「あの、すみません……今、私有地って文字が見えた気がするんですけど……」

 春政さんとが運転する車は街を離れて、木々の深い斜面を登って行っていた。
 山道ではなくしっかりと舗装された道だったけれど「私有地につき進入禁止」の看板が過ぎ去って行くのが見えた。

「もう名義も僕の物になっているので、大丈夫ですよ」

 事も無げに春政さんは言う。
 この山一つまるまる春政さんの物だったりするんだろうか。だぶん、そんな気がする。春政さんにとってはなんでも特別でもなんでもないことなんだろうけど、私にとってはそうじゃなかった。
 本当に、住む世界が違う。

「酔いましたか?」

 私の小さなため息を聞き逃さずに、春政さんが気遣う言葉を投げかけてくれる。

「えっ、あ……そうですね、ちょっと……」

「すみません。もうすぐ着きますので」

 車のスピードが緩められる。
 こんなことを言ったら、優しい春政さんを心配させてしまうだけだってわかっていたのに、言わずにはいられなかった。
 身分差に打ちひしがれていたって言ったら、春政さんはどうしただろう。どうしようもない現実に、少しイジワルな気持ちになった。
 より慎重になった運転に、窓の外の木々が緩やかに流れていく。

 乏しい外灯をヘッドライトの灯りが補って、闇夜を割いて車は進む。そして、開けた場所に出た。

「お待たせしました」

 春政さんが車を止めた広場は木の柵で囲われ、展望台のようになっていた。

「大丈夫ですか?」

 私がシートベルトを外している間に素早く車を出て助手席側に回った春政さんは、ドアを開けて私に手を差し出してきた。
 丸い月をバックに手を差し出してくるボウタイ姿の紳士。すごく絵になるけど、忍者みたいな動きに思わず笑みが零れる。

「もう大丈夫みたいです。ありがとうございます」

 車酔いをしたという嘘を心苦しく思いながらも、私は春政さんの手を取り車を降りる。

「暗いので、足元気を付けてくださいね」

 春政さんはそのまま私の手を離さずに、柵の方へエスコートしていった。