うちに戻って来た卓己は、玄関まで来た途端、いつものモジモジを始める。
「……。ね、ねぇ、本当に、中に入っちゃって、い……いい、の?」
「いつも入ってるじゃない」
「う、うん……」
ようやく靴を脱いで、リビングに入る。
私が冷蔵庫に買ってきたお茶とかおやつとかを入れ終わるまで、彼は玄関から入ってきたリビングの入り口で、じっとオロオロと立っていた。
「何してんの? プリン、食べるんじゃなかったの?」
「プリン……は、や、やっぱり、紗和ちゃんにあげる」
卓己はいつも、言いたいことを私に言えない。
だけどそれは私も同じことだったんだと、いま気がついた。
「今日は! ……。その、ありがと」
「え! なにが?」
「た、助けてくれて」
卓己はぽかんと口を開けたまま私を見た後で、その目を伏せた。
「僕……じゃない。颯斗さんだよ。仕事で忙しくて、自分は行けないから、紗和ちゃんを助けてあげてって、連絡が来た。なんのことだか分からなかったけど、詳しいことも、全部メールに書いてあった」
卓己はうなだれたまま、横を向く。
「僕、の……方こそ、あ、謝らないと。いつ、も、勝手に、紗和ちゃんの気持ちも考えずに、自分のことばかり優先してたのは……。お、俺の方だったなって……」
卓己はそこから、一歩後ろに後ずさった。
「紗和ちゃん……は、あの人のことが、好きなんだと、思った。だから……。どうしていいのか、分からなくて。混乱してて。それでも紗和ちゃんがあの人を選ぶなら、もうどうしようもないし……」
卓己は瞳いっぱいに潤んだ目を、私に向けた。
「ずっとずっと、気になってた。紗和ちゃんが、俺以外の人と付き合うことになるなんて、想像もしてなかった。だけどそれが、間違いだったんだ」
「私別に、佐山CMOのこと好きじゃないよ」
「でも、嫌いでもないでしょ」
そう聞かれると、返事に困る。
黙り込んだ私の腕に、卓己の手が触れた。
「ねぇ、こっちに来て」
二階のアトリエに入る。
真っ暗な部屋に、卓己はパチリと灯りをつけた。
「何にもなくなっちゃったね」
卓己は知っている。
この部屋におじいちゃんがいたことを。
この場所が、どれだけにぎやかで楽しかったのかを、知っている。
今は静かなこの家が、日々尋ねてくる人たちで溢れ、父も母も健在で、私は今よりもずっと素直で自由だった。
「だけどさ、それは紗和ちゃんのせいじゃないでしょ?」
私は取り戻したい。
あの頃を。あの時間を。
失ってしまったものを全て取り戻せるんだと信じていなければ、怖くて息も出来ない。
「おじいちゃんの作品を全部取り戻すことは、無理だよ。あきらめよう」
涙があふれ出す。
誰よりも一番自分が認めたくなくて、でも誰かに言ってほしくて、私がずっと待ち望んでいた言葉をようやく言ってくれたのは、卓己だった。
「その代わりに、さ」
卓己は繋いだ手を握りしめたまま、私を見つめた。
「ここに、俺の作品を置いちゃダメ? これからはさ、俺と紗和ちゃんの思い出の品を、一緒に置いていこうよ」
泣き顔なんて、きっと卓己にしてみれば見飽きたものだ。
それでも私は、ボロボロあふれ出すそれを止められない。
返事をしなくてはいけないと分かっているけど、どうしても体がいうことをきかない。
「それじゃダメ……かな。ね、俺はそうしたい。から、そうしよう?」
卓己に肩を抱き寄せられ、そのまま身を任せた。
背に回った彼の腕が、ぎゅっと私を抱きしめる。
「ね、いいでしょ?」
うなずいた私の耳に、卓己の頬が触れた。
「よかった。いいよって言ってくれて」
しがみつくように両腕を彼の後ろに回し、その背を握りしめる。
