「良いじゃん、時代はシンプルイズベストだぜ」
「オムレツみたいなものですよね。シンプルだからこそ難しい、みたいな」
それな。
寿々花さんが好物だから、俺もよくオムレツ作るけどさ。
今でも、四〜五回に一回くらいは失敗するもん。
ちょっと焦げたり、隅っこの方が破れたりな。
シンプルだからこその難しさ、ってあるよな。
ましてやそのチョコ、作るのが難しい、なんてレベルじゃなかったからな。
シンプルで飾り気のない見た目だが、その実、恐らく他のどんなチョコレート菓子よりも手間がかかってる。
筋肉痛、2日経った今でも残ってるからな。
昨日よりはだいぶマシになったけど。
寿々花さんが、「痛いの痛いの飛んでけー」してくれたお陰だな。
「いただきまーす」
と言って、雛堂はひょいっ、とチョコレートを口に入れた。
「それじゃ、いただきますね」
続いて乙無も、チョコを実食。
…さぁ、どうだ。
何だか緊張する。自分の作った作文を、目の前で読まれているような気分。
すると。
「おぉ…?おぉ?何だこれ?なんかすげぇ」
雛堂はきょとんとして、奇怪な声を出して言った。
「こんなチョコ初めて食った。何だ?これ。悠理兄さんこれ、何入れたの?」
「特別なものは、何も入れてないよ」
余計なものは一切入っていない。
マジで、最低限の塩コショウだけして作った玉子焼きみたいなものだから。
シンプルイズベスト。
「なんか、こう、チョコ!!って感じ。分かる?」
台詞だけ聞いたら、この雛堂って奴は何を意味分かんない言ってんだ、と思うかもしれないが。
同じチョコを昨日試食した俺には、雛堂の言いたいことがよく分かる。
そう。まさに「チョコ!!」って感じなんだよ。
それ以外に言葉で表現出来ない。
「ふむ…。口の中いっぱいにカカオ豆の芳ばしい、芳醇な匂いがしますね。苦味の中にほのかな甘みが感じられて、典型的な大人のチョコと言ったところでしょうか」
語彙力の貧弱な俺と雛堂に対し。
インテリ中二病乙無は、丁寧な食レポを披露してくれた。
「非常に純度の濃い、濃厚なカカオの味ですね。口当たりも滑らかで、鼻に抜ける香りに高級感があります。市販のチョコレートとは、まるで別物ですね」
その通りだ。良いとこ突いてくるじゃないか、乙無。
実際それ、市販のチョコレートとは全くの別物だからな。
「ただ…好みは分かれるかもしれませんね。チョコの味がとても濃いので」
「そうだな。それは認めるよ」
市販の板チョコを食べつけている人にとっては、ハードルが高い味かもしれない。
こんなのチョコレートじゃない、と思われても無理もない。
その気持ちは分かる。俺も、昨日試食した時に思ったから。
なんかさ、高級過ぎる料理や食材って、食べつけてる人にとっては美味しいんだろうけど。
食べつけてない人にとっては、いまいち舌に馴染まないことってない?
