「……」
「……」
私とサガードの間には、沈黙が流れていた。
先程の言葉から、彼は何も話さない。ただ、何かを話そうとする素振りはある。きっと、彼は今言葉を探しているのだろう。
私は、それを待つことにする。言いたいことは色々とあったが、それを飲み込み、黙っていることにしたのだ。
「ルネリア、俺はお前のことが好きだ」
「サガード……」
「色々と考えたけどさ、結局これしか言葉は見つからなかった。それが、俺の素直な気持ちなんだ」
サガードは、私の目を真っ直ぐに見つめてそう言ってきた。
その言葉に、私はゆっくりと息を呑む。すぐに言葉は出て来なかった。だが、言葉を返さなければならない。彼のその勇気ある言葉に、私は応えなければならないのである。
「嬉しい……嬉しいよ、サガード」
「う、嬉しい?」
「うん、サガードがそう言ってくれて、私嬉しいんだ。嬉しいんだよ」
私の口から出てきたのは、そんな言葉だった。
それは、今の私の素直な気持ちである。とにかく嬉しかったのだ。彼にそう言ってもらえることが。
「私もね、サガードのことが好きだよ」
「え?」
「多分、そうなんだと思う。だって、こんなに嬉しいんだもん」
私は、ゆっくりとそのような言葉を発していた。
色々と考えた結果、私はそう思ったのである。
サガードに好きだと言われて、私は温かい気持ちでいっぱいになった。とても嬉しくて仕方なかった。
それは、彼のことが好きだからなのだ。漠然とした考えなのだが、私はそれを確信していた。迷うことはなく、これが答えであるとはっきりと思ったのである。
「ほ、本当か?」
「本当だよ。こんな時に、嘘なんてつかないよ」
「そうか……そうだよな」
私の言葉に、サガードは笑顔を見せてくれた。
彼も、嬉しそうである。それはまず間違いなく、告白が成功したからだろう。
ただ、そこで私はあることに気づいた。貴族や王族の場合、これからどうなるのだろう。
「ねえ、サガード、質問なんだけど……貴族とか王族とかって、この後どうするの?」
「どうする?」
「いや、普通に考えたら、付き合ったりするんだと思うんだけど……」
「ああ、そういうことか……まあ、俺達の場合は、両家の承認待ちということになるかな? 事情は色々と複雑だけど、とりあえず家同士の話し合いがつかないとどうすることもできない訳だし……」
「そうなんだ」
サガードの説明で、大体のことはわかった。
要するに、私達がそういった関係になれるかどうかは、王家とラーデイン公爵家の判断次第ということなのだろう。
それは、なんというか少しもどかしい。私達にできるのは、願うことだけということなのだろうか。
「エルーズ、お前に少し頼みたいことがあるのだ」
「頼みたいこと……? 僕に?」
「ああ、これはお前にしか頼めないことだと思っている。色々と考えた結果、そう思ったのだ」
僕は、アルーグお兄様に呼び出されていた。
こんな風に呼び出されて、正直驚いている。体の弱い僕に、お兄様が何かを言ってくることは少ない。言ってくるにしても、彼が部屋に訪ねて来るため、今日は本当に珍しいのだ。
ただ、最近、僕はリハビリを頑張って、少し体質も変化している。そういう面も考慮して、お兄様はこのような形を取ったのかもしれない。
「アルーグお兄様、それでどんな内容なの?」
「お前に、俺と一緒に別荘に来てもらいたいのだ」
「別荘……?」
アルーグお兄様の言葉に、僕はとあることを思い出していた。
ラーデイン公爵家は、現在お兄様が取り仕切っている。当主であるお父様が、色々な失敗の責任で退いたからだ。
そんなお父様は、今公爵家の別荘にいると聞いている。お兄様が言っているのは、恐らくその別荘のことだろう。
「お父様の所に行くということ?」
「ああ、そういうことだ」
「どうして?」
「父上の様子を見に行くのだ」
アルーグお兄様は、淡々とそう言ってきた。その言葉は、とても事務的なように思える。
前々から思っていたことではあるが、お兄様はお父様に少し冷たい。やはり、お父様の過ちが、そうさせているのだろうか。
