公爵家の隠し子だと判明した私は、いびられる所か溺愛されています。

 僕は、アルーグお兄様とともに公爵家の別荘にやって来ていた。
 別荘は、自然に囲まれた場所にあった。空気も美味しいし、なんだか気分がいい。
 もしかしたら、お兄様はそういう面も考慮してくれたのだろうか。僕の療養も、兼ねているという可能性は充分あるだろう。

「アルーグお兄様、空気が気持ちいいね」
「ああ、そうだな……」

 僕が話しかけると、お兄様はゆっくりと頷いてくれた。
 しかし、その顔は明るくない。それは、これから会う人物のことを考えているからだろうか。

「……来ていたのか、アルーグ。それに、エルーズも」
「あっ……」

 そんなことを思っていると、別荘の戸がゆっくりと開いた。
 中から出てきたのは、僕達のお父様である。ただ、僕の記憶の中にあるお父様とは、少し様子が違う。
 なんというか、少し痩せているのだ。こんな空気の澄んだ所で暮らしているのに、その顔色もいいとは言い難い。

「お久し振りですね、父上」
「ああ、久し振り……元気にしていたかい?」
「ええ」
「結婚式の日程が先日届いたよ。ただ、僕は参加しない方がいいんだよね?」
「はい」

 お父様の質問に対して、お兄様は淡々と答えた。
 その声色は、やはり冷たい。アルーグお兄様は、まだお父様をまったく許せていないようだ。
 こういう時こそ、僕の出番であるだろう。お兄様が冷たく接するなら、僕は温かく接するべきだ。

「お父様は、元気だった?」
「……ああ、元気だったよ。エルーズはどうだい? 最近、頑張っていると聞いているけど」
「うん、リハビリを頑張っているんだ。元気になりたいから」
「そうかい。それは、良かった」

 僕の言葉に、お父様は笑顔を見せてくれた。
 その笑みは、優しい笑みだ。以前と変わらないその笑みに、僕は少し安心する。
 ただ、まだ心配だ。お父様の様子は、明らかにおかしい。元気だと言っているが、それは多分嘘だろう。
 お兄様がどうして様子を見に来たか。それは、彼のそんな様子が関係しているのかもしれない。こんな姿になっていると報告を受ければ、いくらアルーグお兄様がお父様に冷たいといっても、実際に確認したくもなるだろう。

「お父様、ここは空気が綺麗だね……なんだか、心が落ち着くよ」
「……自然に囲まれているから、そう思うのかもしれないね」
「お兄様に誘ってもらって良かったよ。この空気が吸えるだけで、なんだか元気になりそうだもん」
「そうかい……それは、幸いだね」

 お兄様の意図やお父様の様子、色々と気になることはあった。
 とりあえず、僕は普通に振る舞うことにした。そうすることが、僕の役割だと思ったからである。
 僕は、公爵家の別荘で過ごしていた。
 別荘は、とても心地いい場所にある。空気も綺麗なので、僕は庭に出て風にあたっている。

「ふぅ……」

 ゆっくりと伸びをしながら、僕はこれからのことを考えていた。
 お父様とお兄様は、何か話をしている。それは、僕にはあまり聞かせたくないことであるらしい。
 その内容は、正直さっぱりわからないが、今の状況があまりよくないということはわかっている。
 お父様は、明らかに憔悴していた。あれは、一体どういうことなのだろうか。それが、僕は気になっているのだ。

「もちろん、色々なことがあった訳だし、精神的に参っていると理解できない訳ではないけど……」

 お父様は、かつての過ちによって、この別荘で暮らすことになった。
 それは、仕方ないことである。事実として、お父様はお母様を裏切ってしまったのだから。
 ただ、本人として、それが辛いことであるのは当たり前だ。そのため、疲労していてもおかしいことではない。
 だが、今のお父様は流石に顔色が悪すぎるだろう。いくら落ち込んでいるからといって、あそこまでなるものなのだろうか。

「僕のように、体が弱いという訳でもなかったよね……」

 お父様は、別に健康だったはずだ。
 それなのに、あそこまでなっているというのは、どうにも違和感がある。
 その理由がわかれば、何かできることがあるかもしれない。そう思って、僕は思考を働かせる。

