私は、婚約者のキルクス様と会っていた。
彼と最初に出会ってから、しばらく経つ。関係的には、悪くないと思っている。仲が良いかはわからないが、悪くないことだけは確かだ。
「……浮かない顔をしているな。何かあったのか?」
「え?」
そんなキルクス様から、私はそんな質問をされた。
浮かない顔をしている。それが何故かは、すぐにわかった。思いつく悩みがあったからだ。
「実は、悩んでいることがあるんです」
「……俺で力になれるかはわからないが、良かったら話してくれ。人に話すだけでも、楽になるものだぞ?」
「……そうですね」
キルクス様の言葉に、私は少し驚いていた。まさか、ここまで心配してくれるとは思っていなかったからである。
そんな彼に、私は相談してもいいかと思った。他に相談できる人もいないし、彼なら丁度いいよう気がしたのだ。
「……実は、妹との関係性に悩んでいて」
「妹との関係性……ああ、確か、ラーデイン公爵家には隠し子が見つかったんだったな?」
「ええ、可愛い妹なんですけど……」
「……?」
私の発言に、キルクス様は面食らった顔をした。どうしてそんな表情をするのだろうか。
そう思ってすぐに気づいた。隠し子であるルネリアを可愛いというのは、他の人から見たらおかしいことなのかもしれないと。
「その……関係としては、良好なんです。あ、いえ、良好なのかどうかは、正直微妙かもしれません。ただ、こう……ドロドロとはしていないとか」
「……なるほど、大体はわかった。要するに、お前は隠し子に対して敵意などは持っていないということだな?」
「敵意なんて、そんなもの……」
「ふっ……そうか」
私の様子に、キルクス様は笑っていた。なんだか、少し恥ずかしい。
「お前が、そんな風に動揺している所を見るのは初めてだ。そういう顔もするのだな?」
「え? それは……」
キルクス様の言葉に、私は少し動揺した。なぜなら、それは私を特別な存在であると言っているように聞こえたからだ。
だが、そんなことではいけない。私は今から、それについて相談するのだ。色々と悩むのは、それからでいいだろう。
「ええっと……キルクス様に、一つ質問してもよろしいでしょうか?」
「なんだ?」
「キルクス様は、お兄様のことを特別な存在だと思っているのですか?」
「特別な存在? ふむ……それは、どういうことだ?」
私が質問をすると、キルクス様は真剣な表情になった。それは、私のことを理解しようとしてくれているように思える。
そのことに、私は少しだけ安心する。ここでまったく意味がわからないと言われると、流石に辛かったからだ。
「キルクス様は、お兄様に対して憧れとか、そういう感情を持っていますか?」
「憧れ……尊敬はしているが、それは憧れというべきものかは、怪しい所だな……」
「そうですか……でも、そういう対象というのは、なんというか近寄りがたいものではありませんか?」
「む……?」
キルクス様は、私の言葉に対して少し不思議そうな顔をする。私は、そんなに変なことを言っただろうか。
「……確か、俺は以前、兄上のことをお前に話したはずだ。その内容を覚えているか? 兄上が、どんな人間だったかということだ」
「え? 確か、人を惹きつける……あ」
「そうだ。兄上は、近寄りがたい対象ではない。むしろ、その正反対なのだ」
キルクス様の言葉で、私は気づいた。確かに、ガルディアス様の性質は、私の考えていた特別とは正反対のものである。
そんな簡単なことに気付かなかったとは、私の視野も狭くなっていたようだ。なんというか、それが恥ずかしい。
「だが、お前が何を言いたいかは理解できてきた。つまり、お前は憧れを抱かれる近寄りがたい存在という訳か」
「えっと……」
「謙遜する必要はない。お前が優れた人間であるということは、俺も知っている。俺から見ても、そうだ」
「そう、ですか……」
私は、少し落ち込んでいた。やはり、私はそういう存在なのかと。
キルクス様から見てもそうなのだ。ということは、ルネリアから見てもそうなのだろう。
