アンハッピー・ウエディング〜後編〜

目的のデパートに着くと、早くも多くの人だかりが出来ていた。

「うへぁ、すげー人」

思わず溜め息出そうになるよな。

ハムスターランドか?ってくらい並んでる。

マジかよ。まだ午前中だぞ?

午前でこれだったら、午後なんてどうなるんだよ。

夏休みの真っ最中ということもあって、子供連れが多い。

更に、俺達みたいな中高生の姿も目立つ。

この人達、皆このお化け屋敷に入りに来たのか…。

「普通に生きるだけでも、現実は常に不幸と悲劇の連続だというのに…。自ら望んで恐怖を味わいたいなんて、人間っていうのはこれだから…」

やれやれ、と溜め息をつく乙無。

正論言ってるように見えるが、俺達もこれからこの行列に並ぼうとしてるんだからな。

同じ穴のムジナだからな。非難する権利ないぞ。

「ただいま一時間待ちだってよ」

「仕方ないだろ…。並ぶか。寿々花さん、大丈夫か?」

「うん、へいきー」

良かった。

俺達は列の最後尾に並んで、順番が来るのをのんびりと待つことにした。

幸い、ハムスターランドと違って、ここは屋内だからな。

外は燃えるような灼熱地獄だが、建物の中ならエアコン効いてるし。

人混みでうんざりするけど、暑くはないから快適だな。

それでも、一時間も待たされるのはしんどいが…。

四人でダベってたら、意外と早いんじゃないのか?多分。

「無月院の姉さん、お化け屋敷は初めてなのか?」

「うーんと…ハムーテッド・マンションに乗ったくらいかな」

「じゃ、こういう本格的なお化け屋敷は初めてみたいなもんか。いやぁ、チャレンジ精神旺盛だねー。怖くねぇの?」

「うん。悠理君が一緒に居てくれるから。全然怖くないよ」

「…唐突にノロケて来るとか、ズルくね?なぁ、乙無の兄さん」

「知りませんよ…。あなた、何でもそういう目で見るんですね。頭の中煩悩が詰まってるんじゃないんですか?」

「うるせぇ!健全な青少年と言ってくれ」

…なんてしょうもないやり取りだよ。

もっと気の利いた話題はないのか。…しりとりでもするか?

と、思ったその時。

突然、甲高い子供の泣き声がして、俺達は一斉に声のした方を向いた。

出口だ。お化け屋敷の出口。

お化け屋敷の出口から、幼稚園くらいの子供がギャン泣きで出てきた。

びっくりした。子供かよ…。

「あー。怖かったんだろうなー」

「でしょうね」

そりゃあ、あんな小さい子だったら無理もない。

お化け屋敷って、なんか暗い雰囲気だもんな。

雰囲気だけでも怖くて不安になるの、分かるよ。

怖がりの子なら、泣き出しても仕方ない…と、軽く考えていたが。
少しずつ、列が短くなっていくに連れて。

…段々と、雲行きが怪しくなってきた。

というのも。

「また泣いてる…」

「これで何人目でしょうね」

出口から戻ってくる子供の大半が、泣き叫びながら出てくるんだよ。

中には、自分で歩くことも出来ず、親御さんに抱えられてようやく出てくる子もいる。

幼稚園児や、小学校低学年くらいの子だけならまだしも。

結構大きい子、五、六年生くらいの子も泣きながら出てくるの。

あんなに大きくても、泣いて出てくるってどういうことだ?

勿論、泣かずに戻ってくる子もいるんだけど。

怖くないから泣かなかった、じゃなくて。

顔が不自然に引き攣っていて、恐怖で固まってるんだよ。

あまりの恐怖に涙も出ない、みたいな様子で。

ギャン泣き、半泣きの子供を連れている親御さんも、引き攣ったような顔をしている人が多くて。

何なら子供だけじゃなくて、高校生や大学生くらいの人でも、肩を震わせて出てくる始末。

皆…大丈夫か?一体どうしたんだよ?

さすがの俺も、これはもしかしたら普通じゃないのかもしれない、と思い始めた。

「なぁ…。皆、何で泣いてるんだ?」

「何でって…。…怖いんじゃね?」

えっ。

このお化け屋敷が、ってことか?

…そんなに怖いのか?これ。

俺はてっきり、ハムスターランドで乗ったハムーテッド・マンションと似たようなものだと思っていたのだが。

こんなデパートの一角で、夏休み限定で開かれるイベントだろ?

