公爵家の隠し子だと判明した私は、いびられる所か溺愛されています。

 私は、お母様から話を聞いていた。
 彼女は、私がこのラーデイン公爵家の隠し子だと判明して、ここに私が来るまで何を思っていたかを話してくれた。
 恐らく、包み隠さず話してくれたのだろう。私が嫌だと思うようなことも、お母様ははっきりと口にしていたのだから。

「さて、どうかしら? これが私の素直な気持ちよ」
「……話してくれて、ありがとうございます。おかげで、なんとなくわかりました」

 お母様が話してくれた内容は、私に対する複雑な思いが溢れていた。
 でも、結局彼女は私に恨みを向けることをやめたのだ。私に罪はないとそう思ってくれたのだ。
 大人の過ちに、子供は関係ない。お母様だけでなく、このラーデイン公爵家の人々は皆そう思っているのかもしれない。
 それが、お母様の話を聞いて、私の出した結論だ。

「ねえ、ルネリア、こっちに来てくれない?」
「え? ええ、いいですけど」

 そこで、お母様は私に手招きをした。とりあえず、私はそれに従うことにする。

「……え?」
「ふふっ……」

 お母様に近づいた私は、ゆっくりと抱きしめられていた。
 突然のことに、私は驚く。驚きながらも、その温かさを感じ少し安心する。

「泣いているあなたを見て、どうすればいいのか、あの時私はわからなかった。でも、今ならわかるわ。こうすればよかったのだと……」
「……」
「辛かったのよね……ごめんなさい、もっと早くにこうしておけば、あなたをその苦しみからもっと早くに開放してあげられたかもしれないのに……」
「そんな……」

 お母様の言葉に、私はゆっくりと涙を流していた。
 どうして涙が出てくるのだろう。それが、私にはわからない。だって、あのことはもう気にしていなかったはずなのに。
 それからしばらく、私はお母様の胸の中で泣いていた。その間、彼女はずっと抱きしめてくれていた。
 お母様は、優しい人だ。このラーデイン公爵家の人達は、優しい人達だ。それしか言葉が見つからない。



◇◇◇



 私は、公爵家の人達の優しさに何か裏があるのではないかと思っていた。そして、調査を始めたのである。
 その結果わかったことは、公爵家の人達がただただ優しい人達だったということである。

「ううん。そうじゃないよね……」

 私は、ゆっくりと首を振っていた。自分の間違いに気がついたからだ。

「お母さん、私の家族は皆優しい人だったよ」

 私は、天国のお母さんにそっとそう呟くのだった。
 あれは、良く晴れた日のことだった。遠くにある小さな村から、一人の少女が家にやって来たのだ。
 その少女の名前は、ルネリア。私の腹違いの妹である。

「……特別か」

 鏡の前で、私はゆっくりと呟いていた。
 先日、私はルネリアにつけられた。なんでも、貴族の立ち振る舞いを学びたかったらしい。
 後で兄弟達のこともつけていため、それが本当かどうかは怪しい所だ。
 ただ、その辺りのことはアルーグお兄様が大丈夫だと言っていた。ということは、特に問題はないだろう。

「そんなに特別なのかしらね……」

 問題は、私がルネリアに言われた言葉の方だった。
 特別、私は彼女からそう言われたのである。
 それは、普通に考えればいいことなのかもしれない。ただ、それは私にとって、呪いのようなものなのだ。

『イルフェア様は、本当にお綺麗ですね……所作の一つ一つが華やかで……』
『ええ、本当に……私、イルフェア様のようになりたいと思っていますわ』

 私は、子供の頃からそんなことを言われてきた。
 こういうことを自分で言いたくはないが、私は憧れの存在だったのだ。
 貴族の女の子達が、こうなりたいと思う規範。それが、私なのである。

「貴族らしいとか、よくわからないのだけれどね……」

 それは、恵まれていることなのかもしれない。でも、私はそういわれる度に思うのだ。なんというか、距離を感じると。
 私は、特別な存在であるようだ。そんな存在に、人は近寄りたいとは思わない。恐れ多いとか、そういう理由で。

