待ち合わせに指定されたのは、会社からほど近いイタリアン。
添付された店のHPを開いて確認する。
ん?
看板とか出てないし、これ一見普通のただの壁みたいじゃない?
これが店の入り口?
てか、HPなのに、どこを見ても料理の値段が載ってない。
金曜の夜の約束だから、仕事終わりということになる。
お店の格に合わせたお洒落をしていかなければならないんだけど、一度帰宅すれば予約の時間に間に合わない。
変にドレスアップして会社に行けば、絶対周囲からなにか言われるの、分かってるのに……。
服だけはどうしようもないから、黒のスタンダードなキャミワンピースに、白のインナーを合わせて行こう。
それくらいなら会社に行っても注目を浴びることはないだろう。
普段よりちょっと背伸びはしてるけど、特段気合いが感じられるわけでもない、当たり障りのない及第ラインだ。
メイクとアクセサリーは、駅のトイレで何とかするとして……。
そんなことをあれこれ考えているうちに、急に疲労感に襲われ、大きなため息をつく。
断れるものなら断りたい。
こんなこと面倒なだけ。
だけど、断れないものならば、さっさと終わらせてしまえばいい。
迎えた金曜は朝から憂鬱で、いつも以上に目立たぬよう、そつなく仕事を片付ける。
オフィスを出なければいけない時間が来て、細心の注意を払い、さりげなく抜け出すことに成功した。
予定通りお店の最寄り駅トイレでメイクを直し、ゴールドの緩やかなスパイラルバーのピアスをさす。
ネックレスはいつもの鞄に入れるには邪魔になりそうだったから、やめた。
スマホの地図を頼りに、すっかり日の暮れた通りを進む。
落ち着いた雰囲気の街中に、その店を見つけた。
HPに載っていたのと同じ白い壁の前に、ネットには載っていなかったオーケストラの指揮者の譜面台みたいなものが置かれている。
その脇には、ピッタリとした黒服の男性が立っていた。
「いらっしゃいませ。ご予約の三上さまですか?」
黒髪のオールバックの男性が、これ以上ないくらい爽やかな笑顔を浮かべる。
「あ、私が予約したんじゃないんですけど……」
「佐山さまとご一緒ですね。お待ちしておりました。お入りください」
心臓をバクバクさせながら、照明を落としたレストランの、靴が沈み込むほどふかふかの赤茶けたカーペットを進む。
店に入った瞬間、私は佐山CMOに身バレしたことを、はっきりと確信した。
完全個室のレストランは、どう考えたって全部で5部屋くらいしかない。
通された個室からはガラス張りの向こうに、ライトアップされた庭が見える。
都会の真ん中にあるのに、ここの周囲には高層ビルの建ち並んでいるはずなのに、窓からは庭の木々と空しか見えないって、どういうこと?
しかも、もしかしてこの個室から庭に下りていける系?
部屋の配置と垣根の様子から、隣のお部屋からも絶対見えない仕組みだよね。
席に着いたとたん、細長いシャンパングラスに水が注がれる。
この水もきっと、タダの水ではないはずだ。
きっと一口300円くらいするに違いない。
本当にこんなところに座ってて大丈夫なの?
もし佐山CMOがこなかったら、私はどうなるの?
人生で経験したことのない高級店に、いつでも逃げ出せるようビクビクしながら座っていたら、ようやくノックの音が聞こえた。
「佐山颯斗です。よかった。来てくれてた」
深い紺色のスラックスと白Tの上に、軽やかなライトブルーのジャケットを羽織っているその姿は、清爽感ハンパない。
私は約束の時間より少し早めに来ていた。
彼の到着だって、5分は早い。
佐山CMOの到着に、私は勢いよく立ち上がった。
「先日はお見苦しいところをお見せして、大変申し訳ございませんでした」
深々と頭を下げる。
一度も染めたことのない私の髪が、肩からさらさらと流れ落ちた。
指先までぴっしり伸ばした手を体の前で合わせ、腰の角度は90度に固定する。
「あぁ! いや、そういうつもりじゃなかったんだけどな。まぁ座ってよ」
困惑した様子を見せた彼は、それでもにっこり微笑んで席に着く。
私はビジネスマナーに則り、上司である彼が席についてから、さっと素早く腰を下ろした。
「三上恭平のお孫さんが、まさかうちの社にいるとは思わなかったものでね」
「そのことですが……」
「内緒にしとけって? 分かったよ」
絵に描いたようなイケメンだ。
白い肌と繊細に伸びた高い鼻。
整った眉と目は、立体造形されたフィギュアみたいだ。
出されたおしぼりで手を拭くと、彼は爽快な笑みを私に投げつける。
「で、なぜあのカップを欲しがったのです?」
佐山CMOが席についたとたん、すぐに前菜が運ばれてきた。
彼は私にアレルギーとお酒の可否を確認してから、何かのワインを頼む。
「祖父との、思い出の品だったので」
オークションで競り落とし、ちゃんとお金を出して買ったのはこの人だ。
私が何か口出しできる立場にはない。
「大切にしていただけると、祖父も喜ぶと思います」
「あぁ、それなんだけどね。実は失くしなくしちゃったんだ」
「は?」
失くした? おじいちゃんのカップを? こんな短期間で?
