試合終了のホイッスルが鳴り、一瞬コート内が静まり返った。

その後僅差で勝利した、我が美しの丘高校のバスケ部とその応援団が歓声をあげ、選手達はハイタッチをして喜び、その後ベンチへと戻っていった。

とともに、幾人かの女子が五代君の元へ群がっていった。

五代君は女子生徒からタオルや冷たい飲み物を差し入れされ、それを見た他のバスケ部員に冷やかしの言葉を投げかけられていた。

私はカバンに入れてあった手作りクッキーの入った紙袋を出し、野乃子に手渡した。

本当は親友のあずみに渡そうと思って持って来たものだけれど、今日あずみは風邪で欠席。

綺麗に包装したものを家に持ち帰るのもなんだかもったいない気がして、気付くと野乃子にこう提案していた。

「野乃子。これ五代君に渡したら?」

「え?皐月、作ってきてくれたの?」

野乃子が目を丸くしながら、その紙袋を受け取った。

「うん。別にわざわざ作ったわけじゃないよ?自分の分を作った余りだから、気にしないで。」

「わーん。皐月ありがと!」

野乃子が私に抱きついた。

「私に抱きついてる場合じゃないでしょ?早く行かないと五代君帰っちゃうよ?」

「ねえ。皐月も付いてきてよぉ。のの、一人じゃ恥ずかしいよぉ。」

野乃子が私の腕を掴み引っ張った。

そんな甘えた仕草も、ゆるふわ女子の野乃子がすると様になっていて、少し羨ましい。

「・・・やれやれ。仕方がないなあ。」

頼まれると嫌と言えない私は野乃子の後ろに付いて、五代君に近づいていった。

五代君はスポーツタオルを首にかけ、体育館の出口へ向かって歩いていた。

野乃子が小走りで五代君に声を掛ける。

「あのぉ」

五代君が無言で野乃子の方に振り向いた。

「練習試合、お疲れ様でしたぁ!」

野乃子がぺこりとお辞儀をした。

「・・・あんた、誰?」

「・・・2年C組の杉原野乃子・・・です。」

言葉尻が小さくなった野乃子に私は小声で「が・ん・ば・れ」と囁いた。

その時、五代君の視線が私を捉えた。

長い前髪から覗くその澄んだ瞳に、その強い眼差しに、私の胸がどきんと音を立てた。

私はあわてて五代君から視線を外した。

「これ、手作りクッキーです。食べてください!」

野乃子が五代君に紙袋を差し出した。

「・・・杉原が作ったの?」

五代君が手渡された紙袋を持ち上げ揺らしてみせた。

「えっと・・・はい。そうです。」

「ふーん。どうも。」

そう言いながら、五代君はまたもや私に視線を合わせた。

「じゃ、じゃあっ。五代君、バスケ頑張ってください!」

野乃子が早口でそう言い帰ろうとすると、五代君が後ろから野乃子を呼び止めた。

「あのさ。一応確認させてくんない?」

「は、はい!」

野乃子が顔を赤くしながら振り向く。

「これ、何味のクッキー?俺、ジンジャーとか抹茶は食えないんだけど。」

「・・・えっと・・・」

言い淀む野乃子に、ハラハラしながらそれを見ていた私は、思わず口を挟んだ。

「それ、チョコレートクッキー!・・・です。」

「なんであんたが答えるの?」

五代君は不思議そうな笑みを浮かべながら、私の顔を凝視した。

「それは・・・さっきそう野乃子が言ってたの聞いたんです。」

「ふーん。そうなんだ?」

そうつぶやくと、五代君はクッキーの入った紙袋をまじまじと眺めた。

その人を小馬鹿にしたような態度に、内心腹を立てながらも、私は小さく笑みを浮かべながら言った。

「食べたくないのなら、無理に受け取ってもらわなくてもいいです。ね?野乃子。」

「えー・・・」

野乃子の不満げな顔に構わず、私は野乃子の手を引っ張り帰ろうとした。

そんな私の背中に、五代君の声が響いた。

「本当はあんたが作ったんじゃないの?一宮皐月さん。」

フルネームを呼ばれ、私は驚いた。

五代君と話すことはおろか、顔を合わせたのも今日が初めてだというのに、どうして私の名前を知っているのだろう?

「一宮皐月。2年C組のクラス委員。成績優秀、品行方正、歩く生徒手帳と陰で囁かれている。趣味はお菓子作り。彼氏はナシ。父親と二人暮らし。」

「!!」

どうして私の家族構成まで知ってるの?

