているのだ。

「あれ? ルネリア?」
「あ、オルティナ、お姉様……」

 そこで、私とオルティナお姉様の目が合った。
 今回、私は別に隠れていない。気が進まなさ過ぎて、とぼとぼと彼女の後ろを歩いていただけだったからだ。
 そのため、別に見つかるのはおかしくない。後ろを向いたら、普通に気づくだろう。

「ルネリア!」
「わあっ!」

 私がそんなことを思っていると、オルティナお姉様が抱きしめてきた。結構距離は離れていたはずだが、一瞬でそれを詰められて、少しびっくりである。
 しかし、オルティナお姉様はいつもこんな感じだ。私を見ると、すぐに抱き着いてくる。それが、お姉様なのだ。

「もういるならいるって、言ってくれればいいのに」
「え、えっと……すみません」
「別に謝らなくてもいいよ……それより、ルネリア、何か元気ない? もしかして、お腹でも痛いの?」
「あ、いえ、そういう訳ではありません」
「そうなの? 何かあるんだったら、お姉ちゃんに言ってよね? 私、ルネリアのためなら、なんでもするから!」

 オルティナお姉様は、はつらつとした笑顔を浮かべていた。その笑顔を見ていると、なんだか元気が湧いてくる。

「あ、なんだかいい顔になったね?」
「え? そうですか?」
「うん、そうだよ。やっぱり、こうやってぎゅっとしているからいいのかな?」
「……そうかもしれませんね」

 オルティナお姉様のおかげで、私にはすっかり活力が戻っていた。
 やっぱり、暗い気持ちばかりではいけない。もっと明るくなるべきだ。

「そうだよね、こうやっていると幸せな気持ちになれるもん。間違いないよ。皆、どうしてこうしないのかな?」
「それは……色々と問題があるからじゃないですか?」
「問題? 何かあるの?」

 私の言葉に、オルティナお姉様は首を傾げていた。
 彼女は、貴族の作法だとかそういうことをまったく気にしない。そのため、こうやって抱き着くこともまったく気にしてはいないのだろう。
 それは、平民だった私にとっては、接しやすいといえる性質だ。貴族としては、少々問題があるのかもしれないが。
 オルティナお姉様から元気をもらった私は、調査を再開することにした。
 暗い気持ちは吹き飛んだので、やる気が湧いてきた。真実を知るために、今日も私は行動するのだ。

「……よし」

 という訳で、私は今日もとある人の後をつけることにした。
 それは、アルーグお兄様である。私達兄弟の一番上のお兄様だ。

「……今日は、ばれないように」

 私は物陰にしっかりと身を隠している。今日こそは見つからないだろう。あちら側から私は、どうやっても見られないはずだ。

「……そこにいるのは、わかっている。出てきたら、どうだ?」
「え?」

 しかし、そんな私にお兄様はそう話しかけてきた。
 それに、私は驚いた。今日こそは完全に体を隠せている。それなのに、どうして見つかったのだろう。
 以前までと比べて、物陰から相手の様子を窺う回数も減らしていたのに、それでも駄目なのだろうか。なんというか、誰か尾行の方法を私に教えて欲しい。

「アルーグお兄様、どうしてわかったのですか?」
「……ほう。本当にいたのか。言ってみるものだな」
「え?」

 アルーグお兄様が何を言っているか、私には一瞬わからなかった。
 だが、すぐに理解する。もしかして、お兄様はかまをかけていたのだろうか。

「そんな顔をするな……簡単なことだ。お前が妹や弟をつけていたことは聞いていた。故に、俺にもついているのではないかと思ったのだ」
「そ、そんな……」

 私は、お兄様の策略にまんまと引っかかってしまったようだ。それは、なんとも情けない話である。
 でも、流石はアルーグお兄様だと思った。冷静でありながらも、大胆な面もある切れ者。それが、私が彼に抱いている印象だ。
 今回も、その印象通りの行動を彼はしていた。やはり、アルーグお兄様はすごい人なのだ。

「……ふん、それでお前はどうして兄弟をつけたりしているのだ?」
「え? いえ、それは……」
「イルフェアに言った言葉が嘘であることは、既にわかっている。それが本当なら、他の兄弟をつける理由がない」
「うっ……」

 アルーグお兄様は、冷静に私を詰めてきた。それは、とても優しい口調だが、少し怖い。

「お前が何を思っているかはわからない。だが、つけられるというのがあまりいい気持ではない。故に、お前がこれ以上それを続けるというなら、俺も少し強めに注意せざるを得ない」
「そ、それは……」
「……一つアドバイスをしておいてやろう。母上から話を聞け。それで、お前の憂いは晴れるはずだ」
「……え?」

