◯洋風のお城のような、三階建ての豪華な洋館の宝来邸。
イングリッシュガーデン風の素敵な庭に、秋の花が咲いている。
バンッ!!と、勢いよく二階の窓を開ける、宝来 撫子は大人しめだけど上品な秋物のワンピースを着ている。
撫子は美しい顔を怒りで険しくしている。
撫子〈美しい長い黒髪を風になびかせつつ〉「何アイツーーーっ!!!マジでだいっきらーーーーーい!!!!!」
絶叫してぜいぜい言う撫子。
そんな撫子を後ろから羽交締めするように窓から離したのは、女性使用人の羽鳥。
羽鳥「お嬢様、おやめください!!日曜日の昼間から大声で叫ぶなんて、はしたない!!18歳にもなる人が、廊下の窓を全開にして絶叫しないでくださいっ!!」
撫子は赤い絨毯が敷かれた宝来邸の廊下で羽交締めされつつも、ジタバタ暴れている。
撫子「ストレス溜まるのよ!!羽鳥、あんただって去年30歳を迎えた誕生日に、枕に顔を押し付けて絶叫したって言ってたじゃない」
羽鳥〈顔を赤らめつつ〉「お嬢様!それとこれとは話が違います!!」
撫子「一緒よ!!それくらいに私は絶望を味わっているのよ!!」
ぜぇぜぇ言いつつ、羽鳥から離れる撫子。
撫子「あんなクソしょーもないボンボンと結婚!?私が!?……冗談じゃないわ!!」
〈眉間にシワを寄せて吐き捨てるように叫ぶ撫子〉
羽鳥〈真っ青な顔になって〉「いけません、お嬢様!!そんな下品なお言葉遣い、お父様やお祖父様の耳に入ったら……!!」
撫子「だって、あのクソ野郎!思い出しただけで腹立つわっ!」
◯撫子の回想
数十分前、祖父の宗一に呼ばれて、宝来家の一階にある応接間に向かった撫子。
撫子(おじいちゃまが私に用事って、珍しいわね。何の用なのかしら?)
ノックして応接間に入り、どっかりとソファーに座っている宗一を見つけ、頭を下げる撫子。
白髪頭の小柄な宗一はソファーに座っている時も、杖を持っている。
宗一「撫子、こっちへ来なさい。実はお前に話があってな」
撫子「……はい、おじいちゃま」
宗一が窓辺に目をやる。
その時撫子は、はじめて窓辺に誰かがいることに気づいた。
宗一〈立ち上がり、にっこりと笑顔を見せて〉「早乙女コンツェルンの御曹司、早乙女 拓磨さんだ。お前より五つ年上の、23歳」
撫子「はじめまして、宝来 撫子と申します」
拓磨〈じっと、値踏みするように撫子を見つめる〉「……」
撫子(何、この人。パッと見たところイケメンだし、ばっちりスーツを着ていて素敵に見えるけど、なんだか冷たい感じがするわ)
宗一「撫子、お前は高校を卒業したら、この拓磨さんと結婚しなさい」
撫子「え?……えっ!?な、何を急に!?」
宗一「これもお前の幸せだよ、撫子。拓磨さんと末永く幸せにな」
撫子「……えっ、ですけれど、おじいちゃま。私、卒業後は大学に行くつもりで……!!あと数ヶ月後には入学試験だって……!!」
拓磨〈こらえきれず、ぷはっと噴き出す〉
撫子「!?」
宗一が威厳たっぷりな顔で、威圧的に杖をゴンッと床に打ち付けてから、どっかりとソファーに座り直す。
そんな宗一にびくっとなる撫子。
宗一〈眉間にシワを寄せて〉「大学なんて行かなくてもよろしい。それより拓磨さんと結婚して、彼を支えなさい」
撫子「……!!そ、そんな……っ!!」
拓磨「……いいじゃないですか、撫子さん」
撫子「!?」
拓磨は窓辺から、入り口に立ったままの撫子に向かって、ニヤニヤとした顔を見せる。
拓磨「どうせあなたレベルの学力なら、大学に行っても行かなくても、同じようなことですよ。それにあなた、大学生になって何を学びたいんですか?」
撫子〈拓磨を睨みながら〉「は?」
拓磨「授業もろくに聞かず、チャランポランな大学生活を送り、莫大な学費だけを浪費するようなら、あなたは僕と結婚するべきですよ」
撫子〈完全に怒った表情で〉「……はぁ!?」
拓磨「いいじゃないですか。僕の家族になれば、早乙女家の一員になれる。一生不自由なく、裕福に暮らせるんだから。あなたに贅沢な暮らしをプレゼントしますよ」
撫子は宗一を睨みつける。
宗一は目を伏せて、首を横に振る。
宗一「『宝来堂』の未来は、撫子、お前にかかっているんだ。今、『宝来堂』が経営不振なのは知っているだろう?黙って、嫁ぎなさい」
◯回想終わり
◯宝来家の玄関
ベルト付きのバレエシューズを履いた撫子。
パタパタと羽鳥が走り寄って来る。
羽鳥「撫子お嬢様、どこへ行かれるのですか!?この羽鳥もお供いたします」
撫子「お願い、羽鳥。少しひとりにしてほしいのよ。大丈夫、そんなに遠くへは行かないわ。公園にでも行って、少し風に当たってくるだけよ。すぐに帰るから」
何か言いたそうな羽鳥を置いて、撫子は玄関から出る。
◯宝来家から歩いてすぐの『みどり公園』。
その名の通り緑がたくさんあって、小さな池もある。
公園の奥には小さな丘もあって、その丘はお花畑のようになっている。
撫子は険しい顔つきで丘まで行って、小さなお花を見たその時、急に目を潤ませて、立ったまま泣き始める。
撫子〈涙をポロポロ流しつつ〉「嫌よ、なんでっ、私が……!」
その時、丘にやって来た人がいて、撫子は慌てて泣き顔を見られまいと背を向ける。
その人は撫子に気づいて、近づいて来る。
「大丈夫ですか?」と尋ねたその人は、撫子と同じくらいの年齢の男子だけど、撫子は背を向けていて、まだその人の顔を見ていない。
撫子「大丈夫です、これは、何でもない涙です」
強がって答えた撫子はその時振り返り、初めてその男子の顔を見る。
その男子は優しそうな、やわらかい印象の人で、整った美しい顔立ちをしている。
男子「……すみません、オレ今、ハンカチとか持ってなくて」
困ったように言う男子に、撫子は思わず、笑ってしまう。
男子も安心したように、ニッコリ笑う。
その笑顔に、撫子はドキッとしてしまう。
撫子(えっ!?)
