送迎のワゴン車は、スピードが出たまま交差点を左に曲がろうとした際、ガードレールか何かにぶつかり……
その衝撃で反対車線に飛び出した結果、車下幅より高い縁石に乗り上げたまま激しく車体を揺らしながら十数メートル走行し、最後にぶつかった縁石の衝撃でなんとか停車した。
間一髪横転は免れたが、あと少しバランスが崩れていたら危ないところだった……
庇った甲斐あって利用者さんにケガはない様子だったので安堵した。
単独事故で幸い車もなんとか動いたので、利用者さんを送り届け、戻った頃には就業時間が過ぎており、みんなは帰った後だった。
車での事故は運転していた美妃先輩が報告書を書くので、
私は左腕の違和感に不安を感じながらも後のことは任せて家に帰った。
「あれ? 腕が上がらないや……」
不安が的中した。
病院に行くと左肩の腱板断裂……
簡単に言うと、左腕のつけ根のスジが切れているので、毎日治療に通って治らなければ手術が必要とのことだった。
私は激しい痛みの影響で仕事を何日か休んだが……骨折したという訳ではないので痛み止めを飲んで出勤し、右手だけで出来るレクなどの担当に代わってもらった。
それでも何かの拍子に痛みを感じ、うずくまっていると……他のスタッフや看護師さんにまで「大げさに痛がってる」と笑われた。
確かに入浴などの身体介護ができないのは申し訳ないが、休んでいる間のミーティングなどであの事故の報告もあっただろうに周囲の反応は冷たいものだった。
その原因は先輩が出した報告書にあった。
ある日何気なく机の上の書類を見たら……
本来なら事故として提出されるべきその案件が、物損として処理されていた。
車の下は見えないので車体の左後部がへこんだだけの、不運にもぶつけてしまった程度の案件として……
認知症の利用者さんも、事故の記憶ははっきりと残っているようで「あれは事故だ」と言ってくれたが、誰にも信じてもらえなかった。
それがショックだったのと寝られない程の痛みで次の日から仕事を休んだ。
電気治療は毎日通わないといけないので病院に行き、シップを貼って痛み止めを飲んだものの全く痛みは収まらず、「助けて……」と泣いていたらメールが来た。
「あ……美妃先輩からメールだ……心配してくれたのかな?」
昔、電車の中で冗談を言って笑い合った時の優しさを信じたかった。
本当に私は馬鹿だった。
『大げさ……あなたが利用者さんを苦しめている』
それを見た瞬間今まで頑張ってきた全てが崩れ落ち、心がバラバラになるのが分かった。
「あ"~~~~~~~~~~~~~」
これは発狂というのだろうか?
頭を抱えて震えながら出始めた声は、出したことはない大きさになっていく。
おそらく近所中に響き渡っているだろう。
それでも止まらなかった……
自分では止められなかった。
「あ"~……あ"~……あ"~……あ"~……」
息をするのも苦しくて言葉にならない。
過呼吸の様な発作が起きても叫び続けた。
やっと息ができるようになってから、
「……………………っそんなに悪いこと全部が私のせいならっ……もう殺してよ~~~~~~~~~~~~~~~~」
ようやく口をついて出たのは、そんな言葉だった。
二十数年一緒に暮らし、子供の頃から一生懸命育ててくれた両親の前でそう叫んでしまった。
それが申し訳なくて、両親の顔が見れなくて……自室に籠り布団の中で一人で泣いた。
「もう誰も信じられない……」
「もう……死にたい……」
メールの次の日、私は両親の前ではもう気にしていない素振りで「病院に行く」と嘘をついて最寄り駅に行き電車に乗った。
身体的にも精神的にも極限まで追い込まれていた私は、会社に一番近い駅で降りてホームの端に立ち、ある決心をしていた。
「……飛び降りよう……」
ニュースなどでその後の悲惨な行く末をある程度知っていたが、そんなことはもうどうでもよかった。
心と身体の痛みから解放されるためには、もうこの方法しかない。
「…………さよなら」
その時、
駅から見えるビルの液晶パネルから、あの曲が流れてきた。
神山慎二から貰ったCDの中で一番好きな曲……
「この『雨音~あまおと~』って曲、大好きだったな……」
(そういえば誰が作ったんだろう?……)
なぜか、そのことが妙に気になった。
携帯で検索して、すっきりしてから全てを終わらせようと思った。
(死ぬ前に何やってるんだろう……)と自虐的に笑いながら『雨音~あまおと~』のページを開き、作詞・作曲の名前見て愕然とした。
「……H&I?……」
「……まさか……」
改めて歌詞を読み返してみると……
昔、あの雨宿りをした日に篠田先生と二人でした会話の内容そのままだった。
『「雨が好き」つぶやく君の笑顔がとても寂しかった……
空の涙の理由を僕だけに教えてくれた……
空が流すメロディは生まれ変わるため生まれたと……』
あの時の私そのものだった。
『君が流したあったかい光は……誰かの中で生き続ける
もう一度少しずつ……明日のことを信じてみたいんだ』
先生が塾を突然辞めた理由が、今になって分かった。
『空が流すメロディは君の心に降りそそぎ……君が流す愛しい痛みを僕だけが覚えておくから……
だからもう隠さずに……僕の前では泣いてもいいんだよ』
泣いていた……先生は目の前にはいないけど。
『君が残したメロディは……いつか誰かに降りそそぎ
空が流したささやかな祈りは……あの場所へ帰っていくから』
「もう一度……少しずつ…………誰かのことを信じてみたいんだ……」
「だからもう……迷わずに……明日のことを信じたくなったんだ……」
「まぶしく笑う……君と虹が見える?……」
『何があっても人を信じて笑顔で生きていきなさい……』
そう言われた気がした。
「先生……夢……叶ったんだね」
「気付くの遅くてごめん……バカなこと考えてごめんなさい」
「ありがとう……先生に出会えて本当によかった」
「先生は今幸せですか? 私は今すごく幸せです……」
私はさっきまで電車に飛び込もうと思っていた。
でも曲を聞いて運命が変わった。
見えない不思議な力に導かれるように……
『逃げてもいいから生きていて欲しい』
『自分らしくしっかり生きていきなさい』
そう言われた気がした。
『先生? 私もいつか書くよ
たとえ色んな人に聞いてもらえなくても
有名になれなかったとしても
たった一人に届けたい歌……
たった一人の人生を救う歌……』
私は暖かい春の木漏れ日の中で、先生にも届くようにと願いを込めて、そう誓った。