 アルーグお兄様は、それだけ言って去って行った。
 残された私は、困惑していた。その話している内容が、色々と不可思議だったからだ。
 お兄様は、私のことをどこまで理解しているのだろうか。それがわからない。
 さらにわからないは、お母様から話を聞くということだ。一体、それで私の憂いの何が晴れるというのだろうか。
 私は、アルーグお兄様に言われた通り、お母様から話を聞くことにした。
 お母様とは、このラーデイン公爵家の現当主の妻にあたる人物だ。私にとっては、義母というか、継母というか、そういう存在である。

「ふう……」

 私は、お母様の部屋の前でゆっくりと深呼吸した。
 正直な話、彼女と話す時にはいつも緊張する。なぜなら、私という存在が、彼女にとってどういうものなのか、理解できているからだ。
 お母様にとって、私は浮気相手の子供である。そんな私に対して彼女は優しいが、本当の所はどう思っているかわからない。
 私は、それが怖いのだ。他の兄弟達もそうなのだが、お母様に関してはもっとそうなのである。

「……私の部屋の前で、何をしているのかしら?」
「え?」

 そんな私に後ろから話しかけてくる人がいた。
 後ろを向いてみると、とある人物がいた。それは、お母様である。

「え、えっと……実は、その、話したいことがありまして」
「私に? 珍しいわね……まあ、いいわ。中に入ってちょうだい」
「はい……」

 お母様は、少し不思議そうな顔をしていた。
 それは、そうだろう。私からお母様と話したいなんて、今までなかったことである。急にそんなことを言われたら、普通に驚くだろう。

「それで、私に話というのは?」
「え、えっと……」

 お母様と対面して座って、私は少し言葉に詰まっていた。
 アルーグお兄様に言われた通り、お母様に色々と聞くべきなのだろう。一番私に複雑な思いを抱いているはずの彼女から話を聞けば、私の答えは得られるかもしれない。
 だが、それを言おうとすると言葉が出てこなかった。喉の奥で、何かが引っかかるのだ。

「……お母様に、聞きたいのです」
「……何かしら?」
「どうして……どうして、お母様は、それにお兄様やお姉様達は、私に……こんなにも優しくしてくださるのですか?」
「……」

 私は、なんとか言葉を絞り出していた。無理をしたからか、少し喉の辺りが熱い。
 そんな私の言葉を受けて、お母様は目を丸くしている。私の質問に、驚いているのだろう。
 その後、お母様は悲しそうな表情になる。それが、どういう意味を持つのか、私にはわからない。

「なるほど……最近、イルフェア達をつけていたというのは、そういうことだったのね?」
「え? えっと……」
「その理由が知りたくて、つけていたのでしょう?」
「……はい」

 私の言葉だけで、お母様は全てを理解していた。あれだけでここまでわかるなんて、驚きである。
 ただ、こちらとしては話が早くて助かった。色々と言うべきことが省けたのは、今の私にとっては幸いなことだ。

「そうね……その理由を話してもいいわ。あなただって、知りたいでしょうし……ただ、これは私の考えでしかないわ。あなたの兄弟が何を思っているかまでは、私にはわからないもの」
「……それでも、聞かせてください」
「わかったわ……少し、長くなるけど、いいかしら?」
「はい……」

 私は、お母様の言葉にゆっくりと頷いた。
 こうして、私はお母様から話を聞くことになったのである。
 私アフィーリアは、ラーデイン公爵夫人である。
 公爵夫人として、私は夫と公爵家に尽くしてきたつもりだ。良き妻といえたかどうかはわからないが、それなりに頑張ってきたと自負している。
 しかし、夫は私に対してそうは思っていなかったようだ。なぜなら、彼は浮気していたのだから。

「隠し子……?」
「ええ、そのようです」
「そんな馬鹿な……」

 結婚してから二十年以上経ってから、私は夫の浮気を知ることになった。
 彼は、平民の村娘と浮気して、その間に子供をもうけていたらしい。それは、もう十年以上も前の話であるそうだ。
 許せないという気持ちが、当然湧いて出てきた。夫も浮気相手もその子供も、全てに対して憎しみが生まれた。
 それを押さえつけながら、私は使用人から事の次第を聞くことにする。激情に任せて行動する程、私はもう未熟ではない。そう自分に言い聞かせながら。

「続きを」
「……旦那様の浮気相手ですが、既に亡くなっているようです」
「……亡くなっている?」
「ええ、心労で亡くなったようです」
「年は?」
「三十歳だったそうです」

 私は、自分の中でふつふつと湧き上がっていた怒りが、ほんの少しだけ鎮まるのを感じていた。
 いい気味だと思ったのか、それとも同情したのか、それは自分でもわからない。