男子は「急に話しかけてすみませんでした。もう、行きますね」と、来た道を帰ろうとする。
撫子「待って!あなた、ここに用があるんじゃないの?」
男子〈振り返り、笑顔を見せて〉「大丈夫です。何でもない用事だから」
男子は小さくお辞儀して、行ってしまう。
ひとり残された撫子。
撫子「優しいのね」
(私に気を遣ってくれたんだわ)
お花畑の丘に立ったまま、胸をおさえる撫子。
撫子(……私、やっぱり結婚なんてしたくない)
(世の中にはあんなに素敵な人だっているのよ)
(なのに、あんなクソボンボンと結婚なんて、まっぴらごめんよ!!)
撫子「婚約なんて、破棄してやる……!!」
◯翌日の月曜日の朝。
撫子の通う、私立R女子学園高等部。
古くからお嬢様学校として有名で、敷地も広く、伝統的で美しい校舎が並ぶ。
三年F組の教室で、撫子は自分の席に座り、机に突っ伏している。
そこへ教室に入って来た撫子の友人、三条 麗華が、撫子の様子に気づき、心配そうに近寄って来る。
麗華はふんわりした雰囲気で、今日も長いふわふわのくせっ毛を緩めの三つ編みにしている。
麗華「なぁこちゃん、どうしたの?元気ないのね」
撫子「麗華ちゃん、私は今、ブルーなのよ」
麗華「……ブ、ブルー?」
昨日にあったことを、かくかくしかじかと、麗華に話した撫子。
麗華「うっそ。今時、そんなこと言う人いるの!?勉強の機会を奪って、結婚して相手を支えろって!?本当に!?」
撫子「いたのよ!!コンプラ的にレッドカードよ!!マジでどうかしているわ!」
麗華「信じられない……」
撫子「だから今、私、絶賛マリッジブルーってわけなの。わかってもらえるかしら、この絶望感!!」
麗華〈何度も大きく頷きつつ〉「それは大変だね、なぁこちゃん!!」
「でも……」と、麗華は斜め上に視線を持っていき、「公園の彼は、素敵な人っぽいね?」と、撫子を見る。
撫子は少し頬を染めてから、ため息を吐く。
撫子「……また会いたいって言ったら、ダメなのかしら?」
麗華「!」
撫子「仮にも婚約者がいる身で、私ったら、最悪よね?」
麗華〈首を振りつつ〉「そんなことないよぅ、なぁこちゃんは最悪なんかじゃないよぅ」
撫子〈力無く笑って〉「ありがとう、麗華ちゃん」
麗華が何かを決意した表情で、「よしっ!」と、両手を合わせる。
麗華「なぁこちゃん!!気分転換しようよ」
撫子「え?」
麗華「放課後、私に時間をくださいな!」
◯その日の放課後の教室。
撫子と麗華はそれぞれスマートフォンを持って、家の者に連絡のメッセージを送っている。
撫子(えぇっと、『麗華ちゃんと街に出て遊ぶので、お迎えはまだいいです。帰宅したくなったらまた呼びます』……と。これで伝わるよね?)
