その瞬間、マスターはわずかに瞬きをして、悪いことをしているのを見つかったときみたいになんだか恥ずかしそうな顔をした。
やばい。萌え死ぬ。語彙力が旅立っている。
「お恥ずかしながら、その、流行っていると聞ききまして、試してみようかと」
「あの、お恥ずかしながら、その、自分も多少ですがラテアートをやってみたことがありまして」
「なんと、そうなのですか。それは是非ご教示を願えれば」
ニコリと期待に満ちた視線。ご教示を、願えれば、とか。萌え死ぬ。
ゴクリとなった喉の音が聞こえてないか木にしながら、おもむろに立ち上がってみる。
「あの、ミルクを注ぐ勢いが、足りないのだと」
「勢いが」
「そ、そうです、あの、一度に流し込むミルクの量を増やして、手早く動かす、と言いますか」
マスターが急いで追加のミルクを温める。
流石にその扱いは手慣れたもので、先程より少し勢いを込めたミルクをラテに注ぎ、なんと一発でハートマークが完成した。
「「すごい」」
「あの、すごいです、本当に」
「いえ、吉岡様に教えていただかねばできなかったと思います。本当にありがとうございます。師匠と呼ばせて下さい」
マスターはそう言って、どこか真剣な目で私を射抜いて私の手を握った。
このマスターの、師匠。鼻血、出そう。出る。
その時の私はあたかも魔法学院の白ひげの学長のように何かが高まっていた。
「あの、吉岡様、他にも相談に乗って頂けるでしょうか」
「は、はい。何でも、私にできることであれば」
繋がれたままの手を振り払うなんてできない。そんなことをすれば折れてしまうかもしれないし。違う意味でもドキドキした。
でも相談って。ひょっとしてハート以外の描き方とかだろうか。でも自分にはハート以外のストックはない。
「ブラックのコーヒーでも絵がかけるでしょうか」
「えっブラック、ですか?」
「そうです」
「エスプレッソの泡の上ではなく?」
「やはり無理でしょうか」
よくわからないけれど、昨日調べたところではエスプレッソを抽出するときにできるクレマという泡の層の上に泡立てたスチムミルクで絵を描く、のではなかっただろうか。
泡の土台があるから描けるのであって。ブラックの上に絵を書くのって可能なの?
試しにお借りしてやってみたけど、ミルクはそのまま下に沈んで全体的にカフェラテ的な色に染まるだけだった。
「あの、やはり土台がないと無理なのではないでしょうか」
「やはりそうなんですね」
マスターは酷く真剣な表情で考え始めた。
私はそれまで単に流行のためとかに試しているのかと思ったけれど、ひょっとしたら他に何か目的があるのかな、という気もした。お孫さんとか誰か飲ませたい人がいる、とか。家族がいるかは知らないけど。
「私も考えてみます」
「ありがとうございます」
それから私はネットを調べまくったけれど、よい解決方法は見つからなかった。
落胆して、とりあえず思いつくままいろいろ試し、友人にカフェラテを大量に飲ませ続けた。そのせいか友人は体重を5キロ増やした。それでも立体的に作る方法はないかとやたらと泡立てたりしてみたけど、ウィンナーコーヒーが出来上がるだけでそこに絵を書くことなんかできない。ミルクの温度を変えてみたりしたけれど微妙にうまくいかない。
そうやって、春だった季節がだんだんと夏に変化していく。
アイリスでもメインはホットコーヒーからアイスコーヒーに成り代わり、ますますラテアート作成が難しくなった。ラテアートは温かく泡立てられたミルク、というのが前提になっていて、アイスコーヒーに乗せてもぬるくなってしまうのだ。
どうしたものか考えたけど埒があかず、しかたがなくもう甘いのは無理勘弁してという友人を連れ回していろいろな喫茶店をはしごした。
そして私は行きつけのイタリアンでアフォガードというものを食べてひらめいた。
アフォガードというのはバニラアイスにホットコーヒーをかけたものである。その結果、ホットコーヒーとアイスが丁度混じり合って、冷たすぎず暖かくもない丁度いい甘さを醸し出していた。
私は早速喫茶店に飛び込む……のはやめて友人を犠牲にすることにした。
友人はこの夏、腹痛に苦しんだという。
そして今、ブラックのアイスコーヒーにバニラアイスを混ぜたミルクで書かれたハートが形作られていく。ミルクポッドを持ち上げた時、そこには少しでこぼこしているけれども一応ハートが出来上がっていた。
マスターは緊張した面持ちで少し、うん、と頷いてそのアイスコーヒーを私の前に差し出した。
「え、あの、マスター?」
「その、吉岡様にはいつもご来店を賜りまして」
「え、あ、はい」
「それでいつも美味しそうに飲まれていらっしゃいますからその、恩返しと申しますか、若い方にはラテアートというものが流行っておると仄聞いたしましたので」
えっえっおっ? 理解が追いつかない。
推しが目の前でよくわからないことを喋っている。
「あの、先程吉岡様がおっしゃられたように先にアイスから召し上がって頂けると幸いです。せっかく浮いているのに溶けて混じってしまいますので」
その一言で、私はスプンでハートをすくって食べた。推しが私のために描いたハートを一口で。マスターのハート、尊い。もったいない。
バニララテが除かれたその後には、ブラックのアイスコーヒーの黒くつややかな表面と、そこにマスターの優しそうな笑顔が反射していた。
Fin.