「その一人娘であるルネリア様を、旦那様はこの公爵家に保護するつもりのようです」
「それは……」
「公爵家の血を引く者に、平民としての暮らしを送らせる訳にいかない。そう旦那様は考えているようです」

 使用人の説明に、私は納得していた。夫の言わんとしていることは、理解できない訳ではなかったからだ。
 だが、理解できていたとしても、怒りが湧いてくる。どうして、そんなことになるのか。頭ではわかっているのに、そう思ってしまうのだ。

「私のことは、煮るなり焼くなりしても構わない。だが、娘だけは救ってやって欲しい。それが、旦那様から伝えるように言われたことです」
「救う? 平凡な平民だった娘が、この公爵家に来ることを、救いだというの?」
「それは、私にはわかりません」
「……そうね、ごめんなさい」

 夫の言葉の全てに、腹が立った。どうして、こうも彼は勝手なのだろうか。今まで、私がこの公爵家のためにしてきたことはなんだったのか。
 頭の中が、ぐちゃぐちゃになっていくことを感じていた。自分がこれからどうするつもりなのか、それがまったくわからない。

「今更……ここから出て行くこともできないのよね」

 私は、ゆっくりとそう呟いていた。
 この公爵家を去りたい。そう思った直後に浮かんできたのは、子供達の顔だ。
 どれだけ自分が嫌な思いをしたとしても、あの子達の元から離れることに比べればどうということはない。
 そんな思いが、私をこの場所に踏み止まらせたのだ。
 結局、浮気相手の子供ルネリアは、ラーデイン公爵家にやって来た。
 最初に見た時、彼女は明らかに怯えていた。それは、そうだろう。ここは彼女にとって、未知の場所なのだから。
 それを、私はいい気味だと思っているのだろうか。自分でもそれがわからなくて、ただ自嘲的な笑みを浮かべることしか、私にはできなかった。

「さて……」

 私は、ルネリアの部屋を訪ねることにした。
 何れは、顔を合わせなければならないのだ。それならば、一度話し合っておいた方がいいだろう。
 そう思って自分の部屋を出てから、私は色々と考えていた。
 あの小さな子に対して、自分は何をするつもりなのだろうか。この胸にある激情をぶつけるつもりなのだろうかと。

「あら? 何をしているのかしら?」
「あ、奥様……」

 ルネリアの部屋の前まで辿り着くと、そこにはメイドが立っていた。
 彼女は、私の方から気まずそうに視線をそらす。私とこの部屋にいる彼女の関係性を考えて、そうしたのだろう。

「例の子は、ここにいるのかしら?」
「は、はい……ですが、今は入らない方がよろしいかと」
「……どういうこと?」
「それは……」

 私の視線に怯えたのか、メイドは少し怯んだ。
 それによって、私は今自分がどういう顔をしているか理解した。私は怒っているのだ。恐らく、ルネリアという子に向かって。
 しかし、それでもメイドの言っていることが気になったため、私はそっと戸を開けて中の様子を確認してみる。それは、私の中に残っていた理性が取らせた行動なのだろう。

「……お母さん」

 部屋の中を覗いてみて、目に入ってきたのはベッドの上で泣いている少女の姿だった。
 その女の子は、枕に顔を埋めながら、泣いている。苦しそうに、母を呼びながら。

「……」

 私は、そっと戸を閉めてメイドの方を見た。すると、彼女がなんともいえない表情をしている。
 私は、どうすればいいのだろうか。そう問いかけたかったが、そんなことを言われても困るだけなので、それは言わないことにする。

「困ったものね……」

 代わりに口から出てきたのは、そんなか細い感想だった。その感想に対して、メイドはゆっくりと笑みを浮かべる。

「奥様は、お優しい方ですね……」
「そうかしら?」
「はい……奥様程、お優しい方を私は他に知りません」

 メイドから返ってきたのは、そんな言葉だった。ここで部屋に入らなかった私に対して、彼女はそういう感想を抱いたようだ。
 それに、私はどういう表情をすればいいのかわからなかった。お礼を言うこともできず、ただ押し黙ることしかできない私は、もう一度だけ部屋の中の様子を窺う。

「お母さん、お母さん……」

 ルネリアという少女は、今どのような気持ちなのだろうか。
 母を失い、見知らぬ場所に連れて来られて、それで彼女はどんなことを思うというのだろうか。
 それに対して、私はどうするべきなのだろうか。それが私には、未だにわからないのだった。
 結局、私はルネリアと話すことができなかった。
 泣いている彼女に、どんな言葉がかけられただろうか。それが、私にはわからなかったのだ。

「わからないことだらけね……」

 私は、自分がわからなくなっていた。
 ルネリアに、私は憎しみを覚えていたはずだ。だが、それなのに今、私は彼女に少し同情している。
 母を失い、見知らぬ者達に囲まれた所に連れて来られた彼女に、私は哀れみを覚えているのだ。

