いよいよコンペ1週間前となり、社長や役員達の前でプレゼンのリハーサルを行った。

分かりづらい部分や補足説明などのアドバイスを受け、それをまた持ち帰って練り直す。

毎日それを繰り返し、ようやく前日に全員のOKをもらえた。

「みんな今日まで本当によくやってくれた。あとは明日、全てを相手にぶつけるだけだ。俺達の思いをしっかり伝えよう」
「はい!」

文哉の言葉に、コンペに関わった全員が力強く返事をする。

(いよいよ明日…)

真里亜もはやる気持ちを抑えながら、気合いを入れて拳を握りしめた。
そして迎えたプレゼン当日。
真里亜は副社長室で、朝から何度も必要な書類やパソコンの確認をしていた。

プレゼンを頭の中でシミュレーションしながら、使用する書類を順番に確かめていく。

部数やページ数、落丁等がないかも丁寧にページをめくってチェックした。

(あとは予備の資料とタブレットと…。うん、これでオッケー)

「真里亜ちゃん、準備出来た?」

時間になり、住谷が副社長室に顔を出す。

「はい、大丈夫です」

荷物を手に真里亜が頷くと、よし、行こうと文哉が立ち上がった。

車2台に分かれて、エンジニアやプログラマーのリーダー達と先方のオフィスに向かう。

案内された会議室でそれぞれポジションにつき、準備が整うと、文哉はメンバー全員を見渡して大きく頷いてみせた。

「それでは、我々AMAGIコーポレーションが御社に提案させていただきますセキュリティシステム、並びにネットワークサービスについてご紹介いたします」

文哉のよく通る声で、会議室の雰囲気が一気に引き締まる。

真里亜はそんな文哉を見つめながら、プレゼンの進行に全神経を集中させていた。
数日後。
副社長のデスクに置いてあった仕事用のスマートフォンが鳴る。

画面の表示を見た文哉が、一気に緊張したのが分かった。

今日、キュリアス ジャパンからコンペに参加した企業に、連絡が来ることになっていた。

真里亜と住谷は、固唾を呑んで見守る。

「お世話になっております。AMAGIコーポレーションの天城でございます。はい、はい。こちらこそ、先日はお時間を頂きましてありがとうございました」

やはりコンペに関する連絡なのだろう。

(それで、結果は?!)

真里亜は住谷と前のめりになりながら、文哉の次の言葉を待つ。

「…え?はい」

そう言ったきり、しばし文哉は無言になる。

(ひょっとして、だめ…だったの?)

真里亜はもはや祈るように両手を組んで文哉を見つめていた。

と、次の瞬間、見たこともないくらい明るい表情で、文哉が目を輝かせながら真里亜達を振り返った。

「本当ですか?!ありがとうございます!はい、はい。もちろんです。全力でお手伝いさせていただきます。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします」