両親が離婚してパパと二人で暮らしていることは、担任教師とあずみくらいしか知らない筈なのに。

「なんで私の事・・・?」

「さあ?なんでだろ。」

「・・・・・・。」

固まってしまった私に五代君は肩をすくめた。

「ちなみに俺、一番好きな味はプレーンだから。覚えといて。」

それは野乃子に言ったのか、それとも私への捨て台詞・・・?

五代君はそれだけ言い残し、クッキーの入った紙袋を掲げて大きく手を振ると、私達の前から立ち去った。
帰り道。

「ねえ。どういうこと?なんで五代君、皐月のこと知ってたの?」

ふくれっ面をする野乃子に私も口を尖らせた。

「そんなのこっちが知りたいよ。」

クラスもクラブも委員会も一緒ではない。

向こうはバリバリの体育会系で、私は手芸部という文科系クラブに入っている。

五代君の転入前の学校は知らないけれど、絶対に同じ小中学校ではなかった。

五代君と自分の接点など、どう思い返しても見つからない。

「もしかして五代君、皐月に興味を持っているのかも。」

「まさか。それはナイ。」

キラキラ女子が多い2学年の中で、私は自分が地味で目立たないタイプだと自覚している。

取り柄は真面目で与えられた仕事をしっかりとこなすこと、そして波風を立てない穏やかな性格、それくらいしか思いつかない。

「ねえ。野乃子。五代君のファンなんてやめたら?」

私の言葉に野乃子がきょとんとした。

「え?なんで?」

「だって・・・見たでしょ?さっきの態度。なんか上から目線だし・・・。せっかくの差し入れなんだからつべこべ言わずに素直に受け取ればいいのに。なにが俺は抹茶は食えないからーよ。偉そうに。」

「どうしたの?皐月が人のこと悪く言うなんて。らしくないね。」

野乃子にそう突っ込まれ、ハッと冷静になった。

本当にらしくない。

なんでこんなに私、熱くなってるんだろう。

隣のクラスのよく知りもしない男子なんて放っておけばいいって、いつもならそうドライに切り捨てるのに。

「だって訳も判らず自分のことを知られてるなんて、気持ち悪いよ。」

私は野乃子にそう言って誤魔化した。

「そうお?私だったら五代君に認識されてたら嬉しいけどな!」

野乃子が能天気にそう言った。

その時、ピンと閃いた。

五代君がいるD組には、私と中学が一緒だった下田浩輔がいる。

明るくて友達の多い下田君は、女子にも分け隔てなく声を掛け、いつもクラスのムードメーカーだった。

大人しいグループにいた私にも、しばしば距離を詰めて話しかけてきたのを思い出す。

当然いまもクラス中の人間と親しくしているのだろう。

もちろん五代君とも。

何かの拍子で下田君が私の話をしたのだろうか。

「下田君てば余計なことを・・・。」

私はお調子者の下田浩輔の顔を思い浮かべ、眉をひそめた。

パパから大事な話がある、と告げられたのは昨夜の夕食時のことだった。

パパと私が一緒に食事を取るのは週に3回ほど。

デザイン会社を立ち上げたばかりの頃のパパは、月に数えるほどしか家で夕食を取れなかったけれど、3年経った今では仕事も軌道に乗り、一人で待っている私の為に家で食事を取るように心がけてくれているようだ。

