「冬実さん。改めて紹介するよ。僕の一人娘、皐月です。」

「初めまして。皐月です。よろしくお願いします。」

驚愕の事実をまだ受け入れられない私だったけれど、精一杯愛想良く笑顔を振りまきながら、冬実さんに向かって挨拶した。

私の目の前には義弟となる五代君がすまし顔で座っている。

そして時たま私の方をじっとみつめ、口元だけで笑ってみせた。

な、なんなの・・・?

その笑みは威嚇?

それとも友好の証?

私もまた引きつった笑みを浮かべる。

それにしても、まさか五代君が私の義弟になるなんて。

こんなことならもう少し考えれば良かった。

でも・・・。

私は隣に座るパパの幸せそうな笑顔を眺めた。

パパのこんな顔を見せられたら、今更再婚に反対なんて言えっこない。

「皐月ちゃん。このチーズケーキ、皐月ちゃんの手作りなのね。私、お菓子作りはあまり得意じゃないから、今度一緒に作らない?色々教えて欲しいわ。」

「はい!喜んで。」

私はにっこりと冬実さんに向かって微笑んだ。

「ククッ・・・居酒屋の店員みてえ。」

そうぼそりとつぶやき、忍び笑いする五代君をじろりと睨み、無視を決め込む。

「廉!皐月ちゃんに失礼なこと言わないで頂戴。」

冬実さんがそう窘めると、五代君は肩をすくめた。

冬実さんはおっとりとした口調で話す、品が良く優しそうな女性だった。

冬実さんに対してはなんの不満も不安もなかった。

きっと家族になっても問題なくやっていけるだろう。

問題は、義弟となる五代君だった。

はたして私は、五代廉という同い年の男子と、家族として上手くやっていけるのだろうか?

「廉。このチーズケーキ、美味しいわよ?頂きなさいよ。」

「そうだよ。皐月が廉君の為に気合を入れて作った力作なんだ。遠慮せずに食べて、食べて。」

冬実さんとパパの言葉に五代君はフォークを手にした。

「・・・・・・。」

五代君は無言でチーズケーキにフォークを刺すと、たった3口でそのチーズケーキを食べ終えた。

「廉。皐月ちゃんが作ったチーズケーキ、美味しいでしょ?」

冬実さんの問いかけに五代君は「まあ、手作りにしては。」と偉そうに言った。

はあ?!

別にあんたに食べてもらう為に作ったわけじゃないし!

