彼はそのまま身を翻し、私の隣に華麗に着地する。
 無論、落ちてきたのは王子様ではない。
 控えめに輝くシルバーのスーツを着た、長身の男性だった。

「大変申し訳ございません!」

 慌てて頭を下げた。
 モップの拭きが甘かったか。水滴が残っていたのか。
 いずれにせよ、私の不注意で彼は滑ったのだろう。

 夕日に気を取られていた私の所為(せい)

 ダメダメな自分が不甲斐ない。
 悔しさと申し訳なさがこみ上げて、視界がぼやけた。
 目の前の彼の、磨かれた革靴が夕日に照らされて輝いている。

「顔を上げて」

「ですが……」

「君の顔が、見たいんだよ」

 そう言われては、上げるしかない。
 強張った肩のまま、意を決しゆっくりと身体を起こした。

 先ほどシルバーだと思ったのは、夕日に照らされた上品なグレーのスーツ。
 桜色のネクタイは、彼がこのホテルの関係者であることを表している。

 さらに顔をあげると、襟元のフラワーホールにつけらえた紋章が目に入り、私は肩をぴくりと揺らした。

 ――桜を(かたど)った、美しい紋の襟章。
 それは、桜堂家の人間のみがつけられるもの。

「大丈夫、別に君を責めたいわけじゃない」

 その優しい声色に、恐れながらも顔を上げた。

 西日が彼の輪郭に明暗を作る。
 整った鼻筋に、切れ長の目元。
 短く切りそろえられた髪は、丁寧にまとめ上げられている。

 温和(おんわ)怜悧(れいり)という言葉の似合うこの人物を、このホテルで知らない人はいない。

 桜堂悠賀(はるか)
 ――桜堂財閥の御曹司で、桜堂ホテルグループの総支配人だ。