信じたくないことが、現実に起こってしまった。

『Ellen Tachibana』

そう記されたメモは下に、『Gold Coast, Maryland』と続いていた。

 資料のページは、私の履歴書のコピー。
 『氷室』の文字が、赤い丸で囲まれている。

 ――悠賀様は、私のことを知っていた。それに、私の過去も。

 やはり、悠賀様の専属メイドというのは建前。
 私が立花家の人間だから、表に出ない仕事を言いつけられたのだ。
 立花家の人間である私の顔を、お客様に顔を見られないように。

 桜堂グループで立花家の人間が働くなんて、御法度だ。
 なのに、それをすり抜けるように働き始めてしまった。

 そんな身の程知らずな私は、立花家にとっても桜堂家にとっても恥。
 悠賀様も、そう思っているに違いない。

 慌てて資料を戻し、ほう、と息をつく。
 けれど、まだ心臓はドクドクと嫌な音を立てている。

 落ち着け落ち着けと、ダスターを握ったのと反対の手を胸にあてた。
 何度か深呼吸を繰り返し、冷静さを取り戻した。

 ――大丈夫、クビを言い渡されたわけじゃない。
 今朝だって、悠賀様は褒めてくれたばかりだ。

 けれど、何のために? という疑問が浮かび、期待しては無駄だと絶望し。
 一人問答を脳内で繰り広げながら支配人室を清掃していたら、いつの間にか終業時刻を過ぎてしまった。

 *

 一週間が過ぎた。
 時折、悠賀様や執事さんがやってきて、仕事の様子を確認して帰っていく。
 けれど思っていたような追及はなく、のびのびと仕事をこなすことができていた。

 それでも、不安は拭えなかった。
 いつ立花家の人間だと追及されるのか、震えながら悠賀様のお部屋を清掃する毎日だった。

 今日も清掃業務を終え、用具室に清掃道具を返す。
 扉をしめ、鍵がかかったことを確認し、エレベーターホールに向かおうとしたところで、ちょうどエレベーターが開いた。
 悠賀様と、執事さんが降りてくる。

「お、お疲れ様です」

 慌てて彼らの方に向き直り、頭を下げる。
 すると悠賀様は「ちょうど良かった」と頭を下げたままの私の肩を叩いた。

「支配人室へ、来てくれないかな?」