アンハッピー・ウエディング〜後編〜

「凄い、凄いね、これ。悠理君魔法使い?魔法使いなの?」

「一般人だよ…。乙無じゃないんだから」

「これって、もしかして…もう一回巻いたら、また音楽流れるの?回数制限?3回まで、とか?」

「無制限だよ。壊れない限り、ゼンマイを巻けば何回でも流れる」

「…!凄い!永久機関だ…!」

「いや…そういうものだから、オルゴールって…」

…そういうものじゃねぇの?

それが普通だと思ってたよ。まさか知らない人がいるとは。

「何で?これ、どうやって動いてるの?何でゼンマイを巻くと何度でも動くの?」

きょとん、と首を傾げて尋ねる寿々花さん。

「え?いや、それは…」

…。

…改めて聞かれると、返答に困るな。

そういうものだから、としか答えようがない。

オルゴールの仕組みを突然尋ねられて、すらすら答えられる人がいたら紹介して欲しい。

「…俺にもよく分かんねぇや…」

「…!凄いね、悠理君でさえ分からないなんて…!きっと、解き明かされてない未知の謎なんだよ」

いや、多分そんなにややこしいことではないと思うぞ。

俺が馬鹿だから知らないだけであって、もう遥か昔から解明されているに違いない。

「そんな凄いものをプレゼントしてもらうなんて…。悠理君、本当に良いの…?」

「…良いよ…」

そんな凄いもんじゃないから。期待してくれてるところ悪いけど、そんな御大層なものじゃないから。

値段だって、そりゃ安売りされていたものでもないけど、かと言ってべらぼうに高い訳でもなく。

貧乏性の俺が衝動買いするくらいなんだから、値段なんてたかが知れてると分かってもらえるだろう。

分かってないのは寿々花さんだけだ。

「ありがとう、悠理君…!一生大事にして…家宝にして…先祖代々受け継ぐね」

「…一代で終わらせてくれ…」

そんなものを後世に残されたら、子孫の皆さんが困るだろうが。

まぁ、何だ。

それくらい喜んでくれてるってことで、良かった。

意地悪な言い方だが、昨日円城寺にもらった、ダイヤモンドのピアスよりは…寿々花さんを喜ばせることが出来たんじゃないかと思う。

円城寺、ざまぁ。

プレゼントってのは、値段も大事だけど、でもそれだけじゃないんだよ。
「わーい。ありがとう悠理君。お部屋に飾ってくるねー」

「はいはい。良かったな」

嬉しそうにクリスマスプレゼントを抱いて、寿々花さんは俺の部屋から駆けていった。

はしゃぎ過ぎて転ぶなよ。

渡し方は相当無様だったけど、でもあれほど喜んでもらえたなら、結果オーライって奴だ。

スイーツビュッフェと共に、寿々花さんにとって、忘れられないクリスマスの思い出になってくれたら嬉し、

「大変だ、悠理君。忘れ物!」

「うわっ、びっくりした」

部屋から出ていったと思っていた寿々花さんが、慌てふためいて戻ってきた。

また不意をつかれた。

「ど、どうした?何を忘れたんだ?」

「私、悠理君に用事があって来たのに。その用事を済ませるの忘れてた」

…用事?

そういえば、(無断で)俺の部屋に入ってきてたんだっけ…。

そこで、その…俺が変な、その…夜這いのことを口走っていたから、つい話が流れてしまっていたが…。

「用事って何だよ?」

「私も悠理君に、クリスマスプレゼント渡そうと思ってたんだった」

…えっ。

「…」

「…」

俺と寿々花さんは、互いに無言で見つめ合った。

…マジで?

じゃあ、何?俺達。

二人して、同じタイミングで、同じこと考えてたってこと?