もちろん、お父様が許されないことをしたということは僕もわかっている。ただ、お兄様ももう少し手心を加えてあげてもいいのではないか。そう思わないこともない。
僕達にとっては、たった一人のお父様である。少しくらい優しくしてもいい。お兄様のこういう態度を見ていると、僕はそんなことを思ってしまうのだ。
「もしかして……」
「どうかしたのか?」
「ううん、なんでもないよ」
そこまで考えて、僕はとあることに気づいた。
もしかしたら、お兄様はそういう僕の考えを見抜いているから、同行者に選んだのかもしれない。
お兄様は、きっとお父様に厳しく接するだろう。そのため、バランスを取るためにお父様に優しくできる僕を求めているのかもしれない。
「エルーズ、体の方は大丈夫か?」
「うん、大丈夫。別荘って、そんなに遠くにある訳ではないんだよね?」
「ああ、公爵家の領地内にある。それ程、遠くはない」
「それなら、大丈夫だと思う」
アルーグお兄様は、僕の体のことを心配してくれた。
あまり長い旅なら、体調を崩してしまう可能性が高い。だが、それ程遠くないなら、問題はないだろう。
お母様は、僕を止めるかもしれない。だけど、僕は行きたいと思う。
お兄様の役に立ちたい。公爵家に貢献したい。そういった気持ちが、僕の中にもあるのだ。
僕は、アルーグお兄様とともに公爵家の別荘にやって来ていた。
別荘は、自然に囲まれた場所にあった。空気も美味しいし、なんだか気分がいい。
もしかしたら、お兄様はそういう面も考慮してくれたのだろうか。僕の療養も、兼ねているという可能性は充分あるだろう。
「アルーグお兄様、空気が気持ちいいね」
「ああ、そうだな……」
僕が話しかけると、お兄様はゆっくりと頷いてくれた。
しかし、その顔は明るくない。それは、これから会う人物のことを考えているからだろうか。
「……来ていたのか、アルーグ。それに、エルーズも」
「あっ……」
そんなことを思っていると、別荘の戸がゆっくりと開いた。
中から出てきたのは、僕達のお父様である。ただ、僕の記憶の中にあるお父様とは、少し様子が違う。
なんというか、少し痩せているのだ。こんな空気の澄んだ所で暮らしているのに、その顔色もいいとは言い難い。
「お久し振りですね、父上」
「ああ、久し振り……元気にしていたかい?」
「ええ」
「結婚式の日程が先日届いたよ。ただ、僕は参加しない方がいいんだよね?」
「はい」
お父様の質問に対して、お兄様は淡々と答えた。
その声色は、やはり冷たい。アルーグお兄様は、まだお父様をまったく許せていないようだ。
こういう時こそ、僕の出番であるだろう。お兄様が冷たく接するなら、僕は温かく接するべきだ。
「お父様は、元気だった?」
「……ああ、元気だったよ。エルーズはどうだい? 最近、頑張っていると聞いているけど」
「うん、リハビリを頑張っているんだ。元気になりたいから」
「そうかい。それは、良かった」
僕の言葉に、お父様は笑顔を見せてくれた。
その笑みは、優しい笑みだ。以前と変わらないその笑みに、僕は少し安心する。
ただ、まだ心配だ。お父様の様子は、明らかにおかしい。元気だと言っているが、それは多分嘘だろう。
お兄様がどうして様子を見に来たか。それは、彼のそんな様子が関係しているのかもしれない。こんな姿になっていると報告を受ければ、いくらアルーグお兄様がお父様に冷たいといっても、実際に確認したくもなるだろう。
「お父様、ここは空気が綺麗だね……なんだか、心が落ち着くよ」
「……自然に囲まれているから、そう思うのかもしれないね」
「お兄様に誘ってもらって良かったよ。この空気が吸えるだけで、なんだか元気になりそうだもん」
「そうかい……それは、幸いだね」
お兄様の意図やお父様の様子、色々と気になることはあった。
とりあえず、僕は普通に振る舞うことにした。そうすることが、僕の役割だと思ったからである。
僕は、公爵家の別荘で過ごしていた。
