「篠田先生ってカッコいいよね~優しくて包容力があって~」
英語の授業前、同じクラスの女子高生達が盛り上がっていた。
先生の魅力に気付いたのは、もちろん私だけのはずはなく……
「年の差が開いても関係ない」と時期的にバレンタインの恋話で盛り上がっていた。
そんな中、先日渡したテープは私が最も困惑してしまう形で帰ってきた。
まさかの英語の小テスト中に……
カチャ……
シーンとした教室内に響く、何かをテーブルに置いたような変な音。
私は一番後ろの席にいたので、机に置かれたテープを急いで筆箱の下に隠したが……
授業が終わると、秘密のやり取りに気付いた女子高生達がヒソヒソ話をしながらこっちを睨んできた。
(どうしよう気まずいよ~)
「あれ?」
こっそりカバンにしまおうとカセットテープを見ると、四つ折りの紙が挟まっていた。
トイレに隠れて紙を開くと……そこにはパソコンの文字でたくさんの文章……曲の感想や励ましの言葉が書かれていた。
「………………です。篠田さんは夢を諦めず、作曲も頑張って下さいね。いつか新しい曲が聞けるのを楽しみにしています」
私はこんなに心のこもった感想を貰ったのも男の人から手紙を貰ったのも初めてだったので嬉しくて泣いてしまった。
水性インクでプリントされていたのだろうか……零れた涙の部分の文字が雫型に滲んでしまった。
トイレから出ると例の女子高生達が、相変わらずこっちを睨んでいた。
「そうだ!」
私は先程聞いた、ある会話からあることを思いついた。
(もうこうなったらヤケだ……)
私は急いで塾の教室があるビルの階段を下りた。
そして急遽できた用事のため、先生が授業後の質問などを受けている間に……
ある場所に寄った後、別のビルにある職員室に向かった。
職員室に入る手前の先生を、階段の踊り場の陰から「ちょっといいですか?」と手招きする。
そして、帰る時間になるとほとんど人が来ない階段下で「手紙ありがとうございます」「いやこちらこそ」というやり取りの後……今日の行動の軽率さについて先生に少し文句を言った。
「先生~もう……なんでテスト中に返すんですか~?」
「ダビングしたから返さなきゃと思って」
「いや、あの、あれは元々ダビングしたやつで……って言ってなかったんだ……じゃなくて授業中はちょっと……」
「どうして?」
(だめだ……この人天然だ……)
「まったく先生は~もういいんで、手、出して下さいっ」
「???……あ、あり……がとう……」
私は近くのコンビニで急いで買った定番の義理チョコをさりげなく渡した。
照れながら受け取ってくれた先生の顔を思い出して、帰り道はドキドキでいっぱいだった。
(それにしても大丈夫かな?……)
嫌な予感が的中したのは、次の週の英語の授業が始まる前のことだった。
「痛っ」
私は突然、膝に痛みを感じた。
「『痛っ』だって……ウケる……」
前に座っている女子達がクスクスと顔を見合わせながら笑っている。
私はすぐに察した。
膝の痛みはシャーペンで刺されたことによる痛みで、故意に行われたものだということを……
篠田先生の事が好きでキャーキャー言っていた女の子達だった。
授業がいつも通り始まったが……
私は先生に気付かれないように必要以上に下を向いて、込み上げてきた怒りと涙を必死に堪えながら小テストを受けた。
次の週、先生から返されたテストのメモ欄部分に、小さな字で何かが書き込まれていた。
「字が小さすぎて読めない……」
周りの子の答案用紙を見ても何も書いていない……
メガネをかけていても目が悪い私は、紙を近くに寄せて読もうとした。
しかし塾で怪しい行動をとる訳にもいかず……家に帰って答案用紙の文字を解読した。
「……………………がおすすめです?」
どうやら先生の好きな音楽や好きな映画を教えてくれている文章のようだった。
テストのコメントはその日だけではなく、その次のテストも、またその次に返却されたテストにも書かれていた。
そしていつしかテストのメモ欄に返事や聞いてみたい質問を書き、返される時にそれの返事が来て……というやりとりになり、私はそれが楽しみになった。
なんだかテストが先生との交換日記みたいでドキドキした。
かわいいネコのシールなども貼ってくれるようになったある日……
答案用紙の端っこに、透明なシートに絵と文字が書かれたカードのようなものが貼ってあった。
そして、その横に先生の小さい字で、
『バークロー音大のステッカーです』と書いてあった。
「わぁ~キレイ……」
私は今まで男の人からプレゼントを貰ったことは一度もなかったので、
その透明のステッカーは、初めて男の人から……好きな人から貰った宝物になった。
「先生、ありがとうございます!!」
もちろんカセットテープの手紙や答案用紙、クリスマスの時の歌も私にとっては宝物だけど……
高校3年生になって本格的に受験勉強が始まり、最後の追い込みシーズンに迫る頃、
塾の集中授業講習があったため、その前後にお昼は塾で食べてそのまま一日中空き教室で勉強するというのが恒例になっていた。
仲が良さそうな例の女子高生グループが固まってお弁当を食べている中、私は一人でお弁当を食べていた。
(楽しそうでいいなぁ)とも思ったが、筆箱に入れていたステッカーのお守りを見て自分を励ました。
午後に始まった現代文の集中授業は、大教室で人気講師による授業だったので席が一杯一杯で……私は目が悪いため前の方がよかったが、詰めてもらえないと無理だった。
「すみません、少し詰めてもらえますか?」
「………………」
無視されるのが一番堪えた。
まるで自分の存在そのものを否定されているかのようで……
しかも私が嫌われ者だということが、一瞬にして知れ渡ってしまうから……
結局、私は後ろの方で授業を受けた。
暗くなった帰り頃、一番最後に空き教室を出て階段を下り、泣きそうになっていたら運よく雨が降ってきて助かった。
そのまま傘も差さずにビル階段の踊り場を出て帰ろうとしたら、授業が終わって階段を下りてきた篠田先生に偶然会ってしまった。
私達はビル階段の下で雨宿りをした。
「先生って晴れ、曇り、雨の中でどの天気が一番好きですか?」
「晴れ……かなぁ」
「やっぱりそうですよね~私、雨が好きなんです」
「そう……なんだ………………」
「知ってました? 雨って生まれ変わるために生まれたんですよ?」
「???」
「山で生まれた一滴の水が集まって……川になって海に流れて蒸発して、雲になってまた一滴の水になる……って生まれ変わりみたいで素敵ですよね」
「なるほど……君は面白いことを考える」
「雨って空が流す涙みたいですよね~」
「…………何か……あったの?」
「……なんでもないです…………雨、止まないですねぇ……」
私は、月並みだけれど……このままずっと雨が止まなければいいのにと思った。
「ねぇ先生……もしも私達二人で曲を作ったらユニット名、何がいいと思います?」
「なんじゃそりゃ?」
「二人とも篠田だから『しのたしのだ』? 一幸&春香で『一春』? 『幸香』?」
「……日本名じゃ変だよ……」
「じゃあイニシャルは? 名前の頭文字とってIHとか?」
「それじゃあコンロみたいだよ……」
「じゃ逆にしてHI……」
「それじゃあ英語の挨拶みたいだから……H&Iはどうかな?」
「H&I…………いいですね! じゃあH&Iが先生と私だけの秘密の名前ですね!」
私は二人だけの秘密の名前ができて、嬉しくて嬉しくて堪らなかった。
「先生………………」
「何?」
「……なんでもない……」
本当はもう一つ、先生にあるお願いをしたかったけど……
欲張ったら夢から覚めてしまいそうだったから、今言うのをやめた。