…小一時間ほど経った後。
椿姫お嬢様がお帰りになると言うので、寿々花さんと一緒に玄関先まで見送った。
意外と早かったな。
もう一、二時間ゆっくり話していけば良いものを。
折角会いに来たんだから。
まだまだ積もる話もあるだろうに。…俺の悪口とか?
「もう良いんですか?折角姉妹二人きりで…」
と、俺は言ったのだが。
「えぇ。名残惜しいのだけど…残念ながら、あまりゆっくりも出来ないの。実家にも顔を出さないといけないし」
実家…と言えば、無月院本家のことか。
そうだな。…寿々花さんと違って、椿姫お嬢様は…。
「また会いに来るわ。元気でね、寿々花」
「うん。ばいばーい」
非常に軽いノリの挨拶である。
もっとないのか。あんたは。言うべきことが他に。
「それから、星見悠理さん。あなたも」
「は、はいっ?」
いきなり俺に話を振られて、びっくりした。
「ちょっと変わった子だけど、妹のことをくれぐれも宜しくね」
「は…はい…」
ちょっと…どころじゃない気もするが。
宜しくされてしまったから、宜しく面倒見るよ。
「…あぁ、そうだ。忘れるところだった…。お土産を持ってきてたのよ。ほら」
と言って、椿姫お嬢様はフランス土産の入った紙袋を、寿々花さんに手渡した。
「二人で食べて。フランスの有名なお店のマカロンと紅茶よ」
へー。お洒落。
そういや、円城寺もイギリス土産に紅茶を買ってきたよな…。
金持ちのお坊ちゃんお嬢さんは、お土産に紅茶を買うのがデフォなのだろうか。
それなのに俺と来たら、市販のティーバッグどころか、手作りのスイカジュースでおもてなしをしてしまった。
うーん。我ながらダサい。
「わーい、ありがとうお姉様。冷蔵庫に入れてこよーっと」
お土産の紙袋を受け取って、キッチンに戻っていく寿々花さん。
おいおい。見送りはどうしたよ、見送りは。
「…星見悠理さん」
「は、はい?」
突然椿姫お嬢様に名前を呼ばれて、ビクッとした。
さっきから俺、挙動不審過ぎるだろ。
これまで、ろくに身分の高い人と接してこなかったツケが…。
何だ。何を言われるんだ?
「うちの妹に、貧乏臭い生活をさせないでちょうだい」とか言って怒られるのだろうか。
それは素直に申し訳ない。
如何せん俺が貧乏性なものだから、ついこういう生活スタイルに…。
しかし、椿姫お嬢様は俺を責めようとしているのではなかった。
むしろ…。
「ありがとうね。いつも妹と仲良くしてくれて」
まるで、娘の友達に挨拶するかのよう。
「あなたと一緒に暮らすようになってから、あの子、いつもあなたの話ばかりして…。さっきも、ずっとあなたのことを話してたのよ」
…マジっすか?
俺の悪口で盛り上がってんのかなと邪推していたら、まさか本当にそうだったとは。
…いや、悪口かどうかは分からないけどさ。
「あなたと一緒に暮らすのが、楽しくて仕方ないんでしょうね」
「そ…そう、ですか」
俺…何も特別なことはしてないつもりなんだけど。
そう褒められると、むず痒いって言うか…。
別に大したことしてないのに、そんなに褒められて良いんだろうかって思う。
…どうやら椿姫お嬢様は、円城寺と違って。
身分違いの俺を、馬鹿にしたり見下したりはしないようだ。
少なくとも、そういう態度を表には出さない。
さすがの懐の深さと言ったところか。
「妹を笑顔にしてくれて、本当にありがとう。これからも一緒にいてあげてちょうだいね」
「は、はい…」
「…それにしても、妹があんまり褒めるから、私も気になってきたわ。あなたと一緒に暮らすの、きっととても楽しいんでしょうね」
うふふ、とばかりに微笑んで言う椿姫お嬢様。
…え?冗談だよな?
何かのフラグとかじゃないよな?
俺は椿姫お嬢様と一緒に暮らすのは御免だぞ。
椿姫お嬢様が嫌いって訳じゃない。
こんな身分の高い人と一緒に暮らしたら、四六時中気を遣わなきゃならないじゃないか。
…え?寿々花さんには気を遣わないで良いのかって?