しかしここで大人げない態度を取るわけにはいかない。

義姉としての余裕を見せなければ。

「五代・・・廉君に全部食べてもらえて良かったです。廉君は味の好みにこだわりがありそうだから。」

私は先日の件を思い出し、嫌味をこめてそう言った。

すると五代君も先日の件を持ち出してきた。

「皐月さんにはこの前、クッキーを貰って・・・それも美味かったっす。」

「ちがっ・・・あれは、野乃子が・・・。」

「今更、嘘つかなくてもいいじゃん?」

「・・・・・・。」

「あら。もうふたりはそんなに仲良しなの?」

パパと冬実さんはニコニコしながら私と五代君を交互に見た。


「しかし皐月の通う、美しの丘学園に編入出来たなんて、廉君はそうとう優秀なんだな。あの学園は結構偏差値の高い学園なんだよ?」

パパの言葉に五代君は何でもないことのように言った。

「別に。大して難しい試験でもなかったので。」

「・・・・・・。」

どうやら五代君はイケメンでスポーツが出来るだけではなく、成績も優秀らしい。

私は五代君の顔を改めてみつめた。

少し吊り上がった奥二重のクールな瞳、そのくせ笑うと甘く爽やかな少年の顔になる。

新しい家族との初めての顔合わせだというのに、白いTシャツの上にチェックの半袖シャツを羽織り、ジーパンというラフな格好。

スタイル抜群の身体にそのファッションは良く似合っていて、おろしたての紺色のワンピースを着た自分の格式ばった服が馬鹿らしくなる。

・・・まあ、ルックスだけ見れば女子が騒ぐのも分からないでもないけど。

しかし正直、女子人気の高い五代君は、私にとって一番関わり合いたくない人間だ。

この人と一緒にいると、なにかと注目の的になってしまう。

私は出来るだけ学校生活を静かに穏やかに過ごしたい。

でも・・・これみよがしに五代君と距離を置いていたらパパと冬実さんが心配する。

なんとか、バランスを取って上手くやっていかなきゃ。

パパと冬実さんが席を外すと、五代君が私を見てにやりと笑った。

「なんか、思ってたのと違う・・・って顔してるけど?」

「そ、そんなことないわよ。」

「俺のこと、どう聞いてた?」

「弟だって・・・年下だって言うから、わたしてっきり・・・」

「もっと幼いガキだと思ってた?」

私は小さく頷いた。

「でも年下なのはホントだぜ?あんたは5月生まれ、俺は8月生まれ。3か月違いの皐月お義姉さん。これからヨロシク。」

「よしてよ。お義姉さんなんてあなたに言われたくない。皐月、でいい。」

「じゃ、俺も廉で。家族なのに五代君じゃよそよそしいだろ?」

廉が差し出した右手を見て、私も仕方なく右手を差し出し、義姉弟としての握手を交わした。

「でも、このこと知っていたなら、もっと早くに教えてくれればよかったのに。」

「サプライズの方が面白いかと思ってさ。案の定、俺を見た時の皐月の唖然とした顔・・・あははっ!忘れらんねーな。」

「・・・爽やかそうに見えるのに、けっこう性格悪いのね。」

「あれ?今頃気付いた?」

「・・・・・・。」

私が睨んでも、廉はどこ吹く風といった様子。

こんなことでもなかったら、多分一生交わらなかった相手が義弟になる。

なんだかとても複雑な気持ちだった。

それから一か月経った5月の小雨降る日曜日、冬実さんと廉は一宮家に越してきた。

パパと冬実さんは事実婚を選んだ。

よって冬実さんと廉の苗字は五代のままとなった。



私は廉の部屋の扉をコンコンと二回叩いた。

「はい。」

「開けていい?」

「どうぞ。」

部屋の中から廉の声が聞こえ、私は大きく深呼吸をしてからその扉を開けた。

男子の部屋に入るのなんて初めてだから、なんだか緊張してしまう。

廉は段ボール箱から書籍を取り出し、それらを本棚に納めている最中だった。

私はこの新しい義弟と、なんとか仲良くなろうと努めることに決めた。

それには自分から積極的に動かないと・・・。

「お疲れ様。雨の中、大変だったね。」

私はそう言ってにっこりと微笑み、手に持っていたペットボトルのコーヒーを廉に手渡した。

「サンキュ。」

廉は素直にそれを受け取ると、ボトルのキャップを開け、喉を潤した。

「改めまして・・・一宮皐月です。ふつつかな義姉ですが、これからよろしくお願いします。」

私がそう言ってお辞儀をすると、廉が笑い出した。