やばい。萌え死ぬ。語彙力が旅立っている。
「お恥ずかしながら、その、流行っていると聞ききまして、試してみようかと」
「あの、お恥ずかしながら、その、自分も多少ですがラテアートをやってみたことがありまして」
「なんと、そうなのですか。それは是非ご教示を願えれば」
ニコリと期待に満ちた視線。ご教示を、願えれば、とか。萌え死ぬ。
ゴクリとなった喉の音が聞こえてないか木にしながら、おもむろに立ち上がってみる。
「あの、ミルクを注ぐ勢いが、足りないのだと」
「勢いが」
「そ、そうです、あの、一度に流し込むミルクの量を増やして、手早く動かす、と言いますか」
マスターが急いで追加のミルクを温める。
流石にその扱いは手慣れたもので、先程より少し勢いを込めたミルクをラテに注ぎ、なんと一発でハートマークが完成した。
「「すごい」」
「あの、すごいです、本当に」
「いえ、吉岡様に教えていただかねばできなかったと思います。本当にありがとうございます。師匠と呼ばせて下さい」
マスターはそう言って、どこか真剣な目で私を射抜いて私の手を握った。
このマスターの、師匠。鼻血、出そう。出る。
その時の私はあたかも魔法学院の白ひげの学長のように何かが高まっていた。
「あの、吉岡様、他にも相談に乗って頂けるでしょうか」
「は、はい。何でも、私にできることであれば」
繋がれたままの手を振り払うなんてできない。そんなことをすれば折れてしまうかもしれないし。違う意味でもドキドキした。
でも相談って。ひょっとしてハート以外の描き方とかだろうか。でも自分にはハート以外のストックはない。
「ブラックのコーヒーでも絵がかけるでしょうか」
「えっブラック、ですか?」
「そうです」
「エスプレッソの泡の上ではなく?」
「やはり無理でしょうか」
よくわからないけれど、昨日調べたところではエスプレッソを抽出するときにできるクレマという泡の層の上に泡立てたスチムミルクで絵を描く、のではなかっただろうか。
泡の土台があるから描けるのであって。ブラックの上に絵を書くのって可能なの?
試しにお借りしてやってみたけど、ミルクはそのまま下に沈んで全体的にカフェラテ的な色に染まるだけだった。
「あの、やはり土台がないと無理なのではないでしょうか」
「やはりそうなんですね」
マスターは酷く真剣な表情で考え始めた。
私はそれまで単に流行のためとかに試しているのかと思ったけれど、ひょっとしたら他に何か目的があるのかな、という気もした。お孫さんとか誰か飲ませたい人がいる、とか。家族がいるかは知らないけど。
「私も考えてみます」
「ありがとうございます」
それから私はネットを調べまくったけれど、よい解決方法は見つからなかった。
落胆して、とりあえず思いつくままいろいろ試し、友人にカフェラテを大量に飲ませ続けた。そのせいか友人は体重を5キロ増やした。それでも立体的に作る方法はないかとやたらと泡立てたりしてみたけど、ウィンナーコーヒーが出来上がるだけでそこに絵を書くことなんかできない。ミルクの温度を変えてみたりしたけれど微妙にうまくいかない。
そうやって、春だった季節がだんだんと夏に変化していく。
アイリスでもメインはホットコーヒーからアイスコーヒーに成り代わり、ますますラテアート作成が難しくなった。ラテアートは温かく泡立てられたミルク、というのが前提になっていて、アイスコーヒーに乗せてもぬるくなってしまうのだ。
どうしたものか考えたけど埒があかず、しかたがなくもう甘いのは無理勘弁してという友人を連れ回していろいろな喫茶店をはしごした。
そして私は行きつけのイタリアンでアフォガードというものを食べてひらめいた。
アフォガードというのはバニラアイスにホットコーヒーをかけたものである。その結果、ホットコーヒーとアイスが丁度混じり合って、冷たすぎず暖かくもない丁度いい甘さを醸し出していた。
私は早速喫茶店に飛び込む……のはやめて友人を犠牲にすることにした。
友人はこの夏、腹痛に苦しんだという。
そして今、ブラックのアイスコーヒーにバニラアイスを混ぜたミルクで書かれたハートが形作られていく。ミルクポッドを持ち上げた時、そこには少しでこぼこしているけれども一応ハートが出来上がっていた。
マスターは緊張した面持ちで少し、うん、と頷いてそのアイスコーヒーを私の前に差し出した。
「え、あの、マスター?」
「その、吉岡様にはいつもご来店を賜りまして」
「え、あ、はい」
「それでいつも美味しそうに飲まれていらっしゃいますからその、恩返しと申しますか、若い方にはラテアートというものが流行っておると仄聞いたしましたので」
えっえっおっ? 理解が追いつかない。
推しが目の前でよくわからないことを喋っている。
「あの、先程吉岡様がおっしゃられたように先にアイスから召し上がって頂けると幸いです。せっかく浮いているのに溶けて混じってしまいますので」
その一言で、私はスプンでハートをすくって食べた。推しが私のために描いたハートを一口で。マスターのハート、尊い。もったいない。
バニララテが除かれたその後には、ブラックのアイスコーヒーの黒くつややかな表面と、そこにマスターの優しそうな笑顔が反射していた。
Fin.