所詮子供騙しみたいなもんだ、とたかを括っていた。

…しかし。

またしても泣き叫ぶ声がして、出口の方を見ると。

俺達と大して歳の違わない、中学生か高校生くらいの女の子二人組が。

涙でくしゃくしゃの顔をして、二人で抱き合っていた。

…。

…ヤバくね?

もしかしたら、いやもしかしなくても…これってヤバいんじゃね?

そんな怖いの?恥も外聞もなく、人前で泣くくらい怖いの?

更に、そんな俺の不安に追い討ちをかけるように。

お化け屋敷のスタッフらしき人が、繰り返し繰り返し、行列に並ぶ人に向かって注意事項を伝えていた。

「心臓の弱い方の入場はお控えください」ってさ。

つまりそれって、心臓の弱い方が入ったら危ない、ってことだろ?

…あれ?俺、これ大丈夫?

俺って心臓弱いっけ?

…思い出す。ハムスターランドでの出来事。

絶叫系アトラクションに立て続けに乗せられ、ごっそり体力を奪われてヒーヒー言ってた自分のことを。

…あれ?やっぱり俺、ヤバくね?

今更になって、危機感を覚えたが。

「だいぶ列が短くなってきましたね。あと10分ってところでしょうか?」

「あー長かった〜」

乙無も雛堂も、ケロッとしてるし。

何より。

「もうすぐだね、悠理君。楽しみだね」

「あ、あぁ…」

寿々花お嬢さんが、目をキラキラさせて楽しみにしてるのに。

…やっぱり俺だけ遠慮するわ、なんて言えないじゃないか。

新手の脅迫じゃね?これ。
こうなったら、もう覚悟を決めるしかなかった。

…なんか、俺こういうことばっかりだよな。

やっぱり無理だから、って逃げ出そうとしない辺り、偉いと思わないか?

と、心の中で虚しい自画自賛をしていると。

「ところで、ペア分けはどうするんですか?このまま四人で入ります?」

乙無が俺達にそう尋ねた。

「僕は一人でも良いですけど」

「いや、四人いるんだから、分けるなら二人ずつが無難じゃね?」

そうだな。

乙無が一人で入ったら、俺と雛堂と寿々花さんの三人になってしまう。

二人も引率するのか。俺。

「出来ればここは女の子と入って、お化け屋敷の定番のアレをやりたいよな」

と、雛堂。

「…何だよ?お化け屋敷の定番のアレって」

「ほら、『きゃっ、○○君、こわーい』『大丈夫だよ、俺が守ってあげるから』みたいな…」

何?その茶番。

それ、マジでやる人実在すんの?