「ははっ!ふつつかな・・・ってなんだか嫁にきたみたいだな。」

「ちょっ・・・私は真面目に」

「やべ。なんかツボにはまった。」

憮然とする私が押し黙っていると、ようやく廉の笑いが収まり、畏まった顔になった。

「五代廉です。ふつつかな義弟だけどヨロシク。」

廉は片付けの手を止めて、私と向き合った。

私はコホンと咳ばらいをし、態勢を整えた。

「なんだか改めて言うと照れちゃうね。」

私はそう言って目を細め、何気なく廉の本棚に目を向けると、バスケ関連の本や漫画で大半は埋め尽くされていた。

どこかの大会で貰ったのであろう、金色の小さなトロフィーも飾られている。

「家の中のことで判らないことがあったら、なんでも聞いて。」

「了解。」

「ウチは朝ごはんはパンなの。廉の家はどうだった?」

「ウチはご飯。母さんが和食が好きだから。でも俺は食わないけど。」

「え?朝ごはんはちゃんと食べなきゃ。頭が働かないよ?」

「・・・さすがクラス委員。保健室の先生みてえなこと言ってる。」

廉は皮肉っぽい笑みを浮かべた。

私はその皮肉をやり過ごし、なんとか会話の糸口をみつけようと躍起になった。

「えっと・・・廉のお母さん、冬実さんってどんな人?優しくて美人で品がいいのは見て判るけど。」

「別に。普通の母親だよ。」

なんでもいいから廉と冬実さんのエピソードを聞きたかった私は少しがっかりした。

気を取り直して、私はこの間体育館で話したときのことを話題にした。

「私のこと、冬実さん経由で聞いていたんだね。この前は、何で私なんかのこと知っているんだろうってびっくりした。」

「いや。違うよ。母さん経由じゃない。」

「え?」

「皐月、男子の間で結構噂されてるんだぜ?控えめだけど誰にでも優しくて可愛いって。知らなかった?」

「う、嘘でしょ・・・?」

「そんなこと嘘ついたって仕方がないだろ?人気者の義姉さんを持って、俺も鼻が高いよ。」

「・・・そのことなんだけど。」

私は廉のベッドの上に腰かけた。

「学校では私とあなたが義姉弟だってことを隠しておかない?苗字も別なことだし。」

「なんで?」

廉が不思議そうな顔を私に向けた。

「だって廉、すごくモテてるでしょ?あなたのファンの女の子に嫉妬されるのはちょっと嫌かなって。もちろん廉とは家族として仲良くしたいと思ってる。でもそれとこれは別っていうか・・・。」

伏し目でそう言う私に、廉はにやりと笑った。

「いいよ。じゃ俺達は秘密の関係ってことで。・・・そうだ。俺からも皐月に頼みがある。」

「なに?」

「皐月と一緒にいた女子・・・杉原って言ったっけ?あの子と俺をくっつけようとするのやめてくんない?迷惑なんだよ。」

苛立ちを隠そうともせず、そう言い放つ廉に私はビクッとした。

「あ・・・そうだったんだ。ごめん。でも野乃子はいい子だよ?」

「いい子ってなに?いい子だからつき合えって?」

「そうは言ってないけど。」

廉は大きくため息をついた。

「モテてるって言うけど、あいつら俺の何を知ってるわけ?見た目だけで自分勝手な幻想を抱かれるこっちの身にもなってくれよ。俺、女と付き合う気なんかさらさらないから。」

廉の口から放たれる辛辣な言葉の数々が自分に言われているようで、私は何故か胸がずきんと痛んだ。

「じゃあ、私と話すのも嫌?」

私の言葉に廉は小さく笑った。

「皐月は別だよ。だって義姉弟だろ?」

「良かった。あなたと私が仲違いしてたらパパや冬実さんが気にする。だから私はあなたと仲良くしたいなって思ってる。」

「俺もそう思ってるよ。じゃあ、お近づきの印に。」

廉は段ボール箱から四角く薄いケースを取り出すと、私に手渡した。

それは英国の女性ロックシンガーのCDだった。

「俺の気に入ってるアルバム。良かったら聴いてみてよ。特に3曲目の歌。」

「・・・ありがとう。聴いてみる。」

「これからよろしく。義姉さん。」

「だから義姉さんはやめってってば。」

「はははっ。」

部屋に帰った私は早速廉から貸してもらったCDを聴いてみた。

その女性シンガーの声は甘くハスキーで、私の鼓膜に心地よく響いた。

廉おすすめの3曲目は、「君をずっと想っている」と大切な人に捧げる切ない恋の歌だった。

廉はこの曲を、噂の恋人を想って聴いているのだろうか?

