「まずは、このエントランスのセキュリティゲートから参ります」

1階に下りると真里亜は、先程プロジェクターで映していた資料を印刷したものを、社長に見せながら説明する。

「この部分にカードタッチをお願いいたします」
「こうだな」

社長はピッという音と共に開いたゲートを、満足そうに通過する。

「はい、バッチリです。ではエレベーターに参ります」
「えーっと、この部分にタッチだな?」

社長は、真里亜が持っている資料のイラストを覗き込みながら、パネルにタッチする。

「左様でございます。その後、上か下かのボタンを押していただけますでしょうか?」
「えーっと、社長室は地下3階だから…」

そう言いながら下のボタンを押そうとする社長に、真里亜は思わず、ええー?!と驚きの声を上げる。

「ははは!冗談だよ。親父ギャグ」
「そ、そうでしたか。びっくりしてしまいました」
「いや、でも実際に地下に社長室があってもいいだろうな。不審者の意表を突けるだろう?」
「確かに、おっしゃる通りですね」
「ああ。これも立派なセキュリティシステムだ。親父のアナログセキュリティだな」
「ふふふ、お上手ですね」

無事にエレベーターに乗り込み、最上階の社長室に着く。

「ほー、これが顔面認証か」
「さ、左様でございます」

えーい、もう何とでも呼んでくれ!と真里亜は投げやりに頷く。

「ここを見ながら指を置くんだな。おーい、ワシじゃ」

社長は指をかざしながら球体に話しかける。

「あはは!社長でいらっしゃいますよー」

真里亜もだんだんテンションがおかしくなってきた。

ピーッという音がして、カチャリとロックが解除される。

ドアレバーに手をかけて真里亜がドアを開けると、社長は部屋に足を踏み入れ、ゴール!と両手を挙げて喜ぶ。

後ろに控えていた社員達が、一斉にパチパチと拍手した。

(なんじゃこりゃ)

そう思いつつ、真里亜もにこやかに笑ってみせる。

「社長、無事にお城に到着ですね。おめでとうございます!」
「ああ。なかなか楽しかったわい。早くここに通いたくなった。それ、もらえるか?」
「もちろんです」

真里亜は、持っていた資料を社長に手渡す。

「これは、君が作ったのかね?」
「はい。左様でございます」
「これが一番分かりやすかった。ありがとう。君、名前は?」
「申し遅れました。わたくし、AMAGIコーポレーションの阿部と申します」

名刺を差し出しながら、しまった!人事部って書いてある!と青ざめたが、社長は気づかなかったようだ。

それよりも、名前に釘付けになっている。

「君、阿部 真里亜っていうのかね?」
「あ、はい。顔に似合わず申し訳ありません」
「何を言う。良い名前じゃないか。久しぶりにアベ・マリアを聴きたくなったな。今夜ワインを飲みながら聴くとしよう。グノーか、いや、カッチーニかな」

社長は満足そうに笑顔で頷いていた。
「みんな、今日まで本当によくやってくれた。ありがとう、お疲れ様!」
「お疲れ様でした!」
「かんぱーい!」

文哉の音頭に、皆で一斉にグラスを掲げる。

無事にキュリアスの仕事が全て終わり、チームのメンバーは会議室でささやかな打ち上げをしていた。

「いやー、今回は何と言っても真里亜ちゃんのおかげだよ」
「いえいえ、そんな。皆さんのシステムの説明、素晴らしかったです。先方のエンジニアの方達も感心されてましたし」
「けど俺達は、肝心の社長は納得させられなかったんだ。真里亜ちゃん、いつの間にあんな資料作ってたの?使う予定じゃなかったでしょ?」
「はい。いつも準備する資料は『10のうち1だけでも役に立てば儲けもの』って気持ちで作ってますから」
「へえ、すごいなー」
「これぞ、秘書課魂!って私、人事部ですけど」

