まだまだ肌寒い早春の朝。
 香夜(かや)はかじかんだ手に白い息をはぁ、と吹き掛けながら少しでも(だん)を取ろうとしていた。

「香夜! 何をしているの!? さっさと言われたことをすませなさい!」

 養母の叱責(しっせき)がすかさず飛んできて、香夜は慌てて掃除道具に手を掛ける。

「ごめんなさい、お養母様」

 素直に謝罪してから、あかぎれで痛む手を冷水となってしまった桶に沈める。
 もはや感覚も無くなってきた手で雑巾を絞り、拭き掃除を再開させた。

「さあ、ついに日宮の若君がこちらにいらっしゃるのよ。綺麗に磨き上げなきゃ」

 香夜を叱責した声とは打って変わって、いくらか弾んだ声になる養母。
 『磨き上げなきゃ』などと言っているが、実際にやるのは香夜の仕事だ。

「分かっているね? 特に舞台は美しく飾り立てるんだよ? いくら月鬼(つきおに)の娘たちが美しくとも、舞う舞台がみすぼらしいんじゃ引き立たないからね」
「はい、お養母様」

 またしても厳しくなった声に素直に返事をする。
 今日の養母は楽しげでもあるが、同時にピリピリと気が立っていた。下手に反感を買うと罰としてまた仕事を増やされるかも知れない。

「昼までには終えるんだよ!」

 言い終えると、「忙しい忙しい」と口ずさみ着物の(すそ)を払いながら養母は去って行った。

 養母からの圧が無くなって、香夜はふぅと安堵の息を吐きながら手を動かし続ける。
 言われた通り昼までに終わらせなければ、今日の昼食はないだろうから。
 たまに嫌がらせで食事を抜かれることはある。とは言え、今日に限っては別の理由だ。