「ただ、そうだな……俺はお前が優れているからといって、近寄りがたい存在だとは思わない」
「え?」
「……俺はむしろ、近づきたいと思う。そうだな……これは、そうなりたいという対象ではなく、婚約者として見ているからだろうか」
キルクス様は、言いながら少し目をそらした。その言葉が、少し恥ずかしかったのだろう。
彼の言わんとしていることは理解できた。確かに、恋愛対象や婚約者としてみるならば、特別な存在というのは異なる意味を持つのかもしれない。
そう考えて、少し恥ずかしくなってきた。目の前にいる彼のことを、かなり意識してしまったからだ。
「そして、俺は家族も同じだと思っている」
「え? どういうことですか?」
「他人と一つ屋根の下で暮らしている者とで、価値観が一致するはずはないということだ」
キルクス様の言葉が、理解できない訳ではない。確かに、家族と他人では違うだろう。
しかし、それを完全に受け入れることはできない。私の中にある長年の疑念が、それを許さないのだ。
「……ふむ。まあ、手っ取り早いのは本人に聞いてみることだな」
「本人に聞く、ですか?」
「ああ、それが早いということは、お前もわかっているだろう? 年齢などを言い訳にしてはならないぞ。腹を割って話すということに、大人も子供もない。お前は、自分の考えを妹に真っ直ぐ話すべきだ」
「それは……」
キルクス様の指摘は、最もである。私のこの悩みを解決するには、ルネリアと話すことが一番なのだろう。
ただ、怖かった。それで彼女から、明確に拒絶されたなら、私はどうすればいいのだろうか。
しかし、それでは駄目なこともわかっている。結局の所、それを確かめなければ、前に進むことはできないのだから。
私は、少し悩みながらもルネリアの部屋の前まで来ていた。
これから、私は彼女と話すつもりだ。腹を割って話して、ルネリアが私をどう思っているか知る。私が前に進むためにも、そうしなければならないのだ。
「ルネリア……イルフェアよ。入ってもいい?」
「イルフェアお姉様? はい、どうぞ入ってください」
ルネリアは、快く私を招き入れてくれた。その声は、心なしか嬉しそうに聞こえる。私の思い込みかもしれないが。
「どうかされたのですか? 部屋を訪ねて来るなんて……」
「え? ええ、その……あなたと少し話したいことがあって」
「話したいこと……何か、大事な話なのですね」
「……ええ」
私の態度に何かを察したのか、ルネリアは少し真剣な顔になった。
前々から思っていたことだが、この子は幼いながらも、そういうことには聡い。それは、躍動の人生を送ってきた影響なのだろうか。
私は、ルネリアと向かい合って座った。少し緊張するが、彼女の不安そうな顔を見ていると、ちゃんとしなければと思う。
「あのね……ルネリアは、私のことをどう思っているのかしら?」
「どう思っているか?」
「あなたの素直な感想を聞かせて欲しいの……私は、それが知りたい」
「……」
私の言葉に対して、ルネリアは何も言わなかった。ただ、それは理解していないという訳ではないだろう。なぜなら、彼女は考えるような仕草をしているからだ。
そのまま沈黙が続く。ルネリアの答えを、私はただただ待つ。
「よし……!」
「え?」
どれくらい時間が経っただろうか。もしかしたら、それは一瞬だったのかもしれない。ただ、私にとってそれはとても長い時間に思えた。
その沈黙を振り払うように、ルネリアは動いた。彼女は、椅子から立ち上がったのだ。
「イルフェアお姉様、失礼します」
「え?」
どうして立つのだろうか。そう思っていた私の胸に、ルネリアは飛び込んできた。
私は、それを茫然と受け止める。何が起こっているのか、さっぱりわからない。
「ルネリア……どうしたの?」
「えっと……多分、こうすることが答えになるんじゃないかと思ったんです」
「答え……」
ルネリアの言葉に、私は彼女の意図を理解する。
確かにそうだ。これは答えである。どんな言葉よりもわかりやすい答えだ。
私は、ルネリアの体に手を回す。そしてそのままそっと彼女を抱きしめる。その温もりを噛みしめながら。
