私は、エルーズお兄様と一緒にアルーグお兄様とウルスドお兄様の剣の稽古を見学していた。
私達が見ているからか、ウルスドお兄様はかなりやる気を出していた。アルーグお兄様が嬉しそうな笑みを浮かべているため、恐らくいつもよりも稽古に積極的なのだろう。
そんな風な二人に時々声援を送りながら、私達は稽古を見ていた。二人の華麗な剣技を見て、歓声をあげたりしながら、私達はこの時間を楽しんでいる。
「すごいな、お兄様達は……」
「そうですね……」
「僕も……あんな風になりたかったな」
「え?」
そこで、エルーズお兄様が私にそんなことを呟いてきた。
それは、とても悲痛な言葉である。あんな風になりたかった。その過去形の言葉は、自分がそうはなれないということを表しているからだ。
「エルーズお兄様、それは……」
「あ、ごめんね。別に気にしないで」
「そんな……」
エルーズお兄様に、私は何も言えなくなってしまった。
気にしないなんてことはできない。その言葉を放ったエルーズお兄様の心情を考えないなんて、できる訳がない。
ただ、その言葉に対して何を言えばいいかが、私にはわからなかった。言葉が、まったく見つからないのだ。
「……エルーズ、少しいいか?」
「ア、アルーグお兄様? どうかしたの?」
そこで、アルーグお兄様がゆっくりとこちらに歩いて来た。
その後方には、膝をついたウルスドお兄様がいる。どうやら、少し目を離した隙に、決着がついていたようだ。
ただ、こちらに来たのはそれが理由だからではないだろう。きっと、エルーズお兄様のあの言葉があったからだ。
「エルーズよ、お前のその体のことは、当然俺もわかっている。そんなお前に対して、俺は安易に希望的な観測を言おうとは思わない。だが、お前が自らを卑下しているというなら、それは止めなければならないことだ」
「卑下……?」
アルーグお兄様は、少し厳しい表情をしていた。それは、ウルスドお兄様を指導していた時と同じような表情だ。
エルーズお兄様が、自分を卑下している。それは、確かにそうかもしれない。先程の言葉には、そんな感情が宿っていたような気がする。
そのことが気になって、アルーグお兄様はこちらに来たようだ。その言葉が単純な憧れであったならば、彼も特に気にしなかったのだろう。
アルーグお兄様は、誇り高き人だ。だからこそ、そういった感情を見逃すことはできないのかもしれない。
「エルーズ、あそこを見てみろ」
「あれは……鳥?」
そこで、アルーグお兄様は裏庭にある気を指差した。
そこには、一羽の鳥がいる。彼は、それを示しているようだ。
「俺達に人間には、あの鳥のような翼はない。どれだけ空を飛びたいと思っても、羽ばたくことは叶わないのだ」
「う、うん……」
「お前は、そんな鳥になりたいと思ったことはないか?」
「それは……あるよ」
「俺もだ。しかし、どれだけ焦がれても、俺達は鳥にはなれない。そういうものなのだ」
アルーグお兄様は、優しい顔をしていた。
鳥になりたい。そう思ったことは、私もある。
正確には、空を飛んでみたいという夢物語を思い描いたことがあるということだろうか。
「しかし、もしかしたらあの鳥は俺達を見て、剣を振るってみたいと思っているのかもしれない」
「え?」
「それはきっと、人間も同じだ。俺達は多かれ少なかれ、他人に憧れるものだ。お前が俺や他の者達に憧れるような気持ちが、俺にもある」
アルーグお兄様は、ゆっくりとそんなことを呟いた。
鳥に憧れるように、他者に憧れる。それは、なんとなく理解できる。
「アルーグお兄様にも、誰かに憧れたりするの?」
「ああ、例えば、お前にだって俺は憧れている」
「……僕に?」
「俺は、お前のように感受性が豊かではない。お前のように様々な理を見抜く目を、俺は持っていないのだ」
「ぼ、僕にそんな力があるのかな?」