「……そういえば、昔の僕はあんな感じだったのかな?」

 そこで僕は、ふと気になった。
 もしかしたら、昔の僕はあんな感じだったのではないかと。
 あの頃の僕は、生きる希望というものを持てていなかったような気がする。
 どうせこんな体からと諦めて、前を見ていなかった。絶望して、何事にもやる気を出せていなかった気がする。

「そんな僕は、ルネリアのおかげで前を向けるようになった……彼女の涙を見て、僕は決意したんだ。元気になって、生き抜いてみせると」

 ルネリアの涙は、今でも記憶に刻みついている。
 妹を泣かせるなんて、兄としては情けないことだ。あんな涙は、二度と見たくない。
 だから、僕は元気になりたいのである。健康になって、ルネリアや皆を安心させたい。それが、今の目標であり、生きる希望なのである。

「もしかして、お父様は生きる希望がなくなっているのかな……」

 そこまで考えて、僕はとある可能性に思い至った。
 いや、それは誤りかもしれない。僕はそれを頭の片隅に置きつつ、考えないようにしていたのだ。
 だけど、考えていく内に、その可能性が高いことを悟ってしまった。一度そう思ってしまったら、もう止まることはできない。
 こうして、僕は自らが何をするべきなのかを理解するのだった。
 僕は、お父様の部屋を訪ねていた。彼と話したいことがあったからである。
 お父様の部屋は、少し暗かった。それは、実際の明るさの話ではない。なんだか、雰囲気が暗いのだ。

「エルーズ、僕に何か用かな?」
「お父様に聞きたいことがあるんです」
「聞きたいこと? 何かな?」
「……お父様は、生きる希望を失ったの?」
「……」

 僕は、お父様に質問した。
 もしも僕の予想が正しければ、お父様はとんでもないことを考えているはずだ。
 そうでないことを願っている。本当にそうだったなら、それは悲しすぎるから。

「……お父様は知っているとは思うけど、僕は昔から体が弱かったんだ」
「……ああ、もちろん、知っているよ」

 僕の質問にお父様は何も答えなかった。
 そのため、僕は話をすることした。それは、僕の話だ。
 僕は、お父様にこの人生を知ってもらいたかった。僕がどんな考えで生きてきたのか。それを語ることが、今のお父様にとっていいことになると思うからだ。

「僕は、いつも体調を崩していた。よく風邪を引いていて、そうでなくても体がだるくて……いつもいつも辛かった」
「……」
「生きる希望なんてない。僕は、いつしかそう思うようになっていた。このままベッドの上で過ごすんだって、そう思っていたんだ」

 お父様は、僕の言葉を悲痛な面持ちで聞いていた。
 その気持ちは、なんとなくわからない訳ではない。子供がこんなことを言うのは、きっと親にとって辛いことなのだろう。
 だけど、僕はそれを語らなければならない。お父様の心を溶かすためには、それが必要なのだ。

「それでも、僕は生きたいと思うようになったんだ。前を進みたくなったんだ。ルネリアのおかげで……彼女の言葉で、僕は変わったんだ」
「ルネリアが……」
「今でも、僕は体が弱い。でも、もう後ろを向いたりはしないよ。リハビリを頑張って、健康になってルネリアの笑顔を見たい。皆の笑顔が見たい。それが今の僕の生きる希望なんだ」
「エルーズ……」

 僕は、お父様に笑顔を見せた。
 その笑顔は、彼に力を与えられているだろうか。
 そんなことを少し気にしながら、僕は次の言葉を考える。今のお父様に最適な言葉が何かをゆっくりと熟考する。

「お父様、僕は元気になりたいと思っているんだ。生きたいと思っているんだ。だから……健康に生まれてきたあなたが、僕をずっと見てきたあなたが、そんな安易な方法に頼るなんて、間違ってもしないで欲しい」
「……」

 僕は、お父様の目をはっきりと見ていた。
 彼は、とても悲しい目をしている。それは、何を悲しんでいるのだろうか。
 そう思った直後、お父様の表情が変わった。真剣なその顔には、しっかりとした意思が宿っている。
 凛々しいその表情を見ていると、もう大丈夫なように思える。なぜなら、それ程の力が、その表情には宿っているからだ。