別荘は、とても心地いい場所にある。空気も綺麗なので、僕は庭に出て風にあたっている。
「ふぅ……」
ゆっくりと伸びをしながら、僕はこれからのことを考えていた。
お父様とお兄様は、何か話をしている。それは、僕にはあまり聞かせたくないことであるらしい。
その内容は、正直さっぱりわからないが、今の状況があまりよくないということはわかっている。
お父様は、明らかに憔悴していた。あれは、一体どういうことなのだろうか。それが、僕は気になっているのだ。
「もちろん、色々なことがあった訳だし、精神的に参っていると理解できない訳ではないけど……」
お父様は、かつての過ちによって、この別荘で暮らすことになった。
それは、仕方ないことである。事実として、お父様はお母様を裏切ってしまったのだから。
ただ、本人として、それが辛いことであるのは当たり前だ。そのため、疲労していてもおかしいことではない。
だが、今のお父様は流石に顔色が悪すぎるだろう。いくら落ち込んでいるからといって、あそこまでなるものなのだろうか。
「僕のように、体が弱いという訳でもなかったよね……」
お父様は、別に健康だったはずだ。
それなのに、あそこまでなっているというのは、どうにも違和感がある。
その理由がわかれば、何かできることがあるかもしれない。そう思って、僕は思考を働かせる。
「……そういえば、昔の僕はあんな感じだったのかな?」
そこで僕は、ふと気になった。
もしかしたら、昔の僕はあんな感じだったのではないかと。
あの頃の僕は、生きる希望というものを持てていなかったような気がする。
どうせこんな体からと諦めて、前を見ていなかった。絶望して、何事にもやる気を出せていなかった気がする。
「そんな僕は、ルネリアのおかげで前を向けるようになった……彼女の涙を見て、僕は決意したんだ。元気になって、生き抜いてみせると」
ルネリアの涙は、今でも記憶に刻みついている。
妹を泣かせるなんて、兄としては情けないことだ。あんな涙は、二度と見たくない。
だから、僕は元気になりたいのである。健康になって、ルネリアや皆を安心させたい。それが、今の目標であり、生きる希望なのである。
「もしかして、お父様は生きる希望がなくなっているのかな……」
そこまで考えて、僕はとある可能性に思い至った。
いや、それは誤りかもしれない。僕はそれを頭の片隅に置きつつ、考えないようにしていたのだ。
だけど、考えていく内に、その可能性が高いことを悟ってしまった。一度そう思ってしまったら、もう止まることはできない。
こうして、僕は自らが何をするべきなのかを理解するのだった。
僕は、お父様の部屋を訪ねていた。彼と話したいことがあったからである。
お父様の部屋は、少し暗かった。それは、実際の明るさの話ではない。なんだか、雰囲気が暗いのだ。
「エルーズ、僕に何か用かな?」
「お父様に聞きたいことがあるんです」
「聞きたいこと? 何かな?」
「……お父様は、生きる希望を失ったの?」
「……」
僕は、お父様に質問した。
もしも僕の予想が正しければ、お父様はとんでもないことを考えているはずだ。
そうでないことを願っている。本当にそうだったなら、それは悲しすぎるから。
「……お父様は知っているとは思うけど、僕は昔から体が弱かったんだ」
「……ああ、もちろん、知っているよ」
僕の質問にお父様は何も答えなかった。
そのため、僕は話をすることした。それは、僕の話だ。
僕は、お父様にこの人生を知ってもらいたかった。僕がどんな考えで生きてきたのか。それを語ることが、今のお父様にとっていいことになると思うからだ。
「僕は、いつも体調を崩していた。よく風邪を引いていて、そうでなくても体がだるくて……いつもいつも辛かった」
「……」
「生きる希望なんてない。僕は、いつしかそう思うようになっていた。このままベッドの上で過ごすんだって、そう思っていたんだ」
お父様は、僕の言葉を悲痛な面持ちで聞いていた。