「別に、そんなに怖くなんてないのに……」

 私には、人が近寄って来ない。近寄るべきではないと認識されているため、親しくしてくれる人はいないのだ。
 そんな私にとって、家族というものはとても大切なものである。なぜなら、皆は私のことを特別扱いしないからだ。

「でも……」

 ただ、最近できた新しい家族は、私のことをそういう存在だと認識しているのかもしれない。
 別に、今まではそんな兆候はなかった。でも、先日の会話で、もしかしたらそうなんじゃないかと思ってしまったのだ。

「はあ……」

 ルネリアは、私のことを特別な存在だと思っているのだろうか。そうだとしたら、結構辛い。
 最初からそれがわかっていたなら、こんなにも辛くはなかったのだろう。親しくできるとわかってから、それが判明するというのは、思っていた以上に辛いものであるらしい。

「特別か……あら?」

 そこで、私は窓の外を見てみた。すると、見知った顔がいる。
 妹のオルティナが、庭の木の上に登っていたのだ。
 ルネリアは、彼女にはよく懐いている気がする。私も、あんな風になれたら、特別だと思われなくなるのだろうか。

「……って、止めないとまずいじゃない」

 そこまで考えて、私はオルティナを止めることにした。よく考えてみると、とても危ないことをしていたからだ。
「王妃の座に興味はあるか?」

 初めて会った婚約者から、最初にそう言われたことは、今でもよく覚えている。
 私の婚約者は、この国の第二王子キルクス様だ。王位継承権を持つ彼から、そんなことを言われた際に、私はひどく困惑していた。
 正直言って、王妃の座なんてものには露ほどに興味がなかった。ただ、そう言っていいのかは少し考えるべきことだったのだ。
 こんなことを聞いてくるのだから、彼が求めているのは興味があるという答えだと思った。そのため、私は素直に答えるべきか少し躊躇ったのである。

「……いいえ、まったく興味がありません」

 悩んだ末、私は素直に言うことにした。本心を隠した所で、それは無駄なことだと思ったからである。
 もしそれで王子を怒らせて、その結果この婚約がなくなったとしても、それはそれでいいのではないかと思った。
 婚約破棄の一つでもされたら、私も特別ではなくなるだろう。そんな打算も、心の中にはあったのかもしれない。

「そうか。素晴らしい心掛けだ」
「え?」
「安心したぞ。そう答えることができる者が、俺の婚約者になってくれて」

 私の予想とは違い、王子は私の返答に喜んでいた。
 その反応が、正直よくわからなかった。あの質問をしておいて、こんな答えを求めていたなんてあるのだろうか。

「俺は、王の座に興味はない。あそこには、兄上……ガルディアスが座るべきだと思っているし、座らせようと思っているからだ」
「……お兄様に?」
「ああ、兄上は王の器を持っている。それは、政治の才能という訳ではない。人の上に立つ力……人を惹きつける力とでもいうべきか。それを持っているのだ」
「人を惹きつける力……」

 キルクス様は、お兄様のガルディアス様に対してそんな感想を抱いているらしい。
 人を惹きつける力。それには、とても興味があった。もしかしたら、私もそれを備えているかもしれないからだ。

「兄上が王になり、俺はそれを支える。それが一番いい形であると、俺は思っているのだ。故に、俺は王妃になりたいなどという余計な野心を持っている者を必要としていない。だから、お前の言葉に安心したのだ」
「……なるほど、そういうことだったのですね」

 キルクス様の考えは、少し不思議なものだった。
 自分ではなく、兄を王にしたい。そう考えるのは、それ程彼のお兄様に人を惹きつける力があるということだろうか。

「すごい人なのですね……ガルディアス様は」
「ああ、そうだな……確かに、兄上は素晴らしい人物だと思う」

 キルクス様のお兄様を語る際の目は、見たことがあった。私に憧れを抱く者達と同じような目をしているのだ。
 やはり、ガルディアス様は私と同じような人なのだろう。私は、そんな感想を抱くのだった。
 私は、婚約者のキルクス様と会っていた。
 彼と最初に出会ってから、しばらく経つ。関係的には、悪くないと思っている。仲が良いかはわからないが、悪くないことだけは確かだ。

