なんか、全然話が噛み合ってない気がする。
「…」
「…?」
お互い、無言で見つめ合い。
「…一応聞いておくけどさ、寿々花さん、生け贄に選ばれたんだよな?」
「いけにえ?」
「いや、だから…女装・男装コンテストの生け贄に…」
「うん。代表になれたんだよ。じゃんけんで勝ったから」
えへん、と胸を張る寿々花さん。
じゃんけんで勝って…代表になれた?
何だ、それは。
その言い方じゃ、まるで自分から立候補して当選したかのような…。
…。
「…まさか寿々花さん、自分から立候補した訳じゃないよな?」
そんなまさか。進んで男装したい奴が何処にいっ、
「ふぇ?勿論。自分からやりたいって手を上げたんだよ?」
…居たよ。進んで男装したい奴が。ここに。
「ばっ…!あんた、本気か…!?」
「本気…?私はいつだって本気で生きてるよ」
そうか。それは格好良いな。
って、そうじゃないんだよ。
「え?寿々花さんって、そういう趣味だったのか…?」
いや、別に良いけどさ。
俺は別に、寿々花さんに男装趣味があろうと、広い心で受け入れるつもりだよ。
男の格好して喜んでるくらいなら、可愛いもんだろ。
さすがに性転換したいと言い出したら、俺も身構えるけど。
「ふぇ?趣味?」
「え、あの…。男になりたい的な趣味が…」
「?そんな趣味があるの?」
…そんな無垢な瞳で見つめられたら、まごまごしてる俺の方が恥ずかしい。
ごめん。俺の心が穢れてた。
質問の仕方を変えよう。
「な、何でわざわざ立候補したんだ…?」
まさか、自分からやりたがる人がいるなんて思わなかった。
ましてや、寿々花さんが…。
「悠理君が男の子部門に出るから、私も出ようと思ったんだー」
俺のせいだった。
そうか…。俺が生け贄に選ばれたと聞いて、じゃあ自分もやってみよう、と自ら立候補したのか。
死なば諸共、って?
赤信号、二人で渡れば怖くない、って?
二人で渡っても怖いよ。赤信号は。
「他にも何人か立候補する人がいたから、その人達とじゃんけんして…」
「マジかよ。寿々花さんの他にも、立候補するような物好きがいたのか…!?」
「?去年も何人もいたよ?」
なんてことだ。
男子部の方では、皆が親の仇のごとく毛嫌いするイベントなのに。
女子部では、むしろ人気のイベントだったのか。
そりゃまぁ、考えてみればそうだよな。
女装・男装コンテストは、学園では毎年恒例の一大イベントだってことだから。
それなりに人気があるから、毎年行われているのであって。
前にも言ったが、男性が女装するのと、女性が男装するのとでは、ハードルの高さが段違いだからな。
その差ってことなんだろうな。
畜生…。男達が一生モノの恥を晒そうとしているのに。
女子生徒達は、遊び半分でキャッキャウフフと男装して楽しんでやがるって言うのか。
不平等過ぎる。
「これで、悠理君と一緒に同じステージに立てるね。一緒に頑張ろうね」
「…」
…なんてことだ。
こうなったら、コンテストの直前に仮病の腹痛を訴えて、出場辞退しようかとも考えていたのに。
寿々花さんの穢れなき瞳に見つめられては、最早辞退の道は閉ざされた。
外堀埋められてんなぁ…着々と…。
ひでぇ話だよ。泣きたくなるな。
「クラスの出し物でも扱き使われ…。女装までさせられ…」
何だって、俺がこんな目に…。
「出し物?悠理君のクラス、何するの?」
「え?あぁ…えぇと、食堂…」
…で、良いんだよな?『星見食堂』って言ってたし。
「食堂?喫茶店みたいな?」
「さぁ…どうなんだろう。まだ詳しいことは決めてないけど…。とにかく食べ物の店をやるらしい」
「凄いね。悠理君がお料理作るなら、きっと大繁盛だよ。大行列だよ。三ツ星レストランだよ」
それは言い過ぎだっての。
良いか、寿々花さん。誤解してるのかもしれないが。
男子部の教室は、旧校舎にあるんだからな。新校舎から登り坂をひたすら歩いて、15分もかかるの。
そんなところに、わざわざ俺の手料理を食べる為に客が来るかよ。
新校舎にだって、お洒落な店はたくさん出るんだろうし。
最悪、一人の客も来ずに閉店…なんてことも有り得るかもしれない。
その時は俺、何してたら良いんだ?