泣きじゃくる私のこめかみに、卓己の唇が触れた。
「……。ね、ねぇ、本当に、中に入っちゃって、い……いい、の?」
「いつも入ってるじゃない」
「う、うん……」
ようやく靴を脱いで、リビングに入る。
私が冷蔵庫に買ってきたお茶とかおやつとかを入れ終わるまで、彼は玄関から入ってきたリビングの入り口で、じっとオロオロと立っていた。
「何してんの? プリン、食べるんじゃなかったの?」
「プリン……は、や、やっぱり、紗和ちゃんにあげる」
卓己はいつも、言いたいことを私に言えない。
だけどそれは私も同じことだったんだと、いま気がついた。
「今日は! ……。その、ありがと」
「え! なにが?」
「た、助けてくれて」
卓己はぽかんと口を開けたまま私を見た後で、その目を伏せた。
「僕……じゃない。颯斗さんだよ。仕事で忙しくて、自分は行けないから、紗和ちゃんを助けてあげてって、連絡が来た。なんのことだか分からなかったけど、詳しいことも、全部メールに書いてあった」
卓己はうなだれたまま、横を向く。
「僕、の……方こそ、あ、謝らないと。いつ、も、勝手に、紗和ちゃんの気持ちも考えずに、自分のことばかり優先してたのは……。お、俺の方だったなって……」
卓己はそこから、一歩後ろに後ずさった。
「紗和ちゃん……は、あの人のことが、好きなんだと、思った。だから……。どうしていいのか、分からなくて。混乱してて。それでも紗和ちゃんがあの人を選ぶなら、もうどうしようもないし……」
卓己は瞳いっぱいに潤んだ目を、私に向けた。
「ずっとずっと、気になってた。紗和ちゃんが、俺以外の人と付き合うことになるなんて、想像もしてなかった。だけどそれが、間違いだったんだ」
「私別に、佐山CMOのこと好きじゃないよ」
「でも、嫌いでもないでしょ」
そう聞かれると、返事に困る。
黙り込んだ私の腕に、卓己の手が触れた。
「ねぇ、こっちに来て」
二階のアトリエに入る。
真っ暗な部屋に、卓己はパチリと灯りをつけた。
「何にもなくなっちゃったね」
卓己は知っている。
この部屋におじいちゃんがいたことを。
この場所が、どれだけにぎやかで楽しかったのかを、知っている。
今は静かなこの家が、日々尋ねてくる人たちで溢れ、父も母も健在で、私は今よりもずっと素直で自由だった。
「だけどさ、それは紗和ちゃんのせいじゃないでしょ?」
私は取り戻したい。
あの頃を。あの時間を。
失ってしまったものを全て取り戻せるんだと信じていなければ、怖くて息も出来ない。
「おじいちゃんの作品を全部取り戻すことは、無理だよ。あきらめよう」
涙があふれ出す。
誰よりも一番自分が認めたくなくて、でも誰かに言ってほしくて、私がずっと待ち望んでいた言葉をようやく言ってくれたのは、卓己だった。
「その代わりに、さ」
卓己は繋いだ手を握りしめたまま、私を見つめた。
「ここに、俺の作品を置いちゃダメ? これからはさ、俺と紗和ちゃんの思い出の品を、一緒に置いていこうよ」
泣き顔なんて、きっと卓己にしてみれば見飽きたものだ。
それでも私は、ボロボロあふれ出すそれを止められない。
返事をしなくてはいけないと分かっているけど、どうしても体がいうことをきかない。
「それじゃダメ……かな。ね、俺はそうしたい。から、そうしよう?」
卓己に肩を抱き寄せられ、そのまま身を任せた。
背に回った彼の腕が、ぎゅっと私を抱きしめる。
「ね、いいでしょ?」
うなずいた私の耳に、卓己の頬が触れた。
「よかった。いいよって言ってくれて」
しがみつくように両腕を彼の後ろに回し、その背を握りしめる。
泣きじゃくる私のこめかみに、卓己の唇が触れた。