凄まじい衝撃音とともに水煙が立ち上り、海鈴は反射的に目を瞑った。衝撃に巻き込まれた鉄骨やらパイプが、赤黒い闇の中に吸い込まれては光となって消えていく。
「もう大丈夫」
レインは強く海鈴を抱き寄せ、耳元で言った。優しいぬくもりにドキドキしながら、海鈴はちらりとレインを見上げて、小さく声を上げる。
「レイン……仮面が……!」
レインの仮面は外れ、素顔が晒されていた。間近で見る鷹色の瞳と、雪のように白いきめ細かな肌。完璧に整ったレインの顔を、長い銀髪がゆらりと撫でた。ひとつに結ばれていたはずの髪はほどけ、長い銀髪が水の流れに沿うように揺れている。
「君を引き寄せた衝撃で、あの闇に取られてしまったんだね」
レインの素顔は、湊によく似ていた。間近で見る鷹色の瞳はとても優しく、澄んでいる。海鈴の胸の中に、じんと赤い光が灯った。
「過去を捨てたくないなら、しっかりと自分を持たなければならないよ」
「うん……。分かってる」
海鈴がしっかりと頷くと、レインはにっこりと笑った。
「私……気付いたよ。今はまだ自分がなにになりたいのか分からない。でも、帰りたい。ちゃんと将来のこと考えたい」
「君のことは、なにがあってもちゃんと元の世界まで案内する。行こう」
海鈴はレインに導かれるまま、再び銀河鉄道に乗ってステラの家に向かった。
少しの黴の匂いを連れて、列車は進む。
「ねぇ……さっきのあれはなに? 記憶焼却場って……それからあの声も」
海鈴は手をぎゅっと握った。訊ねた瞬間、つい先程の恐ろしい光景が蘇る。深い深い闇の中、赤黒い炎が海鈴に忍び寄ってくる。まるで、悪夢だった。
「あれは、ナイトメアというんだ。彼らは君の臆病な心から生まれた住人。怖がりだから、闇の中からは絶対出てこないんだけど……。最近、ずっとなにか物騒なものを作ってるという噂があった。でも、まさか、あんなものを作っていたなんて」
「じゃあ、あの記憶焼却場っていうのは」
「リセットボタンだ。彼らは夢が見つからないままなのは怖いから、臆病になってしまう心を強制的に殺してでも夢を見つけようとしたのだろう」
海鈴は表情を固くした。
「そんな……」
列車は、終着地点であるステラの家の前に向かっていた。
かつてステラが友達の印にと描いてくれた白い巨木は、驚くほど成長していた。
「いつの間に、こんなに……」
「これは君の力だよ。この木の成長は、君自身の成長。君が成長した証なんだ」
ステラがこの木を生み出したのは、僅か半月前のこと。海鈴は自分でも気付かないうちに、こんなにも心の木を大きく強く、根を太くしていたらしい。自分ではまったく気が付かなかった。
「行こうか」
海鈴は、家の中で幸せそうに眠るステラにお別れのキスをすると、例の白い巨木の前に立った。そこには、以前はなかった飴色の小さな扉がある。
ごくりと喉を鳴らし、その木を見上げた。
「レイン……最後まで、着いてきてくれる?」
「僕は星の案内人。世界の果てまでも、君と共に」
「うーん……なんだか、仮面がないとそのキザなセリフも決まらないね」
仮面の下のレインの素顔は、とても美しいけれど、それ以上に優しい顔をしているのだ。
「おっと、言ってくれるな」
くすりと笑うレインの顔は思ったよりも子どもっぽくて、海鈴はなんだか嬉しくなった。扉に手をかけ、中に入ると、木の中は空洞だった。木目と同じ模様の螺旋階段がぐるぐると木の頂上まで果てしなく続いている。
「……これ、昇るの?」
先が見えない。これを昇るのは骨が折れそうだ。
「水面に出ないと、自分と向き合えないからね。帰りたいなら昇らないと。行こう」
海鈴は覚悟を決め、終わりの見えない階段を一段一段昇り始めた。足音だけが響く空間。海鈴は前を歩くレインの背中を見つめる。
「ねぇ……レイン」
呼びかけても、レインは振り返ることなく、進んでいく。しばらく経ってから、小さく「なに?」と返してきた。
「ありがとう……私を、導いてくれて」
レインはなにも答えなかった。けれど、横から僅かに見えたその口角は、ちょっとだけ上がっているような気がした。
白い巨木の頂上は、入口と同じ飴色の扉を抜けた先にあった。頂上は夢のように豊かな植物で溢れていた。