「お姉様が何に悩んでいるのか……私には、それが完璧に理解することはできません。でも……私はお姉様のことが大好きですよ」
「……ええ、私もよ」
私はルネリアとしばらく抱き合った。
こうして、私の中にあった憂いは消え去るのだった。
ルネリアが私をどう思っているかわかってから、私は再度キルクス様の元を訪ねていた。彼に、お礼が言いたかったからである。
「本当にありがとうございました。おかげさまで、私はルネリアの気持ちがわかりました」
「ふむ……それは、よかった。よかったのだが、流石にそこに至るまでの惚気が長すぎないか?」
「え? いや、それは……すみません」
私のお礼に対して、キルクス様は少し疲れたような声を出していた。その顔は、喜び半分、呆れ半分といった感じだ。
最初にお礼を言ってから、私はことの経緯を説明した。それが長すぎて、彼は疲れてしまったようだ。
確かに、嬉しすぎて長く話した自覚はある。彼からすれば、それはあまり面白い話ではなかったかもしれない。
「しかし、お前と妹の関係性は不思議なものだな……」
「え? そうですか?」
「ああ、隠し子や妾の子といった存在とそのような仲になるというのを、俺は聞いたことがない。お前達の関係性は、特別なものだといえるだろう」
キルクス様の言葉に、私は少し考える。確かに、それはそうだろう。隠し子や妾の子、そういった存在がどう扱われるか、私も知らない訳ではない。
だが、私からしてみれば、そちらの方が不思議である。どうして、そんな風にできるのか、むしろ理解できない。
「ふっ……理解できないというような表情をしているな?」
「え? まあ……そうですね。私からしてみれば、そういう不当な扱いは理解できません」
「そうか……素晴らしい心掛けだ。やはり、お前が俺の婚約者でよかったと、そう思う」
私に対して、キルクス様は笑みを浮かべた。それは、少し恥ずかしい言葉だ。本人は、あまりそう思っていないようだが。
「……私も、キルクス様が婚約者でよかったと思っていますよ?」
「む……?」
その仕返しではないが、私も自分の素直な思いを打ち明けてみた。すると、彼は少し面食らったような表情になる。
その直後、彼が私から視線を外したのを見て、私は少し笑う。
「……ふむ、そうだ。お前に一つ頼んでもいいか?」
「え? はい、なんですか?」
そこで、キルクス様はそのように切り出してきた。それは、少し強引な話題転換のように思える。それ程、恥ずかしかったのだろうか。
「お前の妹に、俺も会わせてくれないか? 未来の義妹に、挨拶しておく必要があるだろう?」
「……それも、そうですね。それでは、よろしくお願いできますか?」
「ああ、もちろんだ」
私の言葉に、キルクス様はしっかりと頷いてくれた。
こうして、婚約者に新たなる妹を紹介することが決まったのである。
私は、イルフェアお姉様と一緒に王城に来ていた。
なんでも、お姉様の婚約者が私に挨拶しておきたいそうなのだ。
私が公爵家に来る前に決まっていた婚約だったため、他の人には一通り挨拶しているらしい。それなのに、私に挨拶していないのは変だから、挨拶をしたいということのようだ。
今は、客室にて、その第二王子を待っている。お姉様の婚約者は、この国の王子様なのだ。
「王子様か……」
「ルネリア? どうかしたの?」
「あ、いえ、その……今まで、雲の上の存在でしたから、その人に挨拶をされるというのも変な感じで……」
「ああ、そういうことなのね……」
正直な話、私はとても緊張していた。これから会うのは、お姉様の婚約者で、王子様である。そんな人物と会うのに、心穏やかでいられるはずはない。
「でも、大丈夫よ。キルクス様は、優しい方ですから」
「そう……ですよね」
「え?」
「イルフェアお姉様の顔を見ていれば、わかります。キルクス様がいい人だということは……」
キルクス様は、いい人である。それは、もうわかっていることだ。イルフェアお姉様の彼を語る時の顔が、それを教えてくれている。