私はパパの顔がいつになく真剣なものであることを感じ、自然と姿勢を正していた。

「なに?大事な話って。」

私の言葉に、パパは少し間を置いたあと、思い切って話し出した。

「皐月・・・お父さん、再婚したいと思ってる。」

「え・・・?」

私はパパの言葉を頭の中で反芻してみた。

「再婚・・・?」

「ああ。」

「パパ。お付き合いしている女性がいたの?」

「まあな。」

「どれくらい前から?」

「うーん。一年くらい前かな。」

私は改めてパパ、一宮圭亮の顔をまじまじとみつめた。

たしかにパパは40代にしては若々しく、お腹も出ていないし白髪もない。

パパと私のママ、一宮律子・・・現在は小南律子、が離婚したのは、私が中学2年生の時だった。

ふたりはどちらに付いて行きたいかを私に選ばせた。

ママは大手出版会社の営業課長として働くバリバリのキャリアウーマン。

気が強く自らの道を突き進む姿は私から見ても格好いい。

加えて家事全般も一通りテキパキとこなす。

比べてパパは少し優柔不断で頼りないところがある。

家事は全く出来ないし、誰かがいないと野垂れ死んでしまいそうだ。

そんなパパが心配だった私は、悩んだ末パパに付いて行くことに決めた。

私の選択にママは「皐月ならそうすると思ってた。」となんの未練もなさそうに笑ってみせた。

しかし両親が離婚したといっても親子の縁が切れるわけではなく、今でもママと月に一度は一緒に食事をする。

母と娘の仲は極めて良好だ。

ふたりの離婚から早3年。

いつかはこんな日がくるかもと覚悟はしていたけれど、これで本当にパパとママの復縁はなくなってしまうのだと思うと悲しくなった。

けれどそんな思いを胸に隠し、私ははしゃいだ声でパパに言った。

「パパったらやだな。そんな女性がいたなら、もっと早くに紹介してくれれば良かったのに。」

「ゴメン。こういうことって娘には話しづらくてさ。」

パパはそう言って目を伏せた。

「どんな人なの?どこで出会ったの?付き合うようになったきっかけは?」

「えーと。一年前に中学の同窓会があったんだ。」

「うん。」

「そこで初恋の人と再会してね。彼女・・・冬実さんっていうんだけど、3年前にダンナさんを事故で亡くされてるんだよ。とても優しくて繊細な女性なんだ。お付き合いを続けていくうちに、彼女を僕が守ってあげたいなって思うようになってね。」

たしかにママは守ってあげたいってタイプじゃないものね。

きっとその冬実さんは、ママと正反対なタイプの儚げな女性なんだろうな。

そう思うと少し複雑な気持ちになった。

「モチロン美人なんでしょ?パパは面食いだもんね。」

「まあ・・・僕は綺麗な人だと思ってるよ。」

パパは照れくさそうな顔で頬を掻いた。

「僕の再婚について皐月はどう思う?」

「・・・・・・。」

「皐月が反対なら僕は再婚しない。何よりも娘である皐月が僕にとっては一番大切だから。」

その言葉だけで充分だった。

私はにっこりと微笑んだ。

「私は賛成よ。パパが幸せになることに反対なんてする筈ないじゃない。パパは私のことなんて気にしなくていいの!」

「皐月・・・ありがとう。」

パパの顔が安心したように和らいだ。

「実は・・・もうひとつ言っておかなければならないことがあって・・・」

「なあに?この際隠し事はナシだよ?」

「冬実さんには息子さんがいるんだ。」

「息子・・・?!」

「ああ。皐月より少し年下の・・・男の子なんだけど。」

「え?私に義弟が出来るの?!どんな子なの?」

弟という言葉に胸が躍った。

一人っ子の私は、密かに兄弟のいる友達をずっと羨ましく思っていたのだ。

「名前はレン君って言ってね。ちょっとヤンチャ坊主だけど、母親思いの優しい子だよ。」

私はヤンチャ坊主という言葉のイメージから、膝小僧に絆創膏を貼って、ランドセルを背負っている小学生男子を頭に思い描いた。

「レン君・・・か。」

「どうだろう。今更兄弟なんて欲しくないかな?」

パパが困った時にする表情をした。

「ううん。相手は男の子だしちょっと不安もあるけど、大丈夫だと思う。」

「皐月がそう言ってくれると僕も嬉しい。」

「まかせて。私、きっといいお姉ちゃんになってみせるから。」

また空気を読んで、こんな大風呂敷をひいてしまった。

でもパパの幸せを私の一存で壊したくない。

「向こうは早くに父親を亡くしているし、男の子だから色々と大変かもしれないけど、仲良くしてやって欲しい。」

「うん。」

「来週の日曜日に冬実さんとそのレンくんがウチに顔合わせにくるから予定を開けといてくれないかな。」

「わかった。」

夕飯の片づけが終わり部屋に戻った私は、宿題をするために机に向かった。

けれどまだ見ぬレン君の事を考えてしまい頬が緩んだ。

レンくんはどんな食べ物が好きなの?

美味しいケーキ?チョコレート?

それとも手作りハンバーグ?

今どきの男の子ってどんな遊びをするの?

やっぱりゲームとか?