麗華「連絡は済んだ?なぁこちゃん」
麗華に振り返り、頷いた撫子。
ふたりで教室を出る。
◯街の繁華街にある、チェーン店のカフェ。
高校生や大学生などのカップルがテーブルに着いておしゃべりを楽しみながら、コーヒーやカフェラテなどを飲んでいる。
注文カウンターの前は、行列が出来るくらいに混んでいる。
撫子と麗華は注文が終わり、それぞれ飲み物を持って注文カウンターに近い、窓際の席に座る。
撫子「美味しそうねっ!なんだか家の者がいないっていうだけで、ワクワクしちゃう」
麗華「こんな所に普段、私達だけで来ないものね」
撫子「ねぇ、麗華ちゃんは何にしたの?私、ココアラテにしたの。ホイップ添えにしちゃった!」
撫子と麗華は嬉しそうに、それぞれの飲み物を飲んでおしゃべりを楽しむ。
ふいに注文カウンターに並んでいる行列からため息やざわめきが聞こえてくる。
撫子「何かしら」
見てみると、老夫婦が注文カウンターの前で困ったように頭を掻いていた。
おじいさん「えっと……?ど、どれがいいんだろう?」
おばあさん「いっぱいあり過ぎて、よくわからないわねぇ。困ったわぁ」
次第に行列に並ぶ人々は、苛立ってくる。
店員は懸命に説明しているが、老夫婦には伝わらないらしく、時間ばかりが過ぎる。
撫子は思わず、見て見ぬふりしてしまう。
撫子(関わってしまったら、きっと面倒なことになるわ)
その時、老夫婦の後ろに立っていた、どこかの高校の制服を着た男子が、老夫婦に声をかける。
男子「あの、大丈夫ですか?」
その男子を見て、撫子は思わず「あっ!」と声を出してしまう。
麗華「どうしたの、なぁこちゃん」
撫子〈目を大きくしたまま、でも小声で〉「麗華ちゃん、あの人、公園で会った彼だわ」
麗華「……えっ!?」
〈大きな声に自分で驚き、キョロキョロしつつ、両手で口を覆う〉
おじいさん「あ……、すみません。よくわからなくて。ただ、コーヒーが飲みたいだけなんだけど」
おばあさん「もう諦めて、お店から出ましょうよ。みなさんに迷惑だもの」
老夫婦が頭を下げて、注文カウンターから離れる。
男子は店員さんにメニュー表を借りて、行列から抜けて老夫婦を追いかけ、店内の隅で話しかけた。
撫子は気になって耳に手を当て、男子と老夫婦の会話に集中する。
男子「あの、コーヒーの種類はたくさんあるんですが、(メニュー表を指差しながら)ここからここまでがコーヒーで、オレがよく頼むのはこのコーヒーです」
おじいさん「ご親切にすみません」
男子「トッピングとかも色々ありますけど、ミルクとかお砂糖くらいでいいなら……」
男子の丁寧な説明に、老夫婦は嬉しそうに頷いている。
撫子はそんな様子を見て、胸の奥がじんわり温かくなるのを感じた。
撫子(やっぱり優しい人)
(私なんて、見て見ぬふりをしようとしたのに)
男子が説明を終えると、老夫婦は嬉しそうに頭を下げて「ありがとう」と言う。
男子「じゃあ、あの、オレはこれで」
男子は爽やかな笑顔を見せて頭を下げ、列には戻らず、店内から出て行った。
撫子(えっ!?)
麗華も見ていたらしく、「あの人、注文しなくていいのかな?」と、呟いている。
そわそわしてくる撫子。
こんな気持ちは初めてだから、よくわからない。
でも、あの男子を追いかけて、どこの誰なのか知りたい気持ちが胸いっぱいに膨らむ。
麗華「なぁこちゃん?」
撫子「……麗華ちゃん、ごめん!!」
麗華「え?」
撫子「私、彼を追いかけてくる!!!」
麗華「えぇっ!?」
カフェから出る撫子。
キョロキョロと左右を見て、彼を探す。
撫子(どっちに行ったのかしら)
(えぇい、こうなったら直感よ!!)
撫子は街の中を走り出す。
とりあえず、人が多い右手の道に進む。
走りながら、心の中で念じる撫子。
撫子(お願い、もう一度、私の前に現れて!!)
(自分でもどうしてなのかわからない)
(だけど、どうしても、また会いたいの)
(心から感動したから)
(尊敬したから)
走っていると、男子と同じ制服を着た後ろ姿を見つける。
撫子は「ねぇ!」と、声をかける。
振り返ったその人は違う人物で、がっかりした気持ちを隠せない撫子。
その時。
その人の向こうで、見つけた。
きっと、間違いじゃない。
撫子(あの男子だわ……!)
高鳴る胸を抑えつつ、撫子は男子に近づいた。
◯街の商店街の中にあるスーパーマーケット「ぜんきち」の前。
年季の入った外観だけど、主婦と見られる女性を中心に、様々な人達が買い物をしている。
その「ぜんきち」の裏口に向かっていく男子。
撫子(あの人、裏口から入っていったわ)
(ここで働いているのかしら)
意を決して入店する撫子。
出入り口付近には、カラフルな果物が並んでいる。
撫子(……わぁっ!)
目を輝かせて、店内をキョロキョロする撫子。
撫子(スーパーマーケットに、初めて来たわ!!なんてカラフルなの。なんて明るいの)
撫子は感動した表情で、店内をウロウロする。
店内に流れる、「ぜんきち」のテーマソングに耳を傾ける。
撫子「軽快なリズムの音楽が流れているのね!!素敵」〈うっとりした表情でひとりごと〉
すると、エプロンを付けた店員が背後から撫子に声をかける。
店員「何かお探しですか?」
撫子〈振り返りつつ〉「あ、ごめんなさい。珍しくて……」
店員の顔を見て、撫子は固まる。
その店員は先程カフェにいた、まさに自分が追いかけてきた公園で会った男子だったからだった。
撫子「あ、あなた……!」
男子「えっ、あの……?」
撫子(どうしよう、追いかけてきたなんて言いづらい)
(それに、何て言うの?)
(「あなたのことを知りたくて追いかけて来ました」?)
(やだっ!気持ち悪がられそう!!)
黙って百面相のように表情をコロコロ変える撫子。
それを心配そうに見ている男子。
男子「だ、大丈夫ですか?」
撫子(やだ、本当に優しい!!)
不意に胸の奥がキュンと鳴る撫子。
撫子〈その胸のときめきに戸惑ったような表情で〉「えっ……?」
男子「あの、体調が悪いんですか?」
男子が撫子に一歩近づく。
それだけで撫子の心臓が、ドキンッと跳ねる。
俯き、制服の上から心臓をおさえる仕草をする撫子。
撫子(ダメよ、撫子!!)
(私には、胸くそ悪くてクソしょーもない婚約者がいるじゃない!!)
(好きになっちゃ、ダメ!!!)