「……浮かない顔をしているな。何かあったのか?」
「え?」

 そんなキルクス様から、私はそんな質問をされた。
 浮かない顔をしている。それが何故かは、すぐにわかった。思いつく悩みがあったからだ。

「実は、悩んでいることがあるんです」
「……俺で力になれるかはわからないが、良かったら話してくれ。人に話すだけでも、楽になるものだぞ?」
「……そうですね」

 キルクス様の言葉に、私は少し驚いていた。まさか、ここまで心配してくれるとは思っていなかったからである。
 そんな彼に、私は相談してもいいかと思った。他に相談できる人もいないし、彼なら丁度いいよう気がしたのだ。

「……実は、妹との関係性に悩んでいて」
「妹との関係性……ああ、確か、ラーデイン公爵家には隠し子が見つかったんだったな?」
「ええ、可愛い妹なんですけど……」
「……?」

 私の発言に、キルクス様は面食らった顔をした。どうしてそんな表情をするのだろうか。
 そう思ってすぐに気づいた。隠し子であるルネリアを可愛いというのは、他の人から見たらおかしいことなのかもしれないと。

「その……関係としては、良好なんです。あ、いえ、良好なのかどうかは、正直微妙かもしれません。ただ、こう……ドロドロとはしていないとか」
「……なるほど、大体はわかった。要するに、お前は隠し子に対して敵意などは持っていないということだな?」
「敵意なんて、そんなもの……」
「ふっ……そうか」

 私の様子に、キルクス様は笑っていた。なんだか、少し恥ずかしい。

「お前が、そんな風に動揺している所を見るのは初めてだ。そういう顔もするのだな?」
「え? それは……」

 キルクス様の言葉に、私は少し動揺した。なぜなら、それは私を特別な存在であると言っているように聞こえたからだ。
 だが、そんなことではいけない。私は今から、それについて相談するのだ。色々と悩むのは、それからでいいだろう。

「ええっと……キルクス様に、一つ質問してもよろしいでしょうか?」
「なんだ?」
「キルクス様は、お兄様のことを特別な存在だと思っているのですか?」
「特別な存在? ふむ……それは、どういうことだ?」

 私が質問をすると、キルクス様は真剣な表情になった。それは、私のことを理解しようとしてくれているように思える。
 そのことに、私は少しだけ安心する。ここでまったく意味がわからないと言われると、流石に辛かったからだ。
「キルクス様は、お兄様に対して憧れとか、そういう感情を持っていますか?」
「憧れ……尊敬はしているが、それは憧れというべきものかは、怪しい所だな……」
「そうですか……でも、そういう対象というのは、なんというか近寄りがたいものではありませんか?」
「む……?」

 キルクス様は、私の言葉に対して少し不思議そうな顔をする。私は、そんなに変なことを言っただろうか。

「……確か、俺は以前、兄上のことをお前に話したはずだ。その内容を覚えているか? 兄上が、どんな人間だったかということだ」
「え? 確か、人を惹きつける……あ」
「そうだ。兄上は、近寄りがたい対象ではない。むしろ、その正反対なのだ」

 キルクス様の言葉で、私は気づいた。確かに、ガルディアス様の性質は、私の考えていた特別とは正反対のものである。
 そんな簡単なことに気付かなかったとは、私の視野も狭くなっていたようだ。なんというか、それが恥ずかしい。

「だが、お前が何を言いたいかは理解できてきた。つまり、お前は憧れを抱かれる近寄りがたい存在という訳か」
「えっと……」
「謙遜する必要はない。お前が優れた人間であるということは、俺も知っている。俺から見ても、そうだ」
「そう、ですか……」

 私は、少し落ち込んでいた。やはり、私はそういう存在なのかと。
 キルクス様から見てもそうなのだ。ということは、ルネリアから見てもそうなのだろう。

「ただ、そうだな……俺はお前が優れているからといって、近寄りがたい存在だとは思わない」
「え?」
「……俺はむしろ、近づきたいと思う。そうだな……これは、そうなりたいという対象ではなく、婚約者として見ているからだろうか」