その気持ちは、なんとなくわからない訳ではない。子供がこんなことを言うのは、きっと親にとって辛いことなのだろう。
だけど、僕はそれを語らなければならない。お父様の心を溶かすためには、それが必要なのだ。
「それでも、僕は生きたいと思うようになったんだ。前を進みたくなったんだ。ルネリアのおかげで……彼女の言葉で、僕は変わったんだ」
「ルネリアが……」
「今でも、僕は体が弱い。でも、もう後ろを向いたりはしないよ。リハビリを頑張って、健康になってルネリアの笑顔を見たい。皆の笑顔が見たい。それが今の僕の生きる希望なんだ」
「エルーズ……」
僕は、お父様に笑顔を見せた。
その笑顔は、彼に力を与えられているだろうか。
そんなことを少し気にしながら、僕は次の言葉を考える。今のお父様に最適な言葉が何かをゆっくりと熟考する。
「お父様、僕は元気になりたいと思っているんだ。生きたいと思っているんだ。だから……健康に生まれてきたあなたが、僕をずっと見てきたあなたが、そんな安易な方法に頼るなんて、間違ってもしないで欲しい」
「……」
僕は、お父様の目をはっきりと見ていた。
彼は、とても悲しい目をしている。それは、何を悲しんでいるのだろうか。
そう思った直後、お父様の表情が変わった。真剣なその顔には、しっかりとした意思が宿っている。
凛々しいその表情を見ていると、もう大丈夫なように思える。なぜなら、それ程の力が、その表情には宿っているからだ。
「エルーズ……すまない。そして、ありがとう」
お父様は、僕に短くそう言ってきた。
それに対して、僕は笑みを浮かべる。その確実な言葉に、僕はやっと心から安心できたのだ。
お父様との一件も終わり、僕は再び庭に出てきていた。
木陰で休みながら、風に当たるのはやはり気持ちいい。これだけで、心が安らぐ。
「エルーズ」
「あれ? アルーグお兄様……」
そんな僕の元に、アルーグお兄様がやって来た。
お兄様は、ゆっくりと僕の横に腰を下ろす。恐らく、何か話したいことがあるのだろう。
「父上から、事の成り行きは聞いている。お前のおかげで、父上はある程度立ち直れたようだ。感謝する」
「……別に、僕はそこまで特別なことをした訳ではないよ。ただ、僕の素直な気持ちを伝えただけだから」
「それがありがたいのだ」
アルーグお兄様は、僕にお礼を言ってきた。
お父様のことで、お兄様がお礼を言う。ということは、事情をわかっていたということだ。
それは、なんとなく察していたことである。きっと、お兄様はそのために僕を呼んだのだろう。
「お前を呼んで、本当に良かった。お前でなければ、この役目は果たせなかったはずだ」
「そうなのかな?」
「ああ……少なくとも、俺では無理だった。情けない話だが、俺は父上に優しい言葉をかけることなどできない。私怨はあるし、そういう立場でもないからな」
「……そうかもしれないね」
お兄様の言葉に、僕はゆっくりと頷いた。
確かに、お兄様ではお父様にそんなことは言えないだろう。
多分、それはお兄様の役目ではないのだ。あくまでお兄様は厳しい立場であり、僕が優しい立場を取る。その役割分担が大切なのではないだろうか。
「お兄様も、色々と大変なんだよね……」
「……どうしたんだ? 急に?」
「立場とか、私怨とか、色々あって雁字搦めになって……大変なんじゃないかなって、思ったんだ」
アルーグお兄様は、いつも公爵家を引っ張っている。
それは、大変なことだろう。今回のことも、大変だったはずだ。
「心配はいらない。それが、俺の役割だ。それより、お前の方が大丈夫か?」
「え?」
「疲れたりはしていないか? 重要な役割を背負わせてしまったからな……」
「それは……まあ、少し疲れたかな」
アルーグお兄様の質問に、僕は素直に答えることにした。
今日は、少し疲れた。普段はしないことをしたからだろう。
これを隠しても意味はないことはわかっている。体の弱い僕が、そういうことを隠すのはよくないことだ。
「アルーグお兄様、少し膝を貸してもらってもいい?」
「膝?」
「今日は温かいし、ここで昼寝したいんだ」
