気づいた時には、目の前に槍のように鋭い先端の蔦が迫っていた。



「うっ……」



逃げなきゃと思っても、体が重い。


ちくしょう。

速攻しかけてきやがりましたか。

死んだら怨む!

……いや、彼らが相手だと、すぐに黄泉行きの片道切符を発行されそうだ。


なんて思っていても、まだ貫かれていない。

思考だけが加速して、迫る蔦はやけにゆっくりだ。

目の前に凶器のある恐怖の時間を引き延ばされて、やだなー。


ふと、火宮家で妹に貫かれたことを思い出した。

あの時は、スサノオノミコトが助けてくれたんだよね。


身体が水になり、再構成される。

………私の身体だもん、私にもできるよね………。

いや、できないわ、人間辞めてるみたいなこと。

どうやったかも知らないのに。



『そんな時はツクヨミちゃんにお任せだよ』



楽しそうに声をかけてきたツクヨミノミコトであれば、何かしらの方法でこの窮地を脱することはできるのだろう。



『うんうん。だから変わってよ』



だけどなぁ………。



『何がそんなに気に食わないんだろうね、君は』



これは殺し合いじゃなくて、稽古だからさ、自力じゃないと意味がない気がして。



『だからって、死んだら元も子もないんだけど』



その辺は…………手加減してくれてる、はず。

自分で言っといてなんだが、自信がない。


目の前に迫る、貫通力のありそうな蔦の先端。

四肢ならともかく、頭だよ?

悪い想像しかわかないね!


………ツクヨミさん、もしもの時は生き返らせてくれる?


期待を込めて聞いたが、返しはあっさりしたものだった。



『無理。私が出ていて私が死ぬなら、スサノオがやった時のようにやりようはある。けど、私の力が届かない状態で君が死んだなら、それまでだ』



薄情な、と思ったが、できないものをできないと言われただけのこと。

頼み事が、死んだら生き返らせて、なんて話なのだから、相手によっては私の頭の心配をされる案件。

過去、大勢を生き返らせたことがあるツクヨミノミコト相手だから真面目に聞けたことだ。


でも、無理か。

そうか…………ああこれ詰んだな。


非力は罪だ。

力がなければ、何もできないのだから。

わかっていたことじゃないか。

だから、先輩に頭を下げて、指導を請うたのだ。

だから、無駄にしないよう、それでも、足掻け。

諦めて棒立ちでただ嬲られるなんて、恥ずかしいじゃないか。

経験値の差、実力差なんて、初めからわかっていた事。

無謀なことをしたと、初めから思っていた。

だからこそせめて、一撃入れたい。


頭を回せ、生き残る術を考えよ、どうする、とりあえず剣で蔦を切って……。

胸元のペンダントに手を伸ばす、が、間に合わない。

思考は加速しても、体の動きは変わらないのだ。

剣を出すより先に、顔に穴が空く。

かといって、ほかにやれることは何も……。

…………首を傾げるだけで回避できるか?