顔を上げると、男子のエプロンに付けてある名札が目に入る。
『レジチェッカー 柊』
撫子「ひ、柊……?」
柊「はい、柊です」
撫子はうっとりした様子で、(素敵な名前っ!!)と、思う。
そして自分に言い聞かすように、(名前を知れただけで、充分よ)とも思う。
撫子(そうでしょう?撫子)
撫子「ご親切にありがとうございました。柊くん」
柊「え?」
撫子「あ、そうだわ。何か飲み物を買って帰るわ!飲料水が置いてあるコーナーって近いかしら」
柊〈訳がわからない表情をしつつ〉「あの、この棚の裏になります。ご案内しましょうか?」
他の女性店員〈柊の背後から〉「柊くん、レジ行って!お客様、私がご案内致します」
撫子に頭を下げつつ、柊はレジカウンターに向かう。
撫子は残念そうに、(あら……、行ってしまったわ)と、思う。
女性店員に連れられて、飲料水のコーナーに辿り着いた撫子。
撫子(そういえば私、彼に名乗ってもいないわ)
女性店員〈撫子に頭を下げて〉「ごゆっくりお買い物をお楽しみください」と、去って行く。
その背中を視線で追う撫子は、偶然、壁に貼ってある紙に書いてある『急募!!』の文字に目が止まる。
おそるおそる、壁に近づく撫子。
『急募!!
スーパーマーケット「ぜんきち」で一緒に働きませんか!?
未経験者歓迎!!』
撫子は目を輝かせて、その紙に向かってまさしく「壁ドン」をする。
撫子「これよ、これだわ!!」
思わず壁に貼ってあるその紙を、ベリッと剥がしてしまう。
紙をキラキラした目で見つめる撫子。
その時、スマートフォンに着信がある。
画面を見ると、『着信 羽鳥』とある。
撫子「もしもし、羽鳥?」
羽鳥『撫子お嬢様!!今、どちらですか!?お帰りが遅くて、皆が心配しております!!』
撫子「羽鳥、それどころじゃないの!私、見つけたのよ」
羽鳥『はい?』
撫子「私……、働くわ!!」
電話の向こうで羽鳥が何かを言っているけれど、撫子は電話を切る。
それから、飲料水コーナーで500ミリリットルのミネラルウォーターのペットボトルを手に取り、レジカウンターへ向かう。
レジカウンターには何人かの女性店員と柊が、それぞれのカウンターの中に立って、お客様に接客していた。
撫子(ここで支払いをするのよね?私、偉いじゃない!!ちゃんと知っているわ!!)
ちゃっかり柊のカウンターに並び、ドキドキしながら順番を待つ撫子。
柊が「いらっしゃいませ、こんにちはー」とお辞儀をして、撫子の持っていたペットボトルを受け取り、レジに通す。
柊「130円になります」
撫子「あ……、はい!130円……、カードって使えるかしら?現金ってあったかしら?」
モタモタしつつ、財布の中を見る撫子。
後ろに並んでいた五十代くらいの女性は、苛立った様子で違うレジカウンターに向かう。
それを知って、撫子は焦ってくる。
柊は「焦らなくても、大丈夫ですよ」と声をかけてくれて、「一番レジか二番レジならどんなキャッシュレス決済にも対応しております」と丁寧に教えてくれる。
撫子〈財布をのぞきながら、首を振りつつ〉「あなたにレジをしてほしいわ」
柊「え?」
撫子「……えっ?」
ついつい本音を言ってしまったことに気づき、顔を上げ、赤くなる撫子。
そして財布に現金で小銭があったのを見つける。
撫子「あったわ!お待たせしてごめんなさい」
支払いを済ませて商品を受け取った撫子に、柊は「ありがとうございました」と、笑顔を見せてくれる。
その笑顔を見て、撫子は〈ハートに矢が射抜かれたような描写で〉更に顔を赤く染める。
◯スーパーマーケット「ぜんきち」の前。
出入り口からスーパーマーケット「ぜんきち」を見上げる撫子。
撫子(ここで働くわ)
手に持っている購入したペットボトルに視線を落として、にっこり笑う撫子。
撫子「そばにいるくらい、許されるわよね?」
◯日は過ぎて、週末のスーパーマーケット「ぜんきち」の店内。
開店前の店内で、店長が従業員に挨拶をしている。
店長「……ということで、今日から一緒に働いてもらう、宝来 撫子さんです」
店長の横に立つ、「ぜんきち」の制服であるエプロンと三角巾を付けた撫子がにっこりと微笑む。
撫子「宝来 撫子です。よろしくお願いしますっ!」
話を聞いていた従業員の中に、柊くんの姿を見つけ、嬉しくなり、ニコニコする撫子。
撫子(……そうよ)
(そばにいるくらい、いいじゃない)
(このブルーな日々に)
(あなたはきっと、私に光を照らしてくれる)
(きっと……)
◯週末のスーパーマーケット「ぜんきち」の店内。
四番レジカウンターの中。
カウンターの上には『他のレジへお願い致します』のカードが置いてある。
残念な表情を隠さないまま、撫子はぼんやりと自分の手の爪を眺めている。
撫子(てっきり、柊くんのそばにいられると思っていたのに)
(レジの使い方だって、柊くんに教わりたかったわ)
目の前でレジの使い方の説明をしてくれている、小柄でお団子ヘアの女性店員・三角 響子を見る。
三角「……ここまでわかりましたか?レジの使い方は難しくないし、すぐに実践してもらいますね」
撫子「……」
返事もせず残念そうに爪を眺める撫子に、三角はため息を吐く。
三角「じゃあ、このレジカウンターで接客してくださいね。私は後ろで見守っていますから」
三角は四番レジカウンターに置いていたカードを手に取り、片付ける。
撫子「え?」
三角は撫子の後ろに立ち、「いらっしゃいませー!」と、お客様に呼びかける。
全然説明を聞いていなかった撫子は戸惑う。
しかし六十代くらいの女性客が未精算のレジカゴ(緑色)に沢山の商品を入れて、四番レジにやって来た。
撫子はとりあえず、未精算のレジカゴから取り出した商品のバーコードを探し、レジに通す。
そしておどおどした様子で、精算済みのレジカゴ(赤色)にその商品を移す。
その一連の動作がゆっくりで、女性客が何か言いたそうにしている。
時間を費やして、未精算のレジカゴに最後に残っていた牛乳をレジに通し、精算済みのレジカゴに移すと、女性客の眉間にシワが寄った。
撫子(このあとはどうするのかしら!?)