クラスメイトの為に、賄いでも作ろうかな。
「どうせ暇だって。誰も客なんて来ねーよ」
「大丈夫だよ。悠理君のご飯美味しいもん。皆美味しいって言ってくれるよ、きっと」
「…あ、そ…」
まぁ、そう言ってくれる気持ちは嬉しいってことで。
「それより、寿々花さんのクラスは何をやるんだ?出し物」
「ふぇ?」
「何かやるんだろう?もう決まったのか?」
「うん。昨日決まったよー」
とのこと。
へぇ。もう決まってたのか。
女子部の方は、予算も人員も豊富だからなぁ。
開店する前から潰れかけてるうちの『星見食堂』とは、訳が違う…。
「何するんだ?寿々花さんのクラスは」
「カフェだよ」
カフェだって。もうこれを聞いただけで、最高にお洒落。
きっと、今流行りのふわふわパンケーキとか、タピオカドリンクとか、台湾カステラとか、マリトッツォとかが出るんだろうな。
…って、それはもう古いか…。
「寿々花さんのところも食べ物系なんだな。寿々花さんも店の手伝いするのか?」
「うん。ホール係なんだー。キッチン係をやりたいって言ったんだけど、クラスメイトに止められちゃって…」
そりゃあんたに厨房なんか任せたら、あっという間に教室が炎上しかねないからな。
必死で止めたであろうクラスメイトの皆さん、ナイスな判断だ。
「楽しそうじゃないか。頑張れよ」
「うん。メイドさんの格好なんてするの初めてだから、楽しみー」
…ん?
…メイド?
今、聞き捨てならない言葉を聞いたような気がするんだが?
ウェイトレス?ウェイトレスってことか?
「…メイドじゃなくて、ウェイトレスだろ?」
「ふぇ?ううん、メイドだよ?メイドカフェだもん」
寿々花さんの口から、今日一番の爆弾発言。
何だと。ちょっと待て。それは聞いてない。
メイドカフェだと?うちの寿々花さんが、メイドだと…!?
文化祭実行委員会、何やってんだよ。そんなふざけた企画書を通してんじゃねぇ。
「す、寿々花さん。あんた…メイドをやるのか…!?」
「ふぇ?うん」
「…!」
…想像する。寿々花さんがメイド服姿で、「いらっしゃいませ、ご主人様」と言って接客している姿を。
危うく台パンするところだった。
頭の中で想像しただけで、この衝撃。
実際にリアルで、この目で目撃しようものなら。
俺は、その場に卒倒してしまうんじゃないだろうか。
「…どうしたの?悠理君。さっきから変だよ?」
「む、むしろ何で、あんたはそんなに落ち着いていられるんだよ…!?」
「…?メイド、楽しそうだよ?初めてだもん」
どんな体験でも、純粋に無邪気に楽しもうとするのは、あんたの長所だと思う。
けど、もう少し危機感というものも持った方が良いと思う。
…どうすんの?
文化祭の日は、校外からたくさんの客がやって来る。
中には、きっと居るだろう。
女子校のメイドカフェぐへへ、とかニタニタしてるような下衆男が。
あ、やべぇ。そんな気持ち悪い奴が、寿々花さんを下心満載でチラ見してる姿を想像したら。
頭の中で、その下衆男をぶん殴りたくなった。
…なんてことだ。
この際、教室が炎上しても構わないから、やっぱり寿々花さんにはキッチンに引っ込んでてもらえないだろうか。
俺が女装して人前に立つのとは、訳が違うんだぞ?