「エルーズ……すまない。そして、ありがとう」

 お父様は、僕に短くそう言ってきた。
 それに対して、僕は笑みを浮かべる。その確実な言葉に、僕はやっと心から安心できたのだ。
 お父様との一件も終わり、僕は再び庭に出てきていた。
 木陰で休みながら、風に当たるのはやはり気持ちいい。これだけで、心が安らぐ。

「エルーズ」
「あれ? アルーグお兄様……」

 そんな僕の元に、アルーグお兄様がやって来た。
 お兄様は、ゆっくりと僕の横に腰を下ろす。恐らく、何か話したいことがあるのだろう。

「父上から、事の成り行きは聞いている。お前のおかげで、父上はある程度立ち直れたようだ。感謝する」
「……別に、僕はそこまで特別なことをした訳ではないよ。ただ、僕の素直な気持ちを伝えただけだから」
「それがありがたいのだ」

 アルーグお兄様は、僕にお礼を言ってきた。
 お父様のことで、お兄様がお礼を言う。ということは、事情をわかっていたということだ。
 それは、なんとなく察していたことである。きっと、お兄様はそのために僕を呼んだのだろう。

「お前を呼んで、本当に良かった。お前でなければ、この役目は果たせなかったはずだ」
「そうなのかな?」
「ああ……少なくとも、俺では無理だった。情けない話だが、俺は父上に優しい言葉をかけることなどできない。私怨はあるし、そういう立場でもないからな」
「……そうかもしれないね」

 お兄様の言葉に、僕はゆっくりと頷いた。
 確かに、お兄様ではお父様にそんなことは言えないだろう。
 多分、それはお兄様の役目ではないのだ。あくまでお兄様は厳しい立場であり、僕が優しい立場を取る。その役割分担が大切なのではないだろうか。

「お兄様も、色々と大変なんだよね……」
「……どうしたんだ? 急に?」
「立場とか、私怨とか、色々あって雁字搦めになって……大変なんじゃないかなって、思ったんだ」

 アルーグお兄様は、いつも公爵家を引っ張っている。
 それは、大変なことだろう。今回のことも、大変だったはずだ。

「心配はいらない。それが、俺の役割だ。それより、お前の方が大丈夫か?」
「え?」
「疲れたりはしていないか? 重要な役割を背負わせてしまったからな……」
「それは……まあ、少し疲れたかな」

 アルーグお兄様の質問に、僕は素直に答えることにした。
 今日は、少し疲れた。普段はしないことをしたからだろう。
 これを隠しても意味はないことはわかっている。体の弱い僕が、そういうことを隠すのはよくないことだ。

「アルーグお兄様、少し膝を貸してもらってもいい?」
「膝?」
「今日は温かいし、ここで昼寝したいんだ」
「俺の膝などでいいのか?」
「アルーグお兄様の膝がいいんだ」
「そうか。それなら、来い」
「うん……」

 僕は、アルーグお兄様に膝枕をしてもらうことをした。
 今日は頑張ったので、少しご褒美をもらおうと思ったのだ。
 普段、お兄様にこんなことはしてもらえない。だから、かなり特別感がある。
 こうして、僕はアルーグお兄様の膝の上で眠りにつくのだった。
 僕は、公爵家の別荘で過ごしていた。
 せっかくなので、しばらくはここで過ごすことにしたのだ。
 忙しいので、お兄様は本家に戻っている。という訳で、ここには僕とお父様と使用人達しかいない。

「ふぅ……」

 別荘は、本家に加えてとても静かである。この静けさは、少し寂しい。
 だが、お父様はいつもそれを体験しているのだ。そんな寂しさを紛らわしてあげたい。そんな思いもあって、僕はここに留まっているのだ。

「それでね、僕はルネリアの友達のケリーと知り合ったんだ」
「そんなことがあったんだね……」

 僕は、お父様に公爵家であったことを話していた。
 今話しているのは、ルネリアの友達であるケリーと出会った時のことだ。
 お父様は、それを楽しそうに聞いてくれている。その笑顔を見るだけで、僕も嬉しくなってくる。