思わず三角を振り返ると、困っているのか怒っているのかわからない表情で、撫子の隣に来た。
三角「失礼致しましたっ!」
三角は精算済みのレジカゴの中で、バナナの上に乗っている牛乳を移動させる。
三角「バナナは他のものと取り替えますので」
深々とお辞儀する三角。
レジ係ではない他の従業員に説明して、バナナを替えてもらっている。
撫子はわけもわからず、とりあえず女性客に頭を下げた。
◯店のバックヤード
三角に連れられて、バックヤードの隅に移動する撫子。
撫子「あの……?」
三角「宝来さん、あなた、何も説明を聞いてないですよね?」
撫子「……えっと、その……」
三角「さっき説明したでしょう?柔らかいものの上に重いものは置かない!冷たいものと温かいものは、カゴの中で分けて置く!」
撫子〈きょとんとした顔で〉「……そうだった、かしら?」
三角は「はぁっ」とこれみよがしにため息を吐く。
撫子「えっと、あなた……」
三角のエプロンに付けた名札を見ようとして、睨まれる撫子。
三角「さっき、自己紹介もしました。私は三角 響子です。大学二回生で、二十歳です!」
〈怖い顔をしている〉
撫子「そんなに怒らないでください、三角さん」
三角「怒りたくもなりますっ」
◯月曜日の放課後、私立R女子学園高等部。
昇降口で靴を履き替えている撫子と麗華。
麗華「まさか、あのままアルバイト先を見つけているなんて……」
撫子「本当にごめんなさい。カフェに置き去りにして……。反省しているのよ」
麗華「いいよ、なぁこちゃん。それより今日もアルバイトでしょ?公園の彼と仲良く、お仕事頑張ってね」
撫子は元気のない表情で、「じゃあ、遅れるといけないから」と、麗華と別れる。
◯スーパーマーケット「ぜんきち」のバックヤードの隅。
不安そうな顔で店内へ続くドアを見つめている撫子。
撫子(また失敗ばかりして、怒られるのかしら)
足音が近づいて来て振り返ると、柊だった。
撫子「あっ、あの、こんにちは」
柊「お疲れ様です」
撫子「わ、私、宝来 撫子です。私立R女子学園高等部の三年生です」
柊「あ……、オレは柊 紡です。県立M高校の三年生です」
撫子(紡っていう名前なのね?それに、私と同学年なのね!柊くんのことを少し知れたわ!)
撫子「……」〈何かを言いかけてやめる〉
柊「……?どうかしましたか?」
撫子「……いえ、あの、私……、失敗ばかりで恥ずかしいわ」
(本当は柊くんにもっといいところを見せたいのに)
柊は「あぁ」と思い当たったことがある顔をしてから、「でも、失敗なんて当たり前ですよ」と、何でもないように言う。
撫子「え?」
柊「だって、宝来さんはアルバイトを始めたばかりですし。これから仕事を覚えていけばいいんです」
撫子「……!」
(不思議。気持ちが軽くなったわ)
柊「あの、おせっかいなこと言いますけど」
撫子「はい?」
柊「メモを取るといいかも、です。失敗したことも、仕事仲間の見習いたいところも、メモにしておけば忘れません」
撫子「メモ……」
柊は頷く。
柊「同じ失敗を繰り返しませんし、見習いたいことも実践しやすくなります。そうすると自然と仕事を覚えていける気がするんです。オレはそうしています」
撫子「!!」
柊「あ、絶対メモしろってことじゃなくて……」
撫子〈目を輝かせて〉「いいえ!とても勉強になりました!!私、実践します、メモ!!」
柊は少し驚いた表情になってから、ニッコリ笑う。
そんな柊にドキッとする撫子。
柊「じゃあ、店内に行きましょうか」
歩き出した柊に、うっとりとする撫子。
撫子(あぁ、やっぱりいいな。柊くん)
◯レジカウンターの中。
三角と三番レジカウンターに入っている撫子。
撫子「あの、三角さん……」
三角「何か?」
撫子〈勢いよく頭を下げる〉「……ごめんなさい!!私、三角さんにひどい態度でした!」
三角「え?」
撫子「きちんと覚えます、レジ打ちの仕事!だから、これからもよろしくお願いします」
三角「……」
何も言わない三角に、頭を上げて三角を見る撫子。
三角「ひとつ、いいですか」
撫子「あ、はいっ」
三角「商品をバーコードに通す時、両手で商品を持って移動させると時間がとてもかかるんです。それは丁寧だけど、崩れやすいものや、壊れやすいものの時だけでいいんです」
撫子「……は、はいっ」
三角「未精算のレジカゴから片手で商品を取り、バーコードを通したら、もう片方の手に商品を持ち替えて精算済みのレジカゴに移す。慣れてきたら、精算済みに移す時にはもう、空いた手は未精算のカゴから次の商品を取る」
撫子「……なるほど、あっ、今の、メモにします!」
ポケットを探るけれど、書くものが見つからずアタフタする撫子。
三角が撫子にメモ帳とボールペンを差し出す。
三角「あげます、私はもう一つセットで持っているから」
撫子〈ニッコリ笑って〉「ありがとうございますっ!」
そんな撫子に、三角もニッコリ笑う。
◯その夜、早乙女家のリビング。