白い木製の囲いが施され、簡単には下へ落ちないようになっているその場所から下を覗くと、水面は思ったよりも低い位置にあった。その場所は、白い葉が余計に太陽の光を吸収しているのか、目が眩むほどに明るい。
「ここから飛び降りれば、きっと元の世界に戻れる」
「こんなに高いところから……?」
海鈴は呆然と水面を見下ろした。軽く七階建ての建物くらいの高さはある。飛び降りるのは、正直怖い。
「自分と向き合うというのは、怖いことだ。自分という存在は、とっても曖昧な存在。ちょっとしたことで壊れてしまうし、他人に壊されることもある」
遠くで波の音がした。
「臆病なのは悪いことじゃない。言い換えればそれは慎重だということ。よく考えて行動することができる。君の長所だ。でも、その気持ちに飲み込まれちゃいけない。自分自身でリセットボタンを押してはいけないよ」
「うん」
海鈴はしっかりと頷く。
あの闇の中で微かに見えたのは、パチパチと瞬くいくつもの瞳。不安に脅えていた。あの子たちの不安は海鈴のもの。誰でもない海鈴が自分を不安にさせていたのだ。
「記憶焼却場……怖かったけど、おかげで気付けた。私には助けてくれる人がいる。失くしたくないものがあるってこと」
海鈴はそっとポケットの中の筆を撫でる。あのとき、この筆が海鈴の目を覚まさせてくれた。ナノの明るい笑顔が海鈴に勇気を与えてくれた。そして、レインが業火の中から救い出してくれた。
「私はひとりじゃないんだね」
もう迷わないだろう。ナノもステラも晴れやかな表情をしていた。海鈴は、柔らかな水の中で眠る彼女たちを、もう不安にさせまいと誓った。
「レイン、ありがとう。最後まで付き合ってくれて」
海鈴はレインと向かい合う。
「私、頑張るよ」
海鈴の臆病な心から生まれたナイトメアたちが、またリセットボタンを押してしまわないように。
「海鈴なら大丈夫。君は気付いていなかっただけで、自分をしっかり持っているんだ」
「ねぇ、レインは湊先生への気持ちから生まれたんだよね」
「そうだ」
「私と湊先生はこれから、進展することある?」
「それは君次第。僕の存在は君の心そのものだ」
「そっか。じゃあ、信じなきゃね」
レインは、まっすぐに海鈴を見つめた。レインの真剣な瞳に、海鈴の胸がどきんと跳ねる。
「僕たちは、蠍の心臓。君のためなら、この身をひゃっぺん焼いたってかまわない」
ぽんと頭の上に置かれたレインの温かな手に、海鈴は泣きそうになった。込み上げる涙を必死に飲み込み、笑顔を向ける。
「……ありがとう。レイン、大好き」
レインは優しく微笑むと、海鈴を抱き上げ、飛び降りた。風が海鈴の全身を包み込む。まるで、体が羽のように軽い。
「目を開けて、海鈴」
レインの声に目を開けた瞬間、海鈴の瞳に飛び込んできたのは視界いっぱいの水平線。水の中に落ちた町はキラキラと輝き、まるで星が空から落ちたかのようだった。
「君の世界は光に満ちてるんだ。怖がる必要なんてない。迷ったときは、この景色を思い出して」
「うん……!」
レインは手に持っていたステッキを天に掲げた。ステッキが光り出すと、それは見る間に光を放ち、大きな傘となる。レインはそれをバッと開き、海鈴の額にキスを落とす。
「この先も、君の未来が輝き続けますように」
「ありがとう。レイン、またね!」
海鈴はレインを強く抱き締めると、手を離した。
「絶対忘れないから……!」レインが柔らかく微笑んだ。
涙が空へ昇っていく。海鈴の体は水面へ落ちていく。レインの姿はどんどん小さくなっていった。
下を向くと、水面に自分が映っていた。鏡のように反射するもう一人の自分……いや、ミレイに向かって、海鈴が叫ぶ。
「ミレイ! 待たせてごめん!」
『海鈴! 良かった、間に合って……。無事に自分を見つめ直せたのね』
ミレイは目を細め、心から安堵したように笑った。
「うん! 心配かけてごめんね。でも、もう大丈夫! みんなのおかげで、迷いはなくなったから!」
海鈴の手が水面に映るミレイの手と重なる。空気が揺れ、水面に小さな波紋が広がった。ぐにゃりと歪んだミレイが、海鈴をまっすぐに見つめ、言う。
『海鈴、忘れないで。あなたの一番の味方はあなた自身。私たちはどんなときも、あなたを一番に想ってる』
二人、手を伸ばす。眩い太陽が水面を照らした。