そもそも、私に挨拶をしておきたいという時点で、その人が真面目で誠実であるということは確実だ。普通なら、突然現れた隠し子に挨拶しようなんて、思わないだろう。
「……失礼する」
「あっ……」
そんなことを話していると、部屋に一人の人物が入ってきた。
その人は、目つきの鋭い若い男性だ。なんというか、思っていたよりも顔は怖い。
「待たせてしまって申し訳ない。そもそも、本来ならこちらから出向くべきことであるというのに……」
「あ、えっと……お気になさらないでください」
私に向けて放たれた言葉に、私は困惑した。緊張で、なんと言えばいいかよくわからなくなったからだ。
なんとか、言葉を発することはできたが、これで合っているのだろうか。イルフェアお姉様もキルクス様も何も言わない所を見ると、特に問題はなかったように思えるのだが。
「さて……私の名前は、キルクス・アルヴェルド。このアルヴェルド王国の第二王子だ」
「ルネリア・ラーデインです」
「ふむ……知っての通り、私は君の姉の婚約者だ。これから、どうかよろしく頼む」
「は、はい……よろしくお願いします」
キルクス様は、私に対してとても穏やかに対応してくれた。
初めは怖いと思っていたその顔も、だんだんと優しく見えてきた。それは、実際に話して、彼がとてもいい人だとわかったからなのかもしれない。
私は、しばらくの間キルクス様と話した。
話してみてわかったのは、彼がいい人であるということである。
イルフェアお姉様との相性も多分いいのだろう。二人のやり取りから、なんとなくそれは理解できた。
何はともあれ、無事に王子との会合が終わって一安心である。
「む……?」
「キルクス様、どうかされたのですか?」
「二人とも、すまない。少しだけ待ってくれ」
話も終わったので、私達は帰ることになった。
馬車まで送っていくと言ってくれたキルクス様は、王城内の廊下で声をあげた。よくわからないが、何かに気づいたようだ。
「サガード、隠れていないで出てこい」
「……兄上、ばれていたのか」
キルクス様の呼びかけに、物陰から私と同い年くらいの男の子が出てきた。
態度からして、彼は王族の一人だろう。そうでなければ、キルクス様にこんな口の利き方ができる訳がない。
「そんな所に隠れて、何をしていた?」
「別に、なんでもいいだろう?」
「お前は、客人に無礼を働いたということを理解していないのか?」
「それは……」
キルクス様の言葉に、サガードと呼ばれた少年は怯んだ。流石に、私達を隠れて見ていたことが悪いことであるということは、理解しているらしい。
「キルクス様、私もルネリアも気にしていませんよ」
「その気遣いはありがたい。しかし……」
「サガード様も、別に悪気があった訳ではないと思います。恐らく、彼はただ……」
「ただ?」
イルフェアお姉様は、キルクス様を諫めていた。
彼女は、なんだか楽しそうな笑みを浮かべている。口振りからして、お姉様は彼がどうして私達の様子を窺っていたか、わかっているのだろうか。
「サガード様、私の口から言っても構いませんか?」
「え? いや、その……」
イルフェアお姉様に呼びかけられて、サガード様は焦っていた。何故かわからないが、彼は顔を赤くしている。もしかして、お姉様が美人で見惚れてしまったのだろうか。
気持ちはわかるが、それはいけない。なぜなら、お姉様は彼にとって兄の婚約者だからだ。
「その……お前」
「え? 私、ですか?」
「ああ、お前だ」
私がそんなことを考えていると、サガード様は私に話しかけてきた。
これは、どういうことだろうか。私は、彼に何もしていないと思うのだが。
「……俺の名前は、サガードという。お前の名前を教えてくれないか?」
「えっと……ルネリアです」
「そうか……その、良かったら、これからよろしく頼む」
「え? あ、はい。よろしくお願いします」
挨拶をされたので、私は挨拶を返した。すると、彼は満足したように頷き、そのまま踵を返した。
その様子に、私は困惑する。これは、一体なんだったのだろうか。