 キルクス様は、言いながら少し目をそらした。その言葉が、少し恥ずかしかったのだろう。
 彼の言わんとしていることは理解できた。確かに、恋愛対象や婚約者としてみるならば、特別な存在というのは異なる意味を持つのかもしれない。
 そう考えて、少し恥ずかしくなってきた。目の前にいる彼のことを、かなり意識してしまったからだ。

「そして、俺は家族も同じだと思っている」
「え? どういうことですか?」
「他人と一つ屋根の下で暮らしている者とで、価値観が一致するはずはないということだ」

 キルクス様の言葉が、理解できない訳ではない。確かに、家族と他人では違うだろう。
 しかし、それを完全に受け入れることはできない。私の中にある長年の疑念が、それを許さないのだ。

「……ふむ。まあ、手っ取り早いのは本人に聞いてみることだな」
「本人に聞く、ですか?」
「ああ、それが早いということは、お前もわかっているだろう? 年齢などを言い訳にしてはならないぞ。腹を割って話すということに、大人も子供もない。お前は、自分の考えを妹に真っ直ぐ話すべきだ」
「それは……」

 キルクス様の指摘は、最もである。私のこの悩みを解決するには、ルネリアと話すことが一番なのだろう。
 ただ、怖かった。それで彼女から、明確に拒絶されたなら、私はどうすればいいのだろうか。
 しかし、それでは駄目なこともわかっている。結局の所、それを確かめなければ、前に進むことはできないのだから。
 私は、少し悩みながらもルネリアの部屋の前まで来ていた。
 これから、私は彼女と話すつもりだ。腹を割って話して、ルネリアが私をどう思っているか知る。私が前に進むためにも、そうしなければならないのだ。

「ルネリア……イルフェアよ。入ってもいい?」
「イルフェアお姉様? はい、どうぞ入ってください」

 ルネリアは、快く私を招き入れてくれた。その声は、心なしか嬉しそうに聞こえる。私の思い込みかもしれないが。

「どうかされたのですか? 部屋を訪ねて来るなんて……」
「え? ええ、その……あなたと少し話したいことがあって」
「話したいこと……何か、大事な話なのですね」
「……ええ」

 私の態度に何かを察したのか、ルネリアは少し真剣な顔になった。
 前々から思っていたことだが、この子は幼いながらも、そういうことには聡い。それは、躍動の人生を送ってきた影響なのだろうか。
 私は、ルネリアと向かい合って座った。少し緊張するが、彼女の不安そうな顔を見ていると、ちゃんとしなければと思う。

「あのね……ルネリアは、私のことをどう思っているのかしら?」
「どう思っているか?」
「あなたの素直な感想を聞かせて欲しいの……私は、それが知りたい」
「……」

 私の言葉に対して、ルネリアは何も言わなかった。ただ、それは理解していないという訳ではないだろう。なぜなら、彼女は考えるような仕草をしているからだ。
 そのまま沈黙が続く。ルネリアの答えを、私はただただ待つ。

「よし……!」
「え?」

 どれくらい時間が経っただろうか。もしかしたら、それは一瞬だったのかもしれない。ただ、私にとってそれはとても長い時間に思えた。
 その沈黙を振り払うように、ルネリアは動いた。彼女は、椅子から立ち上がったのだ。

「イルフェアお姉様、失礼します」
「え?」

 どうして立つのだろうか。そう思っていた私の胸に、ルネリアは飛び込んできた。
 私は、それを茫然と受け止める。何が起こっているのか、さっぱりわからない。

「ルネリア……どうしたの?」
「えっと……多分、こうすることが答えになるんじゃないかと思ったんです」
「答え……」

 ルネリアの言葉に、私は彼女の意図を理解する。
 確かにそうだ。これは答えである。どんな言葉よりもわかりやすい答えだ。
 私は、ルネリアの体に手を回す。そしてそのままそっと彼女を抱きしめる。その温もりを噛みしめながら。