「俺の膝などでいいのか?」
「アルーグお兄様の膝がいいんだ」
「そうか。それなら、来い」
「うん……」
僕は、アルーグお兄様に膝枕をしてもらうことをした。
今日は頑張ったので、少しご褒美をもらおうと思ったのだ。
普段、お兄様にこんなことはしてもらえない。だから、かなり特別感がある。
こうして、僕はアルーグお兄様の膝の上で眠りにつくのだった。
僕は、公爵家の別荘で過ごしていた。
せっかくなので、しばらくはここで過ごすことにしたのだ。
忙しいので、お兄様は本家に戻っている。という訳で、ここには僕とお父様と使用人達しかいない。
「ふぅ……」
別荘は、本家に加えてとても静かである。この静けさは、少し寂しい。
だが、お父様はいつもそれを体験しているのだ。そんな寂しさを紛らわしてあげたい。そんな思いもあって、僕はここに留まっているのだ。
「それでね、僕はルネリアの友達のケリーと知り合ったんだ」
「そんなことがあったんだね……」
僕は、お父様に公爵家であったことを話していた。
今話しているのは、ルネリアの友達であるケリーと出会った時のことだ。
お父様は、それを楽しそうに聞いてくれている。その笑顔を見るだけで、僕も嬉しくなってくる。
「エルーズ、実の所、この別荘の近くには、ルネリアがかつて暮らしていた村があるんだ」
「え? そうなの?」
「ああ、そのケリーという少女も、そこにいるんだろう? もしよかったら、帰る時に少しそこに寄ってみても、いいんじゃないかな?」
「ルネリアのいた村か……」
「もちろん、エルーズは体のこともあるし、無理をしてはいけないけどね」
お父様の言葉に、僕は少し考えることになった。
ケリーとは、あの時会った限りだ。それ以来、会ってはいない。
そんな繋がりで、彼女の元を訪ねていいのだろうか。それは少し、疑問だ。
それに、僕は体調のこともある。あまり無理をするべきではないだろう。
「エルーズ、君はケリーさんに会いたいと思っているかい?」
「え?」
「その気持ちは、何よりも大切なものなのだと僕は思っているよ。会いたいと思うなら、会いに行くといい」
「……」
お父様のさらなる言葉に、僕は再び考えることになった。
しかし、結論はすぐに出てくる。僕は、彼女に会いたいと思っている。それは、明白だったからだ。
僕は、彼女のことを友達だと思っている。もちろん、あの時会った限りの仲でしかないのだが、それでもそう考えているのだ。
「……答えは決まっているようだね。それなら、僕の方から使用人に言っておこう。最近、優秀な執事が来てね。彼になら、君も任せられる」
「お父様……ありがとう」
僕は、ケリーに会いに行くことにした。
それが、僕の素直な望みだったからである。
せっかく滅多に遠出しない僕が、こんな所まで来たのだ。少しくらい、冒険してみてもいいだろう。
こうして、僕はルネリアが生まれ育った村に行くことにするのだった。
僕は、執事のゼペックさんとともに、ルネリアがいた村に来ていた。
付き添ってくれるゼペックさんは、お父様から信頼できる人だと聞いている。
その評価通り、彼はとてもできる人だ。対応も丁寧だし、とても優しい。最近、公爵家に雇われたそうだが、恐らく以前も執事として働いていたのだろう。
「さて、行きましょうか。連絡は既に入れてありますから、ご安心ください」「
「はい……」
ゼペックさんに手を貸してもらいながら、僕は馬車から下りた。すると、僕達を待っていた人物が目に入って来る。
一人は、この村の村長さんだ。以前、公爵家に来ていた彼は、少し緊張した面持ちでこちらを見ている。
そして、もう一人僕達を待っている人がいた。それは、ケリーである。
「ケリー、久し振りだね」
「エルーズ様、こんにちは……」
ケリーも、少し緊張しているようだ。その表情から、それは読み取れる。
ただ、少なくとも僕の来訪を嫌がってはいないだろう。緊張しつつも、彼女は少し嬉しそうにしているからだ。