わかったことは、イルフェアお姉様が笑っていて、キルクス様がやれやれというような表情をしていたことだ。なんというか、二人は私が知らないようなことを知っているような気がする。
公爵家の貴族として生を受けたことが不幸だったといえば、きっと誰もが怒るだろう。
平民と比べれば恵まれているのだし、その生活や地位に憧れを持つ者からすれば、俺の言っていることは腹立たしいはずだ。
でも、俺はそれでもそう思っている。もっと自由に生きたかったと。
「時々、俺は自分が籠の中の鳥なんじゃないかと思うんだよ」
「気でも狂ったのかしら?」
婚約者であるクレーナは、俺の発言に怪訝そうな顔をしていた。
いや、これは明らかに引いている。俺が何を言っているのかさっぱりわからないというような顔だ。
「貴族というものには、自由がないだろう。こうやって、決められた婚約者と婚約して、決められた道を歩んで行くだけだ。それはつまり、籠の中にいる鳥と同じなんじゃないかと俺は思う訳だ」
「ふーん」
俺が説明すると、クレーナは興味なさそうな返事をした。なんというか、滅茶苦茶冷たい。
「まあ、お前には理解できないのかもしれないが、俺はそう思っている訳だ」
「そう……それで?」
「それで?」
「その悩みを抱えているあなたは、一体何をしようというのかしら?」
「いや、それは……」
クレーナは、俺を睨んできていた。どちらかというと少しきつい顔つきをしている彼女に睨まれるのは、結構怖い。
しかし、どうして俺はこんな視線を向けられなければならないのだろうか。あまり、よくわからないのだが。
「私からすれば、あなたの言っていることは贅沢な悩みとしか思えないわ」
「それは、わかっているさ。でも……」
「わかっていないから、そんなことが言えるのよ? あなたのそのねじ曲がった性根を私が叩き直してあげましょうか?」
「いや、それは……」
クレーナは、滅茶苦茶怖かった。一体、俺が何をしたというのだろうか。
「……そういえば、あなたには新しい妹ができたそうね?」
「え? ああ、ルネリアのことか?」
「ええ、確か、その子は平民として暮らしていたと記憶しているのだけれど?」
「そうだが、それがどうしたというんだ?」
「それなら、彼女に聞いてみなさいな。平民の生活というのが、どのようなものなのかということを……」
クレーナの言葉に、俺は少し考える。俺は、貴族に生まれたくなかった。ということは、平民に生まれたかったということになる。
そんな平民が、どのようなものなのか、クレーナは俺に学ぶべきだと言っているのだろう。
彼女は、俺の言葉に厳しい態度をしている。つまり、俺はルネリアから何かを学ばなければならないということだろう。
「……わかった。そうしてみるよ」
「ええ、そうしてみなさいな」
「ああ……」
それによって、俺の認識は変わるのだろうか。俺は、そんな疑問を抱きつつ、クレーナの言葉にゆっくりと頷くのだった。
俺は、ラーデイン公爵家の屋敷内を歩いていた。クレーナに言われたことを実行するために、ルネリアを探しているのだ。
昨日、クレーナと会ってから、その隙を俺はずっと窺っていた。ただ、昨日はその隙がなく、今日こそは彼女と話をしたい所である。
「さて、それでどこにいるんだか……」
ただ、彼女は中々見つからない。部屋に行ったがいなかったし、兄弟にも聞いたが、誰もどこにいるか知らなかった。
屋敷の中を見回ったが、どうもいそうにない。そう思った俺は、もしかしたら庭にいるかもしれないと庭に出ることにした。
「おっ……」
すると、予想通りルネリアを見つけた。どうやら、庭に出ていたようである。
しかし、何をしているのだろうか。あそこは確か、花壇の辺りだったような気がする。ということは、花でも見ているということだろうか。
「……うん?」
だが、俺はあることに気づいて、自分の予想が間違っていたと理解した。
なぜなら、ルネリアはスコップ等を持っているからだ。それは、花を見るためには必要なものではないだろう。
よく見てみると、彼女の隣には庭師のダルギスさんがいる。彼と何かを話しながら、ルネリアは作業をしているようだ。