「生まれてきた子供に罪はない……そう考えるべきなのかしらね」

 私は、ルネリアのことを恨むべき対象ではないと思うべきなのかもしれない。
 夫もその浮気相手も、私が許せないことをした。ただ、彼女はそうではない。そんな彼女に怒りをぶつけることは間違っているだろう。
 それは、わかっていたことだ。わかっていても完全にそうは思えなかったことだ。
 だが、今なら思える。彼女の生まれは、彼女に関係ないのだと。

「それで……いいのかしら?」

 しかし、そこまで考えても私は迷っていた。本当に、それでいいのかと。
 悩んでも悩んでも答えは出ない。自分の心も理論も混ざり合って、私はひどく混乱するのだった。

「……え?」

 そんな私は、気分を変えようと窓の外を見た。すると、そこには二人の少女がいる。
 それは、私の娘であるオルティナとルネリアだった。二人が、庭で遊んでいるのだ。

「オルティナ……」

 楽しそうに笑っているオルティナと比べて、ルネリアは少し困惑しているように見える。ただ、それでもオルティナについて行っているのは、それが楽しいと思っているからだろう。

「そうよね……あの子には、私達のことは関係ない」

 そこで、私は思い出した。オルティナは、何度か弟や妹が欲しいと言っていたことを。
 そんな彼女にとって、ルネリアの存在はとても嬉しいのだろう。妹ができて、彼女ははしゃいでいるのだ。
 そこには、私達大人の確執はない。彼女達二人にとって、それは重要なことではないのである。

「そうよね……大人のことは、大人で解決しなければならないのよね」

 楽しそうに二人を見て、私の中にあった迷いは一気に晴れていた。
 彼女達は、大人の問題とは関係がない場所にいる。そんな彼女達に健やかなる日常を送ってもらうためにも、大人の問題は大人で解決するべきなのだろう。

「どうしてかしらね……案外、晴れやかな気分なのは」

 結論を出して、私は何故かとても晴れやかな気分になっていた。
 こんな気分になるのだから、私が出した結論は間違っていないのだろう。そう思って、私は少しだけ笑うのだった。
 私は、お母様から話を聞いていた。
 彼女は、私がこのラーデイン公爵家の隠し子だと判明して、ここに私が来るまで何を思っていたかを話してくれた。
 恐らく、包み隠さず話してくれたのだろう。私が嫌だと思うようなことも、お母様ははっきりと口にしていたのだから。

「さて、どうかしら? これが私の素直な気持ちよ」
「……話してくれて、ありがとうございます。おかげで、なんとなくわかりました」

 お母様が話してくれた内容は、私に対する複雑な思いが溢れていた。
 でも、結局彼女は私に恨みを向けることをやめたのだ。私に罪はないとそう思ってくれたのだ。
 大人の過ちに、子供は関係ない。お母様だけでなく、このラーデイン公爵家の人々は皆そう思っているのかもしれない。
 それが、お母様の話を聞いて、私の出した結論だ。

「ねえ、ルネリア、こっちに来てくれない?」
「え? ええ、いいですけど」

 そこで、お母様は私に手招きをした。とりあえず、私はそれに従うことにする。

「……え?」
「ふふっ……」

 お母様に近づいた私は、ゆっくりと抱きしめられていた。
 突然のことに、私は驚く。驚きながらも、その温かさを感じ少し安心する。

「泣いているあなたを見て、どうすればいいのか、あの時私はわからなかった。でも、今ならわかるわ。こうすればよかったのだと……」
「……」
「辛かったのよね……ごめんなさい、もっと早くにこうしておけば、あなたをその苦しみからもっと早くに開放してあげられたかもしれないのに……」
「そんな……」

 お母様の言葉に、私はゆっくりと涙を流していた。
 どうして涙が出てくるのだろう。それが、私にはわからない。だって、あのことはもう気にしていなかったはずなのに。
 それからしばらく、私はお母様の胸の中で泣いていた。その間、彼女はずっと抱きしめてくれていた。
 お母様は、優しい人だ。このラーデイン公爵家の人達は、優しい人達だ。それしか言葉が見つからない。



◇◇◇



 私は、公爵家の人達の優しさに何か裏があるのではないかと思っていた。そして、調査を始めたのである。
 その結果わかったことは、公爵家の人達がただただ優しい人達だったということである。

「ううん。そうじゃないよね……」

 私は、ゆっくりと首を振っていた。自分の間違いに気がついたからだ。

「お母さん、私の家族は皆優しい人だったよ」

 私は、天国のお母さんにそっとそう呟くのだった。