寿々花さんは、まぁ…なんだ、もう慣れた。
今なら、寿々花さんが横に座ってても気にせず、コーラ飲みながら雑誌を読める。…くらいには、気を許している。
そういう意味では、お互い様ってことなのかもしれないな。
「あぁ、そうだ。これ、私の連絡先よ。一応渡しておくわね」
と言って、椿姫お嬢様は電話番号とメールアドレスが書かれた、名刺みたいなカードを手渡した。
椿姫お嬢様の連絡先だと?
こんなもの、俺がもらうのはあまりに畏れ多いのだが?
しかし、「要りません」と突き返すことも出来ず。
そんなことしたら、余計失礼だろ。
「ど、どうも…」
「何かあったら連絡してちょうだいね。向こうは時差があるから、返事が遅れるかもしれないけど」
…フランスって、時差何時間なんだ?
心配しなくても、俺が椿姫お嬢様に連絡することなんかないって。
…多分。
「それじゃあ、またね。妹をお願いね」
「は、はい…。えぇと、見送りを…」
「ここで良いわ。ありがとう」
…本当に良いのか?こんな玄関先で。
椿姫お嬢様は、にこやかに手を振って帰っていった。
…やれやれ。
…何だか今日は、妙に長い一日だった気がするよ。
明日こそは、インターホンが鳴っても全部無視しよう。
椿姫お嬢様を見送って、リビングに戻ると。
「悠理君、悠理君。お土産食べよー」
早速寿々花お嬢さんが、もらったばかりのフランス土産を開けようとしていた。
マカロンと…紅茶だっけ?
「良いけど…。ちょっと待ってくれ。準備するから」
「うん、分かったー」
…。
…いつも通り、けろっとしてんな。寿々花さん。
ついさっきまで、実の姉に会っていたというのに…。
「なぁ、寿々花さん」
「なーに?」
「良かったな。久々に姉さんに会えて。楽しかったか?」
そう尋ねると、寿々花さんはきょとんとして。
「…どうだろう?うーん。でも確かに、会うの久し振りだったなー。いつものお姉様だった」
…意外と淡白な返事だな。
椿姫お嬢様の方は、寿々花さんに会えて嬉しそうだったが…。
「椿姫お姉様は変わってなかったけど、私は変わったねって、何度も言われた」
「そうか」
「それはきっと悠理君のお陰だね。私、悠理君のこと大好きだから、一緒にいるだけで元気になるんだって言った」
へぇー。
やっぱり、案の定話を盛ってた訳だな?
あんたは、何でも大袈裟に言い過ぎなんだよ。
椿姫お嬢様にまで誤解されたらどうするんだ?
「…ちなみに、他にどんな話してたんだ?」
聞くまいと思ってたけど、やっぱり気になる。
俺の悪口で盛り上がってたのか?
「どんな…?うーん。誕生日の時のこと聞かれたから、悠理君とハムスターランドに行って楽しかったよ、とか。ピザが美味しかったとか、ジェットコースターで悠理君が腰を抜かしてたとか…」
そういう余計なことは言わなくて良いんだよ。
「悠理君がオムライスに旗を立ててくれたんだよ、とか。一緒に水族館に行ったんだよ、とか」
オムライスに国旗…はともかく。
水族館は…まさか深海魚水族館だとは、椿姫お嬢様も思ってなかっただろうな。
「最近は、一緒にお化け屋敷に行ったって言った。悠理君が喉ガラガラになるまで叫んでたんだよって」
だから、余計なことまで言わなくて良いんだって。
俺、多分椿姫お嬢様に、すげービビリだと思われてるだろうなぁ…。
「あと、皆で一緒にたこ焼きパーティーもしたんだよって」
あぁ。ごく最近の出来事だな。
「とにかく毎日楽しいんだって言った。悠理君のお陰だね」
「そうか…」
…悪口で盛り上がってた…ってことはなさそうだな。良かった。
逆に、褒めちぎられてむず痒いんだが。
果たして椿姫お嬢様は、妹の新たな婚約者と初めて会って、どのような感想を抱いたのやら…。
椿姫お嬢様はにこやかに微笑んでいるだけで、その笑顔の裏にある真意のほどは分からない。
でも、少しでも良い印象を与えられた…と思いたい。
…って、何考えてるんだか。俺は。
これじゃ、姑に認めてもらおうとしてる若い新妻みたいじゃないか。
認められようと認められまいと、婚約を決めたのは無月院本家のご当主様。
椿姫お嬢様と寿々花さんのお祖父さんなんだから。
俺にも寿々花さんにも、口を挟む権利はないっての。
「また会いに来るって言ってたよ。日本に帰ってきたら」
「あぁ…言ってたな」
いつになることやら。
円城寺は二度と来なくて良いけど、椿姫お嬢様ならいつでもウェルカム。
「それまでに、またたくさん思い出話を作っておかなきゃ」
思い出…ねぇ。
果たして、次に椿姫お嬢様が日本に帰ってきて、寿々花さんに会うまでに。
一体どんな思い出が、新たに作られるのとになるのだろうか。
いやはや、俺には想像も出来ないな。
「マカロン食べよー、悠理君。マカロン」
「はいはい」
寿々花さんに、お土産のマカロンを勧められた。
結構お高いお菓子だよな。マカロンって。一つ何百円?