「…似た者同士かよ」

「類は友を呼ぶ…って奴かな?」

「…冗談だろ…」

俺とあんたを一括りにしないでくれよ。

さすがに俺は、オルゴールの存在くらいは知ってるっての。

「はい、これ悠理君に。メリークリスマス」

「お、おぉ…。どうも、ご丁寧に…」

プレゼントは二つ。

一つは、小さな赤い封筒に入ったクリスマスカード。

開いてみると、可愛らしい、雪だるまのクリスマスカードだった。

そこに、寿々花さん直筆の英語でメッセージが書いてあった。

…けど、達筆な筆記体で書いてある上に、俺の貧弱な英語力のせいで、何て書いてあるのかいまいち読めない。

ごめんな、寿々花さん。折角書いてくれたのに。俺、馬鹿で。

後で、電子辞書の力を借りながら解読するよ。

それから、もう一つのプレゼント。

小さなラッピングバッグの中には、うちの学校の校章によく似た、青い薔薇のチャームがついたキーホルダーが入っていた。

「どうかな?…気に入った?」

「あ…。…あぁ、うん…」

…寿々花さんにしては、物凄くまともなプレゼントでびっくりした。

これまで何度か、寿々花さんに贈り物をもらう機会はあった。

誕生日プレゼントや、遠足や修学旅行のお土産で。

でも、それらはいずれも一癖も二癖もあるプレゼントばかりだったから。

今回もその類だと思って、自分なりに身構えていたのだが。

全然そんなことない、普通にお洒落な贈り物で、逆にびっくりした。

そう来たか、って感じ。

回し蹴りが来ると思って身構えてたら、どストレートにグーパン食らったような気分。

多分俺、びっくりして、相当間抜けな顔をしていたんだと思う。

何やら誤解した寿々花さんが、表情を曇らせた。

「…あんまり、気に入ってもらえなかった?」

「えっ?いや、違う。そんなことない」

そうじゃなくて、寿々花さんらしからぬプレゼントにびっくりしただけだよ。
慌てて否定したが、寿々花さんはずーん、と沈んでしまい。

「やっぱりもう一個の候補に…イモムシのチョコにすれば良かったかな…」

イモムシのチョコ!?

「いや、これで良い。むしろこれが良いって!ありがとう!充分嬉しいよ」

「本当?…喜んでくれた?」

「あぁ。めちゃくちゃ喜んでるよ。ありがとう」

「良かったー」

あぁ。俺もホッと胸を撫で下ろしてるよ。

危ないところだった。

一歩間違えたら、今頃危うくイモムシのチョコに悲鳴を上げていたところだ。

「私の夢によく出てくる黒い死神みたいな人がね、いつも青い薔薇のブローチをつけてるから。そのキーホルダーを見た時思い出したんだー」

「そ、そうなのか…?」

相変わらず怪しい夢ばっか見てんな。

死神の夢ってマジ?大丈夫なのか。何かの暗示?

それ、本当に死神…?

…まぁ、良いか。

寿々花さんにしては良識あるプレゼントで。

「悠理君が喜んでくれたなら良かった」

「あぁ…。大事にするよ」

「ありがとう、悠理君。悠理君のお陰で、今年のクリスマスはとっても楽しかった」

と、寿々花さんは心底嬉しそうにそう言った。

…マジで?

本当にそう思ってくれてるなら、俺としても何よりである。

「何だかね、生まれて初めて、サンタさんが来てくれたみたい」

「そうか…。きっとサンタの奴、寿々花さんが毎年良い子にしてることにようやく気づいて、ここ何年分の『クリスマスプレゼント』を今日、まとめて持って来てくれたのかもな」