「ある。俺やウルスドやルネリアは、お前のその豊かな感性を感じ取っている」
アルーグお兄様の言葉に、エルーズお兄様は周りを見渡した。
そんな彼に対して、私とウルスドお兄様は頷いた。アルーグお兄様の言う通りだと示すためだ。
「俺達には、それぞれ個性というものがある。俺やお前は違う……その個性というものが、お前は人よりも少し大きいというだけだ」
「個性……」
「お前には、俺にできないことができる。俺がお前にできないことができるように、お前にも何かを成し遂げる力があるのだ」
「僕にしかできないこと……」
エルーズお兄様の肩に、アルーグお兄様はそっと手を置いた。
アルーグお兄様は少し腰を落として目を合わせている。しっかりとその目を見て、話したかったのだろう。
「お前は、誇り高きラーデイン公爵家の男子だ。それを忘れるな」
「うん……忘れないよ、アルーグお兄様」
アルーグお兄様の言葉に、エルーズお兄様はゆっくりと頷いた。
その目には、確かな決意が映っている。きっと、彼の中の自分を卑下する感情は、消え去っただろう。
「やっぱり、兄上は流石だよな……」
「そうですね……」
私は、ウルスドお兄様は、裏庭でそんな話をしていた。剣の稽古が終わって、二人で話しているのだ。
アルーグお兄様は、エルーズお兄様を送っていくために一足先に帰った。その後、私とウルスドお兄様はしばらく先程の出来事の感想を述べていたのである。
「俺も、あんな風にならないといけないな……まったく、俺の周りにはどうにも大人な人達が多い」
「アルーグお兄様以外にも、大人な人がいるんですか? ……ああ、クレーナさんのことですね?」
「……まあ、そうなんだが」
ウルスドお兄様の言葉に、私はすぐに一人の女性の顔が思い浮かんできた。
それは、彼の婚約者のクレーナさんだ。彼女は、大人びている女性である。失礼かもしれないが、ウルスドお兄様とは同年代とは少し思えないくらいだ。
「……そういえば、クレーナはルネリアの知り合いに師事していたんだよな?」
「ああ、リオネクスさんのことですね」
「その人は、サガード様の家庭教師なんだよな? そんな人に指導してもらったから、あいつはあんな感じなんだろうか……?」
「さあ、どうなんでしょうね? 私にとって、リオネクスさんは親戚のお兄さんみたいな感じでしたから、その辺りのことはよくわかりません」
リオネクスさんのことを聞かれて、私はそのように答えた。
私は別に、彼から指導を受けている訳ではない。そのため、彼が生徒に対してどのような教育をするのか、それ程わからないのだ。
ウルスドお兄様には少し濁したが、私にとってリオネクスさんは父親とか、親戚のお兄さんのような感じである。だから、あまりわからないのだ。
「まあ、でも、あれはクレーナさん自身の気質なんじゃないですか? 私の勝手な考えですけど、彼女は自分を持っているような気がしますから」
「……まあ、そうだよな」
ウルスドお兄様は、難しい顔をしている。それは、どういう感情なのだろうか。
「俺も、あいつと並び立てるように頑張らないとな……」
「……ウルスドお兄様は、クレーナさんのことが好きなんですか?」
「え?」
私の何気ない質問に、ウルスドお兄様は目を丸くしていた。
最近、私はそういうことで悩んでいる。そのことで、彼からも話を聞けるかと思ったのだが、なんだかあまりそういう空気ではない。
「べ、別に好きだとか、そういうことではない」
「そ、そうですか?」
ウルスドお兄様は、顔を真っ赤にしてそんなことを言ってきた。
その態度は露骨である。やはり、彼はクレーナさんのことが好きなようだ。
私は、客室にて人を待っていた。今日は、私に客人が来るからだ。
ただ、実は私は今日来る人のことを知らない。客人があるとだけ伝えられて、誰が来るかは知らされていないのである。
「……一体、誰が来るんだろう?」