「またね……!」
海鈴はどぷんと大きな音を立てて、温かな水の中に飛び込んだ。
「もう大丈夫」
レインは強く海鈴を抱き寄せ、耳元で言った。優しいぬくもりにドキドキしながら、海鈴はちらりとレインを見上げて、小さく声を上げる。
「レイン……仮面が……!」
レインの仮面は外れ、素顔が晒されていた。間近で見る鷹色の瞳と、雪のように白いきめ細かな肌。完璧に整ったレインの顔を、長い銀髪がゆらりと撫でた。ひとつに結ばれていたはずの髪はほどけ、長い銀髪が水の流れに沿うように揺れている。
「君を引き寄せた衝撃で、あの闇に取られてしまったんだね」
レインの素顔は、湊によく似ていた。間近で見る鷹色の瞳はとても優しく、澄んでいる。海鈴の胸の中に、じんと赤い光が灯った。
「過去を捨てたくないなら、しっかりと自分を持たなければならないよ」
「うん……。分かってる」
海鈴がしっかりと頷くと、レインはにっこりと笑った。
「私……気付いたよ。今はまだ自分がなにになりたいのか分からない。でも、帰りたい。ちゃんと将来のこと考えたい」
「君のことは、なにがあってもちゃんと元の世界まで案内する。行こう」
海鈴はレインに導かれるまま、再び銀河鉄道に乗ってステラの家に向かった。
少しの黴の匂いを連れて、列車は進む。
「ねぇ……さっきのあれはなに? 記憶焼却場って……それからあの声も」
海鈴は手をぎゅっと握った。訊ねた瞬間、つい先程の恐ろしい光景が蘇る。深い深い闇の中、赤黒い炎が海鈴に忍び寄ってくる。まるで、悪夢だった。
「あれは、ナイトメアというんだ。彼らは君の臆病な心から生まれた住人。怖がりだから、闇の中からは絶対出てこないんだけど……。最近、ずっとなにか物騒なものを作ってるという噂があった。でも、まさか、あんなものを作っていたなんて」
「じゃあ、あの記憶焼却場っていうのは」
「リセットボタンだ。彼らは夢が見つからないままなのは怖いから、臆病になってしまう心を強制的に殺してでも夢を見つけようとしたのだろう」
海鈴は表情を固くした。
「そんな……」
列車は、終着地点であるステラの家の前に向かっていた。
かつてステラが友達の印にと描いてくれた白い巨木は、驚くほど成長していた。
「いつの間に、こんなに……」
「これは君の力だよ。この木の成長は、君自身の成長。君が成長した証なんだ」
ステラがこの木を生み出したのは、僅か半月前のこと。海鈴は自分でも気付かないうちに、こんなにも心の木を大きく強く、根を太くしていたらしい。自分ではまったく気が付かなかった。
「行こうか」
海鈴は、家の中で幸せそうに眠るステラにお別れのキスをすると、例の白い巨木の前に立った。そこには、以前はなかった飴色の小さな扉がある。
ごくりと喉を鳴らし、その木を見上げた。
「レイン……最後まで、着いてきてくれる?」
「僕は星の案内人。世界の果てまでも、君と共に」
「うーん……なんだか、仮面がないとそのキザなセリフも決まらないね」
仮面の下のレインの素顔は、とても美しいけれど、それ以上に優しい顔をしているのだ。
「おっと、言ってくれるな」
くすりと笑うレインの顔は思ったよりも子どもっぽくて、海鈴はなんだか嬉しくなった。扉に手をかけ、中に入ると、木の中は空洞だった。木目と同じ模様の螺旋階段がぐるぐると木の頂上まで果てしなく続いている。
「……これ、昇るの?」
先が見えない。これを昇るのは骨が折れそうだ。
「水面に出ないと、自分と向き合えないからね。帰りたいなら昇らないと。行こう」
海鈴は覚悟を決め、終わりの見えない階段を一段一段昇り始めた。足音だけが響く空間。海鈴は前を歩くレインの背中を見つめる。
「ねぇ……レイン」
呼びかけても、レインは振り返ることなく、進んでいく。しばらく経ってから、小さく「なに?」と返してきた。
「ありがとう……私を、導いてくれて」
レインはなにも答えなかった。けれど、横から僅かに見えたその口角は、ちょっとだけ上がっているような気がした。
白い巨木の頂上は、入口と同じ飴色の扉を抜けた先にあった。頂上は夢のように豊かな植物で溢れていた。
白い木製の囲いが施され、簡単には下へ落ちないようになっているその場所から下を覗くと、水面は思ったよりも低い位置にあった。その場所は、白い葉が余計に太陽の光を吸収しているのか、目が眩むほどに明るい。