あはは!と皆が笑い声を上げる。

「とにかく!今日の立役者、真里亜ちゃんにかんぱーい!」

笑顔で皆と乾杯している真里亜を、文哉は少し離れた所から見守っていた。

「いいのか?彼女を逃しても」

いつの間にか隣に来ていた住谷が声をかける。

「お前、彼女以上の子なんて見つけられるのか?真里亜ちゃんがそばにいるのといないのとでは、雲泥の差だな。仕事も、この先のお前の人生も」

ポンと文哉の肩に手を置いてから、住谷は皆の輪に加わる。

一層盛り上がるメンバーと、その中心で明るい笑顔をみせる真里亜を見て、文哉は複雑な想いを抱えていた。

(いつも冷たくあしらって、あんな怪我まで負わせてしまった。チームから外れろと言っておきながら、結局こんなにも助けてもらって…。今更、なんて声をかければいいのか)

それにキュリアスの仕事は終わった。
明日から真里亜は人事部の仕事に戻る。

(もう彼女との接点はなくなったんだ)

急に真里亜を遠くに感じ、文哉は結局ひと言も声をかけることが出来なかった。
「阿部 真里亜ー、これ頼んでもいいか?」
「はーい」

次の日から真里亜は、人事部の仕事に本格的に復帰した。

キュリアスの時のように1から資料を作る、なんてこともなく、淡々と決められた手順で事務処理をしていく。

藤田や先輩達と雑談を交わしながら、のんびりと仕事をしていると、キュリアスの仕事に追われていた怒涛の日々は、もはや遠い昔のことのような気がしていた。

「お昼行こうよー」
「あ、たまには外に食べに行かない?」

先輩達の提案に、真里亜も頷く。

「いいですね。外でランチなんて久しぶり!」

カーディガンを羽織り、小さなバッグを持って近くのおしゃれなイタリアンレストランに行く。

「はー、これぞOLって感じ」

美味しいカルボナーラを食べながら、真里亜はうっとりと呟く。

「あはは!そっか。真里亜、最近まで下僕だったんだもんね」
「大変だったねー。これからは人事部で平和に過ごしなよ」

先輩達に、はいと返事をしながら、真里亜はふと違和感を覚えた。

(そんなに嫌な毎日だった?ううん、違う。確かに忙しかったし、副社長とやり合ったりしたけど、私はきっと…)

幸せだったんじゃないかな?

頭に浮かんだセリフを、真里亜はじっと考える。

副社長室で文哉と二人、キュリアスの為に何度も話し合い、確認し、資料を練り直していた日々。

一生懸命作った資料をドキドキしながら文哉に見せ、完璧だ、と言ってもらえた時の喜び。

コンペを勝ち取り、皆で喜び合って打ち上げをした時の達成感。

チームメンバーで力を合わせて最後までキュリアスの仕事をやり遂げ、互いを労った時の仲間との絆。

(あの経験は私にとってかけがえのない財産。副社長室で過ごした日々は、間違いなく私の幸せな時間だったんだ)

そう自覚した途端、真里亜の心の中で、幸せが遠ざかる寂しさが広がっていった。
人事部での穏やかな日々が過ぎていく。

すっかり季節は秋へと移り変わり、真里亜はますますキュリアスの仕事に没頭した夏の出来事を忘れかけていた。

そんなある日。
仕事が一段落した真里亜は、コーヒーでも飲もうと部屋を出たところで声をかけられた。

「真里亜ちゃん」
「住谷さん!お疲れ様です」
「お疲れ様。ちょっといいかな?」
「はい」

二人でカフェテリアに行くと、コーヒーを飲みながら住谷が近況を聞かせてくれた。

「キュリアスの新社屋、無事に引っ越し作業も終わって機能し始めたらしいよ。今の所セキュリティシステムも順調で、2千人いる社員もスムーズにIDカードを使いこなせているらしい。あ、もちろん社長もね」
「そうなんですね!良かったー」
「ああ。それで来週の金曜日、新社屋にマスコミを呼んで完成記念式典をやったあと、夜にホテルで盛大なパーティーも開かれるらしい。真里亜ちゃん、都合はつきそう?」

は?と真里亜は真顔で聞き返す。

「私の都合?それは、どういう…」
「記念式典は、スペースの関係でマスコミしか呼べないけど、夜のパーティーは来賓を多く招くみたいなんだ。うちにもその招待状が届いてる。副社長と、真里亜ちゃん宛に」
「はい?私宛に?」