「そうだね。本当にそう…。そうだったら嬉しいな」

でも、まだ足りないからな。

来年も、これまでの分を補って余りある、楽しいクリスマスを期待しているよ。
―――――クリスマスが終わると、いよいよ年末である。

クリスマスの翌日、つまり12月の26日に、俺と寿々花さんは名残惜しみながらクリスマスツリーを片付けた。

家中に飾っていたクリスマスグッズ、スノードームやクリスマスリースも全部。

寿々花さんは超残念がっていたけど、クリスマスが終わったらお役目御免だからな。

ずーんと沈み込む寿々花さんを宥め、すかし、「でも来年になったらまた出せるからな」と言い聞かせ。

好物のオムライスと、それから…。

「…どうだ?美味いか、それ」

「うん。美味しいよ」

「そうか…。…良かった」

二日前、寿々花さんが円城寺とバレエを観に行っている間。

イライラ解消と暇潰しの為に作った、チョコチップ入りのクッキーを、おやつとして寿々花さんに出してあげたところ。

これがまた、大層気に入ってくれた。

本当は昨日食べたかったんだけど、昨日はスイーツビュッフェのせいでお腹いっぱいだったし。

それに、美味しいスイーツビュッフェを食べた後に、俺の手作りクッキーなんか食べたら。

高級和牛ステーキの後に、輪ゴム食べてるようなもんだろ。

あまりの落差に、口の中がパニックを起こすかと思ってな。

密閉容器に入れて保存しておいたんだ。

「美味しいね。これ美味しいね。悠理君は何でも作るの上手だねー」

と言いながら、寿々花さんは夢中でクッキーをぱくついていた。

そうか。それはありがとうな。

…言えない。

そのクッキー、実はホットケーキミックスに卵とチョコチップを混ぜただけの、超簡単手抜きクッキーだよ。なんて。

こんなに喜んでくれるなら、もっと手間かけて作れば良かったかな…。

「あのね、昨日食べたビュッフェのアイスクリームよりずっと美味しい」

「それは言い過ぎだ」

その手抜きクッキーと、高級レストランのスイーツビュッフェを比べるんじゃない。

申し訳なくなるだろ。

お世辞で言ってるんならまだしも、寿々花さんの顔は至って真剣だった。

干し柿で喜ぶわ、手抜きクッキーで喜ぶわ…。

この人、味覚どうかしてるんじゃねぇの…。

とはいえ、クリスマスツリーを片付けてからというもの、かなり落ち込んでいたからな。

好物とおやつで機嫌が直ったのなら、良かっ…。

「折角だから、ツリーを見ながら食べっ…。…あっ…」

寿々花さんはくるりと振り返って、今朝までクリスマスツリーが置いてあった場所を向いたが。

そこには既に、クリスマスツリーはない。

…寿々花さん、この一ヶ月、お絵描きもおままごともホラー映画もそっちのけで、ずーっとクリスマスツリーに夢中だったからな。

ツリーを眺めるのが、完全に癖になってしまっている。

「…」

そこにはもう、クリスマスツリーがないことを思い出したのか。

寿々花さんはまたしても、ずーん、と沈み込んでしまった。

あぁ…やっぱり駄目だったか。

クッキーで機嫌直しをするはずが、むしろ余計にへこませてしまって申し訳ない。

これは…早急に、何とかした方が良さそうだ。
そこで俺は、その日の午後、早速行動を起こした。

「ふぅ…。出来た」

如何せん、この家で「コレ」を出すのは初めてだからな。

ああでもないこうでもないと、しばらく四苦八苦、悪戦苦闘して。

何とか、今年も「コレ」を出すことが出来た。

果たして、これで寿々花さんの機嫌が直るだろうか。

…すると。

「…?悠理君、何やってるの?」

「お。来たか」

リビングで、俺がゴソゴソやってる音が聞こえたのだろう。

昼食の後、ずっと自分の部屋に引きこもっていた寿々花さんがリビングに降りてきた。

ようこそ。

「…!何?これ。何?」

気づいたようだな。

「凄いだろ?…コタツ、出したんだ」

「…!凄い!テーブルがお布団かけてる…!」

そう。冬の風物詩、コタツである。

やっぱり、冬と言えばこれを出さないとな。
「わーい。お布団だ〜。テーブルがお布団かけてる〜」

寿々花さん、コタツに興味津々。

「コタツ、入ったことあるか?」

「…こたつ?」

こてん、と首を傾げる寿々花さん。

成程。コタツをご存知でないと。