このチョコレートって、まさにそんな感じなんだよな。
「めっちゃチョコ!すげーチョコ!なんか癖になるわ」
「僕は好きですよ、これ。こんなに高級感があるチョコレートは初めてです」
幸い、雛堂と乙無の口に合ったようだ。
良かった。その言葉がお世辞じゃないことを祈るよ。
「マズっ!何これ食べられない」なんて言われようものなら、もうすりこぎで顔面(ry。
二人にチョコレートを試食してもらった段階で。
俺は、そのチョコが実は、カカオ豆から作ったのだと説明した。
これには、雛堂もびっくり。
「マジかよ。道理で普通のチョコの味じゃないと思った!何処で買ってきたのかと思ってたら…」
まさか、カカオ豆から自分で作っていたとは。
我ながらよくやったと思うよ。俺も、寿々花さんもな。
「自分、手作りチョコが食べたいとは言ったけど、そこまでしてくれとは言ってねぇぞ」
雛堂は驚きを通り越して、申し訳無さそうにそう言った。
「分かってるよ…。俺の発案じゃなくて、言い出しっぺは寿々花さんだ」
「カカオ豆の状態から、どうやって作ったんですか?レシピがあったんですか」
と、尋ねる乙無。
「本だよ。寿々花さんが持ってた本」
『猿でも分かる!チョコレートの作り方』って本。
あれは眺めて楽しむ本であって、実践するものではない。
「さぞ大変だったでしょうね。僕はやったことないですけど、素人が手を出してはいけないと聞いたことがあります」
「あぁ…。本当に…言葉に言い尽くせない苦労があったよ」
分かってくれてありがとうな、乙無。
そのチョコが、俺と寿々花さんの汗と涙の結晶なのだということを、理解した上で食べてくれ。
そうしてもらえたら、俺達の苦労も報われるというものだ。
「すげーな。人生で初めてもらった手作りチョコが、まさかカカオ豆から作ったチョコとは。人生でこんな経験することってある?」
「生きていれば、どんな経験でもありますよ。…そう、世界が暗黒に包まれ、邪神イングレア様が支配する、真なる平等な世界に、」
「ってか、悠理兄さん。カカオ豆って何処に売ってんの?自分見たことないんだけど」
「ちょっと。話聞いてくださいよ」
はいはい、後でな。
乙無を華麗にスルーして、雛堂が聞いてきた。
俺も最初に、あの段ボール箱の中のカカオ豆を見て、同じ疑問を抱いたよ。
「寿々花さんが通販で買ったんだって。外国から輸入して売ってるサイトがあるらしい」
「へぇ〜。すげーな」
だろ?
変なところで行動力あるんだよな。あの人…。
すると、雛堂がこう聞いてきた。
「一体いくらしたんだろうな?カカオ豆の値段なんて分かんねぇけど、海外から輸入して販売してるなら、きっと高くついただろうに」
…。
…確かに。
考えたことなかったけど、言われてみればそうだな。
あのカカオ豆、一体いくらで購入したんだろう…。
「安くはないと思いますよ。当然」
と、乙無。
「だよな。…まぁ、でも寿々花さんは金持ちだから、数千円くらいなら…」
「何言ってるんですか、悠理さん」
え?
「単位、間違ってますよ。数千円ではなく、数万円です」
えっ。
今になってようやく明かされる、衝撃の新事実。
俺達が食べているこのチョコ、そんな高級品なの?
「冗談だろ?いくら輸入販売でも、個人での購入だぞ?さすがにそこまでは…」
「所謂『チョコレート手作りキット』みたいな商品で使われている、一般的なカカオ豆とは全く別物だと思いますよ」
…そうなの?
ちょっと食べただけで、そんなことまで分かんの?