わあっ!と、真里亜は住谷と手を取り合い、声にならない喜びを伝える。

「それではまた改めて。はい、失礼いたします」

通話を終えるとひと呼吸置いてから、文哉は、やったぞ!と喜びを爆発させた。

「わー、やりましたね!副社長」
「さすがだな、文哉!」

三人で肩を抱き合い、興奮しながら喜びを分かち合う。

「あー、マジで緊張した。ホッとしたなあ」
「本当に。良かったですねえ」
「いやー、しびれたわ。この達成感!堪らんなあ」

ひとしきり三人で盛り上がり、興奮冷めやらぬまま、まずは社長に報告した。

「本当か?でかした!文哉!」

受話器から社長の大きな声が漏れ聞こえる。

すぐさまコンペのチームリーダーにも伝え、こちらは、うおー!という皆の雄叫びが真里亜の耳にも飛び込んできた。

興奮、安堵、達成感、そして仲間との絆。
色々な想いが込み上げてきて、真里亜は幸せな気持ちに酔いしれていた。
「それでは、コンペの成功を祝して…」

かんぱーい!と、皆は声を揃えてグラスを掲げる。

その日の夜に、早速会議室で打ち上げが行われることになった。

携わったメンバー全員が、晴れ晴れとした表情をしている。

いつも難しい顔で何度もダメ出しをしていたエンジニアも、上手くいかずに苛立ちを隠せなかったプログラマーも、誰もが皆、笑顔で互いを労っていた。

寝不足も疲れもストレスも、全てがどこかに吹き飛んでいったように、ただ皆は幸せな気持ちを共有して称え合う。

「真里亜ちゃーん!紅一点でがんばってくれて、ありがとな!」
「ほんとだよー。おっさんばっかりに囲まれて、むさ苦しい雰囲気の中、よくやってくれたな」
「それに真里亜ちゃんが作ってくれたプレゼン資料、あれはすごかった。あんなに読みやすくてセンスのいい資料、コンピュータオタクの俺らには絶対作れん」

プレゼン前は時間に追われ、ピリピリしながらあまり愛想の良くなかったメンバー達も、まるで別人のように真里亜に話しかけてくれる。

「いいえ。皆さんこそ、本当にお疲れ様でした。コンペのライバルもそうそうたる企業ばかりだったのに、うちが選ばれるなんて。全ては皆さんの尽力のおかげです。AMAGIを支えてくださって、本当にありがとうございました」
「嬉しいこと言ってくれるねえ、真里亜ちゃん。ほら、もっと飲みな」
「はい」

真里亜はお酒と楽しさに酔い、時間も忘れて盛り上がっていた。
「智史、そろそろ俺達は引き揚げよう」

まだ打ち上げは続きそうな雰囲気だが、文哉はこの場を抜けることにした。

いつまでも副社長がいては気を許して楽しめないし、そろそろ帰ろうと思っても帰りにくいだろう。

あとはメンバー同士、気兼ねなく飲んで欲しかった。

「では、私はこれで。皆さん、今回は本当にお疲れ様でした。これから本格的に先方との打ち合わせが始まりますので、引き続きご協力をお願いします」
「お任せください、副社長!」
「我々はどこまでもあなたについて行きます!」

酔いもあり、皆は嬉しそうに文哉に返事をする。

「終電は逃さないように」と言い残し、文哉は真里亜と住谷を連れて副社長室に戻った。
「はあー、なんだろう。身体は疲れてるはずなのに、ちっとも眠くならない」

副社長室に入るなり、真里亜はドサッとソファに座り込む。

「真里亜ちゃん、さては酔っ払ってる?」
「ぜーんぜんですよ。もう幸せで楽しくて!あー、このまま一晩中おしゃべりしたいー。住谷さん、お酒とおつまみ、まだありますよ。ほら!」

真里亜は、余っていたビールとおつまみをテーブルに並べる。

「お、いいね。三人で乾杯し直そうか」
「はい!私、グラスとお皿持ってきますね」

そう言って立ち上がった真里亜が、ふらっとよろけ、住谷が慌てて腕を伸ばして支えた。

「おっと!真里亜ちゃん、やっぱり酔ってるな?」
「ふふっ。気持ちいいですー」
「分かったから、座ってな。歩いたら危ない」

住谷は真里亜を座らせると、給湯室からグラスと皿を持ってきた。

「ではでは、改めて。かんぱーい!」
「お疲れ様でしたー!」

三人でグラスを上げ、また互いを労う。

しばらくすると、へらへらとしゃべりながらビールを飲み干す真里亜に、文哉が声をかけた。

「おい、その辺にしておけ」
「どうしてですかー?こんなに気分いいのに。ね?住谷さん」

真里亜はにっこり笑ってから、またグビグビとグラスを傾ける。

「もうやめておけ」

文哉は真里亜の手からグラスを取り上げた。

「ああー!何するのよ、この鬼軍曹!!」

ブーッ!と盛大に住谷が吹き出して笑う。

「あっははは!真里亜ちゃん、最高!文哉、鬼軍曹だってよ!」
「お前、何を言って…」
「だってホントに鬼軍曹だもん!どこが違うのよ?誰が見たって、副社長は鬼軍曹であります!」

