「仕方ないよ桜陰。憑依なんだから、奴はいつでも逃げることができた」



雷地がため息をつく。

スサノオノミコトが、役目は終わったとばかりに人形サイズに戻り、私の肩に座る。

その際、ペンダントに戻った剣を首にかけてくれた。

常磐がひとつ頷き、先輩に声をかける。



「寧ろあそこまでしゃべらせた事を良しとすべきだ」



「しゃべらせたっつか、天原の血縁を返せって主張ばかりだったがな」



「秩序を守る五家を困らせてやろうって話でもあったよねー」



「収穫には、弱すぎる」



「それはさておき、早急の問題は、これをどうするか………」



「…………」



「…………」



集っている三人が、気まずそうに見下ろす先。

度重なる拷問の跡が装飾品に色濃く残り、伸びているおじさん。


忘れてはならないのが、おじさん自身は一般人である。

タカマガハラ会の天原と名乗る者に憑依されていた、被害者である。



「…………」



先輩は、響からくすねていた特製回復薬を、水責めの如く全てぶっかけた。

おじさんは咽せたが、やがて穏やかな顔で眠る。

破れた服は戻らないが、入れ歯だったはずの歯が生えて、光る頭には髪の毛というモザイクがかかり、しみそばかすなどの吹き出物まで消えたつるつる卵肌になった。



「………………なんだか、さ」



なんか、20歳くらい若返ってないかい?



ここにいる全員が、気まずそうな顔を見合わせる。



「これ、どうよ?」



「一眠りでスッキリ爽快ー」



「美容健康に効果が認められたただ一つの薬」



「いいなぁ。響、ボクにもちょうだい」



「………過剰摂取だよ。まだ実験段階なんだから、どんな副作用があるか、わからない」



でも、少量なら平気。


そう言って、響は試験管一本ずつを配り、服用した私たちの怪我は綺麗さっぱりなくなった。

風穴の空いた右掌も元通りだ。

味については、あえて触れまい。



「…………外用薬だから」



「ゲホオォォッ!」



「ペッ! ペッ!」



皆が一斉に吐こうとした。

しかし、飲み込んでしまっていて、口内に残るものを唾と共に吐き出すだけがせいぜいだ。



「うげええええ………」



飲む前に言って欲しかった。



「先に言え!」



「…………言う前に飲んだのはきみたち」



「止めろよ!」



「………止める前に飲んだのはきみたち」



「あわよくば俺たちを実験台にしようとしたでしょー?」



「…………」



「否定しないのかよ……」



先輩と雷地が響を囲むが、響は顔を逸らした。


しかし、想定されていない使い方ではあったものの、効果は絶大。

医療に革命が起きるよ。

瀕死の重傷も、あっという間に健康体なんだもん。

医者いらずだよね。


……………もしかしたら。


私がその先に思いを馳せようとした時、ツクヨミノミコトが響を指差した。



「少年、ひとつ頼まれてくれるかな」



「…………何?」



「その薬を使って欲しい相手が、他にもいる」



この騒動の首謀者を、私はどうしたかったのか。

その、別の回答を、ツクヨミノミコトは提示する。



私たちはおじさんを放置して、呪術展のあったところまで戻ってきた。


そこに残る戦闘の跡と、被害者の少年。

彼を診た響はひとつ頷いた。



「………僕の新作。半日以内なら生き返る」



懐から出したのは、丸底フラスコに入る、月の光を閉じ込めたような黄色い液体。


ツクヨミノミコトは不敵に笑った。



「月海のお願いだ。よろしく頼むよ」



「………うん」



「あれれー? 響くん、ずいぶん素直だねぇ」



「………健常な人には、試したことがないんだ……」



「え、遠慮しまぁす……」



響の静かながらも圧のある脅しに、雷地は後ずさった。

響は、フラスコの中身を、少年の頭から全身に、浴びせるようにかける。

その小さなフラスコに、そんなに入っていたのかと驚くほど、大量の液体が出てきた。

乾いたところがないくらい、びしょびしょに濡らされた時。

一瞬、白く光ってから、黄色い液体は透明になった。

濡れそぼった少年は、曲がってはいけない方向に曲がっていた首や四肢などが元の位置に戻り、傷ひとつない姿を取り戻していた。



「………これで、大丈夫。借りは返した」



「のんのん。貸しはまだ続いているよ」



私の肩の上で脚を組み替え、ツクヨミノミコトはちっちっと人差し指を振る。



「………強欲」



「当然の要求さ。今後ともご贔屓に」



「……………」



ツクヨミノミコトと響の間に何があったのか。

疑問符を飛ばす私や雷地達だったが、先輩だけは、何か知っているふうだった。



「外が騒がしくなってきた」



唐突に呟いたスサノオノミコトが、視線を向ける先に、私たちも顔を向けた。



「警察か? 術師か?」



「さぁね。どちらにしても、ここに俺たちがいるのはまずいねぇ」



「資格のないボクたちが派手に術を行使したって知られたら、最悪、犯罪者として牢屋行きかな」



「正当防衛にならないんですか?」



私は驚きに声を上げた。

たまたま居合わせただけで牢屋行きなんて、冗談じゃない。



「………五家は僕たちを消したがっている。絶好の口実」



「市民を護ったのに罰されるのは、気分のいいもんじゃないな」



「なるほどなるほど」



彼らの話を黙って聞いていたツクヨミノミコトが大袈裟に頷いて、先輩の横に浮いて両腕を大きく広げる。



「隠蔽に手を貸そう。ここに君たちはいなかった、ということにすればよいのだね」



「出来るのか?」



「造作もない」



先輩の問いに、ツクヨミノミコトはその場でくるりと回り、淑女の礼をとる。



「足がつかないよう、証拠となるもの、全てを吹き飛ばす。月の神を味方につけていること、感謝するがよい」



ツクヨミノミコトの放った神力が、無造作に転がる呪具に注がれ、爆発した。


爆風が、私たちの髪や服を煽る。

人の来る方向から、悲鳴と、天井が崩れる音がした。


ほんとうに吹き飛ばしやがったよ。



「あははっ。これでこの空間は、あの呪具の力に上書きされた。きみたちの霊力の残滓は残っていない」



ウインクしたツクヨミノミコトは、どこかスッキリした顔をしている。



「やば………」



思わず口から漏れた。


破壊が趣味のツクヨミノミコトのやばさは知ってたけど。



「あとは、きみたち自身がここから逃げるだけさ」



小さな人形が指すのは、闇のように暗い瓦礫の向こう。

逆方向からは、大勢の人の気配。



「行くぞ!」



「おう!」



先輩の号令に、全員が返事を返し、案内係ツクヨミノミコトを先頭に人気のない方へ走り出した。