「何グラム購入したのかは分かりませんが…。もしかしたら、数万円でも安いかもしれませんね」
「ま、マジかよ…。あれがそんなに高級品だったとは…」
寿々花さんあんた、いくら金持ちだからって。
カカオ豆の為に、ウン万円単位のお金をポンと出すとは。
経済観念が狂ってるぞ。
「ってことは、このチョコ、色んな意味で超高級チョコなんだな…。味わって食べよう」
「あぁ…そうしてくれ」
こんな「高級」なチョコレートは多分、もう人生で二度と食べられないと思うぞ。
帰宅してから、寿々花さんを問い詰めた。
「つかぬことを聞くけど、あのカカオ豆って、いくらしたの?」
「ふぇ?●万円くらいかなー」
あまりにもさらっと答えられて、俺はその場に卒倒するところだった。
やっぱり経済観念がおかしい。
「そ、そんな高い買い物を…さらっと…もうちょっと躊躇えよ」
「悠理君と一緒に、楽しくチョコ作り出来たんだよ?そう思ったら安い買い物だよ」
何処がだよ。たけーわ。
貧乏性の俺にとっては、清水の舞台から飛び降りるも同然の、お高い買い物である。
「…あのな、寿々花さん一緒に何かやって楽しみたいだけなら、いくらでも何でも付き合ってやるから」
「ふぇ?」
ふぇ、じゃなくてさ。
「そんな高い買い物しなくて良いんだよ」
この際、おままごとでもお絵描きでも付き合ってやるよ。
何なら、一緒にホラー映画鑑賞会でも構わないぞ。
カカオ豆(ウン万円)からチョコレートを作る作業に比べたら、楽なもんだ。
「…本当に?付き合ってくれる?何処でも?」
「あぁ。良いよ」
南極!とかアメリカ!とか言い出さなかったら何処でも良い。
そして寿々花さんの「我儘」は、いつでも我儘の範疇に入らないのである。
「作るのは大変だったけど、めちゃくちゃ大変だったけど、でも結果的に高級チョコを食べさせてもらったからな。そのお礼も兼ねて…」
「じゃあね、えーっと…。実は前から行ってみたいところがあったんだ」
ほう?何処だよ。
無月院家のお嬢様の「行ってみたいところ」。
さぞや珍しい秘境の地、
「何処だ?行ってみたいところって」
「えっとね、げーむせんたー、ってところ」
…な?言っただろ?
我儘の範疇に入らないって。
…えーと、一応確認しておきたいんだけど。
「寿々花さんが行きたいって言ってるゲームセンターって…。俺の知ってる普通のゲーセンのことだよな?」
「そうなのかな?私、行ったことないから分かんない」
あ、そうか…。
俺の知ってるゲーセンと寿々花さんが行きたがってるゲーセンは、果たして同じものなのだろうか。
…ゲーム機やソフトを売ってるゲーム屋のことじゃないよな?
クレーンゲームとか、メダルゲームとかが出来る、あのゲーセンのことだよな。
「悠理君、ゲームセンター知ってる?行ったことある?」
「まぁ…何度かな。俺もそう度々通ってた訳じゃないけど…」
中学の頃、放課後に友達と付き合ってゲーセンに立ち寄ったことがある。
が、そんなに頻繁に通っていた訳じゃない。
如何せん、放課後にゲーセンに立ち寄るのは校則違反だったもんで。
学校にバレたら厄介なことになるから、敢えてリスクを犯す気にはなれなかった。
「良いなぁ。色んなゲームがあって、楽しいところなんでしょ?」
うきうき、と好奇心いっぱいの表情で聞いてきた。
…期待してるところ悪いけど。
「どうかな…。寿々花さんのお眼鏡に適うかどうかは…」
遊園地とは訳が違うからな。
あ、でも寿々花さんって、めっちゃくちゃゲーム上手いから。
案外、ゲーセンはハマるのかもしれない。
「…やっぱり駄目かな?我儘かな?」
俺が煮え切らない返事をするせいか、表情を曇らせる寿々花さん。
まさか。
「我儘じゃねぇよ。分かった、今度…週末にでも、一緒に行こう」
「わーい、やったー。悠理君とお出かけ。楽しみだな〜」
両手を上げて、大袈裟に万歳して喜んでいらっしゃる。
高校2年生にもなって、ゲーセン初体験とは。
…さて、そうと決まれば。
この辺の近くにあるゲーセン、調べておかないとな。
さて、週末にゲームセンターに遊びに行くことが決まったが。
その前に、バレンタインデー当日の話をしておかなければならない。
俺は14日のバレンタインデー当日を待たずに、週明けの月曜日にチョコを渡したが…。
「はよーっす、悠理兄さん。チョコ持ってけどろぼー!」
「…引ったくってんじゃねぇんだから、泥棒じゃないだろ」
それが人にチョコを渡す態度か?なぁ。
バレンタイン当日の朝、登校してくるなり。
雛堂から、友チョコをもらった。
「はいよ、これ。持ってけ」
「お、おぉ…?何だ、これ?」
紙袋に入ったバレンタインチョコをもらったんだが、手渡されてみると予想以上ズシッ、と重くてびっくりした。
チョコって、もっと軽いもんじゃねーの?