私もマリオカートなら得意なんだけど。

一緒に勝負してあげたら喜ぶかな。

亡きお父さんの代わりに、私がレン君を守ってあげるからね。

私はまだ見ぬ義弟レン君とのあれこれを夢想してふふふと笑い、再び数学の問題を解き始めた。



パパの奥さんとなる女性、冬実さんとその息子レンくんが家にくる日曜日がやってきた。

私は手作りのチーズケーキと紅茶を用意しながら、レン君が訪れるのをドキドキしながら待っていた。

「随分張り切ってるなあ。」

パパに冷やかされ、私は満面の笑みを浮かべた。

「だって可愛いレン君と初めて会うのよ?最高のおもてなしをしなきゃ。」

「まるで皐月とレンくんのお見合いみたいだな。」

そう苦笑するパパを横目に、私はレン君が訪れるのを待ち続けた。

リビングの鳩時計の針が2時を指してすぐにチャイムが鳴った。

「パパ。私が出る!」

私はパパの行く手を遮り、元気よく玄関の扉を開けた。

扉の外にはグレーのワンピースに髪をアップにした美しい女性が立っていた。

「初めまして。五代冬実と申します。」

「あ・・・初めまして。どうぞ、中へお入り下さい・・・」

あ・・・れ?

レンくんは?

私が思い描いていた小さな男の子の姿はどこにも見当たらなかった。

しかも今・・・「五代」って聞こえたような気がしたんだけど・・・。

冬実さんの後ろに立っているのは、背が高くて私と同じくらいの歳の、どこかで見たような・・・?

「ほら廉。あんたもご挨拶しなさい。」

冬実さんに促され、五代廉は首だけをこくりと下に向けた。

「どうも。」

「!!」

五代君が・・・五代君が・・・私の義弟?!

「皐月。玄関口で何してるんだ?早く家に上がってもらいなさい。」

呆然とする私の耳に、パパのノンキな声が聞こえてきた。



「冬実さん。改めて紹介するよ。僕の一人娘、皐月です。」

「初めまして。皐月です。よろしくお願いします。」

驚愕の事実をまだ受け入れられない私だったけれど、精一杯愛想良く笑顔を振りまきながら、冬実さんに向かって挨拶した。

私の目の前には義弟となる五代君がすまし顔で座っている。

そして時たま私の方をじっとみつめ、口元だけで笑ってみせた。

な、なんなの・・・?

その笑みは威嚇?

それとも友好の証?

私もまた引きつった笑みを浮かべる。

それにしても、まさか五代君が私の義弟になるなんて。

こんなことならもう少し考えれば良かった。

でも・・・。

私は隣に座るパパの幸せそうな笑顔を眺めた。

パパのこんな顔を見せられたら、今更再婚に反対なんて言えっこない。

「皐月ちゃん。このチーズケーキ、皐月ちゃんの手作りなのね。私、お菓子作りはあまり得意じゃないから、今度一緒に作らない?色々教えて欲しいわ。」

「はい!喜んで。」

私はにっこりと冬実さんに向かって微笑んだ。

「ククッ・・・居酒屋の店員みてえ。」

そうぼそりとつぶやき、忍び笑いする五代君をじろりと睨み、無視を決め込む。

「廉!皐月ちゃんに失礼なこと言わないで頂戴。」

冬実さんがそう窘めると、五代君は肩をすくめた。

冬実さんはおっとりとした口調で話す、品が良く優しそうな女性だった。

冬実さんに対してはなんの不満も不安もなかった。

きっと家族になっても問題なくやっていけるだろう。

問題は、義弟となる五代君だった。

はたして私は、五代廉という同い年の男子と、家族として上手くやっていけるのだろうか?

「廉。このチーズケーキ、美味しいわよ?頂きなさいよ。」

「そうだよ。皐月が廉君の為に気合を入れて作った力作なんだ。遠慮せずに食べて、食べて。」

冬実さんとパパの言葉に五代君はフォークを手にした。

「・・・・・・。」

五代君は無言でチーズケーキにフォークを刺すと、たった3口でそのチーズケーキを食べ終えた。

「廉。皐月ちゃんが作ったチーズケーキ、美味しいでしょ?」

冬実さんの問いかけに五代君は「まあ、手作りにしては。」と偉そうに言った。

はあ?!

別にあんたに食べてもらう為に作ったわけじゃないし!