「エルーズ、実の所、この別荘の近くには、ルネリアがかつて暮らしていた村があるんだ」
「え? そうなの?」
「ああ、そのケリーという少女も、そこにいるんだろう? もしよかったら、帰る時に少しそこに寄ってみても、いいんじゃないかな?」
「ルネリアのいた村か……」
「もちろん、エルーズは体のこともあるし、無理をしてはいけないけどね」

 お父様の言葉に、僕は少し考えることになった。
 ケリーとは、あの時会った限りだ。それ以来、会ってはいない。
 そんな繋がりで、彼女の元を訪ねていいのだろうか。それは少し、疑問だ。
 それに、僕は体調のこともある。あまり無理をするべきではないだろう。

「エルーズ、君はケリーさんに会いたいと思っているかい?」
「え?」
「その気持ちは、何よりも大切なものなのだと僕は思っているよ。会いたいと思うなら、会いに行くといい」
「……」

 お父様のさらなる言葉に、僕は再び考えることになった。
 しかし、結論はすぐに出てくる。僕は、彼女に会いたいと思っている。それは、明白だったからだ。
 僕は、彼女のことを友達だと思っている。もちろん、あの時会った限りの仲でしかないのだが、それでもそう考えているのだ。

「……答えは決まっているようだね。それなら、僕の方から使用人に言っておこう。最近、優秀な執事が来てね。彼になら、君も任せられる」
「お父様……ありがとう」

 僕は、ケリーに会いに行くことにした。
 それが、僕の素直な望みだったからである。
 せっかく滅多に遠出しない僕が、こんな所まで来たのだ。少しくらい、冒険してみてもいいだろう。
 こうして、僕はルネリアが生まれ育った村に行くことにするのだった。
 僕は、執事のゼペックさんとともに、ルネリアがいた村に来ていた。
 付き添ってくれるゼペックさんは、お父様から信頼できる人だと聞いている。
 その評価通り、彼はとてもできる人だ。対応も丁寧だし、とても優しい。最近、公爵家に雇われたそうだが、恐らく以前も執事として働いていたのだろう。

「さて、行きましょうか。連絡は既に入れてありますから、ご安心ください」「
「はい……」

 ゼペックさんに手を貸してもらいながら、僕は馬車から下りた。すると、僕達を待っていた人物が目に入って来る。
 一人は、この村の村長さんだ。以前、公爵家に来ていた彼は、少し緊張した面持ちでこちらを見ている。
 そして、もう一人僕達を待っている人がいた。それは、ケリーである。

「ケリー、久し振りだね」
「エルーズ様、こんにちは……」

 ケリーも、少し緊張しているようだ。その表情から、それは読み取れる。
 ただ、少なくとも僕の来訪を嫌がってはいないだろう。緊張しつつも、彼女は少し嬉しそうにしているからだ。
 もっとも、それは僕の願望なのかもしれない。本当は嫌がっている可能性もあるので、まだ安心することはできないだろう。

「びっくりしました。エルーズ様がこの村に来ると聞いて……どうしたんですか? 一体?」
「あ、うん。実は、この近く……といっても、距離は結構あるけど、そこに公爵家の別荘があってね。せっかくだから、ケリーに会いたいと思って」
「僕に、会いたかったんですか?」
「うん、そうだよ」

 僕の質問に、ケリーは目を丸めて驚いていた。
 そんなに意外なことを言ったつもりはない。だが、彼女にとってはそうではなかったようである。
 それはつまり、僕達の間に認識のずれがあるということなのだろうか。

「僕は、ケリーのことを友達だと思っているんだ。だから、会いに来たいと思ったんだ」
「僕が、エルーズ様と友達?」
「……嫌だったかな?」
「いえ、そういう訳ではありません。ただ、なんというか、恐れ多いというか……」
「恐れ多い……そっか、そうだよね」

 ケリーの言葉で、僕はあることに気がついた。
 僕は、公爵家の令息である。一方、彼女は平民だ。
 そこには、差がある。その差によって、僕達の認識が同じになるはずはないのだ。
 僕は、気軽にケリーを友達と呼べるだろう。しかし、ケリーは同じようにできない。僕の方が、立場が上だからだ。

