拷問ASMRー恐怖の音当てクイズー

といってもその笑顔は表面だけのものだ。
心からの笑顔なんて、あの日以来なくしてしまったし、取り戻したいとも思っていなかった。


『これから1年間よろしくな』
そう言って手を差し出されたから、なんとなく握りし返した。
人の体温なんて久しぶりに感じて少しビックリしたけれど、それだけだった。


由佳の心には無が続いていた。
あの日からずっと続く無。
その中に微かに見えるのは小さな炎だった。


葬儀のときに聞いた話は忘れていない。
あのときに感じた強い怒りが、無の中に炎として存在している。
なにもない中に彩りを添える唯一の存在だった。


それがあるから由佳は今日も生きているといっても過言ではなかったかもしれない。
そんな2年生になってすぐのことだった。
『今日からこのクラスの担任になります。岩上泉です』


教卓に立つその女性の姿に由佳は目を見開いた。
岩上と名乗った先生を見たのはこれが初めてのことで、新任なのだとわかった。
新任なら始業式のときに体育館で挨拶をしているはずだけれど、ぼーっとしていた由佳は今まで気が付かなかったのだ。


偶然由佳のいるクラスに担任としてやってきたから、初めてその名前に気がつくことができた。
岩上泉。
岩上泉。


その名前は絶対に忘れないと誓った名前だった。
その人が今自分の目の前にいる。


長い髪の毛をひとつにまとめて、銀色のメガネの奥の目でクラスを見回している。
その表情はどこか清々しげで、ついに自分の夢を叶えたと言わんばかりに輝いている。


由佳の胸の中にある怒りの炎はひときわ大きく燃え上がった。
やっと会えた。
岩上泉にようやく会えた。


しかもこんなに近くに来るなんて、思ってもいなかった。
これは神様がくれた自分へのサプライズだ。
好きな人を失った自分を見てかわいそうだからとくれたプレゼントだ。


由佳は自然と口角を上げて笑っていた。
岩上をジッと見つめる。


穴が開くほどに見つめる。
岩上も由佳からの視線に気がついてこちらを見た。


岩上は微かに笑みを見せて小首をかしげる。
その余裕そうな表情に、また怒りの炎に木がくべられた。


そうやって笑っていられるのは今のうちだけだ。
お前は昂輝を殺した。


昂輝の、教師になりたいという夢ごと奪い取った。
それなのに、お前がのうのうと教師を続けていられると思うなよ。
潰してやる。


岩上泉をこの手で潰してやる!

「私は自分のしたことが間違っていたなんて思ってない」
すべてを語り終えた由佳は岩上を睨みあげた。


自分がしたことを正当化する気はないけれど、昂輝のために復讐したことは後悔していない。
むしろ、悪い相手が目の前にいるのに指をくわえて見ているだけなんて、由佳にはできなかった。


「そう。あなたの話はよくわかりました」
キツネ面がうんうんと頷いている。
「好きな人が死んだのは悲しいことですね」


「あんたのせいで死んだんじゃん!」
由佳は力の限り叫ぶ。
もう、外に声が聞こえるようにとか、そんなことは考えていなかった。


とにかく、目の前にいるキツネ面が許せないという気持ちからの叫びだった。


「私も大切な人を失ったことがあります。あのときは本当に、目の前が真っ白になりました」
キツネ面がゆっくりと由佳の周りを歩き始める。
それは挑発するような動きで、由佳はなおさら険しい表情をキツネ面へむけた。


「それって昂輝のことでしょ。あんたが殺したくせに!」
吐き捨てる由佳を見下ろすキツネ面。
「もうそろそろそのお面取れば? 視聴者だってどうせあんたの味方しかいないんでしょう?」


「バレてました? そうです、視聴者さんたちはみんなこちらの味方です。クイズをしているのは事実ですけどね」
「こんなクイズをしても誰も通報しないとか、あんたの仲間そうとう頭おかしいんじゃないの!?」


「あはは! 骨を何本が折っているのに威勢がいいですねぇ」
キツネ面にそう言われてようやく痛みが戻って来る。
さっきまでは昂輝のことや強い怒りのことを思い出して、少しの間忘れてしまっていた。