俺は恥を晒すだけで済むが、寿々花さんはそれどころじゃ済まない。
ただでさえ普段からぽやーんとして、危機感の欠片もないような奴なんだから。
そんな奴がメイド服姿を晒すなんて、無防備にも程がある。
オオカミの群れに、羊を一匹放つようなもの。
「気をつけろよ、くれぐれも気をつけろよ。変な奴に見られてると思ったら、すぐに助けを呼ぶんだぞ…!?」
「ど、どうしたの悠理君。突然怖い顔して…」
俺は寿々花さんの両肩を掴んで、切実に訴えた。
「良いから、頼むから約束してくれ。気をつけると」
「う、うん。よく分かんないけど、分かった」
「ヤバいと思ったら呼んでくれよ。旧校舎からダッシュで駆けつけるから」
…って、あんた携帯電話持ってないんだった。
あぁ、全く。何であんたは携帯電話の一つも持ってないんだ。ゲームの腕前はプロな癖に。
ただでさえ、自分のクラスの出し物だけで大変なのにさぁ…。
これ以上、心労の種を増やさないで欲しいよ。マジで。
寿々花さんからメイドカフェの話を聞かされた、翌日。
俺は雛堂と乙無に、その話をした。
寿々花さんのクラスはメイドカフェやるんだって、って。
すると、まず雛堂の反応は。
「マジかよ、行きてぇ!ナマ女子高生のメイド服コスプレとか、是非この目で見ないと!」
あまりにも下衆過ぎるから、雛堂は今この場で成敗しても良いだろうか。
あんたみたいな不貞な輩がいるから、俺の心労が絶えないんだよ。
一方、乙無の反応は。
「それ、真面目な話、大丈夫なんですかね?大也さんみたいな小汚い下衆男が来たら…」
「あぁ…。俺もそれが心配でな…」
女子校なんだぞ?お嬢様学校だぞ?
変な気を起こす奴がいないとも限らない。
警備とかつけた方が良いんじゃね?
何なら、その警備の為に男子部の生徒を駆り出しても良いぞ。
今回は許す。
「悠理兄さん的には、やっぱり嫌なのか?愛しの嫁ちゃんがメイド服を着て、自分以外の男に『お帰りなさいませ〜』とか言ってたら」
雛堂は真面目な顔して、何を言ってんだ?
ちょっと一回、バケツの水を頭からぶちまけてやろうか。
「他の男に色目を使われたらって思うと、そりゃあ気が気じゃないよなー。悠理兄さんも大変だな」
「…雛堂。俺はさっきから真面目な話をしてるんだよ。真面目に話が聞けないなら…」
「ちょ、目が怖い。悠理兄さん、目が怖いって!冗談だから!」
言って良い冗談と、言ってはいけない冗談ってものがあるんだよ。
分かったか。
すると、乙無が。
「人の心配をするのも結構ですが、悠理さんはまず、自分の心配もするべきでは?」
と、聞いてきた。
「はぁ…?俺の中には今、寿々花さんのこと以上に心配なことはねーよ」
「そうですか。でも、うちのクラスの出し物は『星見食堂』に決まってるので、その為の準備もしないといけませんよ」
…そうだった。
寿々花さんのことは勿論、超絶心配だけどさ。
他にも色々と…考えなきゃならないことが山積みなんだよなぁ…。
はぁ、胃が痛い。
「そうだな。そろそろ、もっと詳細に具体的なことを決めておかないと…」
「食材の仕入れや、調理器具の貸し出し…。レシピやメニュー作成、やるべきことはたくさんありますからね」
「…はぁー…」
思わず、特大の溜め息が出てしまった。
初めてだよ。こんなに気の重い文化祭はさ。
文化祭って楽しいもんじゃねーの?現状、胃が痛いだけで全然楽しめてねーよ。
しかも。
「食堂のことだけじゃねーぞ、悠理兄さん。忘れてねぇよな?」
「は?何を?」
「女装コンテストの準備。こっちも並行して進めなきゃいけないの、分かってるよな?」
「…」
…そうだった。
もう、一生忘れていたかったよ。
女装・男装コンテストの準備…か。
…これほど気の進まない準備が、他にあるだろうか?