しかも、本場フランスのマカロンなんて、一生に一度食べられるかどうか。
人生で初めて食べたフランス土産のマカロンは、それはもうびっくりするくらい美味しかった。
椿姫お嬢様、御馳走様。
椿姫お嬢様が訪ねてきた翌日。
夏休み最終日は、前日とは打って変わって、家の中で静かに過ごした。
誰も訪ねてこなかったしな。
明日から学校が始まるから、身体を慣らす為に、机に向かって自主勉強に勤しんだよ。
そうしてたら、後に雛堂からメールが一通届いた。
大した内容じゃなかったよ。
『宿題が終わりません(*´ω`*)』って。たった一文だけのメール。
知るかよ、って思った。
そんなほっこり笑顔の顔文字使ってメール送る暇があったら、少しでも宿題を進めろっての。
最終日まで、宿題を後回しにしていたツケが回ってきたということだな。
アホな雛堂には、充分反省してもらうとして。
こうして、長かった夏休みが終わり。
翌日から、いよいよ新学期を迎えた。
9月の最初の日、俺達の学生生活が再び幕を開けた訳だが。
…幸先の悪いことを言って良いか?
ぶっちゃけ、今すぐ帰りたい。
新学期始まったばかりなのに情けない、と思っただろう?
俺だってそう思うよ。
まだ夏休み気分が抜けてないのか、と言われたら確かにそうかもしれない。
でも、俺が「帰りたい」って思うのは、俺が怠けてるからじゃないぞ。
もっと別の、環境的な理由がある。
…と、言うのも。
「暑い。あっづい!何だよここは。灼熱地獄か…!?」
「…言うな、雛堂」
言ったら、余計暑くなるだろ。
何も言うな。
「だらしないですね、この程度で音を上げるとは。全くこれだから人間は…」
やれやれ、と両手を上げて呆れる乙無。
あんたも何も言うな。
そして、俺の前に立つんじゃねぇ。
二学期始まったっていうのに、あんたは何でまだ長袖シャツなんだよ。
目の前でそんな暑苦しい格好を見せられたら、見てるだけで体感温度が上がる。
暑い。ただもう、ひたすらに暑い。
俺達だけじゃなくて、クラスメイト皆がそう思っている。
口々に聞こえてくるもん。
「暑い」、「死にそう」、「熱中症になる」って。
分かるよ、その気持ち。
朝から雲一つないカンカン照りで、アスファルトに反射した強い日差しが、ジリジリと肌に焼け付くようだ。
何もせずにじっとしているだけでも、全身がじっとりと汗ばんでくる。
…あっつい。マジで死にそう。
大袈裟だ、って思うか?
だったら、ここに来てみろよ。
死ぬほど暑いからさ。マジで、命の危険を感じるくらい暑いから。
何せ、この教室。…と言うか、この校舎。
「今時、エアコンもない学校なんて有り得るかよ…!?ここ、本当に現代日本か…!?」
…雛堂、言うなって。
言ったら余計惨めになるだろ。
聖青薔薇学園男子部に入学して、はや半年。
女子部との圧倒的な格差に、男女差別だと腹を立てたことは何度もあるが。
今回は、その中でも特別際立ってるな。
まさか、教室の中でエアコンが使えないなんて。
有り得ねぇだろ。新校舎では廊下の隅々までエアコンが利いているというのに。
旧校舎には、教室にさえエアコンがない。
旧校舎の冷房設備と言ったら、精々申し訳程度に、ちっこい扇風機が備わってるだけ。
しかもその扇風機、三年生の教室にしかないんだってさ。
俺達一年生と二年生の教室にはない。
従って俺達は、窓を全開に開いて、外から吹き込んでくる風で暑さを凌ぐしかなかった。
…無風だけどな。今。
そりゃ暑くて死にそうにもなるだろ。当たり前だ。
昨日まで家の中で、エアコンをつけて快適に過ごしていただけに。
突然の灼熱地獄が、余計身に堪える。
砂漠にでも連れてこられた気分だよ。暑くて死にそう。
何より、腹が立つのは。
「自分らがこんな暑い思いしてるっていうのに、職員室と校長室はしっかり冷暖房完備してるそうじゃねぇか。ズルくね?」