目の前でそんな下らないことやられたら、うんざりして唾吐きかけたくなるけど。

「前から思ってましたけど、大也さんってしょうもないアニメと漫画の見過ぎですよね」

乙無が一刀両断。

同感。

「何だよ!リア充には分かるまい。非モテ男ほど、そういうベッタベタの定番シチュに憧れるもんなの!」

あっそ。

どっちにしても下らねぇよ。

あと、寿々花さんはおよそ、普通の女子ではないからな。

百歩譲って雛堂と一緒に入ったとして、『きゃっ、こわーい』とはならんと思うぞ。

精々、妄想して満足しておくんだな。

「ってな訳で無月院の姉さん、ここは自分と一緒に…」

「私、悠理君と一緒に入る」

寿々花さん、ばっさり。

考える余地もない。

「…一瞬でフラれましたね、大也さん」

「…言うな…」

ちょっと雛堂が可哀想になったけど。

まぁ雛堂は自業自得だな。下心全開の発言ばっかしてるからだよ。

「畜生、やっぱり駄目か…。可愛い後輩より、旦那の方が良いんだな」

「自分で可愛いって言います?」

「仕方ねぇ。乙無の兄さん、代わりに自分の腕に抱きついて良いぞ」

「気持ち悪いですから。僕で妥協しようとしないでください」

どうでも良いけど、人前で男同士がくっつくなよ。

下手な誤解が生まれるからな。

…で。

「…寿々花さん、本当に俺と一緒で良いのか?」

多分、俺は頼りないぞ。

さっきの雛堂じゃないけど、『きゃーこわーい』ってなっても、俺は守ってやれないと思うぞ。

心臓に剛毛が生えてる寿々花さんでさえビビるレベルなら、恐らく俺も負けないくらいビビってるはず。

努力はするつもりだけど。…頼り甲斐があるとは思えない。

しかし。

「うん、悠理君と一緒が良い。悠理君と一緒なら、怖いこと何もないもん」

…何処から出てくるんだ?その自信。

俺のあまりの頼りなさに、幻滅しても知らないからな?
そんな話をしているうちに、ようやく順番が回ってきた。

いよいよだな。

「どっちが先に行く?」

「ここは年功序列で、星見の兄さん達が先にどうぞ。自分と乙無の兄さんは、後から追いかけるわ」

とのこと。

じゃ、俺と寿々花さんペアが先行で。

雛堂と乙無ペアが後攻ってことで。

入り口で料金を払って、俺と寿々花さんは暗い暗幕の中に入った。

おぉ、なんか一気に雰囲気出てきた。

「よし、寿々花さん。行くか」

「うん。…暗くて、足元がよく見えない」

おいおい、すっ転ぶなよ。

俺だって足元、覚束ないのに。寿々花さんがすっ転んだらどうやって助け起こせば良いのか。

…それなら。

俺は、自分の右手をすっと差し出した。

「…悠理君?」

「手、繋いで入ろうぜ。はぐれたり転んだりしたら困るだろ?」

「…!うん」

寿々花さんは何故か、妙に嬉しそうに頷き。

自分の左手を出して、ぎゅっと俺と手を繋いだ。

あ、やべ…。緊張で手が汗ばんでるの、バレたかな。

「よし…行こうか」

「うん。れっつごー」

余裕だな、寿々花さん。

果たして俺も同じように、余裕でこのお化け屋敷を踏破することが出来るだろうか…?
…えー。

此処から先は、諸事情によりお見せ出来ません。

…。

…。

…チビっ子達が、ギャン泣きで出てきた理由が分かったよ。

恥と体面がなかったら、俺だって泣き出したかったっての。

でもかろうじて、寿々花さんと繋いだ手は離さなかったぞ。

俺の唯一のプライドだけは守り切った。

ただ、その他のプライドは守れなかった。

「はー。面白かったねー、悠理君」

「…」

「あれ?悠理君大丈夫?何だか青い顔してるよ」

「…そうだな…」

そりゃ、真っ青にもなるだろ。

死ぬかと思った。

比喩じゃなくて本当に、心臓止まって死ぬかと思った瞬間が何度もあった。

聞いてねぇよ、こんな恐ろしいお化け屋敷だったなんて。

何度悲鳴を上げたか分からない。喉カラッカラで痛いんだけど。

思い出しただけで身の毛がよだつ。

男である俺が、こんなに情けない姿を晒しているのに。

「おばけがいっぱいだったね。楽しかったー」

寿々花さんは目をキラキラさせて、余裕の表情。

…あんたは、何かに怯えるとか怖がるとか、そういうことはあるのか?

楽しかった、だってよ。聞いてるか?円城寺。

俺は頭の中で、寿々花さんの元婚約者のことを思い出した。

うちの寿々花さんは、高尚なオペラじゃなくて、化け物が出てくるお化け屋敷の方が良いんだってさ。

だから寿々花さんを満足させたかったら、あんたもこうやって、恐怖のお化け屋敷に付き合うんだな。

俺はやり遂げたぞ。相当ダメージは深かったが、しかし寿々花さんを楽しませ、満足させることが出来た。

相当ダメージは深かったがな。

…すると。

「お?出口だ。終わったな」

「短いように見えて、意外と長かったですね。まるで人生のようです」

後攻組の雛堂と乙無が、出口から出てきた。

おぉ、あんたら…。存在忘れてたよ。無事だったか?