「なんか重いんだけど…。何入ってんの?」
「無月院の姉さんと二人分だからな。二人で仲良く分けてくれ」
あぁ成程、寿々花さんにも。
…二人分だとしても、なんか重くね?
「…見て良い?中…」
「おぉ、良いぞ。と言っても、悠理兄さんのチョコと違って全然珍しいものではないけどな」
とのこと。
紙袋をそっと覗いてみたところ、入っていたのは。
小ぶりのボウルくらいの大きさの紙箱に、大量に詰まった…。
…チロルチョコ。
「バケツプリンならぬ、バケツチロルチョコ!どうよ?」
これには、雛堂もドヤ顔である。
成程、そう来たか。
確かに珍しいものではないが、安定と信頼の美味しさが保証されている。
少なくとも、俺のリスキーな「手作りチョコ」に比べると、全くリスクはない。
いつ食べても、どれを食べても美味しい。
ちなみに、俺が一番好きなチロルチョコはビスケットである。
基本、どれも好きだけどな。
「自分、小さい時兄弟でお菓子を分け合うのが不満でさー。ポテチを一袋まるまる一人で食べるのと、バケツいっぱいのチロルチョコを独り占めするのが夢だったんだよねー」
「良かったな。今はその夢が叶ったのか」
「そうそう。中学生になって小遣いアップして、初めて夢が叶ったよ」
なんか分かる気がするなぁ。
たかがチロルチョコ、と笑うなかれ。
雛堂のそういう、飾らない、ささやかな「夢」には好感が持てる。
俺だってカニカマ食べながら、「いつか本物のカニ食べたいなぁ」って夢を見てたからさ。
雛堂の気持ちは分かるよ。
「まー、何万円もするカカオ豆から作ったチョコに比べたら、全然釣り合わないけどさ」
「そんなことはねぇよ、別に」
値段の問題じゃなくて。
何も俺は、見返りを求めてチョコを作った訳じゃないから。
そんなの気にする必要はない。
「充分嬉しいよ。ありがとう」
「マジかよ。悠理兄さん、超イケメン。女だったら絶対コクってたわ」
それは残念だったな。
生憎、俺が女だったとしたら、そもそも出会えてないと思うぞ。
ここ、実質男子校だからな。
アホなこと言ってないで、現実を見ようぜ。現実をな。
すると、そこに。
「おはようございます」
「おっ、真珠兄さんも来たな」
乙無が登校してきた。
おはよう。
「はい、こっちが真珠兄さんの分ね」
雛堂は、乙無にもバケツチロルチョコをプレゼント。
「早速、バレンタインチョコですか」
「あたぼうよ」
「やれやれ。頭の中お花畑の浮かれた人間が多いこと」
悪かったな。頭の中お花畑で。
クリスマスの時も似たようなこと言ってたな。
「そんなこと言って。甘党の真珠兄さんは、チョコもらったら嬉しいだろ」
「ふっ。邪神の眷属たる僕の喜びは、罪の器が満たし、邪神イングレア様に捧げることだけです」
「ほーん。で、真珠兄さんが今片手に持ってるその袋は何?」
目ざとい雛堂は、乙無が提げているビニール袋を指差した。
「あ、はい。これ、悠理さんと大也さんに、バレンタインの贈り物です」
と言って、俺と雛堂に、それぞれビニール袋を手渡してきた。
しっかりあんたも頭の中お花畑じゃねーかよ。
どの口で言ってんの?