「…言うな…」
俺達が暑さで死にそうになっている今も。
職員室と校長室だけは、ちゃんとエアコンついてるらしいぞ。
どう思う?これ。
同じ旧校舎にいるんだから。先生達も生徒達と同じ思いを共有しろよ。
先生達は職員室に帰れば涼しいもんだから、生徒がいくら「暑い」と訴えても、大袈裟だとか、そのくらい我慢しろ、だとか。
まるで、生徒が聞き分けのない我儘を言っているかのように、軽くあしらわれてしまう。
我儘じゃねぇよ。アホか。
この灼熱地獄の教室の中で、一日俺達と一緒に過ごしてみろよ。
嫌と言うほど分かるだろうさ。
「いっそ、反乱起こすか?学年中、いや、学校中の生徒を組織して、一斉蜂起しようぜ。革命だ。世界変革の前夜だ!」
と、何やら意味不明なことを口にする雛堂。
暑さで頭おかしくなってんだよ、雛堂も。
気持ちは分かる。俺だって暑さのあまり、いっそ本気で職員室占拠しようかと考えてるくらいだもん。
やろうぜ、マジで。皆で反乱起こそう。
皆が力を合わせれば、勝てるんじゃね?
何なら俺が革命軍のリーダーやっても良いよ。
なんて真面目に考えてるくらいだから、暑さは人に理性を失わせる力がある。
「…エアコンそのものは備わってるんですけどね」
理性を失う俺達を見て、乙無がそう呟いた。
…そうなんだよ。だから、余計腹が立つの。
俺達の視線の先には、教室に天井にへばりつくようにして設置されたエアコン。
あるにはあるんだよ、エアコン。ちゃんとさ。
だから俺達も、一学期の時点では、こんなに暑い思いをさせられるとは思ってなかった。
ちゃんと各教室にエアコンが備わってるんだから、夏になったらこれが動くものと思っていた。
普通思うだろ?エアコンそのものは設置されてるんだから。
まさか、これがただの壊れた骨董品だとは、誰も思わないだろ?
そう、壊れてるんだよこれ。
まんまと騙された。一学期の俺達。
あまりの暑さに、クラス委員が「エアコンは何度になったらつけるんですか?」と担任教師に尋ねたところ。
「この校舎は古いので、職員室と校長室以外のエアコンは故障していて動きません」と無情に言われたときの、俺達の気持ちよ。
思わず皆、時が止まったようにポカンとしてしまった。
…壊れたんなら、修理くらいしろって。
新校舎の女子生徒を、入学オリエンテーションで京都旅行に連れて行く金があるんだったら。
遠足で豪華客船日帰りクルーズに行く金があるんだったら。
旧校舎のエアコンの修理費くらい、ポンと出せるだろうが。
ちゃっかり、職員室と校長室のエアコンだけはさっさと直してる癖して。
これが、故障したのが新校舎のエアコンだったら、すぐさま修理を呼ぶ癖して。
野郎共は、多少暑くても我慢しろ、ってか?
やっぱり、職員室じゃなくて、新校舎に攻め入らないか?
金持ちのお嬢様方にも、エアコンのない灼熱の教室がどんなものか、身を以て体験してもらおうぜ。
…などと、愚痴ってみても何も始まらなかった。
暑さのせいで、気分が荒みそう。
一日中旧校舎の、灼熱地獄の教室で過ごし。
一刻も早く家に帰って、思う存分エアコンのもとでアイスコーヒーを飲みたいと思っていたのに。
残念ながら、今日は真っ直ぐ帰宅出来ない。
不幸なことに、今日は水曜日。
そう、新校舎の中庭で、園芸委員のお仕事をしなければならない日である。
畜生。こんな日に限って。
しかも、悔しいことに。
旧校舎では、廊下でも教室でも階段でも、とにかく職員室と校長室以外、死にそうなほど暑いっていうのに。
新校舎に一歩足を踏み入れた途端、早速、涼しい冷気を感じた。
「生き返る」っていうのは、こういう瞬間のことを言うんだろうな。
旧校舎に比べたら、ここは別世界だよ。
涼しっ…!玄関に入っただけでこれだよ。
ここの冷気、ちょっと旧校舎に持って帰って良いか?