住谷は頷くと、ジャケットの内ポケットから光沢のある白い封筒を取り出した。

「これが招待状。ほら、阿部 真里亜様って書いてある」
「ホントだ。でも、どうして私が?」
「それは、間違いなくキュリアスの社長に直々に招かれたんだと思うよ」
「ああ、なるほど」

最終説明会の時、セキュリティシステムに妙にご機嫌だった社長の顔を思い出す。

「どうかな?真里亜ちゃんには是非行ってもらいたいんだけど」
「分かりました。特に予定もないですし、伺います」
「良かった!ありがとう。じゃあ、来週金曜日の16時にエントランスで待ってるね」
「はい。よろしくお願いします」

そして当日、真里亜は16時に住谷の車で以前と同じブティックに向かった。
文哉を迎えに一度社に戻る住谷と別れ、真里亜はスタッフにヘアメイクをしてもらう。

支度を終えた真里亜は、ブティックのメイク室を出てソファが並ぶロビーに向かった。

「おおー、真里亜ちゃん!すごく綺麗だね」

驚いたような住谷の声がして、真里亜は顔を上げる。

住谷の隣で、同じように文哉が目を見開いてこちらを見ていた。

(わあ…。副社長、とってもかっこいい)

ブラックのスーツに深みのあるボルドーのネクタイとチーフ。
髪もフォーマルに整えられていて、大人の色気を漂わせている。

(ひゃー、別人みたい)

真里亜が見とれていると、スタッフが二人を鏡の前に促した。

真里亜は文哉と並んで鏡の前に立つ。

今夜の真里亜は、濃紺で膝下丈のホルターネックワンピース姿だった。

パーティーではあるが、クライアントに招かれた立場上、控えめでなければいけない。

それに自分は副社長の秘書という立場で参加するつもりだったこともあり、スタッフに、クラシカルで目立たない装いにしたいと頼んだ。

本当は二の腕も隠したかったが、せっかくお若くてお綺麗なのに、とスタッフに説得されて、仕方なくホルターネックで妥協したのだった。

ふんわりカールさせた髪をハーフアップでまとめ、耳元には輝くイヤリングが揺れる。

足元はヒールの高いシューズ、最後にパールホワイトのショールを肩にふわっと掛けてもらった。

「二人ともオーラが半端ないな。どこぞのセレブカップルみたいだぞ」

住谷のセリフに、スタッフ達も大きく頷く。

「本当ですわ。まあ、なんてお似合いなんでしょう」
「うっとり見とれてしまいますね」
「はあ、もうため息しか出てきません」

そんなスタッフ達に、住谷が申し訳なさそうに言う。

「皆様、このままじっくりご鑑賞いただきたいところなのですが、パーティーに遅れてしまいますのでこの辺で」
「はっ、そうですわね。さあ、どうぞお出口へ」

整列したスタッフ達に礼を言い、真里亜は文哉の隣に座って住谷の運転する車でブティックをあとにした。
「それでは、私はここで。行ってらっしゃいませ。素敵なパーティーを」

ホテルに着くと、住谷は車を降りた二人にそう言ってお辞儀をする。

「え?住谷さんもいらっしゃるんじゃないんですか?」

真里亜は驚いて尋ねた。

「私は招待されておりませんので」
「でも、秘書としてなら…」
「今夜の副社長秘書は、真里亜ちゃんにお願いしたいと。構いませんか?」
「ええ、それはもちろん」
「では、よろしくお願いいたします」