俺みたいにげっそりした様子はないから、二人は俺より余裕だったみたいだな。

「あんたら…怖くなかったのか?」

「僕は全く。全部子供騙しです。人間の罪の方が余程恐ろしいですね」

乙無は余裕。

一方の雛堂はというと。

「いや、普通に怖かったんだけどさ…。逐一前の方から星見の兄さんの悲鳴が聞こえてきて、『あーこの辺に何がいるんだな』って分かっちゃって…」

「…」

「なんか、純粋に楽しめなかった気がするよ」

…そうか。

ごめんな、俺のせいで。

順番、逆にすれば良かったな。

まさかこんな恐ろしい場所だとも知らず…。

「悠理君、青くなっちゃってる」

「星見の兄さんのダメージが深刻だな」

「声、ガラガラになってますけど大丈夫ですか?」

それどころか腰が抜けてるよ。

情けなっ…。ほんっと、情けなっ…。

恐怖よりも、自分の情けなさに涙が出そう。
四人でお化け屋敷に入って、腰抜かして半泣きになってるの、俺だけかよ。

本当情けない。 

ここは嘘でも良いから、虚勢を張っておきたかった。

が、そのような気力もなく。

休憩と、叫び過ぎてがガラガラになった喉を癒やす為に、俺達はデパートのカフェに立ち寄った。

「悠理君、大丈夫?私のオレンジジュース飲む?」

「…大丈夫…」

冷たいアイスコーヒーで喉を潤す。

叫びまくった喉に、アイスコーヒーが滲みるよ。 

あー情けない。

こういう言い方するのは失礼だけどさ。

女性の悲鳴は、まだ聞くに堪えられる。

しかし、男の悲鳴ほど情けなく、聞くに堪えないものはないと思うんだよ。

ましてや、女性である寿々花さんは全く怯えてなくて、何が出てきても「わー」って棒読みで呟いてるだけなのに。

隣で俺だけガチ悲鳴って、そんな情けないことある?