「それじゃあ、今からでもいいかな?」
「え?」
「これから、僕達は友達……駄目かな?」
「……いえ、エルーズ様がいいなら、喜んで」

 僕の提案に、ケリーは笑顔を見せてくれた。
 こうして、僕は彼女と友達になったのだった。
 僕は、ケリーの家に招いてもらっていた。
 彼女の家は、農家であるそうだ。というか、この村で暮らしている人々は、ほとんど農民であるらしい。

「お父さんも、お母さんも今は働いているんです。本当は、僕も働かないといけないんですけど、今日は特別ということで……」
「そうなんだ、大丈夫なの?」
「ええ、大丈夫だと思います」

 ケリーのご両親は、農家としての仕事に勤しんでいるようだ。そのため、今は家の中に二人きりである。

「えっと……どうしましょうか? とりあえず、飲み物でも出しましょうか? といっても、水くらいしかないんですけど……」
「気を遣わないで大丈夫だよ?」
「まあ、でも、お客様ですから……」

 僕は、とある部屋に通されていた。ここは、ケリーの部屋であるらしい。
 ベッドと小さな机と椅子、それに本棚といった最低限のものしかないこの部屋は、二人でも少し狭いくらいだ。
 ただ、そう思うのは僕が貴族だからなのだろう。平民としては、このくらいの大きさの部屋は一般的なのかもしれない。

「少し待っていてくださいね。そのベッドの上に座っていてください。疲れているなら、転んでいてもいいので」
「あ、うん……」

 ケリーはそう言って、部屋を出て行った。恐らく、台所に行ったのだろう。
 とりあえず、僕はいわれた通り、ベッドに座った。すると、そこから軋む音が聞こえてくる。

「ふぅ……」

 そこで、僕はゆっくりとため息をつく。
 ここに来るまでの馬車の旅で、少し疲れてしまったようだ。
 少しはましになったとはいえ、僕はまだまだ体が弱い。馬車の旅というものは、中々体力を使うので、少し休んだ方がいいかもしれない。
 ケリーも、それをわかっているから、転んでいいと言ってくれたのだろう。ここは、その厚意に甘えた方がいいかもしれない。

「よいしょ……」

 僕は、ケリーのベッドに寝転がった。
 公爵家の高級なベッドとは違うので、寝心地はそこまでいいとはいえない。それは、わかっていたことだ。
 ただ、それでも寝転がると心が安らいでくる。

「うん……」

 僕は、ゆっくりと目を瞑った。眠るつもりはないが、ケリーが来るまではこうして休んでいようと思ったのだ。
 これから、僕は彼女と色々な話をしたい。そのために、少しでも体力を回復しておきたかったのだ。
 そうしていると、改めて思った。もっと、元気になりたいと。
 これからも頑張って元気になる努力をしよう。僕は、少しぼんやりとしながらも、そんなことを思うのだった。
「……うん?」
「あ、起きましたか?」

 僕は、ゆっくりと目を覚ました。
 最初に目に入ってきたのは、こちらを覗き込むケリーの姿である。彼女は、笑顔で僕のことを見ていた。その顔は、とても美しい。
 そんなことをぼんやりと考えて、僕はあることを理解した。僕はベッドに寝転がって、そのまま寝てしまったのだと。

「ごめん、ケリー。僕、寝ちゃったみたいだね……」
「別に大丈夫ですよ」
「でも、急に押しかけてきて、寝るなんて滅茶苦茶だし……」
「いえ、疲れていたんでしょうし、仕方ありませんよ。それに、エルーズ様の寝顔を見ているのも楽しかったですから」
「そうなの?」
「ええ、そうなんです」

 僕の謝罪に対して、ケリーはそんなことを言ってきた。
 確かに、彼女は先程笑顔で僕のことを見ていた。楽しかったという言葉に、嘘偽りはないだろう。
 ただ、それでも失礼なことをしてしまった。こちらから押しかけておいて、寝るなんてあってはならないことだ。
 それに、せっかく来たのに寝るなんて、時間がもったいない。時間は有限なのだから、無駄にしたくはなかった。