住谷はうやうやしく頭を下げる。
真里亜は仕方なく、文哉と会場に向かった。

歩き始めると、文哉がスッと左肘を曲げて差し出す。
真里亜は、ありがとうございますと言ってから右手を文哉の肘に添えた。

「うわっ、すごいですね」

会場に1歩足を踏み入れた途端、目が眩むほど大きなシャンデリアと壁の豪華な装飾、そしてビッシリと並べられた白いクロスの円卓に、真里亜は思わず息を呑む。

「ああ。さすがはキュリアスだな。ここまでの規模のパーティーはなかなかない」

文哉もしばし会場内を見渡す。

二人はスタッフに案内されて、中央の円卓についた。

綺麗なフラワーアレンジメントと一緒に『AMAGIコーポレーション 阿部 真里亜様』ときちんと席札が用意されており、真里亜はおもてなしの心遣いに嬉しくなる。

程なくして照明とBGMが絞られ、皆はおしゃべりをやめて前方のステージに注目した。

華やかな音楽と共に、まずは大型のモニターにキュリアス ジャパンの紹介映像が流れる。

次々と現れる写真にドラマチックなナレーション。

映画の予告を見ているようなワクワク感に溢れ、皆は一気に引きつけられた。

最後に新社屋の写真が満を持して現れ、美しい空間デザインのエントランスロビー、セキュリティゲートを通る社員の姿、綺麗なカフェテリア、広々としたオフィスの写真も紹介される。

『キュリアス ジャパンは、次の時代へと動き始めます』

締めのナレーションと共に映像が終わると、会場から拍手が湧き起こった。
「とっても素敵でしたね!」

真里亜も惜しみない拍手を送りながら文哉に話しかける。

「ああ。この映像のクオリティからすると、おそらく映通に委託したんだろう」
「ええ?!あの有名な映通にですか?」
「ほら、一番前の左端のテーブル。あそこにいるのがおそらく映通さんだ」

文哉の視線を追って前方を見ると、いかにもやり手といった男性が5人、満足そうに頷きながら互いに声をかけ合っている。

おそらく仕上がり具合に満足しているのだろう。

「副社長。さっきみたいな映像を映通さんに頼んだら、いくら位かかるんですか?」
「んー、そうだな。あの尺だと、1千万かな」

いっ…?!と、真里亜は驚きの余り言葉を失う。

凡人には想像もつかない程の大金が、ビジネスの世界では日々動いているのだろう。

(副社長も、そんな大金を動かす人物の一人なのよね)

心の中で感心していると、キュリアス ジャパンの社長のスピーチが始まった。

(わあ、こうして見ると威厳があるなあ)

ライトに照らされたステージに悠々と現れ、広い会場をゆっくりと見渡してからマイクで話し始める。

「えー、皆様。本日はキュリアス ジャパンの新社屋完成記念パーティーにお越しいただき、誠にありがとうございます。おかげ様でこれまで順調に成長を続けて参りました弊社も、いよいよ次世代に向けて大きく動き出します。その第一歩として、新しい社屋を都内の一等地に建設することが出来ました。この場をお借りしてお礼を申し上げると共に、ご協力頂いた企業の皆様をご紹介します。まずは、素晴らしいデザインを考えてくださった空間デザイナーの日向さん」

促されて、前方のテーブルから男性が一人立ち上がってお辞儀をする。

「続いて大きな建物を一から建設してくださった、加山建設の皆様」

今度は2つのテーブルから10人程が立ち上がった。

「先程ご覧いただいた、新社屋紹介映像を作ってくださった映通の皆様」

やはり文哉が思った通りの5人組が立ち上がる。

1千万かあ…と、またもや値段を思い出しながら、真里亜も拍手を送っていた。

「そして、このビルと社員の安全を守る素晴らしいセキュリティシステムを開発してくださった、AMAGIコーポレーションの皆様」

完全に油断していた真里亜と文哉は、え…と固まった後、慌てて立ち上がった。

「今やどのビジネスにもコンピュータテクノロジーは不可欠。皆様、大事な情報や機密事項を守るのも、AMAGIさんにお願いすれば安心ですよ」

社長のまさかの有り難い紹介に、真里亜と文哉は深々と頭を下げた。
やがて食事と歓談の時間になり、文哉と真里亜はタイミングを見て社長に挨拶に行く。

社長は二人の顔を見るなり、破顔して握手を求めてきた。

「これは天城副社長。今日はよく来てくれたね」
「お招きいただき、ありがとうございます。改めまして、新社屋の完成、誠におめでとうございます」
「ありがとう!いやー、あのセキュリティシステム、なかなか快適だよ。スマートに涼しい顔して使いこなせるようになったんだ」
「左様でございますか。嬉しいお言葉をありがとうございます。もし何かありましたら、いつでもお知らせください」
「ああ。頼りにしてるよ」