もっとも、それは僕の願望なのかもしれない。本当は嫌がっている可能性もあるので、まだ安心することはできないだろう。
「びっくりしました。エルーズ様がこの村に来ると聞いて……どうしたんですか? 一体?」
「あ、うん。実は、この近く……といっても、距離は結構あるけど、そこに公爵家の別荘があってね。せっかくだから、ケリーに会いたいと思って」
「僕に、会いたかったんですか?」
「うん、そうだよ」
僕の質問に、ケリーは目を丸めて驚いていた。
そんなに意外なことを言ったつもりはない。だが、彼女にとってはそうではなかったようである。
それはつまり、僕達の間に認識のずれがあるということなのだろうか。
「僕は、ケリーのことを友達だと思っているんだ。だから、会いに来たいと思ったんだ」
「僕が、エルーズ様と友達?」
「……嫌だったかな?」
「いえ、そういう訳ではありません。ただ、なんというか、恐れ多いというか……」
「恐れ多い……そっか、そうだよね」
ケリーの言葉で、僕はあることに気がついた。
僕は、公爵家の令息である。一方、彼女は平民だ。
そこには、差がある。その差によって、僕達の認識が同じになるはずはないのだ。
僕は、気軽にケリーを友達と呼べるだろう。しかし、ケリーは同じようにできない。僕の方が、立場が上だからだ。
「それじゃあ、今からでもいいかな?」
「え?」
「これから、僕達は友達……駄目かな?」
「……いえ、エルーズ様がいいなら、喜んで」
僕の提案に、ケリーは笑顔を見せてくれた。
こうして、僕は彼女と友達になったのだった。
僕は、ケリーの家に招いてもらっていた。
彼女の家は、農家であるそうだ。というか、この村で暮らしている人々は、ほとんど農民であるらしい。
「お父さんも、お母さんも今は働いているんです。本当は、僕も働かないといけないんですけど、今日は特別ということで……」
「そうなんだ、大丈夫なの?」
「ええ、大丈夫だと思います」
ケリーのご両親は、農家としての仕事に勤しんでいるようだ。そのため、今は家の中に二人きりである。
「えっと……どうしましょうか? とりあえず、飲み物でも出しましょうか? といっても、水くらいしかないんですけど……」
「気を遣わないで大丈夫だよ?」
「まあ、でも、お客様ですから……」
僕は、とある部屋に通されていた。ここは、ケリーの部屋であるらしい。
ベッドと小さな机と椅子、それに本棚といった最低限のものしかないこの部屋は、二人でも少し狭いくらいだ。
ただ、そう思うのは僕が貴族だからなのだろう。平民としては、このくらいの大きさの部屋は一般的なのかもしれない。
「少し待っていてくださいね。そのベッドの上に座っていてください。疲れているなら、転んでいてもいいので」
「あ、うん……」
ケリーはそう言って、部屋を出て行った。恐らく、台所に行ったのだろう。
とりあえず、僕はいわれた通り、ベッドに座った。すると、そこから軋む音が聞こえてくる。
「ふぅ……」
そこで、僕はゆっくりとため息をつく。
ここに来るまでの馬車の旅で、少し疲れてしまったようだ。
少しはましになったとはいえ、僕はまだまだ体が弱い。馬車の旅というものは、中々体力を使うので、少し休んだ方がいいかもしれない。
ケリーも、それをわかっているから、転んでいいと言ってくれたのだろう。ここは、その厚意に甘えた方がいいかもしれない。
「よいしょ……」
僕は、ケリーのベッドに寝転がった。
公爵家の高級なベッドとは違うので、寝心地はそこまでいいとはいえない。それは、わかっていたことだ。
ただ、それでも寝転がると心が安らいでくる。
「うん……」
僕は、ゆっくりと目を瞑った。眠るつもりはないが、ケリーが来るまではこうして休んでいようと思ったのだ。
これから、僕は彼女と色々な話をしたい。そのために、少しでも体力を回復しておきたかったのだ。
そうしていると、改めて思った。もっと、元気になりたいと。
これからも頑張って元気になる努力をしよう。僕は、少しぼんやりとしながらも、そんなことを思うのだった。