「コンテストの衣装って、どうするんです?自前ですか?」
「考えたくねぇよ、そんなこと…」
「気持ちは分かりますけど、考えない訳にはいかないでしょう」
…ですよねー。
別にどうでも良くね?
寿々花さんも男装するそうだし。制服交換しようぜ。それで解決だろ。
あ、でも無理か。
寿々花さんは俺の制服を着れるだろうけど、俺が寿々花さんの制服を着るのは、さすがに小さい気がする。
「悠理兄さん、自前の衣装とか持ってねーの?」
「持ってる訳ねーだろ。アホか」
自前で女モノの服なんか持ってたら、逆に気持ち悪いわ。
「悠理さんの場合、姉妹もいらっしゃいませんしね。母親と同居している訳でもありませんし」
「普通に、無月院の姉さんから洋服借りれば?」
「そうしたいところだけど…。あの人、ろくに洋服持ってないからな…」
制服以外の服は、未だに1〜2着しか持ってない。
夜だって、未だに俺のお古ジャージを着て寝てるくらいだし。
お嬢様が皆衣装持ちだと思ったら、それは大きな間違いだ。
「じゃあ仕方ねぇな…。自腹切って買うしかねぇ」
…冗談だろ?
「何で、俺がそんな下らないことの為に身銭を切らなきゃいけないんだよ…?」
こんな無駄遣いがあるか?
どうせ、コンテストで一回こっきりしか着ないのに。
女装の為に出費なんて、冗談じゃない。
そんなことに無駄金使うくらいなら、コンビニの募金箱に放り込んだ方が、余程有益な出費だ。
「つってもなぁ…。学校から支度金が出る訳でもないし…」
「クラスで募金でも募ります?意外とすぐ集まるんじゃないですか。哀れな悠理さんを助けると思って…」
そんな虚しい同情の募金は要らねぇよ。
誰かから服を借りるか…。でも、誰から…?
…あぁ、もう考えるの嫌になってきた。
「…女装の話はもう良いよ。それよりも…」
「女装の話も大切だろ?」
「大切じゃねぇよ。それより、クラスの出し物についても考えるべきだろ」
「あー。『星見食堂』な?」
そう、それ。
どうせならそっちの話をしようぜ。
…しかし、『星見食堂』って仮の名前だと思ってたんだが、マジでその名前で開店するつもりなのか?
ダサいから変えねぇ?普通に『一年一組食堂』とかで良いだろ。
「メニューをどうすっかなー。ここはお洒落カフェ風に、パスタとパンケーキのセットとか?」
「そういうお洒落な店は、僕達がやるまでもなく、女子部の何処かのクラスがやるでしょう」
だろうな。
それこそ、寿々花さんのクラスのメイドカフェとかな。
「あ、そうか…。並みのことをやったんじゃ、さすがに女子部には敵わないもんな…」
向こうの方が料理上手なお嬢さんが揃ってるし。
予算だって、女子部の方が格段に多い訳だから。
…まぁ、女子部に張り合おうとするのが、そもそもの間違いなんだが。
「…よし、こうなったら、自分らに出来ることは一つだ」
「…何だよ?」
「うちのクラスの『星見食堂』の売りは、何と言っても悠理兄さんが作るお袋の味。ってことで…オシャレ度は捨てて、家庭の味で勝負しよう」
…何だよ。俺んちの家庭の味って。
それ、売れるのか?
「悠理兄さん、兄さんの得意料理は?」
え、俺の得意料理?
…何だろう。
「…糠漬けかな」
寿々花さんも大絶賛、自家製の糠床で作る糠漬けは。
我が家の朝食のお供として、毎日食卓に上っている。
しかし、糠漬けを毎日ポリポリ齧るお嬢様って、なかなかシュールだよな。
「渋いな、兄さん…。あんた何歳だよ?」
「悪かったな。16歳だよ」
「まぁいいや。じゃ、『星見食堂』の看板メニューは、悠理兄さん特製の糠漬けを添えた、手作りカレーってことで」
マジかよ。
そんな適当な決め方で良いのか?