しかしここで大人げない態度を取るわけにはいかない。

義姉としての余裕を見せなければ。

「五代・・・廉君に全部食べてもらえて良かったです。廉君は味の好みにこだわりがありそうだから。」

私は先日の件を思い出し、嫌味をこめてそう言った。

すると五代君も先日の件を持ち出してきた。

「皐月さんにはこの前、クッキーを貰って・・・それも美味かったっす。」

「ちがっ・・・あれは、野乃子が・・・。」

「今更、嘘つかなくてもいいじゃん?」

「・・・・・・。」

「あら。もうふたりはそんなに仲良しなの?」

パパと冬実さんはニコニコしながら私と五代君を交互に見た。


「しかし皐月の通う、美しの丘学園に編入出来たなんて、廉君はそうとう優秀なんだな。あの学園は結構偏差値の高い学園なんだよ?」

パパの言葉に五代君は何でもないことのように言った。

「別に。大して難しい試験でもなかったので。」

「・・・・・・。」

どうやら五代君はイケメンでスポーツが出来るだけではなく、成績も優秀らしい。

私は五代君の顔を改めてみつめた。

少し吊り上がった奥二重のクールな瞳、そのくせ笑うと甘く爽やかな少年の顔になる。

新しい家族との初めての顔合わせだというのに、白いTシャツの上にチェックの半袖シャツを羽織り、ジーパンというラフな格好。

スタイル抜群の身体にそのファッションは良く似合っていて、おろしたての紺色のワンピースを着た自分の格式ばった服が馬鹿らしくなる。

・・・まあ、ルックスだけ見れば女子が騒ぐのも分からないでもないけど。

しかし正直、女子人気の高い五代君は、私にとって一番関わり合いたくない人間だ。

この人と一緒にいると、なにかと注目の的になってしまう。

私は出来るだけ学校生活を静かに穏やかに過ごしたい。

でも・・・これみよがしに五代君と距離を置いていたらパパと冬実さんが心配する。

なんとか、バランスを取って上手くやっていかなきゃ。

パパと冬実さんが席を外すと、五代君が私を見てにやりと笑った。

「なんか、思ってたのと違う・・・って顔してるけど?」

「そ、そんなことないわよ。」

「俺のこと、どう聞いてた?」

「弟だって・・・年下だって言うから、わたしてっきり・・・」

「もっと幼いガキだと思ってた?」

私は小さく頷いた。

「でも年下なのはホントだぜ?あんたは5月生まれ、俺は8月生まれ。3か月違いの皐月お義姉さん。これからヨロシク。」

「よしてよ。お義姉さんなんてあなたに言われたくない。皐月、でいい。」

「じゃ、俺も廉で。家族なのに五代君じゃよそよそしいだろ?」

廉が差し出した右手を見て、私も仕方なく右手を差し出し、義姉弟としての握手を交わした。

「でも、このこと知っていたなら、もっと早くに教えてくれればよかったのに。」

「サプライズの方が面白いかと思ってさ。案の定、俺を見た時の皐月の唖然とした顔・・・あははっ!忘れらんねーな。」

「・・・爽やかそうに見えるのに、けっこう性格悪いのね。」

「あれ?今頃気付いた?」

「・・・・・・。」

私が睨んでも、廉はどこ吹く風といった様子。

こんなことでもなかったら、多分一生交わらなかった相手が義弟になる。

なんだかとても複雑な気持ちだった。

それから一か月経った5月の小雨降る日曜日、冬実さんと廉は一宮家に越してきた。

パパと冬実さんは事実婚を選んだ。

よって冬実さんと廉の苗字は五代のままとなった。



私は廉の部屋の扉をコンコンと二回叩いた。

「はい。」

「開けていい?」

「どうぞ。」

部屋の中から廉の声が聞こえ、私は大きく深呼吸をしてからその扉を開けた。

男子の部屋に入るのなんて初めてだから、なんだか緊張してしまう。

廉は段ボール箱から書籍を取り出し、それらを本棚に納めている最中だった。

私はこの新しい義弟と、なんとか仲良くなろうと努めることに決めた。

それには自分から積極的に動かないと・・・。

「お疲れ様。雨の中、大変だったね。」

私はそう言ってにっこりと微笑み、手に持っていたペットボトルのコーヒーを廉に手渡した。

「サンキュ。」

廉は素直にそれを受け取ると、ボトルのキャップを開け、喉を潤した。

「改めまして・・・一宮皐月です。ふつつかな義姉ですが、これからよろしくお願いします。」

私がそう言ってお辞儀をすると、廉が笑い出した。