部屋着を着ている拓磨が大きなL字型のソファーに座り、赤いワインを飲んでいる。
ヴヴヴ。
スマートフォンに誰かから着信があり、拓磨は電話に出る。
拓磨「……は?アルバイト?宝来 撫子が?」
険しい顔になる。
拓磨「何をやってるんだ、仮にも早乙女家の婚約者が、アルバイト!?恥をかかせるつもりか、あのはねっかえり!」
スマートフォンを乱暴な手つきでソファーに叩きつける拓磨。
リビングの窓から見える夜空には、暗い雲に満月が隠れてしまい、不穏な雰囲気。
◯ニ週間が経った、スーパーマーケット「ぜんきち」の店内。
四番レジカウンターの中に立ち、せっせとレジ打ちに励む撫子。
おばあさん「こんにちは」
四番レジカウンターに未精算のレジカゴを置く、常連客のおばあさん。
撫子「いらっしゃいませ、こんにちは!」
レジを打ちつつ、おばあさんに挨拶を返す撫子。
おばあさん「少しは慣れてきた?あなた、最近頑張っているじゃない」
撫子「ありがとうございます。少し慣れてきた気もするんですけれど、レジを打つのがやっぱり遅くて……」
おばあさん「焦らず頑張りなさいな。遅くても、あなたの丁寧さはわかりますよ。まぁ、最初はお刺身の上に熱々のお惣菜を置かれて驚いたけれど」
撫子「……すみませんでした」
ふたりで顔を見合わせて笑う。
おばあさん「教育係の人も、もういないのね。ひとり立ちね」
撫子「頑張ります」
レジ打ちが済み、おばあさんにお辞儀をする撫子。
頭を上げると、柊が荷物台を布巾で丁寧に拭いているのが見えた。
三角にもらったメモ帳を取り出し、『手が空いた時は荷物台を拭いて清潔にする』と書き込む。
撫子(本当にすごいなぁ、柊くん)
(レジ打ちも速いし、でも丁寧な接客だし、周りのことも見ていて……)
荷物台を拭き終わった柊は、荷物台のそばで使用後の精算済みレジカゴをまとめ、各レジカウンターに配りに行っている。
撫子の四番レジカウンターにも来てくれる。
柊「宝来さん、レジカゴ、置いておきます」
撫子「ありがとうございます」
柊はニコッと笑って、自分の持ち場に戻る。
撫子(……ダメよ、撫子)
撫子は少し苦しそうに、自分の胸をおさえる。
撫子(好きになるのは、ダメ!)
そう思うと、余計に苦しい気持ちになる撫子。
撫子〈小声で〉「……ダメよ。私には婚約者が。クソしょーもない婚約者が……」
ひとりで繰り返し呟いている撫子の後ろに、三角が現れる。
三角「こんにゃく?こんにゃくがどうかされました?」
突然の言葉にビクッと驚いてから、振り返り、撫子は「三角さん……!いえ、なんでもないんです」と、誤魔化す。
三角「休憩に行ってください。交代です、宝来さん」
撫子「あ、お疲れ様です。ありがとうございます」
◯店のバックヤードにある、休憩室。
中に入ると、四つのテーブルが置いてあり、部屋の隅には飲料水の自動販売機がある。
窓際の奥のテーブルに、柊がいた。
読書をしている。
撫子は少し離れたところに腰掛けて、柊をそっと見つめる。
撫子(きれいな横顔)
(鼻筋が通っていて、まつ毛も長いのね)
(ちよっとゴツゴツしている細長い指もきれい……)
うっとり見ていると、柊と目が合ってしまった。
柊「……?宝来さん?」
撫子「あ、違う!いえ、違わないです!」
柊「ん?」
撫子「いえ、なんでもないんです」
〈少し赤くなる〉
柊は「あはっ」と笑い、本を閉じた。
撫子(本を閉じたってことは……、私とお話ししてくれるってことかしら?)
胸の奥から温かい気持ちと、ワクワクするような弾んだ気持ちが混ざり合って、撫子は(好きだなぁ)と、心から思ってしまう。
撫子(……もう、認めるしかないわ)
(好きなのよ)
(恋をしているんだわ、柊くんに)
脳裏で祖父である宗一の険しい顔がよぎる。
少し後ろめたく、暗い気持ちになった自分を見つけて、撫子はその気持ちを追い払うためにブンブンと首を振ってみる。
柊「どうしました?」
撫子〈ニッコリと笑って〉「なんでもないです」
柊〈同じように笑って〉「そうですか」
柊が腕時計を見る。
そのことが思いの外、撫子の中で淋しさを引き起こす。
撫子(ずっとこのままでいたい)
(柊くんとふたりでいたいわ)
柊「宝来さん、休憩時間っていつも何をしているんですか?」
撫子「たいていスマートフォンを見ています」
柊「あの、誰かに説明って受けました?休憩時間に外に出てもいいって」
撫子「え?いいえ。時間内なら外出しても良いんですか?」
柊「はい。店長、わりと大らかな人なので」
柊は楽しそうに笑う。
柊「知っていますか?ここの商店街、たい焼き専門店があるんですよ。美味しいのでオススメです。気が向いたら、行ってみてください」
そう言って、本をもう一度開こうとした柊を見て、思わず撫子は「あ、あのっ」と声をかける。
撫子「行きたいですっ、連れて行ってくれませんか?」
撫子(自分から誘うなんて、はしたないと思われるかしら)
(でも一緒に行きたいわ!)