そんな…冷やし中華始めました(テヘペロ)みたいなノリで。
「おいおい…。もうちょっと真剣に考えた方が良いんじゃないのか?」
女装コンテストは、どんな顛末になろうが俺の責任だけで済むが。
食堂はクラスの出し物なんだから、もう少し真面目に考えろよ。
食べたい奴いるか?カレーはともかく、俺の糠漬け。
そもそも、カレーは糠漬けじゃなくて、福神漬けでは…?
「それに俺、至って普通のカレーしか作れないぞ」
お洒落なカレーショップでよくある、グリーンカレーとかキーマカレーとか、手作りナンを添えたスープカレー…みたいな。
ああいうお洒落な料理とは、全く以て無縁。
バターチキンカレーくらいなら、まだ作ることもあるけど。
それだって、精々市販のルーを使って作る、何の変哲も無いカレーだ。
じゃがいもと人参がゴロゴロ入った、ご飯にかけて食べる普通のカレー。
市販のルー無しで作ったことなんて、一度もないしな。
…我ながら、所帯じみてんなぁ…。
…それなのに。
「良いんだって、普通で。むしろ普通だから良いんじゃん。お袋の味って感じがするだろ?…自分、お袋いねーから分かんねーけど」
さらっと重いこと言うのやめろ。
「いかにもSNS映えを狙ったような、お洒落な料理は女子部に任せようぜ。太刀打ちしたって絶対敵わないんだからさ」
「成程。敢えて家庭の味を追及することで、女子部との差別化を図ろうという作戦ですね」
「そゆこと!」
えぇぇ…。
雛堂の経営戦略は分かったけども…。それ、流行るのか…?
家庭の味を求めるなら、家庭で食べれば良くね?
家庭で食べられないものこそ、外食で食べるのであって。
俺の、いつもの何の変哲もないカレーが、わざわざ金を払って食べに来るようなものだとは思えない。
「それにほら、カレーならメニューには困らないじゃん?サイドメニューはサラダで、有料のトッピングでゆで卵とか冷凍の唐揚げをつけたら、それだけでもうメニュー完成だぜ」
それ、もう『星見食堂』じゃないな。
『星見カレーショップ』だ。
趣旨変わってね…?
「カレー屋かよ…」
「よし、店名は『HoShi壱番屋』にしようぜ。略称はホシイチだな」
パクリじゃん。
俺は一言も「良い」なんて言ってないのに、俺の意志に関係なく話が決まっていく…。
「乙無…。止めてくれよ。このままじゃマジでパクリカレーショップ、ホシイチが開店してしまう」
「良いんじゃないですか?別に。文化祭のノリなんだから。パクリと言わずオマージュと言いましょうよ」
いや、パクリだろ?
「カレーならレシピも比較的分かりやすいですし、万が一失敗したとしても、カレー味なら何とか誤魔化せるんじゃないですか?人間の舌って馬鹿ですし」
乙無まで。
そんな馬鹿じゃねーよ。人間の舌。意外と繊細だぞ?