真面目に敬礼までしてみせる真里亜に、住谷はヒーヒー言いながら笑い転げる。

「いいぞ、真里亜ちゃん!その通りだ!」
「智史!お前まで何を…」

覚えてろよーと、文哉は文字通り鬼の形相で真里亜を睨みつけていた。
「うー…、頭が痛い」

真里亜は顔をしかめながら寝返りを打つ。

ガンガンと頭が割れるような痛みと重いまぶたに、あー、これは二日酔いだと確信する。

(飲みすぎたなー。楽しくてつい…)

そう思いながら、なんとか少し目を開ける。

ぼんやりとした視界がだんだんはっきりしてきたと思った次の瞬間、真里亜はパチリと目を開けた。

(な、な、な、何?なんで?)

目の前に、長いまつげを伏せて眠っている住谷の顔があった。

黒い前髪がサラリと額にかかっていて、ドキッとするほど色気がある。

恐る恐る辺りをうかがうと、大きなベッドに二人並んで横になっていた。

(う、嘘でしょ?ここどこ?ホテル?まさか私…)

住谷さんと一夜を共に…?

現実を受け入れられずに、しばらく固まってしまう。

だが、ハッと我に返って急いでベッドから降りた。

(とにかく!住谷さんが目を覚ます前にここから出なくちゃ)

もしかしたら住谷は覚えていないかもしれない。

(お願いだから忘れていて!)

心の中で願いつつ、そっとベッドから離れてドアに向かう。

ここが一体どこなのかは分からないが、ひとまずこの部屋から出なくては。

音を立てないよう、ゆっくりとドアレバーに手をかけた時だった。

ガチャリと反対側からドアが開いて、目の前に文哉が立ちはだかった。

「お、鬼ぐんっ…!」

途中で言葉を止められた自分を褒めてやりたい。

がしかし、突然の鬼軍曹の登場はかなり衝撃的で、真里亜は思わず腰が抜けそうになる。

(そうだ、住谷さんは鬼軍曹の恋人…。このことが知られたら、私、斬られる?!)

ヘナヘナと床に座り込みそうになった真里亜を、文哉が腕を伸ばしてグッと支える。

「しっかり立て。この酔っ払い」
「あ、は、はい。すみません」

真里亜は何とか態勢を立て直す。

この状況が何なのか、混乱する頭で必死に考えようとした時、後ろから、うーん…と気だるそうな住谷の声が聞こえてきた。

(ひいー!住谷さんが起きちゃう)

とっさに真里亜は、文哉の後ろに隠れて息を潜める。

「なんだ?何をやってるんだ、お前」

振り返った文哉に、真里亜は、しーっ!と人差し指を立てた。
「ふわー、よく寝た。おはよう、文哉」
「おそようだ。まったく、いつまで寝てるんだ。もう昼の12時だぞ」
「んー、そっか。あれ?真里亜ちゃんは?」
「ああ、ここに…イテッ!!」

背中をつねられ、文哉は振り返って真里亜を睨む。
真里亜はまた、しーっ!と文哉に目で訴えた。

「あー、だるい。シャワー借りるぞ」

住谷はノソノソとベッドから降りると、反対側のドアの向こうに消えた。

ふう、やれやれと真里亜が息をついていると、文哉が恐ろしい目で真里亜を見下ろした。

「何がやれやれだ?人の背中を思い切りつねりやがって!」
「ひいー!ごめんなさい!お許しをー。純情な乙女心に免じて今回だけはー」
「はあ?!何が純情な乙女だ。どういうつもりだ?!」
「つまり、その。違うんです!決して望んでそうなった訳ではなくて、恐らくお酒のせいで、つい。本当なんです!だって私、今まで一度もホテルで男性とベッドを共にしたことなんてなかったし…」