生まれてこの方、暖房器具と言えばエアコンと床下暖房で生きてきたお嬢様だな。

一方俺の実家には、暖房器具はストーブとホットカーペット、そしてこのコタツだった。

だから、毎年冬になるとコタツを出していたのである。

コタツなんて貧乏臭い、と言われるかと思って、ずっと遠慮していたのだが…。

「これどうしたの?テーブルが寒そうだったから、お布団かけてあげたの?悠理君優しいねー」

「…ちげーよ…」

寒そうなテーブルに気を遣って、布団をかけてあげた訳じゃない。

言葉で説明するより、実際に体感してもらった方が早いな。

俺はコタツの電源コードをコンセントを差し込み、スイッチをオンにした。

「よし、出来たぞ」

「…?…?何が?」

「まぁまぁ、良いからここに座ってみろよ」

実践とばかりに、俺は真っ先にコタツに入ってみせた。

すると寿々花さんは、不思議そうに首を傾げながら、俺の横にぴったりとくっついて座った。

「…何故そこに座る?」

「え?だって悠理君が座れって」

「…」

横に座れとは言ってねぇよ。

まぁ良いや。好きにさせておこう。

「…?これでどうするの?」

「何もしなくて良いよ。このまましばらく座っておけば」

「座ってたら…何がどうなるの?」

「大丈夫だよ。今に分かる」

温かくなるまで、少し時間がかかるからな。

しばらく待っていれば、段々と…。

…すると。

「…!何だか、テーブルの中がじんわり温かくなってきた」

よしよし。気づいたようだな。

「もしかして…火事…?」

「…そういう暖房器具なんだよ…」

無知とは恐ろしいものだな。

「凄い。机の中がほっかほかだ〜」

コタツに入れている足が、じんわりぽかぽかと温まってきた。

そうそう。これだよ。

コタツで温まると、毎年、冬が来たなぁって思うよな。

いやぁ、温かい。

エアコンも床下暖房も良いけど、やっぱり俺は慣れ親しんだコタツが一番だ。

「わー、温かい。座ってるだけであったかーい」

寿々花さん、初めてのコタツに大興奮。

「どうだ?コタツ。気に入ったか?」

「うん!」

目をキラキラとさせて、生まれて初めてのコタツを堪能する寿々花お嬢さんである。

気に入ってもらえたようだな。良かった。

クリスマスツリーの代わりにはならないが、今度は冬が終わるまで、コタツを出しておくから。

これで満足してくれ。

…さて、寿々花さんがコタツを気に入ってくれたようなので。

「コタツの風物詩…。アレをやらないとな」

「…あれ?」

「まぁ、ちょっと待っててみろ」

俺は立ち上がって、キッチンに向かった。

コタツに入ってやることと言えば…決まってるよな?
テーブルの上には、みかんを数個と、アイスクリーム。

そして、大きな土鍋でほかほかと湯気をあげるおでん。

そう、これをやらなきゃ冬はやって来ない。

コタツでみかん、コタツでアイスクリーム、コタツでお鍋。

鉄板だな。

「ぽかぽかしながらアイスクリーム食べるの、美味しいね。幸せだねー」

「だろ?」

アイスクリーム大好きな寿々花さん、これにはクリスマスツリーを片付けて落ち込んでいたことも忘れ。

ほっこりとした笑みを浮かべて、バニラアイスをスプーンですくっていた。

見てるこっちまで、思わず口元が緩みそうになる。

じゃあ、俺も食べるかな。

「寿々花さん。おでん食べるか?取ってやろうか」

「食べるー」

と言うので、寿々花さんの取り皿におでんを取ってあげた。

おでんの具材は至ってシンプル。大根とちくわと卵と…その他諸々。

おでんに何を入れるかって、その家庭によって様々だと思うが…。

うちの実家は、里芋と木綿豆腐を入れるのが定番の味。

おでんの出汁がしみて、これが美味しいんだわ。とても。

「…美味いか?」

「はふはふ。美味しい」

「良かった」

二人してコタツに入って、はふはふ言いながらおでんを食べる。

こういうつまらないことを共有出来るのが、大きな幸福だと感じる今日この頃である。
しかし、コタツを出して、ほっこりしてばかりはいられない。

というのも。

クリスマスが終わったら、いよいよ年末。

そろそろ、年越しの準備をしなくてはならないのだ。

年末と言えば、やることがたくさんあるだろう?