「ははっ!ふつつかな・・・ってなんだか嫁にきたみたいだな。」

「ちょっ・・・私は真面目に」

「やべ。なんかツボにはまった。」

憮然とする私が押し黙っていると、ようやく廉の笑いが収まり、畏まった顔になった。

「五代廉です。ふつつかな義弟だけどヨロシク。」

廉は片付けの手を止めて、私と向き合った。

私はコホンと咳ばらいをし、態勢を整えた。

「なんだか改めて言うと照れちゃうね。」

私はそう言って目を細め、何気なく廉の本棚に目を向けると、バスケ関連の本や漫画で大半は埋め尽くされていた。

どこかの大会で貰ったのであろう、金色の小さなトロフィーも飾られている。

「家の中のことで判らないことがあったら、なんでも聞いて。」

「了解。」

「ウチは朝ごはんはパンなの。廉の家はどうだった?」

「ウチはご飯。母さんが和食が好きだから。でも俺は食わないけど。」

「え?朝ごはんはちゃんと食べなきゃ。頭が働かないよ?」

「・・・さすがクラス委員。保健室の先生みてえなこと言ってる。」

廉は皮肉っぽい笑みを浮かべた。

私はその皮肉をやり過ごし、なんとか会話の糸口をみつけようと躍起になった。

「えっと・・・廉のお母さん、冬実さんってどんな人?優しくて美人で品がいいのは見て判るけど。」

「別に。普通の母親だよ。」

なんでもいいから廉と冬実さんのエピソードを聞きたかった私は少しがっかりした。

気を取り直して、私はこの間体育館で話したときのことを話題にした。

「私のこと、冬実さん経由で聞いていたんだね。この前は、何で私なんかのこと知っているんだろうってびっくりした。」

「いや。違うよ。母さん経由じゃない。」

「え?」

「皐月、男子の間で結構噂されてるんだぜ?控えめだけど誰にでも優しくて可愛いって。知らなかった?」

「う、嘘でしょ・・・?」

「そんなこと嘘ついたって仕方がないだろ?人気者の義姉さんを持って、俺も鼻が高いよ。」

「・・・そのことなんだけど。」

私は廉のベッドの上に腰かけた。

「学校では私とあなたが義姉弟だってことを隠しておかない?苗字も別なことだし。」

「なんで?」

廉が不思議そうな顔を私に向けた。

「だって廉、すごくモテてるでしょ?あなたのファンの女の子に嫉妬されるのはちょっと嫌かなって。もちろん廉とは家族として仲良くしたいと思ってる。でもそれとこれは別っていうか・・・。」

伏し目でそう言う私に、廉はにやりと笑った。

「いいよ。じゃ俺達は秘密の関係ってことで。・・・そうだ。俺からも皐月に頼みがある。」

「なに?」

「皐月と一緒にいた女子・・・杉原って言ったっけ?あの子と俺をくっつけようとするのやめてくんない?迷惑なんだよ。」

苛立ちを隠そうともせず、そう言い放つ廉に私はビクッとした。

「あ・・・そうだったんだ。ごめん。でも野乃子はいい子だよ?」

「いい子ってなに?いい子だからつき合えって?」

「そうは言ってないけど。」

廉は大きくため息をついた。

「モテてるって言うけど、あいつら俺の何を知ってるわけ?見た目だけで自分勝手な幻想を抱かれるこっちの身にもなってくれよ。俺、女と付き合う気なんかさらさらないから。」

廉の口から放たれる辛辣な言葉の数々が自分に言われているようで、私は何故か胸がずきんと痛んだ。

「じゃあ、私と話すのも嫌?」

私の言葉に廉は小さく笑った。

「皐月は別だよ。だって義姉弟だろ?」

「良かった。あなたと私が仲違いしてたらパパや冬実さんが気にする。だから私はあなたと仲良くしたいなって思ってる。」

「俺もそう思ってるよ。じゃあ、お近づきの印に。」

廉は段ボール箱から四角く薄いケースを取り出すと、私に手渡した。

それは英国の女性ロックシンガーのCDだった。

「俺の気に入ってるアルバム。良かったら聴いてみてよ。特に3曲目の歌。」

「・・・ありがとう。聴いてみる。」

「これからよろしく。義姉さん。」

「だから義姉さんはやめってってば。」

「はははっ。」

部屋に帰った私は早速廉から貸してもらったCDを聴いてみた。

その女性シンガーの声は甘くハスキーで、私の鼓膜に心地よく響いた。

廉おすすめの3曲目は、「君をずっと想っている」と大切な人に捧げる切ない恋の歌だった。

廉はこの曲を、噂の恋人を想って聴いているのだろうか?

私の心に小さなさざ波が立った。