本気でそう思うくらい、旧校舎と新校舎の格差は凄まじかった。
おまけに、中庭。
中庭なら外だから、新校舎と言えども暑いだろうと思っていたら。
中庭にもつるバラのテラス屋根がついていて、日差しが遮られており。
意外と、思ったよりは涼しい。
中庭でさえ、旧校舎の教室より涼しいとは。
あまりの格差に、何だか呆れと怒りを通り越して、悲しみさえ感じてきた。
おまけに。
「ごきげんよう、悠理さん」
「…どうも…」
こんな真夏の暑さの中、エアコンという文明の利器に手厚く守られ。
その珠のような肌に、汗のひと粒も浮かんでいない小花衣先輩の姿を見ると。
俺達が感じている苦しみって、一体何なんだろうと思わされるよな。
「二学期も宜しくね。お花の世話、一緒に頑張りましょう」
「…はい…」
「…あら?悠理さん、何だかお疲れのようだけど…大丈夫かしら?」
大丈夫じゃないです。
暑いんだよ。一日中、暑くて死にそうだったの。
「夏バテ?それとも、夏休みにお出掛けして疲れたのかしら」
「いや、その…そんなことは…」
「そうだ、お出掛けと言えば…。これ、夏休みに海外旅行に行ったお土産よ」
相変わらずの、にこやかな微笑みを浮かべて。
小花衣先輩は、海外旅行のお土産を差し出してきた。
あぁ…そういや、旅行行くって言ってたっけ…。
新校舎の生徒は、夏休みは基本、旅行や留学に行くのが普通らしい。
うちの寿々花お嬢さんくらいだよ。夏休みに、近所のデパートのお化け屋敷に出掛けてるのは。
「どうも…ありがとうございます」
「いいえ、気にしないで。とっても楽しい旅行だったから、幸せのお裾分けよ」
…なんか、この夏だけで色んな人に外国のお土産をもらった気がするな。
円城寺から始まり、椿姫お嬢様と…今、こうして小花衣先輩からももらった。
そういや寿々花さんも、遠足のお土産に外国のインスタントラーメンを買ってきてたしな。
金持ちってのは、外国産のお土産を買うのが好きなのかもしれない。
「さて、それじゃ今日も元気に、お花のお世話をしましょうか。まずは水やりから」
「はい…」
小花衣先輩に促され、俺はホースの蛇口を捻った。
…早いところ済ませて早く帰って、そして早く思いっきり涼もう。
園芸委員の仕事を無事に終え、帰宅後。
「はぁ〜っ…。死ぬかと思った…」
生き返るよ、マジで。
本当。死にかけていたところに、ようやく一条の光が差し込んだ気分。
大袈裟じゃないぞ。真剣にそう思ってるから。
リビングの冷房の温度を思いっきり下げ、大きなグラスにたっぷり氷を入れ。
冷蔵庫でキンキンに冷やしたアイスコーヒーを、グラスいっぱいに注ぐ。
ついでに、冷凍庫から買い置きの棒アイスを取り出す。
マジで、もうね。今日口に入れたものの中で一番、断トツぶっちぎりで一番美味いわ。
暑く、渇いた身体に染み渡る。
思いっきり涼んで、文明の利器エアコンを満喫していると。
「あ、悠理君お帰り…」
「おぉ、寿々花さん…。ただいま」
俺が帰ってきた音を聞きつけたらしく、リビングに寿々花さんがやって来た。
そして、リビングをきょろきょろと見渡して、一言。
「…何だか、この部屋寒い」
…あ、ごめん…。
「さっき冷房の温度、めちゃくちゃ下げたんだよ…。死ぬほど暑かったもんだから」
俺は丁度良いけど、ずっと冷房の中にいた寿々花さんにとっては、寒いかも。
「冷たいもの食べ過ぎじゃない?」
片手に氷たっぷりのアイスコーヒー、もう片方の手に棒アイスを握った俺を見て、寿々花さんがそう言った。
…つい。暑かったもんだから。
「マジで暑かったんだよ…。旧校舎の教室、灼熱地獄だからな。エアコン壊れてて」
新校舎にいる寿々花さんにとっては、全然関係のない話かもしれないけど。
旧校舎の生徒は、一日死にそうな目に遭ってたんだぜ。それを忘れないでくれ。
「ちなみに、今晩のメニューは冷やし中華だからな」
「わー。冷たいものばっかりだ。悠理君、本当に暑かったんだね」
暑いよ。
あんまり暑いから、つい冷たいものが食べたくなってさ。
良くないなぁとは思いつつも、どうしても身体が冷たいものを欲してしまう。
…思えば、こういうことの積み重ねが良くなかったのだろう。