だけど一度思い出すともうだめだった。
全身に痛みが駆け巡り、一体体のどこが痛いのかもわからなくなってくる。
それくらい、由佳の体はボロボロになっていた。


きっと、今音楽室から出ることができたとしても、走って逃げることはできないだろう。
「ところで、私の大切な人ですが……それは昂輝くんではありませんよ?」


キツネ面が由佳を見下ろし、低い声で言う。
え……?
由佳が大きく目を見開いてキツネ面を見返した。
お面の奥の目が由佳を射抜く。


「う、嘘でしょ。そんなこと言って私を混乱させる気なんでしょ!」
キツネ面はその問いかけに返事をせず、鞄へと移動した。
またなにか拷問器具が出てくるんだろうか。


一枚ずつ爪をはがされたり、歯を抜かれたりするんだろうか。
そうなったときには今度こそダメになるかもしれない。
動かなくなっていた友人たちと同じように、血を流して死んでいくことになるのかも知れない。


由佳の背中に冷たい汗が流れ続ける。
それは服を濡らして染み込んでいく。
「これを見てください」


キツネ面がカメラへむけて1枚の紙を見せた。
けれど由佳からではそれがなにか確認することができない。


進のときと同じで、合成写真でも作られていたんだろうか。
今、自分の個人情報がどんどん書き込まれたり、しているんだろうか。
「あぁ、あなたにも見てもらいましょうか」
由佳の存在に今気がついた様子でキツネ面が振り向いた。
そしてしゃがみこんで紙を眼前にかざす。
それは1枚の写真だった。
ふたりの女性が仲良さそうに並んで立っている。


1人は岩上で間違いない。
もう1人はだれだろう。
わからないけれど、岩上にそっくりな顔をしている。


ただ、もう1人の女性はメガネの縁が黒色だから、別人なのだということがわかった。
身長も体格もほとんど同じだ。
由佳はその写真に目が釘付けになった。


なかなか視線を離すことができない。
自然と、頭の中に双子という言葉が浮かんできていた。
「こっちが私。こっちは双子の妹です」


黒縁メガネの方を指差して岩上が説明する。
やはりそうなのだ。
岩上は双子だったんだ。


でも、それがどうしたというのだろう。
今回の事件とはなにも関係ないはずだ。
「妹の名前は水澄。しっかり聞いてください。妹は水澄といいます」
キツネ面が立ち上がり、また由佳を見下ろす体勢になった。


「みすみ……」
由佳は声に出してつぶやいた。
瞬間、嫌な予感が体の芯を貫く。


泉。
水澄。


それはよく似た言葉だった。
ドアごしに聞いた昂輝の声だけではどちらか判断することが難しいかもしれない。


あのときもし『水澄』と声をかけていたとしても、『泉』と聞こえていたかもしれない。
名前としてポピュラーなのは『泉』の方だから、由佳が勝手にそうだと思い込んだかもしれない。


岩上泉。
絶対に忘れてはいけないその名前が、最初から間違っていたとしたら?


由佳は自分でも知らない間にカチカチと歯を鳴らしていた。
さっきから恐怖に勝てず、全身が震えている。
木の箱を頭に取り付けられて暴行を受けていたときだって、これほどの寒気は感じなかったのに。
「水澄は、私の妹はさっきあなたの話しに出てきた昂輝くんと付き合っていました」


ドクンッ。
由佳の心臓が大きく脈打つ。
そのまま止まってしまうんじゃないかと思うほどの衝撃が走る。


「う……そ……」
喉がカラカラに乾いて声が張り付いた。
見開かれたままの目が乾燥して視界がボヤける。


それでも由佳はまばたきもできないままキツネ面を見上げていた。
「さっきもいいましたが、私の大切な人は死にました。水澄は……昂輝くんが事故死した一週間後に、自殺しています」


雷が落ちた。
ゴロゴロと稲光がして由佳の脳天に直接落雷する。


嘘だ。
そんなの嘘だ。
なにか言いたいのに声が出ない。