「お姉様が何に悩んでいるのか……私には、それが完璧に理解することはできません。でも……私はお姉様のことが大好きですよ」
「……ええ、私もよ」

 私はルネリアとしばらく抱き合った。
 こうして、私の中にあった憂いは消え去るのだった。
 ルネリアが私をどう思っているかわかってから、私は再度キルクス様の元を訪ねていた。彼に、お礼が言いたかったからである。

「本当にありがとうございました。おかげさまで、私はルネリアの気持ちがわかりました」
「ふむ……それは、よかった。よかったのだが、流石にそこに至るまでの惚気が長すぎないか?」
「え? いや、それは……すみません」

 私のお礼に対して、キルクス様は少し疲れたような声を出していた。その顔は、喜び半分、呆れ半分といった感じだ。
 最初にお礼を言ってから、私はことの経緯を説明した。それが長すぎて、彼は疲れてしまったようだ。
 確かに、嬉しすぎて長く話した自覚はある。彼からすれば、それはあまり面白い話ではなかったかもしれない。

「しかし、お前と妹の関係性は不思議なものだな……」
「え? そうですか?」
「ああ、隠し子や妾の子といった存在とそのような仲になるというのを、俺は聞いたことがない。お前達の関係性は、特別なものだといえるだろう」

 キルクス様の言葉に、私は少し考える。確かに、それはそうだろう。隠し子や妾の子、そういった存在がどう扱われるか、私も知らない訳ではない。
 だが、私からしてみれば、そちらの方が不思議である。どうして、そんな風にできるのか、むしろ理解できない。

「ふっ……理解できないというような表情をしているな?」
「え? まあ……そうですね。私からしてみれば、そういう不当な扱いは理解できません」
「そうか……素晴らしい心掛けだ。やはり、お前が俺の婚約者でよかったと、そう思う」

 私に対して、キルクス様は笑みを浮かべた。それは、少し恥ずかしい言葉だ。本人は、あまりそう思っていないようだが。

「……私も、キルクス様が婚約者でよかったと思っていますよ?」
「む……?」

 その仕返しではないが、私も自分の素直な思いを打ち明けてみた。すると、彼は少し面食らったような表情になる。
 その直後、彼が私から視線を外したのを見て、私は少し笑う。

「……ふむ、そうだ。お前に一つ頼んでもいいか?」
「え? はい、なんですか?」

 そこで、キルクス様はそのように切り出してきた。それは、少し強引な話題転換のように思える。それ程、恥ずかしかったのだろうか。

「お前の妹に、俺も会わせてくれないか? 未来の義妹に、挨拶しておく必要があるだろう?」
「……それも、そうですね。それでは、よろしくお願いできますか?」
「ああ、もちろんだ」

 私の言葉に、キルクス様はしっかりと頷いてくれた。
 こうして、婚約者に新たなる妹を紹介することが決まったのである。
 私は、イルフェアお姉様と一緒に王城に来ていた。
 なんでも、お姉様の婚約者が私に挨拶しておきたいそうなのだ。
 私が公爵家に来る前に決まっていた婚約だったため、他の人には一通り挨拶しているらしい。それなのに、私に挨拶していないのは変だから、挨拶をしたいということのようだ。
 今は、客室にて、その第二王子を待っている。お姉様の婚約者は、この国の王子様なのだ。

「王子様か……」
「ルネリア? どうかしたの?」
「あ、いえ、その……今まで、雲の上の存在でしたから、その人に挨拶をされるというのも変な感じで……」
「ああ、そういうことなのね……」

 正直な話、私はとても緊張していた。これから会うのは、お姉様の婚約者で、王子様である。そんな人物と会うのに、心穏やかでいられるはずはない。

「でも、大丈夫よ。キルクス様は、優しい方ですから」
「そう……ですよね」
「え?」
「イルフェアお姉様の顔を見ていれば、わかります。キルクス様がいい人だということは……」

 キルクス様は、いい人である。それは、もうわかっていることだ。イルフェアお姉様の彼を語る時の顔が、それを教えてくれている。
 そもそも、私に挨拶をしておきたいという時点で、その人が真面目で誠実であるということは確実だ。普通なら、突然現れた隠し子に挨拶しようなんて、思わないだろう。