(それくらい良いでしょ?)
柊は「あ、そっか」と何かを納得した様子で、「場所、わからないですよね?あ、じゃあ、良かったら今度行きますか?」と言う。
撫子「お腹、空いていらっしゃる!?」
柊「え?」
撫子「私、今がいいです!柊くんの休憩時間、まだ大丈夫なら、行きたいです!」
柊はちょっと驚いた顔をしていたけれど、すぐにニコッとして、「じゃあ、行きますか」と、席を立った。
◯商店街の中。
エプロンは付けているけれど、三角巾は外している柊と撫子は、並んで歩いている。
特に撫子は、足取りが軽くて気持ちも弾んでいる。
少し歩いた先の角を曲がると、『たい焼き専門店 たいこばぁばの店』という看板が見えた。
年季の入った看板とは裏腹に、お店の外観は新しく、店内にいる店員らしき人物も若そうな男性。
じっとその男性を見ていた撫子に気づき、柊が、「泰子って名前のおばあさんのお孫さんが、お店を継いだらしいですよ」と、教えてくれる。
店内に入ると、柊が「たい焼きの中身、選べます」と、壁に掛かっているメニューを指差す。
撫子(た、たい焼きなんてどのくらいぶりかしら)
(ずいぶん昔に羽鳥にねだって、買って来てもらったのよね)
(あれ以来、久しぶりに食べるわ)
撫子「私、こしあんのたい焼きがいいです」
柊「オレはつぶあんにします」
注文も受け取りも柊がしてくれる。
店内にあるイートインスペースで、柊と向かい合って座る撫子。
撫子が「あの、お金……」と、財布を取り出すと、柊は首を振って「食べてみてください」と笑って、お金を受け取らなかった。
撫子「いただきます」
たい焼きをひと口食べた撫子の表情が、みるみる内に輝き始める。
撫子「美味しいっ」
柊「でしょう?オレ、ここのたい焼き、好きなんです」
柊も「いただきます」と呟き、たい焼きをしっぽのほうから食べ始めた。
撫子「しっぽから食べるんですね」
柊「え?あー、なんか癖ですね。頭からガブリといけないっていうか」
撫子「私はガブリといってしまったわ」
柊「見ていて気持ちいいくらいです」
ふたりはクスクスと笑う。
◯スーパーマーケット「ぜんきち」の入り口。
柊と一緒に裏口から入ろうとしたところで、「撫子さん」と声をかけられる。
振り返ると、そこには拓磨の姿が。
撫子「えっ、なぜここに!?」
拓磨「僕が聞きたいですよ。何故あなたがアルバイトなんか……!しかも男と出かけていたようですし」
柊「?」
撫子(まずい……)
(非常にまずい状況だわ!)
(ど、どうしよう〜〜〜っ!?)
◯翌日の私立R女子学園高等部。
三年F組の教室で、再び机に突っ伏している撫子。
その席を振り返るように、麗華が前の席に座っている。
麗華「で?それからどうしたの!?アルバイト先に婚約者がやって来て、何があったの!?」
撫子〈突っ伏したまま〉「……逃げた」
麗華「え?」
バッと顔を上げて、「だから逃げちゃったのよ」と、撫子。
眉間に深いシワが刻まれている。
撫子「仮にも婚約者に『関係ないわ』って暴言吐いて、柊くんを強引に店内に押し込んで、私も店内に逃げちゃったの」
麗華「柊くんはどうしてたの?」
撫子「『大丈夫ですか?』とは聞かれたけれど、『大丈夫です、問題なし!』で押し通して、仕事に戻ったわ」
麗華「……婚約者は?」
撫子は暗い顔になって、「それが、それ以降姿を現さなかったのよ」と、呟く。
麗華「あら、それなら良かったじゃない」
撫子は首を振って、「いえ、不気味よ」と言う。
撫子「嵐の前の静けさっていうのかしら、不気味だわ」
麗華「……そうかなぁ?」
◯その日の放課後、スーパーマーケット「ぜんきち」の休憩室。
窓際の奥のテーブルに座っている撫子。
カレンダーアプリを開いたスマートフォンと、にらめっこをしている。
撫子(あと数ヶ月で高校を卒業しちゃうんだわ)
(このまま、あの早乙女 拓磨と結婚する未来を迎えるの?)
(……そんなの、嫌よ!)
眉間に深いシワを刻んで、撫子はスマートフォンから顔を上げる。
撫子「……おじいちゃまには、別の案で宝来堂を立て直す手立てを考えてもらうしかない!!」
自分の言葉に頷く撫子。
立ち上がり、ウロウロし始める。
撫子「そうよ、それにはおじいちゃまに、この結婚話を諦めてもらうことが大切よ!」
「何か、諦めてもらえる理由が欲しい……!」
顎に手を当てて考えつつ、まだウロウロしている。
その時、休憩室に柊が入ってくる。
びっくりして固まる撫子。
柊「お疲れ様です」
撫子「お、お疲れ様ですっ」
ふいに、柊をじっと見つめる撫子。
柊「?」
撫子〈ひらめいた顔で〉「……そうよ、柊くんよ」
柊「はい?」
撫子(他に好きな人がいるって伝えたら、諦めてくれるんじゃない?)