私は、ずっと考えていた。今日は、一体誰が来るのだろうか。
村長やケリー、村の人ならこんな説明はされないはずだ。ということは、私が直接会ったことがない人が来るということだろうか。
しかし、家庭教師だとかそういう人なら、普通にそう言われるだろう。そう考えると、益々わからなくなってくる。
「……失礼します。お客様を連れて来ました」
「あ、はい。どうぞ、入ってください」
そんなことを考えている内に、部屋の戸が叩かれた。
どうやら、お客さんが来たようだ。私は、少々緊張しながら姿勢を整える。
「失礼いたします」
「え、えっと……」
部屋の中に入って来た人物に、私は少し驚いていた。
その人は、年老いた男性だったのだが、その顔に私は見覚えがあったからである。
目の前の男性は、ダルギスに少し似ているのだ。つまり、彼の親戚ということだろうか。
だが、彼の親戚が、どうして私に会いに来るのかがわからない。これは、どういうことなのだろうか。
「……ああ」
「え?」
次の瞬間、目の前の男性はゆっくりと膝をついた。
そして、その目からは涙が流れていく。客人は、私の顔を見て泣き始めてしまったのである。
私は、訳がわからなくなっていた。本当に、この状況はどういうことなのだろうか。
「あの……大丈夫ですか?」
「あ……申し訳ありません」
「あ、いえ……」
私が話しかけてみると、男性は謝ってきた。自分が取り乱してしまっていることは、自覚しているらしい。
とりあえず、私は男性が落ち着くのを待つ。事情を話してもらわないことには、どうすることもできないからだ。
「取り乱してしまい、申し訳ありませんでした。私は、ゼペックと申します」
「ゼペックさん、ですか?」
「はい」
男性の名前を聞いても、私はピンとこなかった。
聞いたことがない名前である。ダルギスさんに似ているものの顔も見たことはないし、彼と私との繋がりが見えて来てない。
そんな私の悩んでいる態度に、ゼペックさんは優しい笑みを浮かべている。よくわからないが、彼が私に温かい感情を向けてくれているようだ。
「座ってもよろしいでしょうか?」
「え? あ、はい。どうぞ」
「ありがとうございます」
私に許可を取ってから、ゼペックさんは対面に着席した。
そういえば、彼は先程から私にとても丁寧な態度をしている。公爵家の令嬢を相手にしていると考えればそれは普通のことかもしれないが、その敬意にも少し違和感がある。
「さて、まずは何から話せばいいのか……」
ゼペックさんは、座ってからしみじみとそう呟いた。
その後、彼は何かを考える仕草をする。どうやら、私と彼との関係を説明するのは、簡単なことではないらしい。
それは、当たり前のことである。簡単なことなら、私は事前にそれを知らされていたはずなのだから。
「まず非常に端的に私が何者かを説明するなら、あなたのお母様の関係者だと説明するべきでしょうか」
「えっと……」
「すみません。あなたの本当にお母様というべきですね」
「……」
ゼペックさんの発言に、私は驚いた。
お母さんの関係者。その言葉が、私には衝撃的なものだったのだ。
ただ、それだけでなんとなく事情は見えてきた。要するに、彼は私にお母さんの面影を感じて、涙を流したということなのだろう。
「ルネリア様……と呼んでも大丈夫でしょうか?」
「あ、はい。どうぞ」
「ルネリア様は、お母様がどのような立場の人物だったか、まだ知らないそうですね? ルネリア様が生まれる前に何をしていたのか、その辺りのことは知らないと伺っています」
「そうですね……母の過去に関して、私はよく知りません」
ゼペックさんの言葉に、私はゆっくりと頷いた。
私は、お母さんの過去を知らない。私が生まれる前のことは、教えてもらっていないのである。
いつかそれを聞いた時、母はそれを濁していた。恐らく、語りたくないことなのだろうと幼いながらも思った私は、それ以上何も聞かなかったのだ。