添付された店のHPを開いて確認する。
ん?
看板とか出てないし、これ一見普通のただの壁みたいじゃない?
これが店の入り口?
てか、HPなのに、どこを見ても料理の値段が載ってない。
金曜の夜の約束だから、仕事終わりということになる。
お店の格に合わせたお洒落をしていかなければならないんだけど、一度帰宅すれば予約の時間に間に合わない。
変にドレスアップして会社に行けば、絶対周囲からなにか言われるの、分かってるのに……。
服だけはどうしようもないから、黒のスタンダードなキャミワンピースに、白のインナーを合わせて行こう。
それくらいなら会社に行っても注目を浴びることはないだろう。
普段よりちょっと背伸びはしてるけど、特段気合いが感じられるわけでもない、当たり障りのない及第ラインだ。
メイクとアクセサリーは、駅のトイレで何とかするとして……。
そんなことをあれこれ考えているうちに、急に疲労感に襲われ、大きなため息をつく。
断れるものなら断りたい。
こんなこと面倒なだけ。
だけど、断れないものならば、さっさと終わらせてしまえばいい。
迎えた金曜は朝から憂鬱で、いつも以上に目立たぬよう、そつなく仕事を片付ける。
オフィスを出なければいけない時間が来て、細心の注意を払い、さりげなく抜け出すことに成功した。
予定通りお店の最寄り駅トイレでメイクを直し、ゴールドの緩やかなスパイラルバーのピアスをさす。
ネックレスはいつもの鞄に入れるには邪魔になりそうだったから、やめた。
スマホの地図を頼りに、すっかり日の暮れた通りを進む。
落ち着いた雰囲気の街中に、その店を見つけた。
HPに載っていたのと同じ白い壁の前に、ネットには載っていなかったオーケストラの指揮者の譜面台みたいなものが置かれている。
その脇には、ピッタリとした黒服の男性が立っていた。
「いらっしゃいませ。ご予約の三上さまですか?」
黒髪のオールバックの男性が、これ以上ないくらい爽やかな笑顔を浮かべる。
「あ、私が予約したんじゃないんですけど……」
「佐山さまとご一緒ですね。お待ちしておりました。お入りください」
心臓をバクバクさせながら、照明を落としたレストランの、靴が沈み込むほどふかふかの赤茶けたカーペットを進む。
店に入った瞬間、私は佐山CMOに身バレしたことを、はっきりと確信した。
完全個室のレストランは、どう考えたって全部で5部屋くらいしかない。
通された個室からはガラス張りの向こうに、ライトアップされた庭が見える。
都会の真ん中にあるのに、ここの周囲には高層ビルの建ち並んでいるはずなのに、窓からは庭の木々と空しか見えないって、どういうこと?
しかも、もしかしてこの個室から庭に下りていける系?
部屋の配置と垣根の様子から、隣のお部屋からも絶対見えない仕組みだよね。
席に着いたとたん、細長いシャンパングラスに水が注がれる。
この水もきっと、タダの水ではないはずだ。
きっと一口300円くらいするに違いない。
本当にこんなところに座ってて大丈夫なの?
もし佐山CMOがこなかったら、私はどうなるの?
人生で経験したことのない高級店に、いつでも逃げ出せるようビクビクしながら座っていたら、ようやくノックの音が聞こえた。
「佐山颯斗です。よかった。来てくれてた」
深い紺色のスラックスと白Tの上に、軽やかなライトブルーのジャケットを羽織っているその姿は、清爽感ハンパない。
私は約束の時間より少し早めに来ていた。
彼の到着だって、5分は早い。
佐山CMOの到着に、私は勢いよく立ち上がった。
「先日はお見苦しいところをお見せして、大変申し訳ございませんでした」
深々と頭を下げる。
一度も染めたことのない私の髪が、肩からさらさらと流れ落ちた。
指先までぴっしり伸ばした手を体の前で合わせ、腰の角度は90度に固定する。
「あぁ! いや、そういうつもりじゃなかったんだけどな。まぁ座ってよ」
困惑した様子を見せた彼は、それでもにっこり微笑んで席に着く。
私はビジネスマナーに則り、上司である彼が席についてから、さっと素早く腰を下ろした。
「三上恭平のお孫さんが、まさかうちの社にいるとは思わなかったものでね」
「そのことですが……」
「内緒にしとけって? 分かったよ」
絵に描いたようなイケメンだ。
白い肌と繊細に伸びた高い鼻。
整った眉と目は、立体造形されたフィギュアみたいだ。
出されたおしぼりで手を拭くと、彼は爽快な笑みを私に投げつける。
「で、なぜあのカップを欲しがったのです?」
佐山CMOが席についたとたん、すぐに前菜が運ばれてきた。
彼は私にアレルギーとお酒の可否を確認してから、何かのワインを頼む。
「祖父との、思い出の品だったので」
オークションで競り落とし、ちゃんとお金を出して買ったのはこの人だ。
私が何か口出しできる立場にはない。
「大切にしていただけると、祖父も喜ぶと思います」
「あぁ、それなんだけどね。実は失くしなくしちゃったんだ」
「は?」
失くした? おじいちゃんのカップを? こんな短期間で?