私の心に小さなさざ波が立った。
「皐月。五代君が呼んでるよ?」

「え?!」

クラスメートで親友のあずみは好奇心からか、瞳を輝かせながら私の肩をツンツンと突いた。

「もしかしてェ。皐月、五代君と付き合ってるのカナ?」

「違うって!えっと、色々あって五代君とは友達になったっていうか・・・。」

「ふーん。イロイロあって友達・・・ねえ。とりあえず早く行ってあげたら?五代君、待ってるし。」

「あ・・・うん。」

私はあわてて席から立ち上がると、クラスメート達の好奇の目をひしひしと感じながら、廉の元へと歩いて行った。

「なあに?」

私は戸惑いの色を隠せない表情をしながら、廉を見上げた。

「現国の教科書、貸して?あとノートも。」

「そんなの男子に借りればいいじゃない。」

「皐月のノート、綺麗でわかりやすく書かれてるからマジ助かるんだよ。それに別のヤツに借りたら返すの面倒じゃん。その点皐月とは一緒に住んでるわけだし?」

「ちょっと!声が大きいってば。誰かに聞かれたらどうするの?!」

「皐月の方が声大きいけど。」

「あ・・・。」

たしかに私の方が大きな声を出してしまっている・・・私はあわてて自分の口を押さえた。

「わかったから、ちょっと待ってて。」

私は自席へ戻ると、現国の教科書とノートをカバンから取り出し、再び廉の元へ小走りで戻った。

「はい。これで最後だからね。」

「えー?そんな冷たいこと言うなよ。じゃ、サンキュ。」

廉はノートで私の頭をポンっと軽く叩くと、隣の教室へ戻って行った。

席に戻った私を早速あずみが茶化した。

「ノートで頭ポン、か。カレカノしかやらないやつゥ。」

「だから違うって。」

「ねえ。五代君って格好いいよね!アタシ、ああいう体育会系男子ってタイプ。さぞかしいいカラダしてるんでしょうネ!皐月、アタシにも五代君、紹介してよ。」

「う、うん。」

「あーなんかムカつくんだけど!」

その教室中に響き渡る声を出したのは、クラスでも派手で目立つ女子グループの一人、リオナとその取り巻き達だった。

「クラス委員のくせして、男子といちゃいちゃしちゃってさ。」

「ガリ勉女は黙って本でも読んでろよ。」

リオナの言葉に私の身体は冷たくなり身を震わせた。

「あーうるさい!どっかのメス狐が遠吠えしてるし。」

あずみが負けじと私の代わりに応戦してくれる。

「はあ?クラス委員の犬は黙ってろ。」

「オマエ、キモいんだよ。自覚しろ。」

そう言いながら大笑いするリオナ達にあずみの怒りが爆発した。

「ウルセエ!!ふざけんな!!オマエらこそ黙ってろ。ブスが。」

あずみの威嚇が効いたのか、リオナは忌々し気な顔をしながらも、口を噤んだ。

「皐月。あんな奴ら、気にしなくていいからね。まったく女の風上にも置けない奴らだよ。」

「・・・ありがとう。あずみ。」

こうしていつも自分を守ってくれるあずみにはいつも感謝してる。

あずみとは1年の時からのクラスメートで、私のことを一番わかってくれている。

怒るとちょっと口が悪くなるのが玉に瑕だけど。

私は頼もしい親友の顔を見上げた。

「でも五代君も、もうちょっと気をつけて欲しいよネ。皐月にも立場ってものがあるんだからさ。」

あずみの言葉に私も頷く。

「うん。私からも言ってみる。」

私ははあっと大きなため息をついた。
「だから!学校で私に話しかけないで!」

昼休みの屋上で、私はパックの牛乳をストローで飲みながら柵にもたれる廉に詰め寄った。

「だから、なんで?」

廉は心底不思議そうな顔をして、私の顔をみつめた。

「廉はまだ転入したばかりだから知らないのかもしれないけど!」

私はブレザーの胸ポケットから深緑色の生徒手帳を取り出し、そのページをめくった。

「ほら。ここ。ここ読んでみて。」

「んーなになに?校則第12項、制服は着崩さないこと」

「違う。その次の項。」

「校則第13項、在校中は男女交際を禁止する」

「そう。それ。」

私はその文章が載っているページを指さした。

「これがどうしたの?」

「廉と私が付き合っているなんて噂が立ったら困る。私はクラス委員なんだから。」

「ふん。アホらし。」

廉は生徒手帳を閉じると、私の胸ポケットへねじ込んだ。

「なんで会話してるだけで付き合ってることになるわけ?」

「廉と私は同じクラスでもクラブでもない。接点のない男女が話しているなんておかしいでしょ?」

「別におかしくないだろ。同じ学校の同じ学年なんだから接点大アリだと思うけど。大体校則なんて破るためにあるんだぜ?」

「は、はあ?」

「それに誰もいない屋上でこうして会ってることの方が意味深なんじゃねーの?誰かに見られたらどう説明すんの?それこそ付き合ってるって思われるんじゃね?まあ俺は別にそれでもいいけどさ。」

「・・・・・・。」

「ま、いいや。クラス委員である皐月の立場も考えずに悪かったよ。これからは用事があったらLINEする。それで屋上で落ち合う。それでいい?」

「・・・うん。」

「じゃ、俺先行くわ。一緒に歩いてるとこ見られたくないだろ?」

そう言って背中を向けた廉に私は思わず呼びかけた。

「廉!」

男女交際禁止の校則を聞いても顔色ひとつ変えなかった廉。

じゃあ、年上の恋人と歩いていた噂って・・・嘘なの?