カレー味なら全てを誤魔化せると思ったら、それは大きな過ちだ。
それなのに。
「ってことで、これから文化祭の日までに、カレーの腕前磨いといてくれ。頼むぞ」
「…本気かよ…」
どんどん、後戻り出来ない領域に踏み込んでいく気がする。
…と、いう訳で。
それから毎日、俺はカレー作りの練習をすることにした。
家庭の味…とはいえ、さすがに店を出して金を取るなら、いつもの手抜きカレーじゃいけない気がして。
かと言って、市販のカレールーを使わず、数種類のスパイスを独自配合したオリジナルカレー…というのもハードルが高過ぎる。
別の種類のカレー粉を複数組み合わせたり、そこにクミンやコリアンダーなどの、普段は手が出ないスパイスを足してみたり。
具材の切り方を変えてみたり、隠し味にハチミツやチョコレートを一欠片加えてみたり。
とにかく、色々試してみることにした。
カレー屋のシェフかよ。俺は。
で、そんな試作カレーの試食を引き受けてくれるのは。
「はい、寿々花さん。ちょっとこれ、食べてみてくれ」
「わーい。良い匂い。カレーだー」
勿論、我が家のお嬢様、寿々花お嬢さんである。
自分でも味見はしてるんだけどさ。
色々試し過ぎて、なんかもうどれを味見しても、違いが分からなくなってきた。
「色んなカレーを試したくてな…。文化祭まで、しばらく夕飯毎日カレーになるけど、我慢してくれ」
毎日カレーとか、地獄かよ。…と。
言われると思いきや、むしろ寿々花さんは嬉々として。
「わーい。毎日悠理君のカレーだ。やったー」
諸手を挙げて喜んでいた。
寿々花さんの子供舌に、これほど助けられる日が来るとは。
俺は寿々花さんの前に、炊きたてのご飯と、それからカレールーをちょっとずつ入れたお椀を、順番に並べた。
わんこそばみたいだな。
「まずこれが、隠し味にチョコレートを入れたカレー」
「もぐもぐ…。いつもとあんまり違いが分からないけど、美味しい」
チョコレート一欠けくらいじゃ、味に大した変化はないか。
ならば。
「こっちが、B社辛口とG社辛口のカレー粉半々で作ったカレー」
「もぐもぐ…。ちょっと辛いけど、美味しい」
やっぱり、両方辛口のカレー粉を組み合わせると、結構辛いな。
子供舌の寿々花さんには、辛い味かも。
ならば。
「じゃあこっち。ヨーグルトをたっぷり入れて、マイルドに仕上げたバターチキンカレー」
「もぐもぐ…。美味しいけど、今度はちょっと甘いかな…?」
辛過ぎるのは良くないが、逆に甘過ぎても良くない。
ここに糠漬けを添える訳だからな。糠漬けにも合うカレーを考えなくては…。
ならば。
「今度は、じゃがいもの代わりに里芋を使って、昆布出汁を隠し味に入れた和風カレーだ」
「もぐもぐ…。里芋がほくほくしてて美味しい。煮物みたいだねー」
煮物みたい…ってことは、カレーっぽくないってこと?
それはそれで問題だよな…。
ならば。
「最後にこれ。温玉、チキンカツ、素揚げしたかぼちゃとパプリカを乗せた、肉倍量超豪華版カレー」
「もぐもぐ…。具がいっぱいで美味しいね。贅沢なカレーだー」
贅沢だけど、その分めっちゃ手間がかかった。
カレーのレシピもそうだけど、トッピングのメニューもちゃんと考えないとな…。
ある意味、カレーそのものより手間がかかるぞ。
寿々花さんに、色々な種類のカレーを試食してもらった結果。
「…けぷっ」
…さすがに多過ぎたか。
どれもお椀サイズとはいえ、これだけ色々食べたらお腹いっぱいにもなる。
「試食に付き合ってもらって悪いな」
「どれも美味しかったー。お家の中でカレーバイキングしたみたい」
喜んでもらえたようで、何より。
この調子で、毎日色んな種類のカレーばっかり食べてたら。
もうしばらく、カレーなんて匂いを嗅ぐのも嫌だ、って言いそうだな。
正直、俺も疲れてきた。カレーの匂いが鼻の奥に染み付いて取れない。
家の中、カレーの匂いが充満している。
カレーの匂い?良い匂いなんだから別に良いじゃん、と思われるかもしれないが。
ずっと嗅いでたら、どんなに良い匂いでも、段々鼻が曲がってくるぞ。
「はい、お口直しに、糠漬けどうぞ」
「わーい。…ぽりぽり。美味しいねー」
口直しに糠漬け。これはアリだな。
カレーに合う糠漬けについても、色々試行錯誤してみないとな。
…やれやれ。前途多難。
全く、何だって俺が、文化祭の為にこんなことを。
ここまで努力して、果たして当日、お客さんが来てくれるのかどうか。
こんなに頑張ってカレー作りの修行をしているのに、閑古鳥が鳴いていたら…。
その時は、俺も泣くよ。さすがにな。