「ここから飛び降りれば、きっと元の世界に戻れる」
「こんなに高いところから……?」
海鈴は呆然と水面を見下ろした。軽く七階建ての建物くらいの高さはある。飛び降りるのは、正直怖い。
「自分と向き合うというのは、怖いことだ。自分という存在は、とっても曖昧な存在。ちょっとしたことで壊れてしまうし、他人に壊されることもある」
遠くで波の音がした。
「臆病なのは悪いことじゃない。言い換えればそれは慎重だということ。よく考えて行動することができる。君の長所だ。でも、その気持ちに飲み込まれちゃいけない。自分自身でリセットボタンを押してはいけないよ」
「うん」
海鈴はしっかりと頷く。
あの闇の中で微かに見えたのは、パチパチと瞬くいくつもの瞳。不安に脅えていた。あの子たちの不安は海鈴のもの。誰でもない海鈴が自分を不安にさせていたのだ。
「記憶焼却場……怖かったけど、おかげで気付けた。私には助けてくれる人がいる。失くしたくないものがあるってこと」
海鈴はそっとポケットの中の筆を撫でる。あのとき、この筆が海鈴の目を覚まさせてくれた。ナノの明るい笑顔が海鈴に勇気を与えてくれた。そして、レインが業火の中から救い出してくれた。
「私はひとりじゃないんだね」
もう迷わないだろう。ナノもステラも晴れやかな表情をしていた。海鈴は、柔らかな水の中で眠る彼女たちを、もう不安にさせまいと誓った。
「レイン、ありがとう。最後まで付き合ってくれて」
海鈴はレインと向かい合う。
「私、頑張るよ」
海鈴の臆病な心から生まれたナイトメアたちが、またリセットボタンを押してしまわないように。
「海鈴なら大丈夫。君は気付いていなかっただけで、自分をしっかり持っているんだ」
「ねぇ、レインは湊先生への気持ちから生まれたんだよね」
「そうだ」
「私と湊先生はこれから、進展することある?」
「それは君次第。僕の存在は君の心そのものだ」
「そっか。じゃあ、信じなきゃね」
レインは、まっすぐに海鈴を見つめた。レインの真剣な瞳に、海鈴の胸がどきんと跳ねる。
「僕たちは、蠍の心臓。君のためなら、この身をひゃっぺん焼いたってかまわない」
ぽんと頭の上に置かれたレインの温かな手に、海鈴は泣きそうになった。込み上げる涙を必死に飲み込み、笑顔を向ける。
「……ありがとう。レイン、大好き」
レインは優しく微笑むと、海鈴を抱き上げ、飛び降りた。風が海鈴の全身を包み込む。まるで、体が羽のように軽い。
「目を開けて、海鈴」
レインの声に目を開けた瞬間、海鈴の瞳に飛び込んできたのは視界いっぱいの水平線。水の中に落ちた町はキラキラと輝き、まるで星が空から落ちたかのようだった。
「君の世界は光に満ちてるんだ。怖がる必要なんてない。迷ったときは、この景色を思い出して」
「うん……!」
レインは手に持っていたステッキを天に掲げた。ステッキが光り出すと、それは見る間に光を放ち、大きな傘となる。レインはそれをバッと開き、海鈴の額にキスを落とす。
「この先も、君の未来が輝き続けますように」
「ありがとう。レイン、またね!」
海鈴はレインを強く抱き締めると、手を離した。
「絶対忘れないから……!」レインが柔らかく微笑んだ。
涙が空へ昇っていく。海鈴の体は水面へ落ちていく。レインの姿はどんどん小さくなっていった。
下を向くと、水面に自分が映っていた。鏡のように反射するもう一人の自分……いや、ミレイに向かって、海鈴が叫ぶ。
「ミレイ! 待たせてごめん!」
『海鈴! 良かった、間に合って……。無事に自分を見つめ直せたのね』
ミレイは目を細め、心から安堵したように笑った。
「うん! 心配かけてごめんね。でも、もう大丈夫! みんなのおかげで、迷いはなくなったから!」
海鈴の手が水面に映るミレイの手と重なる。空気が揺れ、水面に小さな波紋が広がった。ぐにゃりと歪んだミレイが、海鈴をまっすぐに見つめ、言う。
『海鈴、忘れないで。あなたの一番の味方はあなた自身。私たちはどんなときも、あなたを一番に想ってる』
二人、手を伸ばす。眩い太陽が水面を照らした。
「またね……!」
海鈴はどぷんと大きな音を立てて、温かな水の中に飛び込んだ。