そして社長は、文哉の隣の真里亜に目をやる。

「おおー、アベ・マリア。今夜はますますアベ・マリアだな」
「ありがとうございます…?」

意味が分からないが、とにかく笑顔で頭を下げる。

「今度ゆっくり話をしよう。またいつでも遊びに来なさい」
「はい、ありがとうございます。楽しみにしております…?」

遊びに来いって、どこへ?
話をしようって、何の話?

更にハテナは増えるが、真里亜はまたもやにっこり微笑んで頷いた。

自分達のテーブルに戻ると、意外にも他のお客様に次々と声をかけられる。

「うちのセキュリティシステムもお願いしたい」
「どんなシステムか、今度詳しく話を聞きたい」
というものから、
「どうしてキュリアス ジャパンの社長と仲が良さそうなのか?」
と聞かれたりもした。

料理を食べる暇もなく、文哉も真里亜も色々な人と名刺交換をする。

ようやく人心地ついたときには、テーブルの上に、もらった名刺の山が2つ出来ていた。

「うわっ。俺の手持ちの名刺、あと3枚しかない」
「私はあと1枚です…」

もう誰にも声をかけられませんように…と思わず心の中で呟いた時、真里亜は手にしていた自分の名刺に視線を落として、思わず、あー!と声を上げた。

「びっくりした。なんだ、どうした?」
「あの…。私の所属先、人事部ってなってるのに配ってしまって…」
「あー、そうか。まあ仕方ない。けど、うーん…。やっぱりマズイな」
「ですよね。申し訳ありません」
「いや、お前が悪いんじゃない。気にするな」

だが、この先もこういうことがあると考えたら…。

しばらくの間、文哉は今後の真里亜の所属先について思案していた。
パーティーもお開きとなり、二人はもう一度社長に挨拶してから会場を出る。

大勢の来客が一斉に動き始めた為、通路は混雑していてなかなか前に進まない。

真里亜はゆっくりと、パーティー会場に届けられた大きな花を見ながら歩く。

所狭しと並べられた豪華な花の中に、AMAGI コーポレーションから贈ったものもあった。

(うん。ゴージャスで素敵)

微笑んで頷くと、文哉にエスコートされながら、またしばらく進む。

すると、ある花の前で真里亜はふと足を止めた。

「どうした?」
「あ、いえ。このお花、とてもセンスがいいなと思って」

主張するような派手な花が多い中、その花はとても繊細で、色の組み合わせや配置もバランス良く、優しい印象だ。
それでいて、他の花に負けない華やかさもある。

「こういうお花、女性のお客様には喜ばれるかもしれません」
「そうなのか?俺は花には詳しくないから、よく分からんが」
「私も詳しくないですが、なんとなく…。すみません、偉そうなことを言ってしまって」
「いや、そんなことはない。今度うちでも利用してみよう。このフラワーショップの名前、どこかに書いてあるか?」

えーっと…と、真里亜は顔を寄せて宛名と差出人が書かれたカードを見る。

「あ!ここに書いてあるのがそうかな?」
「ああ、そうだろうな。『Fleur du bonheur』幸せの花、か」
「何語なんですか?」
「フランス語」
「ひゃー!副社長、フランス語が分かるんですね」
「分からん。簡単な単語だから、たまたま知っていた」
「いやー、さすがです!ムッシュ」
「ムッシュって、お前…」

文哉は思わず吹き出してから、真里亜にふっと笑いかけた。

「メルシー。マドモアゼル、マリア」

切れ長の目で色気たっぷりにささやかれ、真里亜は顔を真っ赤にする。

(いやいやいや。それはないですよ、副社長。鬼軍曹からジェントルマンへの振り幅が半端ないです)

もはや顔を上げられなくなり、真里亜はうつむいたまま文哉の腕に掴まっていた。