ゼペックさんは、その過去に関係している人らしい。確かに、それなら説明するのは中々難しいだろう。
「アルーグ様とアフィーリア様から、僭越ながら私から話してもいいと許可をいただいています。ですから、あなたのお母様の過去について、これから話したいのです。よろしいでしょうか?」
「……わかりました。よろしくお願いします」
私は、ゆっくりとゼペックさんに一礼した。
お母さんの過去には、それなりに興味がある。もう母の口から聞けないその事実を私は聞いてみたいのだ。
それに、ゼペックさんの正体も気になっている。それも合わせて、彼の口から色々と聞いてみたい所だ。
「単刀直入に言わせていただきます。私は、あなたのお母様に仕えていたのです」
「仕えていた……?」
「使用人として、あの方を支える立場にあったということです」
「それってつまり……お母さんは、良家のお嬢様だったということですか?」
「ええ、その通りです」
ゼペックさんの言葉に、私は固まっていた。
母が良家の娘だった。それが、信じられないことだったからだ。
お母さんは、平凡な農民として暮らしていた。良家の娘が、どうしてそんなことになるのだろうか。
事実を知らされる度に、謎が増えていく。一体、母は何者だったのだろうか。
「あなたのお母様は、男爵家の令嬢だったのです」
「男爵家の令嬢……」
「ええ、貴族のお嬢様だったのです」
私は、驚いていた。お母さんが貴族だったなんて、今まで思ってもいなかったことだからである。
ただ、理解できない訳ではない。なぜなら、お母さんが公爵家の当主と何故出会ったのかということが、それなら解決するはずだからだ。
「お嬢様は、ラーデイン公爵家の使用人として働いていました」
「なるほど、そういうことだったのですね……」
「ええ……」
ゼペックさんの言葉に、私は納得した。
お母さんは、このラーデイン公爵家の使用人だったのである。
今まで、父と母の関係を私は知らなかった。しかし、私はそれを今知ることができたのだ。
「このラーデイン公爵家でのお嬢様のことを私はよく知りません。ただ、アフィーリア様から優秀な使用人だったと聞いています」
「そうだったんですね……」
よく考えてみれば、お母様は私の母のことを知っていたということになる。
もしかしたら、お母様はお母さんと仲が良かったのかもしれない。彼女の今までの態度から、私はそんなことを思った。
もちろん、自分の夫が浮気した相手なのだから、ただ単に許しているという訳ではないだろう。それでも、早くに亡くなったお母さんに対する同情心のようなものが、お母様の中にはあったのかもしれない。
「しかし、ある時男爵家には不幸が起こったのです。お嬢様のお父様……つまり、あなたの祖父にあたる旦那様が、借金を作り……その結果、男爵家は没落してしまったのです」
「没落……」
ゼペックさんは、悲しそうな顔でそう言ってきた。
貴族が没落する。それは一大事だ。
だが、彼の表情は、それだけを表している訳ではないような気がする。恐らく、もっと不幸があったのだろう。
「借金取りから身を隠すために、あなたのお母様は名前を変えて、あなたが生まれた村に行ったそうです。諸事情により、私はその所在を知りませんでしたが……」
「だから、母はあの村に……」
お母さんが、どうしてあの村にいたのか。その理由は、ゼペックさんの説明で理解できた。
どうやら、母もかなり壮絶な人生を送っていたようだ。
「私は、長い間お嬢様がどうなったか心配していました……ただ、彼女の所在はまったく掴めず、十年程の月日が経ってしまったのです。しかし、つい先日親戚のダルギスと会った時、知ったのです。あなたのことを……」
「ああ……」
ゼペックさんの言葉に、私は理解した。
庭師のダルギスさんとは、仲良くさせてもらっている。そんな私のことを親戚に話すというのは、自然な流れだろう。