「ん?」

廉が一瞬だけ振り向いた。

でも・・・それを聞いてはいけない気がして、その言葉を飲み込んだ。

「ううん。何でもない。なんかごめん。私の都合ばかり言って。」

「いいよ。気にすんな。」

廉は背中を向けたまま、大きく右手をあげてみせた。

冬実さんと廉が家族になって1か月経ったある日。

4人で囲む夕食時、いつもと違うぴりついた空気に気付いた。

それが気になって献立のカレーもなんだか味がしない。

その原因は、新婚であるふたりのぎこちない会話にあった。

パパも冬実さんも笑っているけれど、その表情は硬い。

私が廉を見ると、廉も私に目配せしていた。

夕食が終わり、私は当たり前のように廉の部屋を訪れていた。

「今夜のパパと冬実さん、不自然だったよね?」

私はいつものように、廉のベッドに腰かけた。

廉はバスケットボールを手で回しながら、何でもないことのように言った。

「そりゃ、たまには夫婦喧嘩もするだろ。」

「でもまだ結婚して1か月しか経ってないのに。」

「いくら仲の良い恋人同士だって、一緒に暮らすと色々と相手の嫌な部分も見えてくるのさ。」

「ふーん。廉って大人。」

「は?」

「なんか達観してるっていうか。」

「・・・・・・。」

廉が黙ってしまったので、私はあわてて話を元へ戻した。

「ふたりが喧嘩したままだったら嫌だな。私達まで暗く沈んじゃうよ。」

「それはそうだな。」

そのとき、私の中である考えが閃いた。

「ねえ、廉。」

「ん?」

「私達でふたりの為にささやかなウェディングパーティをしてあげない?パパと冬実さん、籍も入れないし結婚式も挙げないでしょ?ふたりには夫婦になったっていう記念が必要だと思うの。」