それなのに、寿々花さんは情けない俺を笑うことはなく。

「悠理君、元気出して。私のパフェ食べて良いよ」

むしろ気を遣って、パフェを勧めてくれた。

ありがとうな。

でも、優しくされるとむしろ、自分の情けなさが身に滲みるんだわ。

「笑い飛ばして良いんだぞ。この腰抜け、って…」

いっそ、そうしてくれた方が気持ちが楽まである。

しかし。

「何で?悠理君、ちゃんと腰ついてるよ」

いや、そういうことじゃなくてな…。

「大丈夫だって、星見の兄さん。半泣きで腰抜かしてるの、兄さんだけじゃないじゃん」

「他の客は泣き喚いたり、腰が砕けて立てなくなってる人もいましたからね。それに比べたら、悠理さんはまだマシでは?」

「そうそう。叫びまくってたけど、何とか逃げずにゴール出来たもんな」

雛堂と乙無にも慰められた。

友人達の優しさが心に滲みるようだ。

「それに、自分も結構ビビったぞ。特に、あの手術台に寝そべってた…」

「あぁぁ、もう言うな。思い出させるな」

トラウマになるだろ。

何とか思い出さないように、必死に気を逸らしてるんだよ。俺は。

「あと、霊安室のアレもヤバかっ…」

「言うなって言ってるだろ、馬鹿」

あれは夢に出てくるレベル。

誰だよ、あんな演出考えた奴。絶対ろくな趣味してないって。

「いやー、楽しかったな。お化け屋敷に行って、帰りにこうしてカフェでアイス食べてさー」

と、雛堂はご満悦。

良い気なもんだ。お陰で、俺はトラウマを増やしたっていうのに。

「しかも、何だかんだ女子と一緒に過ごせたし。夏っぽいこと最高だな!」

「その女子は悠理さんのフィアンセだから、完全に脈なしなんですけどね」

という、乙無のツッコミはスルー。

「…?みゃくなし?死んでるの?」

「…こいつらの言うことは、適当にスルーして良いんだぞ、寿々花さん」

まともに相手しなくて良いから。お人好しだなあんたは。
こうして、俺のトラウマを増やしながら「夏っぽいこと」を体験し。





そろそろ、夏休みも終盤に差し掛かった頃のこと。




「はー…。終わった終わった」

シャープペンシルを机に置いて、俺は安堵の溜め息をついた。

長かったよ。

でも、やり遂げたからな。セーフ。

「?…何が終わったの?」

俺の傍で、おままごとセットを出して遊んでいた寿々花さんが、きょとんと首を傾げた。

よくぞ聞いてくれた。

「宿題だよ」

「宿題…?」

「そう、夏休みの宿題」

「宿題…」

何でそんなに反応薄いんだ、と思ったが。

そういや、女子部の生徒は夏休みの宿題なんてないんだっけ。

夏休みは、海外旅行や避暑地の別荘で過ごす生徒が多いからって。

全く、羨ましい話だよ。

「問題集やプリントの宿題は、さっさと終わらせたんだけどさ…。読書感想文と小論文っていう、面倒臭い奴が残ってたんだよ」

あと、英文読解な。

これらが面倒臭くて、ついつい後回しにしてしまってたんだよ。

本当は、もっと早くやるつもりだったんだぞ。

円城寺が寿々花さんをオペラに連れ出した日な。あの日に終わらせるつもりだったのに。

円城寺にムカついて、それどころじゃなくなって。

結局また後回しにして、今日に至る。

そろそろ、マジでやらなきゃいけないと思って。

今日、朝から机に向かって…何とか終わらせた。

やれやれ。

これで、夏休みの宿題全部終わり。

始める前はうんざりした気分だったけど、こうしてやり遂げると、達成感が半端じゃない。

「宿題頑張ったんだ?悠理君、偉いねー」

小さい子にするみたいに、寿々花さんは俺の頭をよしよし、と撫でてきた。

そりゃどうも。

「寿々花さんのクラスは、やっぱり今年も宿題はないのか?」

「え?うん」

良いなぁ。羨ましい。

夏休み、満喫し放題じゃん。

「夏期講習ならあるけど、それは希望者だけだし…」

とのこと。

夏期講習ね。学校でそんなの開かれてんの?

男子部の生徒には、全くお声がかからなかったんだけど?

「寿々花さんは、夏期講習行かなかったのか」

「うん」

まぁ、寿々花さんは夏期講習なんて受けなくても。

学年一、いや、学校一の成績を誇ってるからな。

「だって、飛行機乗りたくなかったから」

…飛行機?

夏期講習と飛行機と、何の関係があるんだ?

「…何処でやるんだ?その夏期講習」

「オーストラリア。聖青薔薇学園の姉妹校があるの」

それ、夏期講習じゃなくて短期留学じゃね?

国内でやれ。つーか学内でやれよ。

男子部に全くお声がかからない訳だよ。

「夏期講習をわざわざ海外で…。さすがお嬢様…」

たかが夏休みの補習授業だけで、オーストラリアまで行ってたまるか。

それなら俺は、自宅のリビングのテーブルで、冷たい麦茶でも飲みながら英文読解やってる方がマシだよ。
…しっかし、夏期講習でオーストラリアかぁ…。

で、他の女子生徒達は、海外旅行に行って?

その他の生徒も、国内の別荘で優雅に過ごすのが当たり前なんだろ?

それは凄いと思うよ。スケールデカくて。

いかにも、金持ちの夏の過ごし方って感じ。

園芸委員長である小花衣美園(こはない みその)先輩も、海外に行くって言ってたもんな。

今頃、何処でどうしていることやら。

…しかし。

「…なぁ、寿々花さん。あんたはこれで良いのか?」

「ほぇ?」

ほぇ、じゃなくて。

「他のクラスメイトは、皆、旅行したりオーストラリア留学したりしてるんだろ?」

「うん」

「寿々花さんは、何もやらなくて良いのか?」

新学期になったら、クラスメイトは皆、旅行や留学の思い出話に花を咲かせるんだろうに。

現状、うちの寿々花お嬢さんには、皆に話せるような思い出がない。

海外行ってないし。別荘なんてないし。

周囲が楽しそうに、充実した夏休みの思い出を語っている中で。

寿々花さんだけ、話に加われずに気まずい思いをするようなことになったら…。

凄く気の毒。

「今からでも遅くないから、どっか海外に行くとか…」

寿々花さん、英語ペラペラだし。英語圏の国なら困らないだろ。

「海外…?別に興味無いけど…」

しかし、寿々花さんはいまいち乗り気ではない。

「悠理君が一緒なら、何処に行っても良いよ」

あ、そう…。

じゃあ今すぐ飛行機のチケット取って、一緒にアメリカ旅行にでも行こうか、と言いたいところだったが。

「無理だな。俺、パスポート持ってない」

生まれてこの方、国内から一歩も出たことがない引きこもりの俺が。

パスポートなんて、お洒落なものを持っているはずもなく。

今から申請していたら、夏終わるっての。

「じゃあ、良いや。悠理君とおうちで過ごす」

「いや…そうは言うけどな、このままじゃ夏休みの思い出が…」

寿々花さん一人だけ、話の輪に入れずに気まずい思いをしているところを想像したら。

いたたまれないと言うか、可哀想と言うか…。

胸が締め付けられるような気持ちになる。

それなのに、寿々花さんは全く気にしていなくて。

「夏休みの思い出?いっぱいあるよ」

むしろ嬉しそうに、寿々花さんはそう言った。

…何?

海外旅行にも、別荘にも留学にも行ってないのに?

「悠理君と花火大会して、りんご飴食べて、それから悠理君のお誕生日会をやって、ケーキを一緒に食べて」

「お、おぉ…」

「それからそれから、たこ焼きパーティーもやったでしょ?この間はお化け屋敷にも行ったよ。ね、思い出いっぱいだ」

…確かに、言われてみれば。

相当アグレッシブって言うか…。色々やったな、今年の夏休みは。