大掃除に始まり、餅つき、年賀状作り。
 
年末年始はスーパーが大変混むので、買い物に行くのも一苦労である。

学校は休みだけど、冬休みの宿題があるしな。

やることたくさん。大忙し。

まずは一番の大物、大掃除から済ませようと。

エプロンをつけて、あちこち拭いたり掃いたりしていると…。

「…じーっ」

「はっ…!」

背中に、寿々花さんの視線を感じた。

「ど、どうした…?」

俺は雑巾を片手に振り向いた。

コタツを出してからというもの、今度はコタツに夢中らしく。

毎日コタツにすっぽり収まって、今日も朝からコタツでお絵描きをしていたはずの寿々花さんが。

いつの間にか、俺の背後に立っていた。

気配なく立つのやめてくれないか。ビビるから。

「悠理君…何してるの?」

「何って…。見ての通り、掃除だけど…」

あ、そうか。

「ごめん。ゴソゴソしてうるさかったか?」

気が散るからあっちに行ってくれ、と言われるのかと思ったら。

そういう訳ではないらしく。

「悠理君、いつもお掃除してるのに、今日もお掃除するの?」

「年末だからな。大掃除してるんだよ」

「ほぇー。大掃除…」

「今年中に、何処か掃除して欲しいところあるか?」

この辺汚いからやっておいて、とか。

如何せん家が広いから、普段は隅々まで掃除出来ないんだよ。

今流行りの自動掃除機、あれ、買うべきかなぁ。

お高いんだろ?あれ。なんか勿体無いような気がして、手が出ないんだよな。

「掃除…。大掃除…」

「…寿々花さん?」

「…よし」

寿々花さんが、何かを決意した。

…何だろう。嫌な予感。

「悠理君、私もお掃除手伝う。お手伝いさせて」

出た。寿々花さんの、謎のやる気。

「いや、良いって。お嬢様のやることじゃないから。俺がやるから…」

「悠理君が頑張ってるのに、私だけボーッと座ってる訳にはいかないもん」

大変素晴らしい心掛けである。

その気持ちは有り難いんだが、でも寿々花さんの掃除って…。

…思い出す。階段で、頭からバケツいっぱいの水を被ったことを。

…あれは…嫌な事件だったな…。

あれの再来はやめて欲しいのだ。何としても。

「…出来るのか?寿々花さん…」

「うん、頑張る。悠理君みたいに、家の中ぴっかぴかにするよ」

またしても、素晴らしい心掛け。

…不安は大きく残るが。

ならば、この心掛けに応えるのが、せめて俺が寿々花さんにしてあげられることだろう。

良いじゃないか、多少失敗しても。

この寒い時期に、またしても頭から水を被るのは遠慮したかったが。

やる気を出しているうちにやらせて、褒めて伸ばす。

子育てしてるような気分だな。

「よし、分かった…。じゃあ、寿々花さんに重大な任務を与える」

「おぉっ…。何でありますか、隊長」

誰だよ。

「…風呂掃除、頼む」

びしょ濡れにされる前に、いっそびしょ濡れになっても良い場所の掃除を頼もうという腹である。
寿々花さんに風呂掃除を頼むと。

寿々花さんは、そりゃもう嬉々として引き受けてくれた。

仮にも無月院家のお嬢様が、風呂掃除で喜ぶんじゃない。

掃除道具の使い方を軽く教えて、あとは寿々花さんにお任せした。

…任せて大丈夫だよな?多分。

滑って浴槽に転んで、溺れたりしないよな…?

「…」

任せはしたものの、やはり心配である。

別の場所を掃除しながらも、寿々花さんのことが気になって気になって。全然集中出来ない。

…やっぱり不安。

どうしても気になって、俺は寿々花さんの様子を見に行った。

すると、丁度寿々花さんは浴室の床に洗剤を撒いて、スポンジでごしごし擦っているところだった。

「ゆ〜りくんはー♪ごはんがじょうずで〜、優しいね〜♪」

謎の歌を口ずさみながら。

「ゆ〜りくんはー♪女の子のかっこうが〜、似合うよ〜♪」

やめろ。

「寿々花さん、調子はどうだ?」

随分楽しそうに掃除してるが。捗ってるか?

「あ、悠理君。うん、だいじょ、」

俺の声に振り向いた寿々花さんが、突然洗剤まみれの床に、ひょこっ、と立ち上がった。

すると、その拍子に。

「!寿々花さん!」

「へぶっ」

洗剤でツルッと足を滑らせたらしく、スポンジを持ったまま、派手な音を立てて転倒した。

あぁ…恐れていたことが。

俺は手に持っていた雑巾を投げ捨てて、急いで浴室に…寿々花さんのもとに駆け寄った。

「おい、大丈夫か!?」

「ほぇー…。びっくりしたー…」

意外と大丈夫だった。

頭、割とゴツンといった気がしたんだが…もしかしてあんた、石頭か?

いや、そんな冗談はさておき。

「どっか痛いか?骨折れたりしてないよな…!?」

年末に大怪我なんて、冗談じゃないぞ。

終わり悪ければ全て悪し、になってしまう。

しかし。

「ほぇ?うん。平気だよ?」

派手にずっこけた割には、けろっとしていらっしゃる。

…全身、洗剤まみれだけど。

洗剤撒き散らした床に転んだんだから、そりゃそうなる。

…そうか。うん。分かった。

寿々花さんに危険な風呂掃除を任せた、俺が悪かった。

もっと考えて…慎重になるべきだった。

怪我しなくて良かったよ。本当に。

「…寿々花さん。頼むからあんたはもう…コタツでお絵描きしててくれ」

やっぱり、寿々花さんに掃除は向いてない。

やる気があるのは良いことだが、しかしその溢れ出るやる気で、怪我をされたら本末転倒。

俺が怪我をするのは別に良いけど、寿々花さんを怪我させる訳にはいかないのだ。

「え?でも、悠理君のお手伝い…」

「うん、ありがとうな。大人しく座って…応援しててくれるのが、一番のお手伝いだよ」

俺の精神衛生の為にも、頼むからじっとしててくれ。頼むから。な?