「あなたの存在を知って、私は確信しました。あなたがお嬢様の……セリネア様の子供なのだと」
「セリネア?」
「ええ、それがあなたのお母様のかつての名前です」
ゼペックさんの口から出た名前に、私は首を傾げることになった。
しかし、思い返してみれば、お母さんは名前を変えていると彼は言っていた。私が知っている名前は、偽名だったということなのだろう。
ラネリアという名前が、私の知っているお母さんの名前だ。だが、その名前の人物をゼペックさんは知らないのである。
「お嬢様が亡くなったと知り、私はひどく落ち込みました。ですが、あなたのことを聞き、安堵しました。お嬢様は、あれから幸せを掴めたのだと……」
「幸せ……そうですね。そうだといいと思っています」
「そうですとも、ダルギスが聞いたあなたとお嬢様との思い出が、それを物語っています」
ゼペックさんは、笑顔を浮かべていた。
結果的にお母さんは早くになくなってしまった。たくさん苦労もしたのだろう。
だけど、お母さんは辛い過去を乗り越え、幸せだったはずだ。そう思って、彼は笑みを浮かべてくれているのだろう。
「そして、あなたが健やかに育っていると聞いて安心しました。お嬢様の大切なものが守られているということが、私は嬉しかったのです」
「ゼペックさん……ありがとうございます」
「いえ、お礼を言われるようなことではありません」
ゼペックさんに対して、私はお礼を言った。
それに対して、彼は首を振る。しかし、そんなことをする必要はない。私は、彼にお礼を言うべきなのだ。
「否定しないでください。私は、あなたにお礼が言いたいのです。母のこと……それに、私のことを思ってくれて、本当にありがとうございます。私達も母も、本当に嬉しいのです。あなたのその心意気が……」
「……私は、あなた達に対して何もできませんでした。非力な私に、感謝する必要はありません」
「そんなことはありません。あなたのその思いだけで、充分すぎるくらいです」
「ルネリア様……」
私は、本当に嬉しかった。
お母さんや私のことを思ってくれている人がいたという事実が、嬉しくてたまらないのである。
だからこそ、お礼を言いたかった。この気持ちを伝えたかったのだ。
「あなたから、そのような言葉をかけてもらえるなんて……私は、なんと幸せ者なのでしょうか……」
「それは、こちらが言いたいことです……ふふ」
「ははっ……」
私とゼペックさんは、お互いに笑みを浮かべていた。
こうして、私はお母さんの使用人であるゼペックさんと話したのだった。
「いえい」
「あ、カーティアさん、こんにちは」
「こんにちは、ルネリアちゃん。こんな所で、一体何をやっているの?」
「花壇の整備を手伝っているんです」
「ほう?」
屋敷に到着したというのに、一向に屋敷の中に入ってこない婚約者を探しに来た俺は、庭の花壇の前で妹と戯れているカーティアを見つけた。
どうやら、彼女はルネリアを見つけて話していたため、屋敷の中に入ってこなかったようだ。
そういう自由な所は、カーティアらしいといえる。こちらとしては、困った所ではあるのだが。
「ルネリアちゃんは、花が好きなの?」
「ええ、花は好きです。でも、花壇の整備を手伝っているのは、どちらかというとこうやって土に触れているのが好きだからですね……」
「そうなの?」
「えっと……カーティアさんも知っている通り、私は農民でしたから」
「懐かしさがあるとか、そういうこと?」
「そうですね。そんな所です」
カーティアとルネリアは、花壇の前で談笑していた。
そんな様子に、俺は思わず口角を上げてしまう。二人の様子を、微笑ましいと思ってしまったのだ。
思い出すのは、ルネリアと初めて出会った日のことである。あの時から比べて、ルネリアは随分と明るくなった。
俺やカーティアに対する態度も、随分と変わったものだ。