すると文哉は、恐ろしいほど不気味な笑みを浮かべた。

「へえー。お前、酔った勢いで智史とホテルで寝た…」
「わーーーっ!!ですから、今回ばかりはお見逃しを!なにとぞお願いします。お代官様!」

真里亜は拝むように両手を合わせて頭を下げる。

「ふーん…。見逃してやってもいいが、それは今後のお前次第だな」
「うっ、そ、それは一体、どういう?」
「お前はずっと俺の言いなりってことだ。この鬼軍曹のな」
「おに…?!ど、どうしてそれを…」
「ふん!この俺にそんなあだ名をつけるなんて大した度胸だ。覚えてろよ」

そう言って、スタスタとドアから出て行く。
「そんなー、副社長様!あの、どうかお手柔らかに。そしてどうか!住谷さんとのことは、ご本人にも内緒に…って、あら?」

文哉を追って部屋を出た真里亜は、いつもの見慣れた光景にポカンとする。

「え?ここ、副社長室?あれ?」

キョロキョロと辺りを見渡す真里亜に、文哉が勝ち誇った顔で言う。

「バーカ。お前が寝たのはホテルなんかじゃない。副社長室のプライベートルームだ」
「あ、なんだ。そうだったんですね。良かったー。それによく見たら、私ちゃんとスーツ着たままですしね。あー、ホッとしたなあ」
「よく言うよ。酔っ払った挙げ句に人を鬼軍曹呼ばわりして、更にはプライベートルームで寝るなんて…。前代未聞だ。それにお前、今スーツ着てるからって、何もなかった保証はあるのか?」

え…と真里亜が真顔で固まる。

「もしや、情事のあとにもう一度スーツを着たと?」
「じ、情事って…」

ブッ!と思わず吹き出してから、文哉は不敵な笑みで頷く。

「ああ、そうだ。自分で着たのか、智史が着せたのかは知らんがな」
「え…。そ、そんな。やっぱり私…?」

両手で頬を押さえながら、真里亜は呆然とする。

だが文哉が肩を震わせて笑いを堪えているのに気づくと、真里亜は、あー!と声を上げた。

「嘘なんでしょ?からかってますよね?私のこと」
「引っかかるお前が悪いんだろ」
「酷い!私、本気で青ざめたのに!」
「良かったな、智史に襲われなくて」

ククッと文哉がまだ笑いを収められずにいると、俺がなんだって?と声がした。

振り返ると、頭をタオルで拭きながらバスローブを着た住谷が部屋に入ってくるところだった。

はだけて見える胸板が男らしくて、真里亜は顔を真っ赤にする。

「す、住谷さん!服を着てきてください」
「ん?どうして?」

視線を逸らす真里亜に、わざと近寄ろうとする。

「お前に襲われるかもしれないって怯えてるんだよ」

文哉が含み笑いをしながら、住谷のバスローブの胸元を整える。

(ひゃー!!何?この恋人同士の熱々ぶりは)

真里亜は、完全に背中を向けて必死で気持ちを落ち着かせる。

「あらら、嫌われちゃった」
「バカ。お前が悪いんだろ?」

更に聞こえてきた二人のラブラブな口調に、真里亜はもう顔から火が出そうな気がした。

「あ、あの、私…。そうだ、仕事!仕事しないと」

急に思い出し、慌ててデスクに座ろうとすると、文哉と住谷が揃って笑い出した。

「真里亜ちゃん、今日土曜日だよ」

住谷の言葉に、え?と真里亜は目をしばたかせる。

「そ、そっか。土曜日…」
「うん。仕事は休み。ね、良かったら一緒にブランチでもどう?」
「いえ!それはだめです」
「どうして?」
「その、これ以上お二人のお邪魔をする訳にはいきません。それでは私はこれで失礼します」

え、真里亜ちゃん!と呼び止める声を聞き流し、真里亜は鞄を手に急いで副社長室をあとにした。