(さすがのおじいちゃまも、きっと折れてくれるわ)
(早乙女 拓磨だって、わかってくれるかも!)
柊「……あの、どうしましたか?」
撫子〈ニッコリ笑って〉「柊くんのおかげで良い案が浮かびました!ありがとう」
柊「?」
◯週末、宝来 宗一の住む家。
豪華な門構えの日本家屋。
門をくぐると見える庭も、立派な日本庭園。
家政婦の田邊という、五十代の女性に連れられて、撫子は宗一の待つ書斎に通された。
宗一は窓際に置かれたひとり掛けのソファーにどっかりと座っている。
手には杖を持っていて、ソファーのそばのサイドテーブルに置いてある紅茶が湯気を立てている。
撫子は入り口付近に立ったまま、お辞儀する。
撫子「おじいちゃま、ごきげんよう。お時間を割いていただいて嬉しいですわ」
宗一「構わないよ。それで?何か用なのか?」
撫子「……」
宗一「?」
撫子〈俯いて、両手をぎゅっとグーで握る〉
(言うのよ、撫子!)
(あれだけ練習したじゃない)
撫子「おじいちゃま、お話しがあるの」
宗一「何だ?」
撫子「……私、そのぉ……」
宗一「婚約のことか?」
撫子「えっ!?」
宗一はドンッと床に杖をついて、立ち上がる。
その動作にビクッとなる撫子。
思わず宗一の顔色を伺う。
宗一の表情は微笑んでいるものの、目が笑っていない。
宗一「言っただろう、撫子。お前にとってもこの結婚話は幸せなことなんだよ。何も言わずに、何も考えずに、お前は嫁ぎなさい」
撫子「……嫌よ」
再び俯き、本音を漏らしてしまう撫子。
グーにした両手が一度ほどけて、もう一度強く握られる。
撫子「おじいちゃまは考えたりしないの?私には既に、将来を約束している人がいる、とか」
宗一「……何?」
撫子「だから、約束しているとか、〈小声で〉していないとか、……とにかく、私にだって事情があるんです」
宗一「事情?」
宗一の表情から微笑みが消える。
じっと撫子を見つめていて、その表情は真顔。
宗一「撫子、お前の事情なんかどうでもいいんだ」
撫子「えっ?」〈顔を上げて、宗一を見る〉
宗一「しかし、もし仮に、お前に将来を約束している相手がいたとして、そいつがこの縁談を潰すようなことがあるなら」
撫子「……っ」〈ごくっと生唾を飲む〉
宗一「私が全力で、どんなことをしてでも、その相手を潰してやる」
宗一が不敵な笑みを浮かべ、撫子はゾッとする。
◯宝来 宗一の家の門の付近。
田邊が庭の木から落ちた葉を、竹箒で掃いている。
その横を、真っ青な顔で通る撫子。
田邊〈のんびりした口調で〉「あら、お嬢様。もうお帰りですか?」
撫子〈ゆっくり田邊を振り返り〉「……作戦は失敗したのよ、田邊さん」
田邊「作戦?……はて?」
◯その夜の二十二時を過ぎた頃。
宝来邸の撫子の部屋。
羽鳥に髪をとかしてもらっている撫子。
ドレッサーの前に座っている。
コンコンコン〈部屋の扉のノック音〉。
撫子「はい」
久光「姉さん、ちょっといい?」
撫子「いいわ、入って」
羽鳥が少し離れて、控える。
部屋に入って来た弟の久光は、まだ寝巻きを着ていなくて、週末にも関わらず高校の制服を着ている。
撫子「あら、久光。あなた、学校だったの?」
久光「部活だったから。その後、予備校に行ってたんだ」
撫子「わが弟ながら、真面目よね。高校一年生なのに、もう熱心に勉強してて」
久光〈少し笑って〉「オレは計画的に動くのが性に合ってるんだ」
久光は部屋の真ん中にある、テーブルに腰掛ける。
久光「……知ってる?宝来堂の経営のこと」
撫子〈表情が曇る〉「少しだけ。あまり上手くいっていないのよね」
久光「確実に傾いている。父さんも兄さんも、おじいちゃんのように経営の才能はないんだよ」
撫子「……」
久光「だからおじいちゃんは、焦っている。宝来堂は大手化粧品会社って言っても、他にも大手のライバル社はたくさんあるし」
撫子「そうね」
久光はふぅっとため息を吐いて、撫子をまっすぐ見る。
久光「でも、姉さんが犠牲になるなんて、オレは嫌だ」
撫子〈目を見開いて〉「!」
久光「早乙女さんと結婚したいの?」
撫子「したくないわ!あんな奴……」
〈きっぱりと即答する〉
久光は少し笑ってから、「結婚したい人と、結婚するべきだよ」と言う。
撫子の頭の中に、柊の顔が浮かぶ。
久光「会社のために姉さんの一生を捧げるなんて、間違っている」
撫子〈感動して〉「久光……。ありがとう」
久光「どうにか婚約破棄出来ないかな?」
撫子「それが、おじいちゃまがね……」
久光に、今日、宗一と話したことを話す撫子。
久光「……前途多難って、こういうことを言うんだね」
撫子「それに、アルバイト先に早乙女さんがいらしたの」
久光「えっ!?」
撫子もふぅっとため息を吐いて、「だけど私は屈しない。ねぇ、大事になっても構わない?」と、いたずらっぽく笑ってみせる。
その時、撫子のスマートフォンが振動する。
画面を見ると、早乙女 拓磨からのメッセージ。
拓磨《明日、お時間ください。話があります》
撫子は久光にその画面を見せて、「嵐がやって来そうよ」と、表情をこわばらせた。