「ウェディングパーティ・・・か。」

「ね。どう思う?」

「ま、いいんじゃね?」

廉はそう頷くと、バスケットボールを上へ放り投げ、再びキャッチした。

「でも具体的にはなにすんの?」

「うーん。何がいいんだろう。冬実さんの好きなものってなにかわかる?」

「・・・・・・。」

廉は少し考え込み、ポツリとつぶやいた。

「星・・・かな。」

「星・・・?」

「ああ。」

「じゃあケーキを焼いて星の形にデコレーションしようかな。」

私がそう言うと、廉がハッと我に返ったように顔を上げた。

「ごめん。今のナシ。」

「え?」

「やっぱ星の形はやめてくんない?」

「どうして?冬実さん、星が好きなんでしょ?じゃあ星型のペンダントでもプレゼントする?」

「だからやめろって!」

「・・・・・・。」

廉の顔が曇り、暗い影を落とした。

訳がわからなかったけれど、私はただ「ごめん。」と謝ることしか出来なかった。



ふたりで知恵を振り絞って考えた結論は「餃子パーティをやる」というものだった。

廉が餃子を作るのなら得意だと言ったからだ。

日曜日、私達はパパと冬実さんに映画のチケットを渡した。

洋画の甘いラブロマンスもので、映画館の一番良い席を取った。

「私と廉で家事はやっておくから、たまには冬実さんとふたりでお出かけしてきて。」

私がそう言うと、パパは少し驚いた顔をしたあと、冬実さんの背中に手を添えた。

「そうだな。じゃあ冬実さん、お言葉に甘えようか。」

「そうね。廉、皐月ちゃんの邪魔しちゃ駄目よ。」

「わかってるって。さっさと行けよ。」

私達は半ば追い出すようにふたりを見送ると、早速近くのスーパーへ買い物に出掛けた。

日曜日のスーパーは買い出しに来る主婦や家族連れで混雑していた。

廉がカートを押し、私が肉や野菜を吟味する。

「えーと。ひき肉はこれくらいでいいかな?」

「なるべく新鮮なのを選べよ?」

「わかってるって。」

キャベツやニラなど野菜も選び、すべての商品をカゴにいれた私達は、レジに並んだ。

突然、私達の後ろに並んだおばあさんに、背中越しに声を掛けられた。

「あらー。可愛いカップルだこと!新婚さん?」

「いえ!違います。私達は義姉弟(きょうだい)です。」

「そうなの?でもあなたたちお似合いね。さっき買い物している姿を見かけたけど、息もぴったり。」

私はバツの悪い思いで、廉の顔をそっと見た。

廉も照れくさそうな顔で、前髪を触っている。

レジでの清算が終わり、エコバッグに買ったものを詰めていると、廉がボソッと言った。

「新婚は親だっつーの。」

「ね。あのおばあさん、何勘違いしてるんだろ。」

私も気まずさを吹き飛ばすように笑った。

「でも悪い気はしねーな。」

「え?」

廉の言葉に私はどきっとした。

「何でもねーよ。早く帰って準備しようぜ。」

廉がさりげなくエコバッグを自分の肩にかけた。
家に帰ると早速キッチンに立ち、役割分担した。

廉はデニムのエプロンをつけ、私はひよこのアップリケがついたエプロンをつけた。

「エプロンなんてつけるの中学の調理実習以来だな。」

「ふふっ。似合ってるよ。」

廉はキャベツを刻み、私はにらを刻んだ。

豚肉に刻んだ野菜をまぜ、何回も捏ねる。

捏ねるのは力のある廉に任せた。

そして餃子の皮にたねを乗せ、ふたりで丁寧に包んだ。

「廉。手慣れてるね。上手。」

私は廉が大きな手で、器用に素早く餃子のたねを包むのを見て驚いた。

「まあね。母さんが仕事で遅くなったときは、俺がメシ作ってたから。」

「ふーん。廉も意外と苦労してるんだね。てっきり冬実さんに甘やかされて育ったのかと思ってた。」

「苦労ならお互い様だろ?自由な親を持つと、子供は自然と成長するよな。」

「うん。そうだね。」

「チーズ味も作ろうか?」

「いいね!カレー味も。」

そうしてみるみるうちに餃子が完成した。

私と廉は笑い合いながら、作った餃子をフライパンで焼いていった。

勢いよく餃子を入れすぎて、油が私の手にはねた。

「あつっ!」

「大丈夫か?!」

廉は水道の水を勢いよく流すと、私の右手を掴み冷やした。

廉の身体が私に急接近し、その吐息が頬にかかる。

私は思わず顔が赤くなった。

「も、もう大丈夫だからっ。」

「本当か?」

「うん。」

私の手は少しだけ赤く染まった。

廉の優しさがなんだかくすぐったかった。




パパと冬実さんは帰ってくるなり、テーブルに並べられた大量の餃子に目を丸くした。

「おお。美味そう!」

「すごいわ!これ、廉と皐月ちゃんで作ったの?」

「はい!廉君の手際がいいのでびっくりしました。」

私の言葉に冬実さんが目を細めて廉を見た。

廉はそんな母親のまなざしが照れくさいのかそっぽを向いている。

パパと冬実さんが席に着くと、私と廉が立ち上がった。

「パパ。冬実さん。結婚、おめでとうございます。」

「おめでと。」

「ありがとう。皐月。廉君。」

パパと冬実さんが頭を下げた。

「では二人に初めての共同作業を行ってもらいます。」

私は冷蔵庫の中に仕舞っていたホールケーキを二人の前に置いた。

昨夜私が内緒で焼いたチョコレートケーキだった。

廉がブレッドナイフをふたりに渡す。

「はい。ケーキ入刀して?」

パパと冬実さんは顔を見合わせ、二人で柄を持つと、ケーキにナイフの刃を入れた。

「なんだか照れるな。」

「ほんとに。でも嬉しい。なによりも廉と皐月ちゃんがふたりでこれを用意してくれたのが本当に嬉しい。結婚するって決めたとき、一番不安だったのはふたりの事だったから。特に廉は女の子が苦手だし。」