んなわけないじゃんと、頭の冷静なところが白旗を振った。

死がすぐそこまで迫る中、救いの天女の声がした。



『前にも申しましたが』



私ははっと目を見開く。



『わたくしを召喚することは、月海さんの能力のうちであります。遠慮することはございません』



うん、そうだね。

今は甘えるね。

私だって、死にたくはないのだから。



「イカネさん」



瞬間、目の前に美しい金髪がなびく。

そして、気温が一気に下がった。

霜が降りたように、稽古場全体に白く光る結晶が舞う。

喉を刺す冷気、吐く息が白い。

少しでも体表面積を減らそうと自身の身体を抱きしめた。


イカネさん越しに向こうを見ると、迫り来ていた蔦は厚い氷に覆われていた。



「なななななななななななな」



寒さで呂律が回らないのか、氷柱に閉じ込められ、顔だけ出した柚珠が歯を鳴らす。

そんな彼に背を向けたイカネさんは、私の頬を両手で挟み、正面から顔を合わせる。



「最近めっきり呼んでくれなくなって、寂しかったのですよ」



悲しそうな美人の顔に、罪悪感が爆上がりだ。

正面から顔を見れない。



「ごめん」



「もうわたくしは必要ないのかと思ってしまいました。ツクヨミノミコトばかり頼られて……」



「そんなことない! ツクヨミノミコトは、ほら、うるさいだけだし。くだらないことでイカネさんの手を煩わせるのもどうかと思って……」



『うるさいだけってなにかな、なにかなぁ?』



ほらうるさい。



「貴方のことで、くだらないことなんてないんです」



もっとわたくしをお頼りになって。


否を言わせぬ笑みに負けた私は、こくこくと頷いた。



「勝負あり! 天原月海の勝ちとする」



審判常磐の合図が聞こえた。

イカネさんが指を鳴らすと、氷漬けにされていた蔦と、柚珠を拘束する氷は音を立てて砕けた。

自由になった途端に怒りに顔を上気させた柚珠は、イカネさんを睨みつけビシッと指差す。



「ちょっと待ちなさいよ常磐! 脳みそまで筋肉に汚染されたの? 邪魔が入ったんだから、こんな試合無効なんだからね!」



氷から出てきたばかりで元気があふれているなんて羨ましい。

実は寒くないと錯覚しそうになる。

冷える両手をくっつけて、白い息をあてるが、いっこうに暖まらない。

名指しされた常磐は呆れたようにため息をついた。



「脳みそまでお花畑が広がっているのか。……この人をよく見ろ」



柚珠はイカネさんに値踏みするような不躾な視線を向ける。

上から下まで何往復も嫌な目でジロジロ見て、気に入らないな。

かといって、肝の座っていない私は迫る蔦を思い出し、イカネさんを盾に震えることしかできないのだ。


ごめんね、次こそは私が守るから。



『今出来ないくせに、次があるわけないよねぇ』



ツクヨミさん、うるさい。



『図星だからって、怒らないでよぉ』



うるさい。



『私に変わりなよ。あの人たちに床の味を教えてあげるから』



シャラーップ!



心の中でツクヨミノミコトを叱りつけていると、イカネさんが小首を傾げ美しい御髪を揺らす。



「ふふふ、なんでしょう?」



イカネさんの綺麗な微笑みは、価値を知らない柚珠にはもったいないと思う。



「………アンタ、もしかして式神?」



「ええ。月海さんに喚ばれ、馳せ参じましたオモイカネノカミですわ」



イカネさん、本名はオモイカネノカミなんだ……。

私にはイカネと名乗ったから……、それってつまり、渾名で呼んで欲しいってこと?

特別扱いに嬉しくなってしまうよ。


口元がだらしなく緩むのを我慢していると、柚珠が小型犬のようにキャンキャン喚き出した。



「高位の式神ずるい!」



「ひどい言いがかりだね。気にしなくていいよ、負け惜しみだからね」



「式神使いが式神を禁止されたら戦えないだろうが」



「何をどのくらい召喚できるかが、式神使いの技量。式神使いの戦い方だ。当然だろう」



「………自分は式神持ってないから八つ当たっている。………可哀想。…………フッ」



雷地、常磐、先輩、響が私の味方をしてくれる。



「今ボクのこと笑ったけど、アンタも式神持ってないでしょ!」



「………式神がいなくても、僕は君より強い」



「きぃーっ! もう怒ったんだからね!」



いつもの柚珠と響の言い争いに発展したので、安心したら、体がブルリと震えた。



「月海さん!」



「さささささささむっ!」



イカネさんに正面から抱きしめられても、寒さからくる震えは止まらない。



「っチッ」



舌打ちと共に肩にかけられたのは、先輩のジャージの上着。

先輩の体温が残っていて、ほんのりあったかい。



「しぇんぱい!? はむくないんえすか?」



おかしいな、呂律がまわらないぞ。

頭ははっきりしてる。

まだ大丈夫。



「こんなもん、身体強化すれば平気だろ」



言葉の通り、半袖な先輩の腕は、鳥肌ひとつ立っていない。

他3名も同様に。

氷漬けされた当初は震えていた柚珠も、今は平気そうにしている。

凍えているのは私だけか。

つくづく身体強化って便利だね。

ただでさえ不完全な私の身体強化は、集中力を欠いて発動すらままならない。



「こんな状態じゃ稽古にならないな。休憩にしよう」



「俺はやってもいいんだが」



先輩を物欲しそうな目で見る常磐。



「断る。自主練でもしてろ」



「いやいや、柚珠と響が第二ラウンドいきそうじゃない? また審判してあげなよ」



「む。俺は桜陰と手合わせしたいんだが」



「やるにしても、稽古場が直ってからだ」



「いいだろう。約束だからな!」



交渉成立。

休憩後の一戦目は、先輩と常磐の組み合わせになる。



「行くぞ」



「……うん」



「……うん」



少ない雪で遊びだした子供たちは名残惜しそうだったが、先輩の決定には素直に従った。



「………僕も出るから」



「待ちなさいよ! ボクをひとりにする気!?」



そして私たちは、冷凍室と化した稽古場をあとにしたのだった。