「……僕は、どれくらい寝ていたのかな?」
「十五分程でしょうか? そんなに寝てはいませんよ」
「そっか、よかった……」

 ケリーの言葉に、僕は少し安心する。
 一時間や二時間といった長い時間寝ていなくて、本当に良かった。十五分ならまだ時間はある。これから、ケリーとの時間を楽しめるのだ。

「……それにしても、エルーズ様は本当にお綺麗ですね」
「え?」
「寝顔を見ていたら、そう思ったんです。男の子にこんなことを言うべきではないのかもしれませんけど、とても美しくて思わず見惚れてしまいました」
「そうなんだ……ありがとう」

 ケリーは、僕を美しいと言ってきた。
 僕は、そういった旨のことをよく言われる。あまりよくわからないが、僕は他人からそう取られるようなのだ。
 こういう時になんと答えるべきなのだろうか。それは、難しい所である。とりあえず、お礼を言ったりするのだが、それであっているのだろうか。

「ケリーも、綺麗だよ」
「え? そうですか? それは、ありがとうございます……」

 僕は、お返しにケリーにも綺麗だと言っておいた。
 それは、素直な気持ちである。ケリーは、本当に綺麗だ。僕なんかよりも、余程美しい。
 そんな僕の言葉に、ケリーは顔を赤くしていた。どうやら、照れているようだ。
 彼女のそんな顔を見ていると、僕の中に別の感想が思い浮かんできた。可愛いとそう思ったのである。
「それで、ルネリアがね。僕の隣で寝ていて……」
「ルネリアらしいですね……」

 僕は、ケリーと話をしていた。
 彼女と話すのは、とても楽しい。こうやって、友達と話すのは初めての体験だ。こんなにも楽しいものだったなんて、まったく知らなかった。
 考えてみれば、僕はまだまだ知らないことばかりだ。これから、もっと色々なことが知りたい。彼女との話を経て、僕はまた強くそう思うようになった。

「失礼します」
「え?」
「エルーズ様、そろそろお時間です」

 ケリーと話をしていると、部屋の戸がゆっくりと叩かれて、そんな声が聞こえてきた。
 ゼペックさんには、帰る時間になったら教えて欲しいと頼んで、外に待機してもらっていた。どうやら、時間が来たようだ。

「もう時間が来たみたいだ。そろそろ帰らないといけない」
「そうですか……残念です」
「うん、僕ももう少し話していたいよ」

 正直な話、まだ帰りたくはなかった。
 だが、駄々をこねてはいけない。約束は約束だ。守らなければならない。

「ケリー、今日は本当に楽しかったよ。いつになるかはわからないけど、また来たいな」
「……今度は、私の方から公爵家を訪ねます。ルネリアにも会いたいですし……もちろん、ラーデイン公爵家が良かったら、ですけど」
「いつでも大歓迎だよ。お兄様もお母様も、邪険に扱ったりはしないだろうし、全然大丈夫だよ。あ、でも、そっちから連絡するのは大変だよね……今度、公爵家の方から連絡して、そっちの良い日を伝えてもらえるかな?」
「わかりました。それじゃあ、そうさせてもらいます」

 僕の言葉に、ケリーはゆっくりと頷いた。
 これで、ケリーも公爵家を訪ねられるだろう。今度彼女に会うのが、もう楽しみだ。それに、ルネリアの喜ぶ顔が見られるのも嬉しいものである。

「よし、それじゃあ、そろそろ帰るよ」
「はい……」

 僕は、ゆっくりと立ち上がり、部屋を出て行く。すると、ケリーもついてくる。送ってくれるつもりなのだろう。
 そのまま、僕達は玄関まで来て、家の外に出た。そこには、馬車が止まっている。ゼペックさんが手配してくれていたのだろう。

「ケリー、また会おうね」
「はい……エルーズ様、お元気で」
「うん、ケリーもね」

 僕は、ケリーと固く握手を交わした。彼女の温もりを、しっかりと確かめてから、ゆっくりと手を離す。
 こうして、僕は彼女と別れるのだった。ケリーは、馬車に乗ってからも、僕が見えなくなるまで、見ていてくれた。