「皐月も男の子には免疫ないから正直ちょっと心配してた。でもふたりの仲が良さそうで安心した。」

私と廉は顔を見合わせ、小さく微笑んだ。

「このパーティは廉と皐月ちゃんの初めての共同作業ね。」

冬実さんがふふふっと口に手を当てた。

「ねえ。パパと冬実さん、喧嘩してたでしょ。もう仲直りした?」

「ああ。」

「ね?」

パパと冬実さんが同時に言った。

きっとふたりの中でなにかが解決したんだろう。

それはきっとふたりにしか判らないことで、深入りして聞くことは野暮だと思った。

「さ、食べようか。せっかくの餃子が冷めちゃうからな。」

私達4人は席に座り、大皿に乗せられた餃子に箸を伸ばした。




我が美しの丘学園は夏休み前に体育祭がある。

私は運動が苦手なので、体育祭前になると憂鬱で仕方がない。

しかもクラス委員として種目別の選手を決めるという面倒な仕事もあり、やっと昨日のホームルームで、リレーの選手やその他の選手を決定した。

けれどどうしても借り物競争の選手が決まらなくて、結局クラス委員である私が仕方なく選手になることとなった。

走るだけでも緊張するのに誰かに何かを借りなければならないなんて、考えただけでも胃が痛くなる。

けれど与えられた仕事はしっかりとこなす、それが私の唯一の取り柄なのだから、頑張らなければ・・・。

借り物競争を引き受け真っ青になった私に、あずみが心配そうな顔を向けた。

「皐月、ごめん。アタシが引き受けてあげたかったんだけど・・・。」

「ううん。気にしないで。大丈夫だから。」

あずみは運動神経が良いから、200M走と障害物競争の選手を掛け持ちしている。

それ以上の負担はかけられない。



放課後になると、リレーの選手がグラウンドで練習を始めていた。

教室の窓からその光景を眺めていると、白いTシャツに学校指定の黒いジャージズボンを履いた廉がウォーミングアップの為のストレッチをしているのが見えた。

相変わらず廉を見学する女子のギャラリーが多い。

やがて選手たちは白い線が引かれたグラウンドのスタート地点に立ち、ホイッスルの音と共に一斉に走り始めた。

走るのが苦手な私から見ると、どの選手も自信満々に見えて別世界の人間に見える。

4番目の列に廉の姿があった。

ホイッスルが鳴り、廉を含んだ選手達が一斉に走り出す。

廉はグングンと2位以下の選手を引き離し、圧倒的な速さでゴールした。

女子達の黄色い歓声が響く。

その颯爽としたしなやかな走りは、見ているすべての人間を魅了した。

もちろん私もその例外ではない。

あんなに恰好いい男子が自分の義弟だなんて、本当なら周りの皆に自慢したい。

けれど廉に学校では話しかけないで、と頼んだのは自分だ。

あれ以来廉は、私の教室へ来ることはおろか、廊下ですれ違っても視線さえ合わせなかった。

それは安堵とともに、淋しさをも運んで来た。

廉がクラスメートの女子と話しているのを見ると、なんだか胸がちくちくする。

廉は私との約束を守ってくれているだけ。

私が淋しいと思うなんて、身勝手すぎる。

そう思いながら窓の外の廉をみつめていると、廉が顔を上げた。

廉の視線が私の方を向いてるような気がして、思わず目を逸らす。

すると廉は一瞬だけ、私だけにわかるように、片手を上げ小さく手を振った。

心臓がどきんと音を立てる。

遠慮がちに私も小さく手を振り返す。

廉は大きく身体をジャンプさせると、再びグラウンドの方へ歩いて行った。

しばらくすると障害物競争の練習がはじまった。

あずみの姿も見える。

あずみが綺麗なフォームでハードルを越えていく姿が格好いい。

心底運動神経の良い人が羨ましかった。

彼等なら大きな障害も困難も軽く飛び越えていきそうだから。

体育祭当日。

運が悪いことに、生理が来てしまい、お腹がズキズキと痛む。

元々運動神経が良くないのに、体調不良・・・幸先が悪すぎる。

肩を落としながら身支度をし、玄関でスニーカーを履いた。

「皐月。大丈夫か?顔色悪いけど。」

いつの間にかエナメルのスポーツバッグを肩にかけた廉が私の背中に声を掛けた。

私は振り向き、微笑んでみせた。

「なに言ってんの?私は元気だよ?ほら見て?」

そう言ってガッツポーズを決める私に、廉はそっけなく「あっそ。ならいいけど。無理すんなよ。」と言って私を追い越して玄関を出ていった。

心配してくれたのに、強がりを言ってしまった。

どうして「ありがとう」って言えなかったんだろう。