すると乙無は、そんな俺の心の声が聞こえたかのように、顔をしかめてこう言った。
「勘違いしないでください。僕は別にバレンタインなんて世俗的なイベントには興味ありませんが、もらいっぱなしも悪いと思って、仕方なく用立てただけで…」
「はいはい。ツンデレは間に合ってるよ」
男のツンデレとか。誰得だよ。
素直に「バレンタインチョコ用意しました」って言ってくれ。強がらなくて良いから。
「やったぜ!真珠兄さんはどんなチョコ?」
雛堂は早速、ビニール袋の中を覗いていた。
早い、早い。本人に断ってから開けろよ。
「チョコ言うか…。和菓子ですね。チョコ大福です」
ほう?
これはまた…方向性が俺とも雛堂とも違うな。
「これでも、色々考えたんですけどね。どうあっても、悠理さんの『手作りチョコ』に見合うお返しを用意するのは難しいので…。結局、自分の好きなお店で買ってきました」
とのこと。
「高級なだけのチョコならいくらでもありますけど、悠理さん達が払った労力はお金には変えられませんからね」
「別に、そんなこと気にしなくて良いよ」
わざわざ買いに行ってくれたってだけで、充分だ。
「寿々花さんの分も買ってあるので、一緒に食べてください」
それはどうも。
寿々花さんも喜ぶことだろう。大量のチロルチョコに、甘党の乙無がおすすめするチョコ大福。
いやぁ。バレンタイン満喫してんな。
…男同士で。
何だろう。嬉しいはずなのに、そこはかとない虚しさがある。
きっと気の所為だな。うん。
それなのに、雛堂が。
「はぁ。これが女子からのチョコだったらなぁ…。もっと嬉しかっただろうに」
おい、やめろって。
忘れようとしていた現実を、思い出させるんじゃない。
「男からだろうと女からだろうと、チョコはチョコでしょう。味は変わりませんよ」
「違うんだよ、真珠兄さん。あんたは分かってねぇ。分かってねぇよ」
「…何がですか」
ジトッ、と雛堂を睨む乙無。
雛堂の言いたいこと、分からなくはないぞ。
どうせもらうなら、異性からもらいたい。
健全な青少年なら、誰もが少なからずそう思うものだからな。
しかし、世の中には理想と現実というものがある。
届かないものに、手を伸ばすのはやめようぜ。疲れるだけだからな。
時には現実を受け止め、向き合うことが大切だ。
「諦めろ。俺達には、女子からのバレンタインチョコなんて夢のまた夢、」
と、言い掛けたその時だった。
「皆さん、ごきげんよう」
俺達の教室に、とある女子生徒が訪ねてきた。
この聞き覚えのある声。いかにもお嬢様然とした挨拶…。
「お、おい。女子部の生徒が来てるぞ…!」
「旧校舎まで、一体何の用だ?」
「ま、まさかバレンタインの…!」
一気にざわつき始める教室内。
俺も、思わず声のした方に振り返った。
そこにいたのは、予想した通りの人物。
「星見悠理さんはいらっしゃるかしら」
園芸委員の委員長、小花衣先輩であった。
わざわざ旧校舎までやって来て、俺を名指し。
そしてその手には、可愛らしい花柄の小さな紙袋が提げられていた。
う…嘘だろ?まさか。
「ご指名ですよ、悠理さん。行かないと」
呆然としている俺に、乙無が促した。
「…うっ…」
小花衣先輩が俺の名前を呼んだものだから、クラスメイト全員の視線がこちらを向いていた。
やめてくれよ。俺が何をしたっていうんだ。
疚しいことは何もしてないっての。
クラスメイトの視線が、グサグサと突き刺さる。
居留守を使う訳にも行かず、俺は立ち上がって小花衣先輩のもとに歩み寄った。
「ど、どうも…」
「あぁ、良かった。悠理さん。ごめんなさい、突然訪ねてきてしまって」
本当だよ。
せめてアポを取ってから…って、お互い連絡先知らないから無理だけど。
「え、えーっと。え、園芸委員の話ですか?」
俺はわざと声を大きくして、クラスメイトに聞こえるように言った。
疚しいことは何もないと伝える為である。
あくまでも、ほら。園芸委員の仕事で伝達事項があったから来ただけ、
「いいえ。今日は園芸委員の話じゃなくて…個人的なお話なの」
マジで?
