「失恋、ですかね……」

 言葉を紡げないでいる私から目を逸らすと、悲しそうに私の手から指輪を外そうとする。
 反射的にその手を押さえて、止めてしまう。
 大きなダイヤに目がくらんだわけじゃない。ただ、春政さんとの逢瀬が惜しくてたまらなかった。
 この指輪が外れてしまったら、春政さんとの甘い夢も終わってしまう。この手を離してしまえば、もう春政さんと会えることなんてない。駅前を通るよう言いつけることだってなくなって、私は車窓の景色にさえなれなくなる。住む世界が違い過ぎる。

「受け入れて、くださるのですか……?」

 期待と不安に揺れる眼差しを向けられて、唇に力が入る。
 喉の奥がカラカラで、声が引っかかって痛む。昨夜さんざん嬌声を上げさせられて、堪えても堪えられなかった。その声が、今になって出てこない。
 言葉に出来ないまま、私は頷く。

「ずっと、駅で待っていた甲斐がありました」

 春政さんの目が細められ、私の目が見開かれる。
 ずっと駅で待っていた。駅といえば、初めて出会って道案内したあの駅でのこととしか思えない。私はあの日、春政さんが駅で困っているのに一目惚れして声をかけた。偶然の出会いだと思ってた。でも、初対面だと思っていたのは私だけで、春政さんはずっと私を見ていた。
 じゃあ、あの出会いは……

 桜雅財閥の御曹司。
 桜雅グループの総帥となる人がただの可愛い人なわけがなかった。

 狡猾な眼差しが私を捉える。
 私が察してしまうことさえ、彼にとっては計算のうちなんだろう。
 それでもこの手を振り払わないのかと、問いかけられているようだった。その問いかけに答える代わりに、私は昨夜伝えられなかった思いを告げる。
 喉につっかえて出てこなかった言葉が、自然と零れた。

「好きです、春政さん」

 狡猾眼差しの下の不安を、振り払ってあげたかった。 
 一瞬目を見開いてから逸らして、俯きがちに赤くなる。その姿に、やっぱり可愛い人だと思う。
 一夜の甘い夢のはずが、まだまだ夢は終わりそうにない。身分違いのこの恋が、悪夢に変わる日だってあるかもしれない。
 それでも――

「僕も、好きです……百華さん」

 彼のこの言葉を胸に、私は終わらない甘い現実を夢見て微笑む。





「一夜の甘い夢」完