素直じゃない自分が嫌で自己嫌悪に陥った。



体育祭が始まった。

所定の席に座って自分のクラスを応援する。

あずみの心配そうな顔をよそに、私は何回も席を立ち、お手洗いへ行った。

午後一番に私が出場する借り物競争の順番が回って来た。

鎮痛剤を飲んだからか、午前中より少しだけお腹の痛みが和らいでいた。

借り物競争の列に並び、とうとう自分の列の番になった。

ピストルの音と共に私はゆっくりと走り出した。

当然他の選手から遅れ、一番最後に机に置かれた借り物が書かれている紙を拾う。

その用紙に書かれたモノは「ハチマキ」

簡単なもので良かったと安堵した私は、応援席の方を向き、あずみの姿を探した。

そのとき、脇腹に差し込むような痛みが走り、おもわずお腹を押さえてその場にしゃがみこんでしまった。

痛いほどのギャラリーからの視線を感じ泣きそうになっていると、応援席から私の方へ走って来る廉の姿が見えた。

廉はあっという間に私の元へたどり着き、私の顔を覗き込んだ。

「皐月。大丈夫か?立てる?」

「うん・・・廉、ごめん。」

「いいって。」

「・・・・・・。」

「自力で歩くの無理そうだな。さ、乗って。」

廉は私に背中を向けた。

とまどう私に廉が大きな声で急かした。

「早く!」

「・・・うん。」

私は思い切って廉の背中におぶさった。

廉は私をおんぶしながら、ゴール地点に向かって歩いて行く。

「皐月。借り物はなんだった?」

「ハチマキ。」

「じゃあ俺のハチマキ、持ってろ。」

自分の頭に巻いてある白いハチマキを取った廉は、それを私に手渡した。

廉におんぶされてゴールする私の耳に、女子達の黄色い声が聞こえた。

廉はそのまま私を保健室へ連れて行った。



「あらあ。どうしたの?」

保健の先生は私達ふたりを見て目を丸くし、それから意味深な笑みを浮かべた。

「ナイトがお姫様をおぶってきたわけね。」

廉は私を保健室のベッドに降ろすと、先生に言った。

「こいつ、朝から調子悪かったんです。ゆっくり休ませてやってください。じゃあ俺、戻ります。」

「廉、ありがとうっ」

私の言葉に廉は「だから無理すんなっつったろ。」と少し怒った顔をして保健室から出て行った。

「あらら。照れちゃってまあ。」

保健室の米山涼子先生は長い髪を後ろで一本に結び、丸い眼鏡をかけた女の先生で、そのあっけらかんとした性格と親しみやすさから、生徒達からの人気が高かった。

「どこが痛いか教えてくれる?」

米山先生の柔らかい声に、固くなっていた私の身体の力もほどよく抜けた。

「朝、生理が始まっちゃったんです。お腹がずっとキリキリ痛くて・・・」

「鎮痛剤は飲んだ?」

「飲みました。」

「じゃあ、ベッドで横になってなさい。」

「はい。」

清潔な皺ひとつないシーツが掛けられたベッドに、私は潜り込んだ。

まだお腹は痛かったけれど、横になっているからか身体も心も楽になった。

私は廉の大きな背中とその匂いを思い出し、顔が火照った。

私ったら何考えてるの?

廉は義姉の窮地を助けてくれただけ・・・ただそれだけ。

「・・・廉にお礼しなきゃな。」

私は保健室の白い天井を眺めながら、そうつぶやいた。



「皐月!大丈夫?!」

日が暮れ、体育祭が終わると同時に、あずみが保健室へ駆け込んできた。

「競技中に倒れたって聞いて、もう心臓が止まるかと思った。」

「大袈裟だなあ。あずみは。」

「どうしたの?足でもくじいた?」

あずみは心配そうな顔で私をみつめた。

「ううん。お腹が痛くて・・・実は朝から調子悪かったんだ。」

「あ・・・もしかして、女の子の日?」

「うん。そう。」

「そっか・・・。」

「でもね・・・五代君が助けてくれたの。」

「五代君?なんで彼が?」

「た、たまたま近くにいたからじゃない?」

「・・・ふーん。皐月、本当は五代君と付き合ってるんじゃないの?」

「まさか!付き合ってないよ。」

「ま、いいけど。もう帰ろうか。皐月、起き上がれる?」

「うん。」

私が身体を起こすのを、あずみは背中に手を添えて手伝ってくれた。

私はあずみが教室から持ってきてくれたカバンを持つと、机で書き物をしていた米山先生に声を掛けた。

「先生。ありがとうございました。帰ります。」

「あらそう。もう大丈夫そう?」

「はい。」

米山先生は私達を見るとにやりと笑い、片手をひらひらと振った。

「気を付けて帰ってね。お姫様。」