◇◇◇
「ふぅ……」
「アルーグ様、緊張されているのですか?」
「……ああ、そうだな」
ルネリアと会ったあの日、俺はカーティアとともに彼女の住んでいた村に馬車で向かっていた。
その道中、俺は柄にもなく緊張していた。それは、かつて愛した女性の娘とどう接していいのか、また母を失った子供にどのように声をかければいいのか、俺にはわからなかったのだ。
「大丈夫ですよ、アルーグ様」
「カーティア……」
「あなたは、優しい人です。ルネリアちゃんにも、きっとそれが伝わりますよ」
「俺が優しい……か」
そんな俺の手に、隣にいるカーティアはそっと自らの手を重ねた。
その表情は、いつも通りの無表情である。だが、俺を安心させるように笑っているように、俺には感じられた。
「ふっ……お前について来てもらって良かった。俺一人では、この困難に立ち向かえなかったかもしれない」
「おや、いつになく弱気ですね? 私の知っているアルーグ様は、いつも堂々としているはずですが」
「弱気……そうだな」
カーティアは、ゆっくりと笑みを浮かべていた。実際に表情は変わっていないが、俺にはそう見えたのである。
こうして、俺は婚約者に支えられながら、ルネリアの元に向かったのだ。
ルネリアの家の前までやって来た俺は、ゆっくりと深呼吸をした。
これから、彼女と会う。その事実に対して、俺はかなり動揺していた。
そんな俺の手を、カーティアはゆっくりと握ってくる。その温もりが、今は何よりも心強い。
「失礼する」
「は、はい。今、開けます」
呼び鈴を鳴らしながら呼びかけると、中から少女の声が聞こえてきた。
その後すぐに、家の戸が開く。すると、中にいる一人の少女が目に入って来る。彼女が、ルネリアだ。
「えっと……」
ルネリアを見るのは、初めてのことではない。
だが、あの人が亡くなった今、改めて彼女の姿を見ると、どうしてもその面影を感じてしまう。
「……俺は、ラーデイン公爵家の長男アルーグだ。お前の兄といった所で、実感はないだろうが……」
「私の……お兄さん?」
とりあえず、俺は自分の素性を明かしておいた。まず何よりも、目の前の少女を安心させなければならない。そう思い、できるだけ声色を優しくしたつもりだ。
ただ、ルネリアはそんな俺に怯えているような気がする。自分では優しくしたつもりだったが、彼女からすればまだ恐ろしいようだ。
「ルネリアちゃん、こんにちは」
「え? あ、はい……こんにちは」
「私は、カーティア。アルーグ様の婚約者だよ」
「婚約者……」
「私はね、あなたのお兄さんと結婚の約束をしているの」
「そ、そうなんですね……」
俺に続いて、カーティアも自己紹介を始めた。
彼女は、その身を屈めて、ルネリアと目線を合わせてゆっくりと語りかけていた。
その様子に、俺は自らの失敗を悟る。相手を安心させたいのなら、このような対応を心掛けるべきだっただろう。
「という訳で、あなたは私にとっても妹ということ。これから、よろしくね?」
「よ、よろしくお願いします……」
カーティアの言葉に、ルネリアは恐る恐るといった感じで答えていた。
だが、その態度は先程までと比べると幾分か柔らかくなっているような気がする。恐らく、カーティアの態度に彼女は少しだけ安心感を覚えているのだろう。
「……使用人から話は聞いていると思うが、お前には公爵家に来てもらう。お前が公爵家の血筋と判明した今、この村で暮らさせている訳にはいかないのだ」
「は、はい……わかっています」
カーティアに倣って、俺もルネリアと目線を合わせてみた。
だが、彼女は俺に対しては未だに警戒心は解けていないようだ。その態度に、それが現れている。
しかし、それは仕方のないことだ。最初に躓いたのだから、信用してもらうにはそれなりに時間がかかるだろう。
そんなことを思いながら、俺はルネリアと話すのだった。