ヤバいって。ますますクラスメイトからの視線が痛い。
「こ、個人的…?な、なら場所を変えましょうか。落ち着いて話せるところに、」
とにかく、クラスメイトの見ていないところに誘導しようと思ったが。
「いいえ、すぐに済むから。ここで大丈夫よ」
にこっと微笑む小花衣先輩。
あ…そうっすか…。
そこで、恐れていたことが起きた。
小花衣先輩は、手に持っていた花柄のラッピングバッグを差し出した。
「どうぞ、これ」
「ひっ…。な、何なんですか?」
思わず腰が引けそうになった。失礼。
だって仕方ないだろ。俺は生まれてこの方、母親以外の女性からバレンタインチョコなんて、
いや待て。チョコとは限らんぞ。
もしかしたら嫌がらせのつもりで、中身、石とか空き缶である可能性も。
「バレンタインのチョコよ。今日、バレンタインデーでしょう?」
小花衣先輩は、にっこりと優雅に微笑んだ。
…あ、やっぱりそうだったか…。
まぁ、それ以外にないよなぁ…。小花衣先輩が俺に嫌がらせする理由はないし…。
えー。悲報と朗報を同時に報告します。
朗報は、生まれて16年目にして、初めて女性からバレンタインチョコをもらいました。
これは大変嬉しいことである。
多分人生で二度目はないはずだが、一度でもチョコをもらったという事実だけで飯食っていける。
0と1には大きな差があると思うんだよ。
しかも。
「私の手作りなの。悠理さん、ガトーオペラはお好きかしら」
まさかの手作りチョコ。
小花衣先輩の手作りチョコなんて、あまりに畏れ多くて口に出来る気がしない。
しかも…ガトー…オペラだって?
何?それ。いかにも高級感溢れる名前だが。
そんなお菓子があるの?
ガトーショコラなら聞いたことあるけど。それとは別物?
で、悲報は何なのか、だって?
そんなの決まってるだろ。
その人生で最初で最後の手作りチョコを、あろうことか、クラスメイトの目の前で渡されたことだよ。
クラスメイト達の視線が、俺にこう言っていた。
「この裏切り者」と。
違うんだよ、これは。俺にそんなつもりはないし、ましてや小花衣先輩にもそんなつもりは全く…。
「そ…そんな。畏れ多くて、受け取れませんよ…」
クラスメイトの視線が痛くて、俺はチョコを固辞しようとしたが。
「良いのよ、気にしないで」
俺がクラスメイトに睨まれているなど、露ほども気づいていない小花衣先輩は。
相変わらず、にっこりと微笑んでこう言った。
「それに、悠理さんにはいつも本当にお世話になってるから。少しでもそのお礼がしたいの」
「あ…えぇと、そ、そうですか…。こちらこそ…」
「悠理さんの為に、と思って作ったのだから、受け取ってもらわないと困るわ。お口に合うと良いのだけど」
「だ、大丈夫です…」
お口に合うかどうかなんて関係ない。
「あの」小花衣先輩から受け取ったチョコだぞ?
例え消し炭が入っていたとしても、食べない訳にはいかないだろう。
「あ、あの…ありがとうございます…」
「どういたしまして。…それじゃあ、また水曜日の放課後に会いましょう」
「は、はい…」
「ごきげんよう」
微笑みながらそう挨拶して、小花衣先輩は颯爽と、優雅に旧校舎を後にした。
…で、取り残される俺。