「ルネリアお嬢様、本当によろしいのですか? こんなことをして……」
「大丈夫です、お母様からも許可は得ていますから」
「そうですか……しかし、私の立場からしてみると、お嬢様がこうやって土をいじるのは、どうにも違和感があるといいますか……」
「まあ、そうですよね……でも、私は元々農民でしたから、こういうことには馴染みがあるんです」
「ふむ……」
俺は、二人の会話に耳を傾けてみた。どうやら、ルネリアは、花壇の整備を手伝っているようだ。
そういえば、彼女は元々農家の出身だった。そういうことには、確かに馴染みはあるのかもしれない。
「正直、信じられないことではあるんですよね……だって、去年まではこうやって土と格闘していた訳ですから」
「家のお手伝いをされていたのですね? 立派なことです」
「ええ、まあ、農民としては当たり前のことですから」
「いえいえ、私なんて、家の手伝いが嫌で逃げ出したりしていましたから、きちんと手伝っていたというのは、ご立派なことです」
「そうなんですね……ダルギスさん、結構やんちゃだったんですね?」
「ええ、恥ずかしながらそうなのです」
俺は、二人の会話に足を止めていた。なんというか、そこに自分が寄っていくことができない気がしたからだ。
今、二人は平民の世界の話をしている。それは、貴族である俺の知らない話だ。
俺は、そんな身分に生まれたかったといった。だが、それがどういうことであるのか。俺は改めて考える。
「毎日、早起きして、一日中作業して……大変でした。今の生活にも苦労はありますけど、あの頃に比べると随分と豊というか、なんというか……」
「それは、そうでしょう。やはり、貴族ですからね」
「ええ、でも、私、こうやって土が恋しくなる程には、あの時に愛着があったのかなと、今になってそう思うんです」
「そうですか……それは、いいことだと思います。ルネリアお嬢様は貴族ではありますが、その時のことを忘れないでいてくれるというのは、平民の私からすると、嬉しいことです」
「そうなんですか?」
「ええ、そういうものなのです」
ルネリアの昔を懐かしむようなその言葉に、俺は拳を握っていた。そこには、彼女の平民としての苦労が滲み出ていたからだ。
ダルギスさんの言葉もそうである。平民としての思いが溢れている。
俺は、そんな身分になりたかったと言った。だが、それを本当に理解していたのだろうか。
そう自分に言い聞かせた時、答えはすぐに出た。それによって、俺は震える。自分が情けないと。
「……どうやら、わかったようね」
「え?」
そんな俺に、誰かが呼びかけてきた。ゆっくりと振り返ると、そこにはクレーナがいる。
どうして、彼女がここにいるのだろうか。その疑問はあった。
だが、今はそんなことはどうでもいい。俺はもっと大事なことを彼女に言わなければならない。
「クレーナ、俺は自分が情けない。平民になれば、自由が手に入るなんて、そんな訳がないのに……」
「そう……そうね。まあ、今までのあなたはとても見っともなかったというか、貴族の傲慢というか、そんな感じだったわね。でも、今はいい顔になっているわ。少なくとも、高慢な貴族は卒業といった所かしら?」
「……ああ、そうなりたいと思っている」
俺の言葉に、クレーナは笑ってくれていた。
その笑顔を見て、俺は思う。彼女は、なんと優しいのだろうかと。
「ありがとう、クレーナ……俺は、お前のおかげで大事なことを理解できた」
「お礼なら、私ではなく……いえ、まあ、それはいいかしら? そんなことより、この程度で理解したなどとは思わないで欲しいものね。今から、あなたにもっと教えてあげるから、支度をしなさい」
「支度?」
「出かける支度よ」
「……わかった」
俺はクレーナの言葉に、ゆっくりと頷いた。
彼女が、何を考えているかはわからない。だが、俺はそれでいいと思った。
今なら、確信できる。彼女は、俺に何か重要なことを教えてくれようとしているのだ。それなら、俺はそれに従うだけである。
こうして、俺は身支度のために屋敷の中に向かうのだった。