「……失礼する」
「あっ……」

 そんなことを話していると、部屋に一人の人物が入ってきた。
 その人は、目つきの鋭い若い男性だ。なんというか、思っていたよりも顔は怖い。

「待たせてしまって申し訳ない。そもそも、本来ならこちらから出向くべきことであるというのに……」
「あ、えっと……お気になさらないでください」

 私に向けて放たれた言葉に、私は困惑した。緊張で、なんと言えばいいかよくわからなくなったからだ。
 なんとか、言葉を発することはできたが、これで合っているのだろうか。イルフェアお姉様もキルクス様も何も言わない所を見ると、特に問題はなかったように思えるのだが。

「さて……私の名前は、キルクス・アルヴェルド。このアルヴェルド王国の第二王子だ」
「ルネリア・ラーデインです」
「ふむ……知っての通り、私は君の姉の婚約者だ。これから、どうかよろしく頼む」
「は、はい……よろしくお願いします」

 キルクス様は、私に対してとても穏やかに対応してくれた。
 初めは怖いと思っていたその顔も、だんだんと優しく見えてきた。それは、実際に話して、彼がとてもいい人だとわかったからなのかもしれない。
 私は、しばらくの間キルクス様と話した。
 話してみてわかったのは、彼がいい人であるということである。
 イルフェアお姉様との相性も多分いいのだろう。二人のやり取りから、なんとなくそれは理解できた。
 何はともあれ、無事に王子との会合が終わって一安心である。

「む……?」
「キルクス様、どうかされたのですか?」
「二人とも、すまない。少しだけ待ってくれ」

 話も終わったので、私達は帰ることになった。
 馬車まで送っていくと言ってくれたキルクス様は、王城内の廊下で声をあげた。よくわからないが、何かに気づいたようだ。

「サガード、隠れていないで出てこい」
「……兄上、ばれていたのか」

 キルクス様の呼びかけに、物陰から私と同い年くらいの男の子が出てきた。
 態度からして、彼は王族の一人だろう。そうでなければ、キルクス様にこんな口の利き方ができる訳がない。

「そんな所に隠れて、何をしていた?」
「別に、なんでもいいだろう?」
「お前は、客人に無礼を働いたということを理解していないのか?」
「それは……」

 キルクス様の言葉に、サガードと呼ばれた少年は怯んだ。流石に、私達を隠れて見ていたことが悪いことであるということは、理解しているらしい。

「キルクス様、私もルネリアも気にしていませんよ」
「その気遣いはありがたい。しかし……」
「サガード様も、別に悪気があった訳ではないと思います。恐らく、彼はただ……」
「ただ?」

 イルフェアお姉様は、キルクス様を諫めていた。
 彼女は、なんだか楽しそうな笑みを浮かべている。口振りからして、お姉様は彼がどうして私達の様子を窺っていたか、わかっているのだろうか。

「サガード様、私の口から言っても構いませんか?」
「え? いや、その……」

 イルフェアお姉様に呼びかけられて、サガード様は焦っていた。何故かわからないが、彼は顔を赤くしている。もしかして、お姉様が美人で見惚れてしまったのだろうか。
 気持ちはわかるが、それはいけない。なぜなら、お姉様は彼にとって兄の婚約者だからだ。

「その……お前」
「え? 私、ですか?」
「ああ、お前だ」

 私がそんなことを考えていると、サガード様は私に話しかけてきた。
 これは、どういうことだろうか。私は、彼に何もしていないと思うのだが。

「……俺の名前は、サガードという。お前の名前を教えてくれないか?」
「えっと……ルネリアです」
「そうか……その、良かったら、これからよろしく頼む」
「え? あ、はい。よろしくお願いします」

 挨拶をされたので、私は挨拶を返した。すると、彼は満足したように頷き、そのまま踵を返した。
 その様子に、私は困惑する。これは、一体なんだったのだろうか。
 わかったことは、イルフェアお姉様が笑っていて、キルクス様がやれやれというような表情をしていたことだ。なんというか、二人は私が知らないようなことを知っているような気がする。